2010年2月19日金曜日

鹿男あをによし

旧正月中、暇があったんで「鹿男あをによし」とゆうドラマを観たのですが、
それを観て思い浮かんだ事を、とりあえずメモとして・・・
(テーマはありません)

そうそう、奈良の鹿については飯山氏が解説されていましたが、
その飯山氏のホームページが、何やら検察関係者に睨まれたらしく、
ヤフーからいきなり(事前通告無く)削除されたそうで、

言論の弾圧って怖いですねぇwww

イヤですネェwww

事の詳細は飯山氏のホームページに書かれていますが、
正直、ゾッとします。日本がそんな国だったなんて・・・

ま、この件はまた別な機会に改めて掘り下げることにして、


鹿です。鹿。


-以下引用-


飯山一郎
◆2008/04/17(木) 歴史の謎が解けた.日本のルーツは,『扶余』!


[中国の世界遺産]古代高句麗王国の首都と古墳群


『三国志魏書』倭人伝(通称:魏志倭人伝)

 其國本亦以男子為王、住七八十年、倭國亂、相攻伐歴年、乃共立一女子為王、名曰卑彌呼、事鬼道、能惑衆、年已長大、無夫婿、有男弟佐治國。自為王以來、少有見者。以婢千人自侍、唯有男子一人給飲食、傳辭出入。居處宮室樓觀、城柵嚴設、常有人持兵守衛。

 その国、本は男性を王としたが、七、八十年で中断し、倭国は擾乱、互いの攻伐が何年も続くに及んで一人の女性を王として共立した。名を卑彌呼といい、鬼道(五斗米道の教え)に従い、(呪術で)よく衆を惑わす。年齢は既に高齢で夫はなく、弟がいて国の統治を補佐した。王位に就いて以来、会えるものは少なく。婢(下女)が千人、その側に侍り、ただ一人の男性が食事を給仕し、伝辞のため出入する。居住する宮殿や楼観、城柵は厳重に設けられ、常に武器を持った守衛がいる。

 出真珠、青玉。其山有丹、其木有?、杼、豫樟、?櫪、投橿、烏號、楓香、其竹篠?、桃支。有薑、橘、椒、?荷、不知以為滋味。有?猴、黑雉。

 真珠や青玉を産出する。そこの山には丹(丹砂=水銀)があり、樹木には楠木、栃、樟、櫪、橿、桑、楓。竹には篠、?、桃支。生姜、橘、椒、茗荷があるが、滋味なることを知らない。猿や黒い雉がいる。

 其人壽考、或百年、或八九十年。其俗、國大人皆四五婦、下戸或二三婦。婦人不淫、不?忌。不盜竊、少諍訟。其犯法、輕者沒其妻子、重者滅其門戸及宗族。尊卑、各有差序、足相臣服。收租賦。有邸閣國、國有市、交易有無、使大倭監之。

 そこの人々は長寿で、あるいは百年、あるいは八、九十年を生きる。そこの風俗では、国の高貴な者は皆、四、五人の婦人、下戸(庶民)はあるいは二、三人の婦人を持つ。婦人は淫乱ではなく、嫉妬をしない。

 窃盗をせず、訴訟は少ない。そこでは法を犯せば、軽い罪は妻子の没収、重罪はその一門と宗族を滅ぼす。尊卑は各々に差別や序列があり、互いに臣服に足りている。租賦を収めている。邸閣(立派な高楼)の国があり、国には市があり、双方の有無とする物を交易し、大倭にこれを監督させている。


『後漢書』倭人伝

 會稽海外有東?人、分為二十餘國。又有夷洲及?洲。傳言秦始皇遣方士徐福將童男女數千人入海、求蓬?神仙不得、徐福畏誅不敢還、遂止此洲、世世相承、有數萬家。人民時至會稽市。會稽東冶縣人有入海行遭風、流移至?洲者。所在絶遠、不可往來。

 会稽の海の外に東?人があり、二十余国に分かれている。また、夷洲および?洲がある。伝承によると、秦の始皇帝が方士の徐福を遣わし、数千人の少年少女を連れて海に入った。蓬?山の神仙を探し求めたが、出会えず、徐福は誅罰を畏れて敢えて帰らず、遂にこの島に留まった。代々に相伝し、数万家を有した。人民は時に会稽に至り交易する。会稽東冶県の人が海に入って航行し風に遭い、漂流して?洲に至る者がいる。絶海の遠地に在り、往来すべきではない。


