2006年5月30日火曜日

私的音楽遍歴

NHKワールドで、企業が農業に参画するとどうなるか?という番組(進行役:糸井重里)をなにげに見ましたが、近代農業ってホント、野菜工場みたいでスゴイ!

んで、似たような事を20年ほど前に試験的やってた(今もやってる?)マジカル・パワー・マコのことを思い出し、今どうしてんだろう?・・・と。

 



マジカル・パワー・マコ公式サイト


残念ながら彼のアルバムは聴いたことが無いのですが、NHKの、「未来への遺産」は好きで見てましたから、その片鱗は耳にしていたでしょう。彼もまだまだ意気盛んなようです。

そして、マジカル・パワー・マコとも関わりのあった灰野敬二。荻窪の小さいライブハウスで、生で見ましたわ。遥か昔。でも私には、なぜ彼の評価が高いのか良くワカラン・・・。前衛ではあるけれど、最先端じゃあないでしょ?

分かりやすい前衛。大衆のための前衛。

・・・と、いったコンセプトっすか?だからこそPOPスター(非常に狭い範囲ですが)に成り得たのかにゃ?





灰野敬二 魂を操る司祭


前衛的であったといえばグンジョーガ・クレヨン。それでも楽曲がフォルムを持っていたので、子供であった私でも何とか聞くことが出来たんだ思います。良く分からないままに1stアルバム買っちゃいましたから。


gungogacrayon HP





直感的、感覚的に彼らの音を受け入れていたので、高尚な前衛論なんてチンプンカンプン。今でもグンジョーガ・クレヨンが受け入れられるかは・・・疑問です。

んで、グンジョーガ・クレヨンと同時期に聞いていたのがフリクション。


FRICTION-Unofficial


「軋轢」のなかの、「100年」という曲は好きでしたし、当時、POLICE(ポリス)も丁度デビューした頃で、アンディー・サマーズとツネマツマサトシがマイ・フェイバリット・ギタリストでしたネ。

布袋寅泰にも近い線を感じるのですが、硬い音のギターを弾かせたらツネマツマサトシには敵わないでしょう。なんせツネマツマサトシの音は空間を歪めますから。





そして何といっても私がいちばんハマってしまったのが・・・


ザ・ドアーズ


FENから流れてきた「太陽を待ちながら」を耳にした時からが、おそらく私のROCKへの傾倒のはじまり。英語も分からないのにいきがって、FENを聞いてました。

新聞の番組欄にもFENの放送プログラムの欄があり、「キング・ビスケット・フラワー・アワー」というプログラムが私のお気に入りでした。





ジミ・ヘンが死に、ジャニスが死に、ジム・モリソンが死んだ1971年。ベトナム戦争。フラワー・ムーブメント。学生運動(内ゲバ)。いみじくも、

「いろんな事が同時に起こる。」

と、ボブ・ディランは言い、

「みんな大嫌いだ!」

と、ミック・ジャガーは吐き捨てる。


祭りは終わったのだ(ジ・エンド)。



 
 
しかしそれでも、明日という日は嫌でもやって来る。「大いなる死」が訪れる、その時まで・・・。


グレイトフル・デッド


 



「ROCKはスタイルじゃない。生き様だ!」
- 某ミュージシャン談 -


(挿入アルバム・ジャケット写真はマイ・ドアーズ・コレクショ+αです)

2006年5月27日土曜日

BAよ永遠に

「BA」と言えば・・・
ハイ。BA(婆)ちゃんデス。

何を隠そう、私、お婆ちゃん子でした。
父方の祖母は私が幼い頃に亡くなってしまったので
記憶に残っているのは母方の祖母のことばかりなのですが、
なにしろ、祖母に怒られたという記憶がありません。

怒られた記憶が無いのは勿論なのですが、
だからといって、甘やかされたという記憶もありません。
なのに、なんで祖母が好きだったのか?

いつもお地蔵さんのように静かに佇んでいた祖母だったのデス。
昔話をイロイロ聞かせてくれた祖母だったのデス。
関東大震災、第2次世界大戦を生き抜いてきた祖母だったのデス。
謂わば「歴史の生き証人」だったのデス。
子供心に湧き上がるいろいろな疑問にひとつひとつ真面目に応えてくれ、
父や母さえも頭の上がらない私にとっては「神」のような存在だったのデス。

インターネットでありとあらゆる情報が瞬時に蒐集できる昨今、
「歴史の生き証人」なんて意味の無いことの様にも見えます。
しかし、歴史は「頭」だけで理解するものではなく、
「体」で受け止めてこそ次の世代にバトンタッチできるのではないでしょうか?

私とて、祖母からの又聞きの歴史認識ですが、
祖母の人生に実体験として刻み込まれた歴史は祖母の中で、
祖母が死ぬまで祖母と一緒に生き続けたワケで、
教科書の中の「死んだ歴史」ではなく「生きた歴史」だったのです。

「歴史」とは人間の日々の営みの上に形成されるダイナミックで
生命力に溢れる無形の産物。と言えないでしょうか?
「靖国問題」を含む先の大戦の禍根により
日本と周辺諸国の関係がギクシャク(険悪?)した現状・・・

ひとつだけ確かな事は、
どの国の国民も進んで戦争に突入したのではないという事。
各国の指導者・指導部による国策、国益に食い違いが生じ、
結果として各国の国民が戦争に巻き込まれたという事実。
その事を一番良く知っているのはやはりその当時を生き抜いて来た
爺ちゃん、婆ちゃんたちで、
自己擁護に詭弁を振う各国の指導者や政府じゃないでしょう。

民の心情というものはどこの国であってもそんなに変わらない。
というのが私の基本信念デス。
往時を生き抜いた市井の老人たちを一堂に集めてサミットでもすれば
孫たちの為にも後世に禍根を残さない様、
老人の知恵?で戦後の諸問題も一気に平和的に処理できるのでは?
・・・などと考えるのは甘いですかネェ?

ま、政と民は必ずしも一致しないわけで、
これは日本に限らずどこの国も同じ。
正直、政治家だけに任せていたら世の中ちっとも良くならないのでは?
などと、最近シミジミ思います。

中国の民。朝鮮の民。その他の世界中の民と
平和的に共存できる日が来るのはそう遠くないと信じたいデス。はい。

で、なんで急にこんな事を書く気になったかというと、
今日、久しぶりにチュー・マン・チン通り(スカイガーデン横)にある
小じんまりとした市場を通った際、
顔馴染みの乾物屋のお婆ちゃんと目が合いほんの瞬間、
お互いに笑顔を交わしただけだったのですが、

(おぉ~、お婆ちゃんまだ生きてたんだ。元気そうでなにより。)

(アンタもネ。ちゃんと仕事してんの?)

と、いうような感じで(あくまで本人の思い込み)、
お婆ちゃんの品の良い笑顔に、祖母のお地蔵様の様な笑顔が重なり、

(あぁ、このお婆ちゃんも先の世界大戦、ベトナム戦争と、祖母と同じように歴史の荒波を乗り越えて来たんだなぁ・・・)

と。

その上で、安らかな、お地蔵さんの様な笑顔に到達できるなんて、
やはり、年を経た人間に対して畏敬の念を抱かざるを得ないワケで。
(まだまだ未熟者ですから、私。)

そしていま、「歴史の生き証人」たちがまだ存命している内にこそ
戦中・戦後をきっちり清算しておかなければ、
「国益」だとか、「品格」だとか、
本来の「歴史的事実」とはかけ離れた歪んだ次元に問題がすり替えられ、
結果として、ただ只、醜い応酬がこの先も繰り返され続けるのではなかろうかと
遠いベトナムの空の下で、日本の行く末を案ずる次第です。はい。

2006年5月24日水曜日

Gよ永遠に


「G」と言えば・・・

「GODZILLA」?・・・おしい。

「G13」?・・・イエイエ。

「GIANTS」?・・・ブー!


ロボスーツに小泉首相も驚き




政府の総合科学技術会議で、筑波大学の山海教授が開発した介護動作支援用ロボットスーツ「HAL」が披露され、スーツを身に着けた男性が女性を軽々と持ち上げる姿に、首相も驚嘆の声を上げた。(23日、首相官邸)

(時事通信社)22時03分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060523-04453613-jijp-pol.view-001



実は、先日のこの記事の写真見て

「サイボーグじいちゃんG」を思い出し、

さっそくGoogleで検索しちゃいました♪
まぁ、こんなマンガ(失敬)を覚えている物好きは

ズいないだろうとある程度予想はしてましたが、
それでもコアなファンはいるものですにゃ。
Wikipediaにも「サイボーグじいちゃんG」の項目があったのには

ビックリすると同時に、Wikipediaの懐の深さに感心。





CYBORGじいちゃんG
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/CYBORG%E3%81%98%E3%81%84%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93G


『CYBORGじいちゃんG』(サイボーグじいちゃんジー)は、小畑健(連載当時は土方茂名義)の漫画。1989年に週刊少年ジャンプ(集英社)にて連載された。全31話。略称はGちゃん。

<後略>



ま、普通、「サイボーグ」と言えば「009」と来るんですが、
リアルタイムで読んだ「サイボーグじいちゃんG」のあまりのバカらしさに、
「サイボーグ」と言えば「Gちゃん」。と、不覚にもシッカリ刷り込まれてしまいました・・・

「サイボーグ」って先端技術、ナンか暗いですよね。
それってヤッパリ「サイボーグ009」の功罪だと思うわけで、
本来、素晴らしい未来の技術であるハズなのにこう暗くっちゃ、


「未来なんて真っ暗だ~!」


と、悲観的にもなろうもの。
そんな未来に対する閉塞感(私だけか?)に風穴を空けてくれたのが
「サイボーグじいちゃんG」だったわけですネ。
だから余計、忘れられないマンガのひとつになったのでしょう。



-以下引用-
サイボーグじいちゃんG 
作・土方茂(小畑健) ジャンプコミックス全4巻 21世紀再販版全2巻 
http://hell-z.hp.infoseek.co.jp/baka/g-chan.htm

ストーリー

 農業と発明を愛する老人、懐造時次郎。カラスから自分の畑を守る為にガトリング内蔵カカシやミサイルランチャーを配備したりする過激な老人だが、ある日、朝早いハズのその姿が見えない・・・家族が心配して駆けつけると・・・なんとサイボークになっていた!じいちゃんは世界でトップの農作業を営む為に自らを改造、農作業用サイボーグ『サイボーグじいちゃんG』となったのだ!時に悪党を打ちのめし、宿敵・社礼頭博士の野望をくじき、時にハチャメチャに暴れまわる、痛快極まりないギャグマンガだ!