『唐会要』倭国・日本国伝

 日本。倭國之別種。以其國在日邊。故以日本國為名。或以倭國自惡其名不雅。改為日本。或云日本舊小國。呑併倭國之地。其人入朝者。多自矜大。不以實對。故中國疑焉。

 日本。倭国の別種である。その国は日辺に在る故に、日本国を以て名と為した。あるいは倭国は自らの名が雅ではないことを憎み、日本に改名した、あるいは日本は昔は小国だったが、倭国の地を併呑したという。そこの人が入朝したが、多くは自惚れが強く、不実な対応だったので、中国はこれを疑う。

 蝦夷。海島中小國也。其使至鬚長四尺。尤善弓箭。插箭於首。令人戴瓠而立。數十歩射之。無不中者。顯慶四年十月。隨倭國使至入朝。

 蝦夷。海の島の中の小国である。そこの使者は鬚の長さ四尺。最も弓射に練達している。首の後ろに矢を挿し、人に戴瓠を載せて立たせ、数十歩の先からこれを射る。的中さぜるはなし。

 顕慶四年(659年)十月。倭国の使者に随伴して入朝した。


『旧唐書』倭国・日本国伝

 日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。或曰:倭國自惡其名不雅、改為日本。或云:日本舊小國、併倭國之地。其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中國疑焉。又云:其國界東西南北各數千里、西界、南界咸至大海、東界、北界有大山為限、山外即毛人之國。

 日本国は、倭国の別種なり。その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。あるいは曰く、倭国は自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。あるいは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。そこの人が入朝したが、多くは自惚れが大にして不実な対応だったので、中国はこれを疑う。また、その国の界は東西南北に各数千里、西界と南界いずれも大海に至り、東界と北界は大山があり、限界となし、山の外は、すなわち毛人の国だという。


『新唐書』日本伝

 彦瀲子神武立、更以「天皇」為號、徙治大和州。次曰綏靖、次安寧、次懿德、次孝昭、次天安、次孝靈、次孝元、次開化、次崇神、次垂仁、次景行、次成務、次仲哀。

 彦瀲の子の神武が立ち、改めて「天皇」を号とし、大和州に移って統治する。次は綏靖、次は安寧、次は懿德、次は孝昭、次は天安、次は孝靈、次は孝元、次は開化、次は崇神、次は垂仁、次は景行、次は成務、次は仲哀という。


始皇帝

始皇帝は中国統一の頃から不老不死を求めて方士を重用するようになった。前出の侯生と盧生も方士出身であるが、特に徐福の事績は有名である。2度目の巡幸で始皇帝は斉に滞在し、徐福に対して東方にあるという蓬莱国へに向い、仙人を連れてくるようにと命じた。この蓬莱は日本の事を指していると言われ、日本各地には徐福の最期の地といわれる場所が複数ある(徐福伝説)。


018 不老不死薬 (08年8月11日)
 中国最古の薬物書といわれ、徐福のような「方士」によって編さんされたとみられる「神農本草経」は鉱物と植物365種が掲載され、上・中・下の3つに分類されています。上薬は丹砂(水銀化合物)、薬用人参など120種で「久しく服用していると、身を次第に軽くし、気が充実してついには不老不死になる」と記載があります。

 水銀は鉱物から作る錬丹術(不老不死薬製造術)の最重要な物でした。金立山のカンアオイと同種については、この書に記載はありませんが、カンアオイのグループの一つ「細辛」は上薬にあります。久しく服用すると身の動きが軽くなり、年齢を延ばすことができるようになるとの記載があります。 (前徐福長寿館館長)


あをによし=青丹よし



稲荷神

伏見稲荷大社について『日本書紀』では次のように書かれている。 稲荷大神は欽明天皇が即位(539年または531年)される前のまだ幼少のある日「秦(はた)の大津父(おおつち)という者を登用すれば、大人になった時にかならずや、天下をうまく治めることができる」と言う夢を見て、早速方々へ使者を遣わして探し求めたことにより、和銅4年(711年)2月初午の日に秦(はたの)伊呂巨(具)(いろこ(ぐ))が鎮座した。

諸蕃(渡来および帰化系氏族)のうち約3分の1の多数を占める「秦氏」の項によれば、中国・秦の始皇帝13世孫、孝武王の子孫にあたる功徳王が仲哀天皇の御代に、また融通王が応神天皇の御代に、127県の秦氏を引率して朝鮮半島の百済から帰化したという記録があるが、加羅(伽耶)または新羅から来たのではないかとも考えられている(新羅は古く辰韓=秦韓と呼ばれ秦の遺民が住み着いたとの伝承がある)。また一説には五胡十六国時代に前秦の王族ないし貴族が戦乱の中、朝鮮半島経由で日本にたどり着いたと言う説もある。いずれの説も今後の検証の必要がある。

雄略天皇の頃には、当時の国の内外の事情から、多数の渡来人があったことは事実で、とりわけ秦氏族は、先に見たように絹織物の技に秀でており、後の律令国家建設のために大いに役立ったと思われる。朝廷によって厚遇されていたことがうかがわれるのも、以上の技能を高く買われてのことであろう。彼らは畿内の豪族として専門職の地位を与えられていた。こうして深草の秦氏族は、和銅4年(711年)稲荷山三ケ峰の平らな処に稲荷神を奉鎮し、山城盆地を中心にして御神威赫々たる大神を鼎立した。


日ユ同祖論

批判と反論

 ユダヤとペルシアは同じ中近東で、文化には幾分の類似点がある。日ユ同祖論の証拠にされる事が多い、狛犬などの神殿構造も、実際はユダヤではなく、ペルシアから伝わったという説が有力である[要出典]。飛鳥時代にはペルシア人の景教(ネストリウス派)徒で、石工の李密翳という人物が渡来し、日本に聖書文化を伝えたとされる。古代中国はペルシアとの交流が盛んで、百を超えるペルシア人コロニーが中国に存在し、多くの説話や文化を中国に伝えた。そして、それを遣隋使・遣唐使などが日本に持ち帰ったとされる[9]。

 「秦氏はネストリウス派キリスト教を信仰するユダヤ人だった」という説には年代から考え矛盾がある。ネストリウス派は431年のエフェソス公会議で「異端」と断罪され、その後、東方に布教活動を移したことが知られているが、中国へ伝来したのは7世紀、唐の太宗の時代にペルシア人司祭「阿羅本」らによって伝えられたころであり、秦氏の日本渡来より200~300年あとのことである。


難波宮

奈良時代の神亀3年(726年)に聖武天皇が藤原宇合を知造難波宮事に任命して難波京の造営に着手させて離宮を設置する(平城京との複都制)。中国の技法である礎石建、瓦葺屋根の宮殿が造られた。天平15年(744年)に遷都され、このとき難波京も成立していたと考えられている。翌天平16年1月1日、難波宮から紫香楽宮へ遷都した。

784年、桓武天皇により長岡京に遷都された際、大極殿などの建物が長岡京に移築された。


「漢和辞典」にある「部首」(09)

 「子」は「こ」であり、「ねづみ」で、「シ」、「ネ」・・・「こねづみ(庫鼠)」は、「しね(死ね)」なのだが、「鼠」はいつも「古事記」、その物語の「火の中」で「主人公」の「大国主」や「ヤマトタケル」を助けてくれるのだ。しかも、「日本書記」では「蘇我入鹿」が惨殺され、雨に晒された死体を「席障子(むしろしとみ)で覆われた」のだ。父親の「蝦夷」は「火の中」で滅び、助かったモノは「国記(くにつふみ=九貳津文=句似『都府』診=句似柘『富美』=『句』似柘『践』み)」である。しかも、「鼠」は「日本書紀」の「大海部皇子」と重なる「古人大兄皇子」が「蘇我氏」に諭す言葉でもあり、「鼠の移動」は「遷都」の暗示でもあった。「鼠(ねずみ)」の「音」は「ソ」でもある。