 リアルタイムでジャンプで見た幼少時、胴体が折れ曲がりバルカンを繰り出すカカシや毎度の爆発オチには抱腹絶倒し、村上のバカマンガの原点的存在の一つである。この記事用に読み返したら、つい爆笑して読みふけってしまったよ。そんな訳でサイボーグじいちゃんGを紹介していこう。

 その最大の特徴はメカでありつつ老人であると言う点だ!趣味は農業と盆栽と発明。農業の為には重火器の使用も厭わない。むしろ積極的に使う。本体にもガトリング、ミサイル、火炎放射器等々を内蔵し怒るとスグぶっ放す。盆栽もサイバーパワーでデザインを計算。バランスを崩す枝は回転丸ノコを射出して整える。だが老人の為、サイボーグになってもリュウマチに苦しめられたり電磁サロンパスや血行がよくなる入浴剤入り風呂(帯電してる為常人には有害)に使ってパワーを回復したりと、無駄な特徴&弱点も完備。その他体内で漬物を漬けていたりとやりたい放題だ。

 そしてもう一つの趣味発明も大問題。人が怪我をするとすぐさまサイボーグ化したり、他人の頭をすぐ電子頭脳に挿げ替えたりと、銃夢の違法サイバネ屋もかくやの暴虐っぷり。また時折登場する乗り物も勝手に使いやすいよう改造するのでF-16戦闘機なみの戦闘力を誇りパワードスーツ化するトラクターや、垂直離着陸するリヤカー、レーシング仕様になりイモを自動射出する焼き芋屋台など、よそでは決して見られないような(当然)アヤシイ乗り物も多数登場するので見逃せない。
そして極めつけは爆発!
どんな展開だろうと悪の最後とギャグの締めは爆発オチ!ギャグマンガに爆発は欠かせない事をみっちり叩き込ませてくれる。
 美麗な絵柄と作者。この漫画はバカな内容に反し超絶美麗な絵柄である。むしろ、バカマンガは絵が上手ければ上手いほどそのギャップが笑いになる好例とも言えよう。特にジャンプ版一巻の表紙はGちゃんがサイバーボディに麦わら帽子+手ぬぐいで、畑から大根が何故か放電して浮いていると言う珍妙なシチュエーションが、超ハイスキルで描いてあるので必見!この表紙の為だけでも再販版でなく、旧版を探す価値はあると断言できる。

 やたら滅法上手く、るろうに剣心の作者が師匠とさえ崇めるこの作者。冒頭でネタバレしているが実は「ヒカルの碁」の作者・小畑健先生なのだ!あの小畑先生がバカマンガを…と今とのギャップだけでもまた笑いが起きる。再販版の際にはキャンペーンでヒカルとGちゃんが碁を打つ柄のTシャツがプレゼントであったのだ!
欲しかった…
と言う訳で長々解説してきたが、俺がくどくど言わずとも名作なのは動かしがたい事実である。
バカマンガBEST5を選べと言われたら確実にランクインするこの作品。好事家なら見ずには死ねまい。

ー引用終りー
まつたく同感。
で、「サイボーグ」ネタでもう一丁。
もぅ、「サイボーグ」の暗~い側面を極めたようなこの1本。




内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
『ガメラ』シリーズで知られる樋口真嗣が特技監督を担当したオリジナル作品。第ニ次大戦末期、帝国陸軍が秘密兵器の人造人間・ジンラ號を開発。すべて抹消されたかと思われていたが、密かに眠り続けていた一体が現代で甦り人々を襲い始める。
ー引用終りー


この「ミカドロイド」に献体した青年て、有望な水泳選手だったんだよね。(確か・・・)
あぁ~・・・何て暗いんだっ!暗い!暗すぎるぅ~!

2006年5月23日火曜日

「機関車」の見積もり一丁!

今朝、最近入ったスタッフがどこからかの電話に受け答えした後で、

「機関車ノ見積モリヲ作ッテ下サイ。オ客サンガ必要デス。」
「・・・ハ?チョッと待った。どうも耳がオカシイみたい。もう一度言ってくれる?」
「ハイ。機関車ノ見積モリヲ書イテ下サイ。」
「・・・」

断っておきますが当然、機関車なんて取り扱っていません。
で、彼女が何で急にそんなこと言い出したのか
ベトナム語で何と言ったか問いただしてみると
「ダウ マイ」と電話口で言われたらしく、
直訳すると「機械の頭」もしくは「機械の先っちょ」となるのですが

日越辞書を開いて見ると確かに「機関車」となってます。

ベトナム人と話をしていると、ひとつの単語(日本語)の質問に対して
複数の回答(対応するベトナム語)が返ってきて

(イッタイドレガ正シインダロウ?)

と面食らうことがありますが、同様に、ひとつのベトナム語に対しても
様々な日本語が考えられます。

(その中から的確な言葉を選ぶのが翻訳者の腕の見せ所なのでしょう。)

で、スタッフに「機関車」を知っているのか尋ねたところ案の定、
「機関車」という日本語は辞書で初めて見ただけで
ソレが何なのか全く知りませんでした。
機関車をマンガで描くと、


「あぁベトナムにもあります♪」

とスグに納得するのですが、もし、「機関車」が何であるのか知っていれば

「機関車ノ見積モリヲ作ッテ下サイ。」

などという馬鹿げたことは言わなかったしょう。

かように、自分が知らない(理解していない)事でも
ベトナム人は結構平気で口にします。で、間違いを指摘すると、
先生がそう言ったとか、本に書いてあったとか・・・
(確かに辞書に書いてありました。はい。)

でも、書いてあることの意味が分からなくても気にならないんでしょうか?
知識というのは、自分が納得出来てはじめて活かせるというもの。
どうもベトナム人全般的に知識の多さのみを美徳としている面があるようで、
そのせいもあってか、新聞や雑誌を広げるのが好きなのでしょう。

思うに、知識というのは常に後追いですわな。
どこかの誰かが出した答えをカンニングしているに過ぎません。
そりゃ~お喋りの話題作りには事欠かないでしょうが
カンニングだけして自分は博識だと得意になっていても、
それだけじゃあ何も生み出せません。
(前向きな創造意欲がなければ別に構いませんが)

要は、知識はヒントとして、そこからどう発展させるか?
それが知恵の始まりであるように思いますし、
そのことに気が付かない限り「後天的格差」は永遠に広がり続ける。
・・・などと思う今日この頃。



ロボスーツに小泉首相も驚き

政府の総合科学技術会議で、筑波大学の山海教授が開発した介護動作支援用ロボットスーツ「HAL」が披露され、スーツを身に着けた男性が女性を軽々と持ち上げる姿に、首相も驚嘆の声を上げた。

(23日、首相官邸)(時事通信社)22時03分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060523-04453613-jijp-pol.view-001


ま、今回の件はあまりに突拍子もない事だったのですが、
これがビミョ~にズレていてこっちも気が付かなかったら・・・
と想像すると、怖い気もします。

2006年5月21日日曜日

「ナウシカ」復活上映に寄せて

「ナウシカ」復活上映に長蛇の列

 第59回カンヌ国際映画祭で18日夜(現地時間)、宮崎駿監督(65)の「風の谷のナ ウシカ」(84年)のニュープリント版が上映された。
 往年の名作や名優の作品を上映する「カンヌ・クラシック」部門に選出。宮崎アニメ 人気は欧米でも絶大で、開場の1時間前から行列ができた。約450人収容の劇場が ほぼ満席になり、上映後は拍手喝采。エンドクレジットで宮崎監督の名前が出ると、 歓声まで上がった。


 一番乗りで並んだドイツ人記者は「ビデオでしか見たことがなかったので、劇場で見 られてよかった」と感激。フランス人男性は「ファンタジーだけど、人間と環境の関係 の大事さを描き、とても深みがある」と話した。

< 後略 >

(スポーツニッポン) - 5月20日6時5分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060520-00000019-spn-ent


22年の時を経た作品にも拘わらず今の時代にも受け入れられるのは、
「風の谷のナウシカ(以後「ナウシカ」)」に
時代や地域を超えた普遍的なテーマが在るからでしょう。
見方を変えれば、時代は未だに宮崎駿監督が作品で提示したテーマ(問題)に
到達(解決)することが出来ずにいる・・・

「ナウシカ」の世界を今日の「日本」の状況に照らし合わせると、

最終戦争
環境問題
民族紛争
新種の疾病

北朝鮮の核ミサイルの脅威
水俣病やアスベストの被害患者
靖国問題
AIDS患者の増加

といったところでしょうか?
そしてこれらの問題は、何処の国でも違う形で当てはまる問題でしょう。
「ナウシカ」がもしベトナムで上映されれば
ベトナムの若者も必ず映画からのメッセージを受け取るハズです。

ところで、劇場版の「ナウシカ」では
オーム(王蟲)が人間の創造物であることには触れられていません。
オームに限らず、腐海とその周辺に棲息する全ての生物もそうです。
人間すらも・・・

「ナウシカ」の原作は、謂わば「MATORIX」です。
いままで真実だと思っていた世界が実は人工的に造られた仮の世界に過ぎない。
その事実に気づいた時、一体何を頼りに生きて行けばいいのか?

「ナウシカ」の原作の中でナウシカ(宮崎駿監督)はこう言います。

「確かにオームは人間(火の7日間後の世界の再構築の予定を立てた科学者たち)によって造られた生物かもしれない。しかし、オームに宿る高貴な魂はオーム自身のものだ。」

(うる覚えですが・・・)

科学が進歩すればするほど、「魂」の存在問題は避けて通れません。
もはや現代の生命科学のテクノロジーは
新たな生命を創造するレベルまで高まっています。
しかし、「器」は造ることができても、その「中身」は?
もしそれが可能になったら、
その時こそ人間は「神」になるのでしょう。
もう「ガフ」が空っぽになることは無いのですから。


-以下引用-

『風の谷のナウシカ』を批判する
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/nausika.html

< 前略 >

宮崎はこう語っています。

「いちばん大きな衝撃的だったのは、ユーゴスラビアの内戦でした。もうやらないだろ うと思っていたからです。あれだけひどいことをやってきた場所だから、もうあきてるだ ろうと思ったら、飽きてないんですね。人間というのは飽きないものだということがわか って、自分の考えの甘さを教えられました」

「『ナウシカ』を終わらせようという時期に、ある人間にとっては転向とみえるのじゃない かというような考え方を僕はしました。マルクス主義ははっきり捨てましたからね。捨 てざるをえなかったというか、これは間違いだ、唯物史観も間違いだ、それでものをみ てはいけないというふうに決めましたから、これはちょっとしんどいんです。前のまま の方が楽だって、今でもときどき思います。……労働者だから正しいなんて嘘だ、大 衆はいくらでも馬鹿なことをやる、世論調査なんて信用できない」

 ドルクの初代皇帝が「墓所の主」から知と技をうけとり、進歩の理想にもえながら、 最後にはドルクが巨大な抑圧帝国に変質していくのはソ連の歴史に重なります。また 宮崎はこんなことも言っています。

「自分の観念で、自分の感じたものをなんとかねじ伏せようとしてきた。それもやめた 。今の政治家でも、ただ印象だけで見てます。…政治家としての能力がなくても、この 人、いい人だと」

 ここには、理論への不信、自分の実感(好きだとか愛しているとか)への信仰、人間 の進歩への懐疑といった、ナウシカが最後に主張したことがすべて顔を出しています 。

 この批判はくりかえしませんが、マルクスについては一言いっておきたいのです。

 マルクスは、理想社会の絵図はまったく書きませんでした。彼の残した大著『資本 論』は徹頭徹尾、現実の分析です。労働者階級だからいつも正しいなどという見方と も無縁でした。蜂起した民衆の未熟が、革命を失敗に終わらせたことも冷静に分析し ます。「利潤追求にふりまわされる社会をのりこえて、人間が社会の主人公になる」と いうマルクスの次社会の大まかな特徴づけと、ソ連はまったくかけ離れたものとなり、 それ自体、マルクスと無縁のものでした。

 そういう意味では宮崎のいっている「マルクス主義」とは、宮崎のもっていた貧しいマ ルクス主義観であり、それが「崩壊した」にすぎません。しかしいいたいことは、そのことではありません。

 マルクスは、現実(資本主義)の格闘やたたかいのなかで、人権や民主主義、経済 運営感覚にすぐれた人間の個性が準備され、次の新しい社会をになう基礎が、資本 主義そのもののなからつくられることに注目しました。

 つまり、「墓所の主」のしめした理想や進歩と、ナウシカが直視した人間の現実を、 いっそう高い立場で統一させたすぐれた理論家であり、私たちの答えもそこにあるよう な気がしています。

-引用終わり-


「ナウシカ」の原作を未だ読んでいない人にはチンプンカンプンでしょうし、
私は門外漢なのでマルクスについても語れません。
機会があったらマルクスの著作を紐解いてみます。
どこかの誰かさんの「マルクス評論」でなく、自分の頭で理解する為に。

さて、原作のエンディングも劇場版のそれとは大きく違います。
劇場版ではオームの触手が
伝説の「金色の大地(だったか?草原か?)」に見立てられていますが、
原作では巨神兵が焼き尽くした墓所の荒涼とした跡地が「金色の大地」とされ、
そこで蟲使いたちが「再生の踊り」を舞います。
そして、劇場版が「伝説の成就」というある種、HAPPYENDだったのに対して、
原作は「宿命を背負え」と投げかける、重~いエンディングになってます。
「宿命」を背負いながら前へ進め。
たとえ今はそれが絶望的な未来であっても。・・・と。

「絶望」を前に人は「虚無」に囚われてしまいます。
だから「虚無」から逃れるために、
人は目先の「娯楽」を求めるのではないでしょうか?

そういえば、やはり昔~し読んだリチャード・バック(「かもめのジョナサン」著者)の
「イリュージョン」(村上龍 訳)のあとがきで、村上龍が、

「人生は退屈との戦いだ。」

と書いていたのを、フト思い出しました。

「ナウシカ」についてはもう少し自分なりに掘り下げてみたいと思います。

2006年5月20日土曜日

I WANDERING AGAIN

つづく・・・

3日目の朝、ホテルのビュッフェでシッカリ朝食を摂ってから
ホーチミン行きのバス乗り場(プサー・トマイ横)へ。
GFは見送ってくれなかったケド、まぁそれも止む無し。
なんせ朝寝坊だからね・・・でも正直ちょっとさみしいっす。
(思いやりを持つというのは結構シンドイ事かも知れません)





「感謝」と「謝罪」:「謝」、日中間の感性の違い

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1979288/detail


バスは8時過ぎにプノンペンを出発し、12時前にはバベット手前の食堂に到着。
ここで乗客が食事をしている間にバスの車掌が出国手続きを代行してくれます。

で、食事をしている最中、ウルサイ蝿を追い払おうとしたら
誤って飲んでいたカフェー・タッコー(ベトナム名:カフェ ダ~)を
テーブルから落としてしまいました。
(アララァ~、ヤッチマッタ~!)

当然ガラスのコップは床に落ちて粉々に・・・なるハズだったのが、
落ち方が良かったのか、中身はブチマケテしまいましたがコップは無傷。
食堂のお姉ちゃん(カンボジア人)が


「おかわり持ってくるから。」

とありがた~いお言葉。同じテーブルで食事をしていた4歳くらい?の白人の女の子に

「ダイジョウブダッタ?」

と尋ねると、向かいに座っていた父親が

「ニホンジンデスカ?」

と話しかけてきたのでそこから少しお互いの身の上話など。
こっちはサイゴンでジミ~な生活をしているので話題が少なく、

主に相手(アメリカ人)の身の上話の聞き役。

彼、ショーンはユタ州の出身でカンボジアで2年暮らし
奥さん(ベトナム人)と結婚してから一旦アメリカに戻り、
2年アメリカで生活した後、仕事の関係で現在2年間サイゴンに滞在してるとの事。
娘を2区のインターナショナル キンダーガーデンに通わせているらしいです。
(2区に外国人用の幼稚園なんてあるんだ~)

娘の名前はアリシア。奥さんの名前は・・・・忘れた。(失礼。)



「ナイス トゥ ミーチュー♪」

とアリシアと軽く握手して、奥さんとも、と思ったら
マンカウをパクパク食べてた奥さんは果汁で手がベトベト状態。

「アラヤダ、ワタシ手ガ汚レテルワ。ゴメンナサイ。」と握手パス。
(タ、助かった・・・)

食事が終わるちょうどいい頃合で車掌が国境職員を連れて戻って来て
バスの乗客の確認が済むと再びバスに乗り込み国境へ。
そういえば、お姉ちゃんが持って来たおかわり、
カフェー・タッコー(カフェ ダ~)じゃなくて
カフェー・タック・ドッコー(カフェ スダ~)に変わってて、

「お金取ろうかな~?」

とお姉ちゃんがニヤニヤしながら言うので

「ミエンフィーにせい!」

と。
結局、カフェ ダ~の値段でカフェ・スダ~を飲ませてもらったのだから
お姉ちゃんに感謝!

バベット国境で乗客の最終確認とバスの内外を軽く調べ終わると
バスに乗車したままベトナム側のモクバイ国境へ。

(リア ハウイ カンボジア~。シンチャオ ベトナ~ム。)

ベトナム側の入国手続きもバスの車掌が代行してくれるので
イミグレの長い列に並ぶ必要がなく、
大きな荷物を抱えたバックパッカーを尻目に

(よっ、ちょっくらゴメンよっ!)

と、イミグレのカウンターを一瞬で通過するのは快感でアリマス。

あとは一直線に1区に戻るだけ。
のハズだったのですが今回は珍しく国境から少し離れた警備所にバスが止められ、
な~んか、入念にバスが調べられました。

乗客は荷物を置いたままバスから降ろされてボ~っと
チェックが終わるのを待っているしかありません。

(あぁ~、空が青いなぁ~。風が気持ちイイなぁ~)

などと思いながら草を食んでいる水牛を見ているうちに検査が終わり、
バスは再びサイゴンに向かって走り出したのでした。
チミタチもたまには真面目にお仕事(国境警備)しないとね♪

旅に出ると毎度の事ながらイロイロな出会があります。
時として私を疲れさせる事もありますが、
ヤッパリ、旅は楽しいものでアリマス。

おわり


2006年5月17日水曜日

音の記憶

サイゴンでは朝から晩まで何がしかの音が聞こえます。

廃品回収のオバちゃんの声。
バインジョー売りのお兄ちゃんの声。
流しのマーサージ師の「シャカ、シャカ」という音。
これまた移動「身長・体重測定」屋の、ピーヒャラ、ピーヒャラというテーマソング?
HEMを駆け抜けていく子供たちの笑い声。真夜中の夫婦ゲンカの怒鳴り合い。
など等・・・。
その中に最近加わった新たな「生活の音」があります。
それはお向かいの家から聞こえてくる、ミシンで縫い物をする音。

「タタタタ・・・」というミシンの音を聞いていると
子供の頃の母親の背中が思い出されます。
私の母は手先が器用な方で、ご近所に頼まれていつもミシンで繕い物をしてました。
母が父と結婚する前(昭和30年頃?)、NHKのスタジオに招かれて
TV番組で反物のハタ織を披露したというのが、母の密かな自慢です。
(スタジオで撮影したボロボロの古い写真一枚が母の宝物。)

昔の女性にとって、縫い物、編み物、料理は嫁入り前の必須科目でした。
特に農家の女性は、1日の中で手を動かしている時間が長かつた思います。

小学生時代の夏休み、午前中は学校のプールでひと泳ぎして
家に戻って昼食後、昼寝から目覚めると、
「タタタタ・・・」という軽やかな、心地よいミシンの音。

(あぁ~、おかさん。誰の浴衣を縫っているんだろう?)