 「ネズミ」が「リス=木鼠(き・ね・ず・み=記・音・素・診)」ならば・・・『移鼠』は、
・・・「イエス・クリスト」の「当て字」であった・・・まったく「当て字」で「漢字の謎解き遊び」である。

 とにかく、『移鼠』は「イエス・クリスト」のことなのだ・・・これは唐代に勢いを得た『移鼠』「景教=ネストリウス派」の碑文にある漢字である。


雄峯閣 ―書と装飾彫刻のみかた―

鼠(ねずみ)・来歴・意味

身近にいる動物ではあるがどちらかというと農作物に害を与えるイメージが強い。
文献では『古事記』『日本書紀』から登場しており、前者はオオクニヌシを火中から助ける役割、後者は遷都の象徴として大量移動した記事が書かれる。

鼠は多産であり、繁栄の象徴とされた。また、オオクニヌシ(大国天=大黒天)の使いともされた。ここで紹介している図像はまさに大黒天を暗示しているといえよう。

十二支の筆頭でもある。

-以上引用-


鹿(奈良)ネズミ(大阪)狐(京都)の関係って、

扶余族中国人(景教徒)秦氏(ユダヤ教徒)

とゆう渡来人によるトロイカ体制の暗示なのか?

で、聖徳太子は、蘇我氏(景教徒)が創作した架空の人物?

それに尾ひれが付いて、八戸?だったかの「キリストの墓」伝説が
後世に伝えられた可能性もあるのかね?

時系列が整理できていないので、また暇を見て調べてみますが、
ワタシ(日本人)が言うのもアレですが・・・

日本て、不思議な国ですねぇwww



でわっ!

2010年2月16日火曜日

祝バンクーバーオリンピック 2

なんか、きっこさんが国母選手の件で批判を受けたらしく、
追加の記事をUPしてるのですが、これがまた、どうしたものかと・・・

国母選手はプロとして、自分の努力でオリンピック代表の
栄光?の座を手に入れたのであり、国は何も援助してない
とゆうことを言っているのですが、
前にも言ったように、ワタシはスポーツ選手とゆう人たちは

自分の好きなことをやってる

ラッキーな人たちだと思うので、自分の好きなことをやるのに
自腹を切るのは当たり前だと思うワケです。
その為にスポンサーを見つけたり、サポーターが支援するのも、
その人に何がしかの価値・才能を認めたからで、
企業が援助するか、国が援助するかの違いでしょ?
と、ゆうか・・・そもそも国母選手

プロ意識の欠如ダロっ!?

で、国に援助を請うようになるとイロイロ面倒なんでしょ?
プロ契約のほうが金銭的にも有利なんだろうし、
自由な行動も取れるからプロ契約を選んだんでしょ?
それで世界を転戦して好結果を出してスポンサーは満足し、
その上で、本人がオリンピック出場を重視していないのなら、
出場を辞退してもヨカッタんじゃなの?そうすれば今回のような

ゴタゴタ

も起こらずに済んだワケで、強制されたワケ?出場を?
スキー連盟が土下座して出場を依頼したんならアレだけど、
本人もノリノリでオリンピック出場を快諾したんじゃないの?
スポンサー、サポーターの手前もあるし・・・

だったらその時点で、もうちょっと大人にならないとねぇwww
それがスポンサーやサポーターへの思いやり、感謝でしょ?
と、ゆうか・・・そもそも国母選手

プロ意識の欠如ダロっ!?

ま、「国の代表」云々はアレとして、彼を支援している関係者が
あまりいい気持ちでないことだけは確かだわな。
そうゆう身の回りの人たちの気持ちにも配慮しないとねぇ。
コーチが服装を指導するのは当然の事としても、
コーチが何も言わなきゃOKだ。と、思い込んでるとしたら、
自分の頭で考えることを放棄した

マニュアル人間

か?だから、何で自分が批判されているのか理解できず、
記者会見での「反省してまwwwす」発言もうなずけますわ。
と、ゆうか・・・そもそも国母選手

プロ意識の欠如ダロっ!?

JOCも国の予算(税金)を使っている都合上、オリンピックでの結果

メダル獲得数

を稼ぐことにやっきになって、組織が腐ってるんじゃないの?
選手を広告塔に使い金儲けする企業とは違うでしょ?
イイじゃん。メダル取れなくたって。一生懸命やった選手の肩を

よくやった!