なんて、ボォ~っ考えながら、
(カルピス冷えてるかなぁ~?)
なんて、遠い日の記憶が鮮明に甦ってきます。

あの頃、夏の空はどこまでも青く、原っぱの雑草はムッとする草いきれ。
台風が来ると家の雨戸を釘で打ちつけ、夜は激しい雨音に何故かワクワクして
翌朝、台風一過の青空に秋の気配を感じ取ったものでした。

「タタタタ・・・」というミシンの音。
いつも何か手仕事をしていた母の背中。
「タタタタ・・・」というミシンの音。
父を、姉を、私を、弟を、ひとつの家族に縫い合わせる、
「タタタタ・・・」という軽やかな、心地よいミシンの音。

きっと今の子供たちも、親の背中を見ながら大きくなって行く・・・
時代がどんなに変わっても、
子供が0(ゼロ)から始まることに変わりは無いワケで。

2006年5月16日火曜日

AISURU(愛する)

つづき・・・

GFの叔母さん?(と、いってもまだ30才くらい?)とGFのパスポートの件で話し合い、
住民票はどうなってるのかと聞くと

「住民登録は済ませたからダイジョウブ♪」

と言って黄色い台帳?を見せてくれました。
当然、カンボジア語なので見てもチンプンカンプンなんですが、

どうやらGFと叔母さん?と叔母さんのご主人の3人分が記入されている。らしい。
で、登記した日付を見ると・・・2006年3月23日。

(あんたらっ、つい最近まで住民登録してなかったんかいっ!?)

しかもこの台帳?はご町内用の台帳のようで、
IDカードを受け取るには市役所で正式に住民登録し直さなければならない。らしい。

(パスポ-トへの道はまだまだ遠いな・・・orz

それでも少しずつでも進展があるようなのでひとまず安心したところで
GFが彼女の家族の写真を見せてくれました。
彼女のお父さんはすでに亡くなっており、

お母さんがベトナムのソクチャンに住んでいます。
カンプチアクロムと呼ばれる人たちで、昔からのメコンの住人です。
(ベトナム語が全く話せない人も少なからずいるようで・・・)

GFのお母さんとお姉さん達の中庭の様なところでの記念写真でしたが

「後ろに写っている家がワタシの家よ♪」
(どうみても倉庫の様にしか見えないんですケド・・・。レンガ造りですが。はい。)

などと思いながら次の写真を見ると、ン?彼女が家族と一緒に?
その次の写真は浜辺で自転車を押して歩く彼女の姿が・・・???

「実家に帰ったときの写真なの♪」
(パスポート要らないじゃんっ!)

しかも叔母さん?曰く、つい最近までGFのお母さんがプノンペンに来てて
ここ(叔母さん?の家)に滞在していたとの事。

(チョイ オ~イ!パスポート作る意味あんの?)

とも思いましたが、不法出入国はやっぱりマズイでしょ?
GFには堂々とモクバイの国境を越えて欲しいと思うワケで、
パスポートさえあればいつでもサイゴンープノンペンの間を行き来できるんだから
ヤッパリ持ってた方がGFの為にも、私の為にもGOOD!
なんせ今のペースで私がプノンペンに行っていたら
私のパスポートのページが「アッ!」と言うまに無くなってしまいますから。

叔母さん?のところでチョッと遅めの昼食をご馳走になってから
待たせていた乗り合いバイクタクシーに乗ってHOTELに戻り私は昼寝。
(腹イッパイになると、もぅ、眠くて、眠くて。)

GFがいったん下宿に戻ると言うので別れて、
夕方5時頃、夕食を食べに二人でまた蘇利亜へ。
で、蘇利亜のフードマートで

(ナニを食べようかな~?)

とウロウロしてると、・・・ン?オォっ!日本食のコーナーあるじゃあ、あ~りませんかっ!
その名も・・・

「AISURU(愛する)」!

(おぉ~っと!ソバでも食べよっ♪)
と、ソバを注文!したまでは良かったのですが、出てきたソバが
ツユが黄色いんですけど・・・。

しかも麺も黄色いんですけど・・・。
これはヒョットして所謂・・・「ラーメン」?
でも確かにメニューには「ソバ」と書いてあったやうな?

ま、味は悪くは無いんです。
でも、あまりに見本写真と違いすぎるんじゃないかい?とかブツブツ言いつつ、
結局きれいに平らげちゃったんですけどネ。

やっぱり食べるのが遅いGF(私が食べるのはや過ぎる?)が食べ終わってから
食後は最上階の映画館で映画(ホラー映画)鑑賞。
蘇利亜ってサイゴンのダイアモンドプラザみたいなモンか?
でもグレード的にはチョロンのアンドンプラザみたいでもあるかも?
ま、ふたつを足して2で割ったよなもんでしょう。

ところで、カンボジアの若人はホラー映画が大好きみたいで
プノンペン市内にあるほとんどの映画館でホラー映画を上映してます。
かかっている看板もおどろおどろしい絵(かえってコミカル)のものが多いデス。
その中でも「カメ男」(看板の見た目から勝手に命名)が見たかったのですが
(「マタンゴ」みたいなストーリーだったりして。)
あいにく蘇利亜では「カメ男」を上映してなかったので代わりに
第2夫人にイジメられる第3夫人が悪霊の力を借りて
第2夫人と第2夫人の情夫とその仲間に復讐するというストーリーの映画を見ました。
ホラー映画だから言葉が分からなくてもダイジョウブ♪

上映時間まで少し時間があり、GFが外の空気を吸おうと言うので
蘇利亜の屋上に出てサンダルを尻の下に敷いて座り込み
映画が始まる時間までマッタリと夕涼み。
日がスッカリ落ちて涼しくなった屋上には多くの人がいて、
みんなそれぞれにのんびりと時間を過ごしていました。

こういう時の流れがいまの日本にはもう無いような気がします。
私が子供の頃は、よく夕食後に家族で近所をブラブラ散歩したものですが・・・
屋上から見下ろすモニボン通りには車のライトが川の流れの様に見え、
(カンボジアも確実に復興・発展しているんだなぁ・・・)
と、人事ながらしみじみ。そして、ナ~ンかチョッと嬉しく思いました。


・・・つづく

2006年5月15日月曜日

「格差」 最終回

無限回廊 「日本赤軍と東アジア反日武装戦線」より抜粋

<前略>

5月25日、東アジア反日武装戦線が、東京の立川警察署北口交番など9ヶ所の交番を爆破。同日、逮捕された大道寺将司は企業連続爆破の理由について次のように供述した。

「日本は明治維新以来、常に海外にいろいろな資源や材料の供給を求め、その結果として台湾、朝鮮、中国、インドシナなどに対し、軍事侵略を行ないこれを植民地化して、その利益によって日本の社会構造を築いてきました。そして、戦後は表面的には形は違いますが、企業が海外に進出して安い労働力を求めると共に、海外の国に公害をたれ流していわゆる企業による侵略を行ない、企業侵略による搾取によって日本の社会構造を形成してきたとするのが、私の基本的認識です。

一方、既成左翼は革命を日本の労働者階級による闘いとしてとらえていますが、私は日本の労働者階級は先程述べた植民地化や、企業による侵略に組み込まれた、いわゆる帝国主義労働者であり、これによっては真の革命は望み得ないものであり、私は企業侵略により搾取されているいわゆる植民地の労働者の闘争によってのみ、真の革命が可能であると考えております。

そして、先程も述べたように、日本の社会構造の基礎を形作っているのが、いわゆる植民地に進出している企業である以上、革命のための第一歩は何よりも海外企業侵略を行なっている大企業に対してダメージを与え、企業侵略を阻止することであると考えております。

しかしながら、この企業侵略の阻止は、これまで行なわれてきた各種の大衆活動とか議会における活動によって達成することは不可能です。なぜなら、これら大衆活動も議会における活動も、先程述べたような形で形成されてきた社会構造の中でいう限界の中で行なわなければならないからです。

私は企業侵略を阻止するためには、企業侵略によって搾取されている国々の労働者の立場に立ち、物理的な力によって企業にダメージを与える必要があると考えました。これが、海外進出企業に対し爆弾を設置して爆破させた根本的な理由であります」

<後略>



[ 三菱重工ビル爆破事件 ]

 1974年(昭和49年)8月30日午後0時45分、東アジア反日武装戦線<狼>グループの大道寺将司、片岡利明、大道寺あや子、佐々木規夫(会社員)らによる、最初の大規模な爆弾事件が発生する。

 このときの爆弾は天皇暗殺攻撃=虹作戦用に作ったペール爆弾であった。東京都千代田区丸の内にある三菱重工本社ビルに仕掛けられた2つの爆弾が大音響とともに爆発し、死者8人(即死5人、病院に運ばれたあと死亡3人)、重軽傷者376人を数える大惨事を引き起こした。

 東アジア反日武装戦線<狼>グループは、巻き添えによる人的被害を回避するため、爆破時刻の8分前に、三菱重工ビル管理室に予告電話をかけた。

「これから大事なことを伝えるからよく聞いてほしい。我々は東アジア反日武装戦線<狼>である。三菱重工と三菱電機の間の道路上に爆弾を2個仕掛けた。すぐに爆発するので、道路上の人、および道路に面したビル内の人を至急避難させなさい。繰り返す。爆弾はすぐに爆発するので、道路上の人、および道路に面したビル内の人を至急避難させなさい。断っておくが、これは絶対にいたずら電話ではない」

 しかし、いたずら電話だと思ったのか、相手の男は途中で電話を切ってしまい、かけ直した時にも、また途中で切ってしまった。

 しかたなく、受付に電話し、交換手が最後まで通告を聞いたのは、爆発4分前であった。午後0時45分、三菱重工ビル玄関前で2個の爆弾が炸裂。避難措置はとられなかった。

 事件直後に、「三菱は、旧植民地時代から現在に至るまで、一貫して日帝中枢として機能し、商売の仮面の陰で死肉をくらう日帝の大黒柱である」とする犯行声明が発せられた。

 この事件がきっかけとなり、「犯罪被害者等給付金制度」が1980年(昭和55年)5月に公布し、1981年(昭和56年)にスタートした。これは、人の生命または身体を害する犯罪行為により、不慮の死を遂げた者の遺族や、重い障害を受けた者に対し、国が一時金を支給する制度。通り魔や爆弾魔のように犯人が分からなかったり、犯人は逮捕されても資力がなく、被害者やその遺族へ補償できない場合を考慮したもので、この請求は都道府県の公安委員会あてに行う。

 さらに、「犯罪被害者給付金支給法」が改正され、2001年(平成13年)4月1日制定、7月1日施行された。遺族給付金の支給額は、改正後1573~320万円(改正前1079~220万円)に、傷害給付金(傷害等級1~4級)の支給額は、改正後1849.2~331万円(改正前1273~230万円)に引き上げられた。また、改正前には設けられていなかった傷害給付金(傷害等級5~14級)が新たに設定され、14級で69~18万円とした。

<以上抜粋>


大きな船を動かすにはイロイロな役割を担う水夫(システム)が不可欠なワケで、いくらその船が気に入らないと言っても、船が大海原に出てしまった以上、日本という船が沈没してしまっては元も子も無いワケでしょ?

もちろん現状の日本社会が万人にとって良い(公平)とは思えませんが、日本はもとより、世界中に存在する諸々の問題の解決は、「新しい水夫」の出現まで辛抱強く待つしかないのかも知れません。

アト何年?何十年?何百年?かかるかは分かりませんが、それまでに老朽化した船が沈まない事を祈ることぐらいしか、年老いた水夫である今の私には出来ないわけで、偉そうな事を言っておきながら失敬。

・・・おしまい。



話は変わりますが、私の記憶の中では[三菱重工ビル爆破事件]と同時期に「人間の証明」というTVドラマをやっていて、そのドラマのエンディングに流れていた「りりぃ」の、「さわがしい楽園」という曲がず~っと頭の中から離れず、恐らくあの当時の時代の雰囲気と「りりぃ」の歌の雰囲気が渾然と溶け合い、幼い私の記憶の中にひとつの風景として刻み込まれたのではないか?と。はい(爆破事件直後のニュース映像、血まみれ人がいっぱいで怖かったっス)。

そしてボヤけた記憶の風景なので、余計気になって忘れられなかったのかも知れません。

で、最近ついに!前々から知りたかった「さわがしい楽園」の歌詞を、ひょんな事からダウンロードすることが出来て、改めて歌詞を読み直してみるとな~んか今の自分に向かって言われているような・・・


「さわがしい楽園」 by りりぃ

街を 去った人よ  もう何も 望まないで
故郷(ふるさと)みたいに ここに  戻ることは 出来ない
何処か 遠い国で   安らぎだけを 掴む
それが 出来る ならば  ほかは いいじゃないの


誰が  何処へ 行こうとも 構わないけれど
私はいる  このさわがしい  楽園 に


街を 去った人よ  もう帰って 来るな
今はすでに  此処も 眠る 場所じゃないよ
ぎらつく陽の 下で  陽炎のビル  揺れる
眼を とじて しまえば   生き残れる 街さ


誰が 何処へ 行こうとも 構わないけれど
私はいる  このさわがしい  楽園 に
誰が  何処へ 行こうとも 構わないけれど
私はいる  このさわがしい  楽園 に


私にとってはここサイゴンが、「さわがしい楽園」なワケで・・・。でも、まだ安らぎなんて掴めていないんですけどね。

2006年5月14日日曜日

出張のお供にU2とか♪

ソフトバンクと米アップルがiPod携帯の開発を検討

 ソフトバンクと米アップルコンピュータが、デジタル携帯音楽プレーヤー「iPod(アイポッド)」の機能を付けた携帯電話端末の共同開発を検討していることが13日、分かった。

 新型端末は、アップルが展開する世界最大規模の音楽配信サービス「iチューンズ・ミュージックストア」から曲を取り込めるようにする。

 携帯電話がiPodとしても使えるようになり、パソコンで曲を取り込んで携帯で楽しむ互換性も備えるとみられる。

 ボーダフォン日本法人を買収したソフトバンクは、インターネット音楽配信で人気の高いアップルとの提携を、「着うたフル」で先行するKDDI(au)やNTTドコモ追撃のテコにする。アップルは日本で携帯端末を使った音楽配信サービスに本格参入できる。

(読売新聞) - 5月13日20時31分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060513-00000513-yom-bus_all



仕事で出張する際、自分のお気に入りのU2の曲をお供に出かけられたらなぁ~・・・
と常々思っているのですが、その為だけに荷物がひとつ増えるのもヤダしどうしたものか?と。

で、音楽プレイヤーとしての機能を特化した携帯を買おうと
アチャコチャ検索。確かにSONYのは音がイイんだけど、
私の給料では高嶺の花。
(中国製のSONYのコピー物だったら安いです。ハイ。)

その他のメーカーの携帯は音質がどうかなのかイマイチ心配だし・・・
ところで先日、たまたまi-Tune(フリー版)ダウンロードして試してみたら

同じファイルを再生してみてもWindows media playerより音質がイイことを発見!
(当人PC比)

コリャ、i-Tune対応の携帯があったらソレで決まりだにゃ♪
と、再度検索してみたところ・・・↓

http://direct.motorola.com/ENA/Web_full_specs.asp?Country=SGP&language=ENA&productid=29789&strPrimaryOption=FS&lSecondaryOption=-1



欲しいんですけどねぇ・・・。
でもシンガポールまで買いに行くか~?Tiger Airの安いチケットで。

なぜベトナムで売ってないんだっ!
やっぱり、音楽文化の熟成度の違いか・・・

2006年5月13日土曜日

「格差」 3

「究極の格差」ってナンだろう?

結論から言うと「先天的格差」に立ち戻るのではないでしょうか?生存するための十分な能力が備わっているかどうかという、生命体として最も基本的な能力。

その能力が誕生した時点ですでに、もしくは後天性の外的要因によって失われてしまった「障害者」と呼ばれる人たち。

それに対して毎日を何の苦も無く過ごしている「健常者」の人たち。

時代が時代なら到底生き残ることなど出来ない「障害者」たちが、いまの時代には多く存在することは誰もが認めることでしょう。そして先進国であればあるほど「障害者」は手厚く保護(隔離)され、不可侵の存在としてある種の特権階級すら授かっています。

しかし、「どっこいおいらは生きている」とばかりに、ベトナム(サイゴン)では「障害者」が日常の風景そのものになっています。生きること自体の苦行を背負いつつ生きるその姿は、山奥で悟りを開こうと自ら進んで苦行を積んでいる修行僧の姿よりも、よっぽど「人間の原点」を私に示してくれます。

私も若気の至りで、何事もうまくいかない、面白くもないこの世界なんて


「核戦争でも起きてひっくり返ってしまえばいい!」


と、ふてくされていた時期もありました。今振り返っても、あの頃は自分の事だけ、自分が置かれている状況だけしか見えず、何とも恥ずかしいほど自分勝手だったものです。

それが後日、病院での入院生活とその後リハビリ生活を送る立場に自らが置かれ、多くの人たちが苦しみながら生きているのだという現実をこの目で見、そして短い間ではありましたが生活を共にすることによって、「健常な体」とはそれだけでひとつの財産だと思い至り、「障害者」と「健常者」の間には「絶対的な格差」が存在するのだと知りました。

将来、再生医学が発達すれば地球上から「障害者」は姿を消すかもしれません。が、その代わり命の重さや尊さもより軽くなるなるような気もします。もちろん私としては全ての「障害者」の方たちに「健常者」と同じ人生を歩んで欲しいと願うのですが、苦しみの中から生まれる花にこそ「神の愛」が宿るようにも思えるのです(私は無宗派なのですが・・・)。

「勝ち組」「負け組み」、「上流社会」「下流社会」、「エリート」「落ちこぼれ」「先進国」「後進国」、などなど「格差」を表す言葉はイロイロありますが、行き着くところは「金持ち」と「貧乏人」につきるのではないでしょうか?

「金持ち」は「後天的格差」によって富を蓄えた人たち。「貧乏人」は「金持ち」以外の人たち。社会が高度に発達すると何事にもお金がかかるようになります。でも、お金をかけずに人生を送る方法、お金をかけずに幸せになれる方法だって、まったく無くなってしまったワケではありません。社会のシステムにがんじがらめに縛られて「それ」が見えなくなっているだけなのです。かつて自分達で作り出したシステムに、今は自分達が苦しめられている・・・

「金持ち」のルールに従いたくなかったら、従わなければイイのです。「金持ち」にルールの変更を要求したところで、所詮は「金持ち」のルール。「後天的格差」は永久に無くならないでしょう。

「格差」と一言でいっても、その言葉の中に含まれる背景は非情に複雑です。「金持ち」の「障害者」を、「格差」を理由に「健常者」が責められるでしょうか?

いずれにせよ、「格差」そのものが社会のシステムの血肉となっているのですから、そのことをしっかり理解しないと「テロリスト」呼ばわりされちゃいます。


ベネズエラ・ボリビアそしてペルー? 南米、広がる資源国有化


ウラン濃縮は基本的権利、停止提案は受け入れられず=イラン高官


ノーモア水俣病:50年の証言/11 74年を問う集い/上 /熊本

2006年5月12日金曜日

ボボーと言えば、ボボー・ブラジル

2日目の朝、GFがボボー(お粥)が食べたいと言うので
プサー・チャーまでわざわざ朝ごはんを食べに行きました。
(ホテルの朝食券あったのに・・・orz

今までプサー・チャーの前は何度も通り過ぎましたが、
中に入るのは今回が初めて♪
どんな感じかなぁ~?と思って入りましたが、
まぁ、屋台エリアに限って言えばプサー・トマイや
ロシアン・マーケットの屋台エリアと似たような感じ。
ただし内部は通路が一回り狭いか?

(ココナツ入りのお粥は「ボボー ブラジル」とか?)

などと下らないことを考えつつ、
干し魚のお粥(ボボー トレイ?)を二人して食べました。
味はまあまあなのですが、衛生状態が一番の心配のタネ。
なんたって足元は多少ぬかるんだ地面ですからネ。地面。

(きっと雑菌・バイ菌が栄養もらってウヨウヨ繁殖しているんだろうな~)

と、不安を抱きつつ、下痢腹覚悟でお粥を掻きこんだのでした。
味は悪くないんですよ。味は。むしろ美味しかったです。はい。

ところで、GFとは何回も一緒に食事しましたが(昨夜も)
彼女は食べるのが遅く、
いつも先に食べ終わってしまう私は手持ち無沙汰。
しかもチョッとしか料理に手をつけずにお腹イッパイになったと言います。

(口に合わなかったのかな?と、その都度気になって気になって・・・)

ところがどっこい、ボボーに関してだけは食べるの早っ!
彼女のほうが私より先に食べ終わるなんて初めてっス。
ボボーが大好物なのか?それとも噛まないで食べられるからなのか?
これからはGFと食事は毎回ボボーにしまつ・・・

朝食後、彼女は市場の中をウロウロ。
何を探しているのかな?と思っていると
市場の外へ出て行って向かった先は・・・美容院?
どうやら私の伸びた髪を切りたいらしい。
というのも、今日はGFの親戚のお姉さん(叔母さん?)を訪問する予定で、

私の身だしなみを小奇麗にしたいらしく・・・
丁重にお断りしたのは言うまでもありません。

その代わりと言ってはナンですが
彼女用に新しいシャツとジーンズを蘇利亜で買いました。
あれこれ試着している間ボケェ~っと待っていると
彼女が買ったばかりの服に着替えて出てきて、
そのまま叔母さん?の家に乗り合いのバイクタクシーで向かいました。
カンボジア語で何て言うんですかね?アレ。
にしても、何でプノンペンにはTAXIがないんだろうか?不思議だ。

乗り合いバイクタクシーはプレ・シソワット通りをS村の方向に向かい、

(GFはカンボジア人だからS村住民じゃないとしても、
 ひょっとしたら途中のイスラム村の住民かも?)