って叩いてあげれば、それでイイじゃん。(・・・イイのか?)
メダル量産機械みたいな選手を育て上げるのって、ワタシ的には
ナチの超人思想みたいで、かえってキモいんですけど・・・
かつての共産主義圏の国みたいに)

そんなね?代理戦争ごっこよりも、人間ドラマとして楽しみたいと。
青少年の健全な育成の為には、その方がよっぽど有意義だろうと。
・・・か様に思うのですが・・・甘いですかね?

経済で一番でないとダメ。技術で一番でないとダメ。
勉強で一番でないとダメ。スポーツで一番でないとダメ。
コンピュータでも一番でないとダメ。ETC・・・
何でもかんでも一番でないと気が済まないんですか?日本わ?

そんな国(社会)疲れるわ。

自殺者も減らないわなwwwそれじゃ・・・

それと、カッコウと偏差値もカンケイ無いでしょ?
好きなタレントとかのマネするのは、若者全般の傾向だし、
ダサいかカッコイイかの基準も年齢層によって違いますからねぇ。
きっこさんが不快感を持ったのならそれをストレートに書くべきで、
変にひねくれて記事を書くから誤解?を招くんじゃないの?

で、ダサいか?カッコイイか?は年齢層によって違うケド、
フォーマル(正装)とゆうのはそうゆうレベルじゃないワケでしょ?
年齢層の垣根を越えて受け入れられるのワケで、
であればこそ、公式の場(オリンピックの出発式?)で、
幅広い年齢の公衆の面前に立つことを考えれば自ずと分かるハズ。

選手村に入ってから好きなだけ自分を主張したらよろし。
それが最低限の礼儀、マナーだと思うのですが・・・
それを教わらずに大きくなってしまたんでしょうなぁ、国母選手は。
若い頃から海外を転戦していたとゆうことですから。
(このへんは朝青龍(敬称略)と似た部分かも。)
と、ゆうか・・・そもそも国母選手

プロ意識の欠如ダロっ!?

最後にこれだけは引用させていただきますが、何だかなぁwww

>いつも言ってるように、人の感性や考え方は十人十色で、自分と違う完成や考え方を否定するつもりはない。ただ、「あたしはこう思う」ってことを書いてるだけで、それ以上でも以下でもない。

それ言っちゃうと、これまでのどの記事も「好き/嫌い」程度の話で、
沖縄米軍基地の移設の話も、

アフガニスタンの米軍による民間人殺害も、
ぜwwwんぶ、あたしは好き。あたしは嫌い。に集約されちゃうワケ?
2chでワケの分からんこと書き込んでいるヒト達と同じでしょ?それじゃ。

物書きのポジショントークかい?

これまでの記事全部・・・orz

所謂アルファブロガーとか呼ばれる人たちって、どうなの?
彼・彼女らの言論て、そんなに薄っぺらなものなワケ?
だとしたら、世の中、言論じゃ変わらんわなwww

好き・嫌いを越えた、「スジ」が通るかどうかが
社会にとっては大切な事に思うワケですわ。ワタシは。
一部の者だけがイイ目を見る。 逆に、
権力者に虐げられた者が泣きを見る。そんな社会、

スジが通らんだろう!

と、「網走番外地」健さんだったら怒りますね。
たぶん・・・

オメガブロガーのワタシとしては・・・そう思う次第です。はい。


でわっ!

2010年2月14日日曜日

祝旧正月

イヤwww、3年振りに大晦日の打ち上げ花火を見に
13日の夜中に外出してきましたわ。
ワタシは人混みが好きじゃないのでアレなんですが、
ヨメが行きたいと言うので渋々付き合った次第です。はい。

去年引っ越した関係で、中心街まで歩いて5分と、
見に行くこと自体は苦にならないのですが、
現地(グエンフエ通り・サンワタワー前)に着くまでの
交通渋滞にはね・・・参りました。

どこの交差点もまったく機能してませんがなwww
ハイバーチュン通りも、ドンコイ通りも、交差点の中まで
バイク、車がひしめき合い、歩行者を通せんぼ状態。
その間をヒョロヒョロと抜けて、なんとか目的地点へ。