などと考えを巡らせていると、
スピードボート乗り場を過ぎたあたりで左に折れて小道に入り、
さらにしばらく走って縫製工場の前を通り過ぎて左に曲がって
小さい路地に入ると叔母さん?の家があったのでした。

周りには掘っ立て小屋のような家立ち並んでいる中で
叔母さん?の家はしっかりとしたレンガ造りでした。
(少しホッ・・・)

家に入って叔母さん?と、そのご主人とご対め~ん。
まずは例によって「チュム・リャプ・スオー」とご挨拶。
が、その後の言葉が続かず困っていると

「私はベトナム語が少し話せます。」

と叔母さん?のウレシイお言葉。
た、助かった!

それからはベトナム語とカンボジア語のチャンポンで
叔母さん?と色々なことを話したのでありました。

つづく・・

2006年5月11日木曜日

閑話休題

「悪い人たち」 

悪い人たちがやって来てみんなを殺した。
理由なんて簡単さ。
そこに弱い人たちがいたから。

女たちは犯され、
老人と子供は燃やされた。
若者は奴隷に。
歯向かう者はみんな皮を剥がされた。

悪い人たちはその土地に家を建てて、
子供を生んだ。
そして街が出来、鉄道が走り。

悪い人たちの子孫は増え続けた。
山は削られ、川は死に、
求められたものは「発明家」と「娼婦」。

(後略・・・)

BY Branky Jet City


<国連>人権理事会 日本、中国などが当選 イランは落選

【ニューヨーク坂東賢治】

 国連総会は9日、人権委員会を改組して新設される人権理事会の初の理事国選挙を行い、日本や英仏独中露韓など47カ国を選出した。人権団体などが国内の人権抑圧を批判していた国では、中露のほかキューバやサウジアラビア、アゼルバイジャンなどが当選したが、イランは落選した。初会合は6月にジュネーブで開催される。

 選挙は国連加盟191カ国すべてが参加し、地域別に無記名投票で実施された。過半数の96カ国以上を得た国が高得票順に当選した。当選した理事国はアフリカ13(立候補国数13)、アジア13(同18)、ロシア・東欧6(同13)、中南米8(同10)、西欧その他7(同9)。地域内の調整などで一部の国が最終的に立候補を取り下げた。

 日本は158票でアジアではインド(173)、インドネシア(165)、バングラデシュ(160)に次ぐ高得票。核開発問題で孤立するイランは過半数を大きく下回る58票で落選した。激戦となったロシア・東欧だけが、1回で当選国すべてが決まらず、2回目の投票を行った。

 理事国の任期は原則3年だが、毎年3分の1を改選する規定のため、第1回だけは当選国が抽選で1~3年の任期に振り分けられた。日本は任期2年となった。

 明確なメンバー選出規定がなかった人権委員会とは異なり、人権理事会の理事国は、人権擁護の公約表明を立候補の要件とし、当選後も順守状況を審査されるほか、全体の3分の2以上の賛成で資格停止を可能にするなど、条件を厳しくした。

 立候補を見送った米国は改善を認めつつ、キューバなどの当選に懸念を示した。ニューヨークに本部を置く人権団体「ヒューマン・ライツ・ウオッチ」は「理事会が成功するという保証はないが、正しい方向に進んでいる」と今後を見守る姿勢を示した。

(毎日新聞) - 5月10日12時0分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060510-00000034-mai-int


カースト制度が未だに残っているインドが得票数№1ですか?
その他の得票数が上位の国を見ても、ナンだかナ~・・・
日本という国の国連での扱われ方が何となく見て取れるような・・・


北京の「直訴村」撤去へ 陳情者集まる簡易宿舎群

【北京10日共同】

 北京市当局は10日までに、中国各地から政府への陳情に訪れる人が多数集まることで知られる同市南部の簡易宿舎群、通称「直訴村」の撤去方針を決めた。近接する北京南駅の駅舎取り壊しに合わせ順次解体するが、陳情者は「直訴者いじめ」と反発している。

 取り壊しは、急増した陳情者が1カ所に集中して反政府行動を引き起こすことを懸念し、分散化を狙った措置。大小約200の簡易宿舎から成る直訴村のうち、大規模な10数棟は昨年末に解体されたが、今回は完全撤去を目指す。

(共同通信) - 5月10日9時26分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060510-00000024-kyodo-int


これでも人権理事会理事国当選ですから・・・
もし米国が人権理事会理事国入りしていたら

人権理事会の会場は各国がお互いにエゴをぶつけ合い、
罵り合うだけの堂々巡りの修羅場と化すだけでしょうし、
米国としては中国という巨大なマーケットを失いたくが無いために
今回は身を引いたということでしょうか?

そういえば先日、中国の胡錦濤国家主席が訪米した際、
ボーイング社のジェット機、何機注文したんでしたっけ?
あれはいいデモンストレーションだったよなぁ。

そんでもって、拉致被害者をホワイトハウスに招き、
すわっ!拉致問題早期解決か?
と拉致被害者家族を期待させておきながら、
いざとなったら蚊帳の外で高みの見物ですか?ブッシュさん?
北朝鮮拉致被害者が祖国に戻れる日がまた遠退きそうな気配・・・


国連関係者らリベリアで少女買春…食料と引き換え

【ヨハネスブルク=角谷志保美】

 内戦からの復興に取り組む西アフリカのリベリアで、国連関係者らが食料などと引き換えに少女と性的関係を持っているとする報告書を8日、英国の民間活動団体(NGO)「セーブ・ザ・チルドレン」が発表した。

 報告書によると、同団体は昨年末、避難民のキャンプと帰還先の集落計8か所で、少年少女158人を含む300人以上に聞き取り調査を実施。対象地域の少女たちの半数以上が、食料やわずかな現金を得るために売春をしていることが明らかになった。8歳~10歳の少女による売春の例もあったという。

 売春の相手は国連平和維持部隊員やNGO関係者、教師、警官など。食料の配給や、車に乗せることと引き換えに性的関係を迫る例も見られたという。

(読売新聞) - 5月9日23時36分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060509-00000215-yom-int


隣国S村の入り口には、「コンドームを使用しましょう」という日本語の看板が
S村を訪れる、UNTAC要員として駐留していた自衛隊の隊員用にありましたわ。
もちろん、自衛隊隊員だけに限りません。
その他の国の国連関係者も似たようなもの。
詳しく知りたい向きは、現地の資料館を見学してみて下さい。

嗚呼・・・、ナ~二が「国連人権理事会」かっ!

嘔吐 嘔吐 嘔吐

2006年5月9日火曜日

「格差」 2

突然ですが、「バカの壁」=「後天的格差」と、私は勝手に解釈しています。作者は「思いやりを持て」と「バカの壁」の中で述べていますが、これは「同じ人間だろ?」という極めてシンプルな問いかけでもあります。

「キミたち」と「ボクたち」の間には壁がある。突き詰めれば、「わたし」の周りにも至るところに「壁」がある。「高い壁」もあれば「低い壁もありますが、一面、「壁」があるからこそ「わたし」は「わたし」でいられ、「ボクたち」が「ボクたち」でいられるのではないでしょうか?

「知恵」=「後天的格差」=「バカ壁」は、人類が誕生した時点から延々と積み上げられてきました。最初の小さく、ひ弱な「群」が生き残るために・・・。そしてその「壁」が民族を民族たらしめる要因となったのでしょう。

やがて各民族間における「後天的格差」が顕著になると、「キミたちの壁」は「ボクたちの壁」より劣っている。だから「キミたちの壁」は壊して「ボクたちの壁」の中に入りなさい。という随分横柄な理屈がまかり通るようになったワケですね。

宗教にハマるというのも、案外このような状況下にあるかも知れません(私は宗教を否定しているわけではありませんので。念の為。)。

「後天的格差」=「バカの壁」は地球上に人類が散らばった時点で生まれるべくして生まれたもの。「壁」は「在るべくして在る物」として受け入れるべきと私は考えます。

しかし、どんな「壁」だろうと結局は「同じ足元」の上に築かれているワケで、この簡単な事実に改めて向き合う必要があるのではないでしょうか?


同じ人間だろ・・・?


「壁」の下には「大地」があり、「壁」の上には「青空」がある。「壁」に一日中向き合っていても「壁」しか見えません。「壁」=「後天的格差」を超えるには「理性」のハシゴが必要なのでわ?

2006年5月8日月曜日

「格差」 1

先進各国において「格差」の問題が取り沙汰されていますが、「格差」なんて人類が地球上に誕生した瞬間から存在しているワケでしょ?

ここで私が言う「格差」とは個体の生体活動機能に順ずる優性・劣性の事で、より多くの獲物を獲得することができるか?外敵から身を守ることが出来るか?といった、獣と同レベルの「先天的格差」。

しかしながら人類だけが何故か進化の道を歩み出し大脳が肥大化すると、生体活動機能が劣る個体であっても、「知恵」を利用する事によって優性の個体よりもより多くの獲物を獲得することが可能になり、「先天的格差」の絶対性は終焉を迎えるわけですネ。

そして「知恵」によって飛躍的に増えた獲物(富)を効率よく分配し、「群」を治めるために共同体の「掟」が必要になり「社会」が生まれた。と、遠いとぉ~い昔、歴史の授業で教わったような記憶が・・・

恐らくこの様な「優性の個体」に対する「劣性の個体」の「下克上」は、人類の進化の段階で、隔絶された地域に点在する「群」の相互間において、ほぼ時を同じくして発生し、現在の世界の「民族」の版図の原型になったのでわ?(などと想像するのも楽しいのでアリマス♪)

もっとも「知恵」とは必要に迫られないと生まれないものですから、厳しい環境で生きている「群」と、恵まれた環境で生きている「群」とでは「知恵」の発達(進化)のレベルにも違いが現れるでしょうし、このことが「知恵の格差」=「後天的格差」の要因になるのも当然の成り行き。この「後天的格差」による搾取が始まったのが大航海時代だったのでしょう。

当時のヨーロッパ人にとって、有色人種が「サル」にしか見えなかったとしても、「知恵」のレベルが低く、肌の色も、話す言葉も違うのですから無理からぬ話カモ?

「人種差別」、「植民地主義」というのも「後天的格差」の産物。

まぁ、「先天的格差」にしても「後天的格差」にしても目指すべきところは一緒。「より多くの獲物(富)を得る」ということが行動原理になっているのですから、「略奪」「侵略」は当たり前。「ジェノサイド」だって何のその。南米のウルグアイでは先住民族がスペインにほぼ絶滅させられていますから、それを思えばアジアの植民地だった国々はまだ幸せだったのカモ?

そして「後天的格差」による「負のサイクル」が、
相も変わらず地球上のどこかで日々繰り返されているわけで・・・

2006年5月7日日曜日

旅路の果て

つづき・・・

プノンペン市内に入り、先客の中国人2人がそれぞれ別な場所で降りてから、私がプサー・トマイに到着したのは午後5:30頃。BAVETを出たのが午後2:00頃だから約3時間の道程っス。プサー・トマイ南側の行きつけの金行で手持ちの丼をドルに両替(1USD=16,000丼)。

札束を確かめて、金行前でモト・ドップを拾いGFの下宿に向かう途中、ナ、ナント~!ひき逃げ(当て逃げ)目撃~!私が乗ったモト・ドップが53Stに入ってしばらく走ると、

「グワッシャン!」

という大きな音。何事か?とモト・ドップのおじさんの肩越しに前方を見ると、倒れたバイクとその傍らに「ヤッチマッタ・・・」という顔をした若造が運転する、金色の(趣味ワルっ!)セダンが。で、次の瞬間。何をトチ狂ったか、おい若造!車を前進させ、倒れたバイクを乗り越えてその場を逃げ去ろうとするじゃあ、あ~りませんかっ!市場が近く、人でごった返す路地からは

「アァ~」、「オォ~」

という罵声が車に浴びせられ、事故現場の近くで客待ちしていたモト・ドップのおじさんのひとりが、逃げようとする金色の(趣味ワルっ!)セダンの後部に果敢にも飛び蹴り1発かましたのですが、金色の(趣味ワルっ!)セダンはそのまま走り去ってしまったのでつた。

まあ、ヘタすると向こうは銃器を所持している可能性もあるワケで、深追いは禁物。「ズドン!」とやられたらかないません。

きっと何処かの成り上がり者のバカ息子だったのでしょう。事故に遭ったバイクを運転してた若者が大した怪我でなったのがせめてもの救いです。はい。

GFの下宿に到着すると玄関でGFと大家さん?らしき夫婦が出迎えてくれ、まずは「チュム・リャップ・スォー」とご挨拶。んで、GFのパスポート取得の件で大家さん?と少しお話。

大家さん?曰く、1週間コースで300ドル、2ヶ月コースで150ドルとの事。

「1ヶ月で200ドルってのは無いんスか?」と訊くと

「調べておく。」とのお返事(頼りにしてまっす!)。

大家さん?にお礼を言って別れ、モニボン通りのホテルにチェックイン(もちろん予約無しの飛び込み)。荷物(と言ってもバッグ1個だけ)を降ろし、GFと一緒に「つうちゃん」で夕食。とりあえず「つうちゃん」でトンカツ食べないと・・・。プノンペンまでの間、ずぅ~っと「トンカツ」のことばっかし考えてました。

・・・にしても、私の中では「つうちゃん」と双璧を成していたサイゴンの「みやび亭」が無くなってしまったのはイタイですなぁ~。はい。

夕食後ホテルに戻る途中に「BIG A」でお買い物。GFはお菓子や飲み物を買い込み、ついでに私はアイスクリームも♪

アイスクリームを舐めながらブラブラとホテルまで戻るまでの至福の時間。

あぁ、これがあるからプノンペン通いは止められないのだなぁ~・・・


・・・つづく

2006年5月5日金曜日

トリオ?=三兄弟?

ベトナム連休中に中南米では・・・


中南米「反米トリオ」、結束確認=ボリビアへの支援を強化

【サンパウロ29日時事】

 中南米で強硬な反米主義政権を率いるカストロ・キューバ国家評議会議長とチャベス・ベネズエラ、モラレス・ボリビア両大統領が29日、キューバの首都ハバナで会談し、「米帝国主義の中南米支配」に抵抗するため、3国の政治・経済・社会面での統合および連携を強めることで合意した。

 モラレス大統領は、米国主導の米州自由貿易地域(FTAA)構想に対抗してチャベス大統領が提唱し、キューバが賛同する南米統合プラン「ボリバル代替統合構想(ALBA)」への参加を決定。これにより、南米最貧国ボリビアは、医療技術が進んだキューバからの医師団などの派遣、世界有数の石油輸出国ベネズエラからのエネルギーの優先的配給を受けることになる。 

(時事通信) - 4月30日15時1分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060430-00000035-jij-int


カストロ議長も老いてなお、枯れませんな~。
筋金入りの「革命闘争の通り道」。
私生活においても清貧を貫くその姿。感服いたします。
カストロ議長みたいな人物が10人いたら世界は確実に変わる!
・・・ような気がするんですけどねぇ。

お金だけじゃ世界は良くなりません。

「そこに愛はあるのかい?」 (From ひとつ屋根の下)

にしても「反米トリオ」とは・・・
中国、韓国、北朝鮮に対しても「反日トリオ」と書く度胸があるのでしょうか?

-東北アジア「反日トリオ」、結束確認- とか・・・ 
えぇっ?どうなんでいっ?時事通信さんよっ?



ボリビア大統領が天然ガスセクター国有化の政令に署名、軍にガス田占拠命令

[ラパス(ボリビア) 1日 ロイター]

 ボリビアのモラレス大統領は1日、炭化水素セクターを国有化し、外資系企業に天然ガス田の即時返還を求める政令に署名した。大統領は、天然ガス生産を確保するため、軍に天然ガス田の占拠を命じた。

 モラレス大統領は1月に、政府の天然資源管理を強化するとの公約を掲げて大統領に就任したが、最近、急進左派から公約実現にほとんど進展が見られないと批判されていた。 大統領は、炭化水素セクター国有化の発表にメーデーを選び、外資系企業に対して180日以内に新たな操業契約を結ぶか、さもなければ同国から撤退するよう命じた。さらに国軍に対し、国内すべてのガス田を占拠し、エンジニアも管理下に置くよう指示した。

 ガルシア副大統領によると、大統領の署名を受けて直ちに国営エネルギー会社YPFBの幹部と軍がガス田、パイプライン、精製施設を含む53カ所のエネルギー施設を管理下に置くことについて協議を開始した。

(ロイター) - 5月2日8時0分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060502-00000945-reu-bus_all

「エンジニアも管理下に・・・」ってのがキツイっす。
外資系企業の施設を接収したところで、それを管理・維持することが出来なければ

「猫に小判」、「豚に真珠」?

ま、自国にエンジニア居ない場合は
キューバかベネズエラから技術者を派遣してもらうとか・・・



ブラジル ボリビアの天然ガス国有化で国際提訴も

 南米ボリビアが国内の天然ガス資源の国有化を宣言し、海外資本の関連施設を差し押さえたことに対応し、ブラジルが国際裁判所に提訴する可能性が出てきた。ブラジルなど南米三カ国は日本時間四日深夜から五日未明にかけ、ボリビアとの首脳会談でこの問題を話し合うが、混乱の収束に結びつくかは不透明だ。

 英紙フィナンシャル・タイムズによれば、ボリビア国内の施設を差し押さえられたブラジル国営のペトロブラスはボリビア政府を相手取り、国際裁判を起こすことも辞さない構えだ。国際的な係争を扱う機関としては国際仲裁裁判所(本部・仏パリ)などがある。

 ブラジルのルラ大統領は、一月のボリビア大統領選で同じ左派路線のモラレス大統領を支持。恩をあだで返すような今回の決定に激怒しているといわれる。ブラジルは国内需要の半分をボリビア産ガスに頼っており、ボリビア政府が要求する採掘権料の大幅値上げに応じればガス価格急騰を通し、産業や市民生活への打撃は避けられない。

 一方、ボリビアにとっても、今回の決定が有利に働くかは疑問だ。同国は南米二位のガス埋蔵量を誇るが、ほかに大きな産業はなく、南米最貧国のひとつ。かりに海外の資源関連企業が撤退すれば歳入の三割を占める貴重な外貨収入源を失うことになる。

 すでにブラジルはボリビアからの輸入量減少を見越し、国内でのガス田開発強化の方針を打ち出しており、数年後には現在の輸入量のかなりの部分を代替する計画だ。

 アルゼンチンで開かれる南米四カ国の首脳会議にはボリビア寄りで、同様の資源国有化を検討しているベネズエラと、ブラジルに近い立場のアルゼンチンが参加。事態の打開を図るが、モラレス大統領は今後、鉱業、林業などの国営化も示唆しており、問題が長期化する可能性もある。(黒川信雄)

【用語解説】
 ボリビアのガス資源国有化 ボリビアのモラレス大統領が1日、天然ガス資源の国有化を宣言。海外の資源関連企業に、採掘権料の50%をボリビア政府に支払う新法「新炭化水素法」を受け入れない企業は6カ月以内に退去するよう求めた。同国にはブラジルのほかスペインのレプソル、仏トタルなどが進出している。

(フジサンケイ ビジネスアイ) - 5月5日8時30分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060505-00000011-fsi-bus_all



ブラジルはBRICsの一員としてここ数年イケイケ状態の様ですから、
ここで経済発展にブレーキがかかるような事態は絶対受け入れらないだろ~。
と、思っていたら・・・
エエェ~!?受け入れちゃうんですかっ?



「ガス国有化」受け入れ 南米3カ国

【リオデジャネイロ5日共同】

 ボリビア政府が天然ガス資源の国有化を宣言した問題で、同国と、ガスの供給を受けるブラジル、アルゼンチンのほか、ベネズエラの大統領が4日、アルゼンチンのプエルトイグアスで会談し、3カ国はボリビア政府の決定を受け入れることで合意した。

 アルゼンチンからの報道によると、ボリビアが求めているガス輸出価格の値上げについては、今後交渉することで一致した。
 ブラジルのルラ大統領は会談後の記者会見で「(国有化が)ボリビア国民の生活改善につながるか、みてみよう」と述べ、ボリビアの決定に理解を示した。

 国有化は、ガス開発を行う外国企業の利益を大幅に減らし、政府の歳入増加を目指す内容。

(共同通信) - 5月5日16時29分更新
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/oil_field_development/



フ~ン・・・。一体どんな交渉が行われたのかヒジョ~に興味深々。
あ、そうそう、モラレス大統領支持者の集会会場に
チェ・ゲバラの肖像画がチラホラ。
先住民をはじめ、中南米の多くの人々に
チェ・ゲバラは今も愛されているのですねぇ・・・

(それがひいてはカストロ議長のカリスマ性を高めているのでは?)

などと思った次第です。はい。

2006年5月3日水曜日

夏は心のカギを

中国、急転「日本と関係改善」

 中国の外交当局トップは小泉首相の靖国参拝をはじめとする歴史問題で行き詰まっている両国関係を改善する意志を表明した。
 中国の唐家璇外交担当国務委員は北京の釣魚台迎賓館で武部勤自民党幹事長と会談、現在、中日関係は困難に直面している。この局面を迅速に転換させなければならない」と述べたと国営新華社通信が2日、報道した。


 唐国務委員は「中国政府は中日友好の基本方針を確固として支持している。今年3月に胡錦濤国家主席が中日友好7団体の代表と会談した際に述べた発言は、中国が日本との関係改善のために出した重要な外交的措置だった」と説明した。


 胡主席は3月、日本の代表団に「中国政府は戦略的で長期的な角度から中日関係に対している」と強調していた。


 この日、唐国務委員は日本の主要人物に会うたび繰り返していた「日本の指導者たちの靖国参拝は中日関係の障害」という表現の代わりに「歴史を模範として未来に向おう」という遠回しな表現だけを使い、これまでとは違う態度を示した。


 唐国務委員は去年12月には「中日関係は国交正常化以来最悪」と述べ、日本を強く批判していた。中国の外交消息筋は「唐国務委員の発言は中国が対日関係を改善しようとするはっきりとしたメッセージを伝えたもの」と解釈する。一方、中国の戴秉国外務次官と日本の谷内正太郎外務事務次官は7~9日に北京で両国間の友好的な意思疎通促進策について話し合う、と日本の外務省が1日、明らかにしている。
北京=チョ・ジュンシク特派員 朝鮮日報


http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/05/03/20060503000027.html


まぁ、中国が態度を豹変させる時は何がしかの目論見があるわけで・・・

1.小泉首相後の新首相および日本政府の懐柔を図って、今から青写真を引いているのかも知れないし・・・

2.北朝鮮拉致被害者の問題が中国にも飛び火しそうなんで、今のうちに日本に対して「日中関係」をカードに予防線を張っているのかも知れないし・・・

3.「反日」が思ったより人民の共感が得られなくて、それよりも「エネルギー問題」や「環境問題」で日本から援助を引き出した方が得策と方向転換したのかも知れないし・・・

等等。

気になるのは、中国の経済成長率が政府の予想以上であったという発表。
つまり、市場が政府のブレーキが効かないオーバーヒート状態にある?
これを共産党が押さえようとすれば、党が人民の反感を買うのは必至。

(さんざん「豊かになれる者から豊かに」と煽ったのは誰でしたっけ?)

ひいては国を挙げて成功させなければならない
「北京オリンピック」の開催に
重大な支障を来たす恐れもあるのではないでしょうか?

今の中国は何としても「北京オリンピック」
成功裏に終わらせたいはず。

いくら神州を打ち上げたところで、
国内が不安定では他国にナメられる。
いわば家庭が崩壊し、妻に浮気されてる孤独な大富豪の様なもの?
同情はされますが、結局は「身から出た錆」。
他人(他国)の信頼、尊敬を得ることは難しいでしょう。
(同じような立場にある人以外には・・・)

まぁ、ここはひとつ小泉首相に続投してもらうのはどうかと?
中国の出方(本心)を探るためにも・・・

中国には「厚い碁」という諺があるそうです。

「今は負けているように見えても最期に勝てば良い。」

ご用心。ご用心。

2006年5月2日火曜日

牛、牛、ウシィイイ~!!

3連休は、ちょっとプノンペンへ行って参りました。実は出かける当日の朝までカゼ気味の体調がパッとせず、「どうしようかにゃ~・・・」と、腰が重かったのですが、30日の朝、

「今どこに居るの?」

と知り合い(越女)からTELがあり、

「え?家に居るの?CAFEに行かない?家に迎えに行くから~♪」

と畳み掛けるようなお誘いの言葉。(ヤ、ヤバイ。こりゃ振り回されそうな予感・・・)

「あぁ~ゴメン、ゴメン。これからカンボジア行くんだ。」

と速攻で切り返し、大急ぎでシャワーを浴びて着替えをバッグに詰め込んで自宅を後にしたのでありました。

し・か・し・・・全く何にも事前準備はナッシング。BAVETでVISA取るのに写真が必要だろうと、期限切れの国際免許書から写真を引っ剥がして即席で間に合わせたぐらいですから・・・

とりあえず自宅の在るHEMから表通りに出たところで顔なじみのXE OMのおじさんをつかまえ、

「モクバイまで行ってくれる?」

「おぉ、いいとも。で、何通りだ?」

「いや・・・、だから・・・、モクバイだって。」

「モクバイ?何区だ?」

(・・・ダメだこりゃ。方針を変えよう。)

「そうそう、チャンバーンだった。」

「チャンバーン?」

「ほらほら、バイン・チャン・チャンバーンのチャンバーンだって。」

「えっ?チャンバーンか?遠いぞ~。」

「いいって、いいって。チャンバーンの方までお願い。」

(この時点でおじさんはモクバイまで行く派目になるとはツユ知らず・・・)

「じゃ、ヘルメットがいるな。ちょっと待ってろ。」

と、おじさんが家からヘルメットを持って来て、11時頃いざ、出発~♪

(もちろん少しは心が痛みましたデス。はい。)

幸い当日は曇り気味で、オートバイに乗ってても涼しくて救われたのですが、これがカンカン照りの日だったら暑さで二人ともマイってたことでしょう。・・・で、チャンバーンに到着して、

「チャンバーンに着いたぞ。チャンバーンのどこだ?」

「あの~、もうチョット先なんだ~。道を教えるからもうチョット先までお願い。」

「OK。OK。」

・・・と、結局モクバイまでおじさんを道連れにしたのでありました(所要時間1時間30分ナリ)。

モクバイに到着して、おじさんの労をカフェダでねぎらいつつ雑談。そうそう、シン・カフェのCAFEが無くなってましたねぇ。あのCAFEにも何度も立ち寄りましたねぇ。

「オレも10年前くらいにモクバイに1度だけ来たことがあるケド、当時は道も悪くて何にも無かったな~。(遠い眼差しのおじさん)」

「いや~、おじさん。最近は国境の中間地帯に大きな免税店は出来るは、カンボジア側にカジノは出来るは、国境の周りは大賑わいなんだよ~。」

実際、以前は外国人旅行者(バックパッカー)の姿ばかりが目立ったものしたが、いまでは買い物やカジノ目当てのベトナム人が大型バスで押しかけますし、カンボジア側のカジノで働いている、うら若きベトナム人の女の子がベトナムとカンボジアの間を引っ切り無しに往復しています。

 んで、おじさんと暫し雑談し、HCMC1区からの運賃(30万丼也)を渡し別れると、

「プノンペンに行くのか?TAXI乗ってくか?」

と、客引きがすかさず寄って来ました。

「おじさん、ベトナム側に居るのにカンボジア側のTAXIの客引きするワケ?」

「おぉ、だって俺カンボジア人だモン。」

「パスポートとか持ってんの?」

「んなもん要らないんだ。顔パスだからね。」

「マジですか~?」

確かに、私がベトナム側のイミグレ通過する前からカンボジア側のイミグレ抜けるまでおじさんが私にくっ付いて来ましたが、誰にも何にも言われませんでしたわ。(イイナ~。顔パスでカンボジア入れたらイイナ~。)

また、中途半端な時間(旅行者が集中する時間外)に行ったおかげで、ナント!!イミグレを通るのは私一人だけ。たった2・3分で通過終了。

カンボジア側も似たような感じで、VISA取って入国審査が終了するまで15分かかったかナ?

んでまぁ、カンボジア側に入って手配師が手配してくれたTAXIでプノンペンに向かったわけですが、乗り合いTAXIなんで、すでに中国人の先客2名有り。その他、ドライバー氏が運び屋として請け負った荷物の山。

私は前シートに悠々と座っていたのですが、先客2名は後ろシートに荷物と一緒に詰め込まれさぞや窮屈だった事でしょう。ま、その分こっちは高めの料金(20ドル)払ったんだし・・・

ところがドライバー氏、車内が人と荷物でギュウギュウ詰めに拘らずBAVETを出て直ぐ、カンボジア人のヒッチハイカーを拾うではありませんかっ!

(いったい何処に乗せるつもりなんだ?もしかして屋根の上か?)

と、期待していると運転席に二人で座るじゃあ、あ~りませんかっ!

(おまい、そんな窮屈な体勢で車が運転できるのかっ?)

と、思いつつパチリ。

BAVETからフェリー乗り場までの間(特にSVAY RIENGまでの間)って牛が路上を徘徊する危険地帯なんですよねぇ。んでもって、カンボジアでは牛様が最優先で、車が必ず牛様を避けなければなりません。

いつぞやも牛様を避けるためにハンドル操作を誤ってコケたバイクのドライバーが血まみれに・・・。そしてその脇には無傷の牛様の神々しいお姿が・・・。


(その体勢で運転して、ちゃんと牛様を避けることができるのか?)

しかもドライバー氏、後部座席の中国人とオシャベリ(カンボジア語)するのにいちいち後ろを振り向いて話すし・・・

(おまい、チャンと前見て運転しろ~!!ホラホラ、牛だ!牛、牛、ウシィイイ~!!)

と、心の中で叫び続けたのでありました。


・・・つづく