で、グエンフエ通りには案の定の人の波。
例年の事とは言え馴れませんなwww

そういえば2日前に通りの飾り付けを見に来た時は
レロイ通りとグエンフエ通りが歩行者天国になってて、
あの広いレロイ通りのど真ん中を闊歩して

カ・イ・カ・ン♪

だったのに、本番の時はグエンフエ通りだけですか・・

まぁ、そん時も、バイクを停める駐車場が足りなくて
ベンタン市場のまわりのバイクの渋滞が凄かったから、
本番(花火打ち上げ)の時の、更なる渋滞を緩和するのに
レロイ通りは開放しないと、収拾がつかなかったんでしょう。

バイクと人混みを掻き分けてサンワタワーの前に着くと、
噴水の周りには、結構な数の人が既に座り込んで花火待ち。
きっと遠くから?バイクに乗って花火を見に来たんでしょう。
早めに来て、バイクを止める場所を確保して、大変だなwww
(ワタシ、家が近所なのでチョット優越感

で、いよいよ花火の打ち上げ。
(ヨメの携帯ムービーでご覧下さい)



このビデオには写っていませんが、イチバン盛り上がった?のが
ハート形の花火でした。そう、今年の旧正月は、
バレンタインデーと重なってたんですねぇ。

粋なことするじゃないのwww

ベトナムの場合、男性が女性にプレゼントするのが習いなので、
貧乏男子学生なんかは、

ボクからのプレゼントだよ。

なんて、ちゃっかり便乗してるんじゃなかろうか?と。

にしても、花火を見に集まった人たちの顔を見ると
本当に、大人から子供まで楽しんでいるのが分かります。
ベトナムにしたってインフレ進行中で、そんなに生活は楽じゃない。
それでも、それにめげない強さの様なものが感じられて、

年間自殺者3万人

とゆう日本の状況を省みると、

この逞しさは見習うべきじゃないか?

と、家に帰る道すがらシンミリとした次第です。はい。


ま、それは置いといて・・・
やっぱ皆さん(主に女性)気合が入ったカッコして来るワケですが、
基本的にね?肌の露出度が高い人が多いワケです。

特に若い女性に!

そんなのと一緒に人混みにもまれた日にゃあね?
もう、肌と肌が触れ合って、二の腕のポニョポニョした感覚が・・・

た・たまらん!

男ならワカルだろっ!?
(失礼シヤシタwww。たんなる中年オヤジですぅwww。)


でわっ!

2010年2月13日土曜日

祝バンクーバーオリンピック

きっこさんがね?国母とゆうスノボ選手に
随分と肩入れしている様なのですが、

残念なことにワタシは国母選手について何も知りません。
ま、知らない人の方が多いと思うのですが
知らないながらも、きっこさんの文脈から読み取るに、
ワタシは彼を、きっこさんの様に持ち上げる気にはなれません。

若い国母選手に対して批判的なのが、以外?と同世代で、
年長の世代はかえって寛容であるとのコトですが、
ワタシが思うに、この「寛容」はあるイミ

責任の放棄

の裏返しの様に思えてならないのですわ。
大人としての責任の放棄に・・・

国母選手はきっと才能のある素晴らしい選手なのでしょう。
持って生まれた(勿論努力もあるでしょうが)身体能力とゆう
唯一無二の財産に恵まれた、幸運の星の下に生まれたのでしょう。
語弊があるかも知れませんが、努力が全てではありません。
素質プラス努力があって、イチロー選手のような
素晴らしいアスリートが誕生するのではないでしょうか?

さて、そこで・・・
スポーツ選手、アスリートと呼ばれる人たちが結果のみを重視し、
良い結果さえ出せばイイんだろう?と、

結果が全てだ!

とゆう考え方に凝り固まっているとしたら、そこに重なるのは

カネが全てだ!

とゆう、いたって利己的な人たちと変わり無い様に思えるのは
ワタシだけでしょうかね?

きっこさんは外国人力士(朝青龍)を引き合いに出して、
日本的作法を外国人に教える事自体が間違っている様に言いますが
ワタシはそうは思わないワケですわ。

作法、礼儀は形は違えど世界中どこに行ってもあります。
アフリカ奥地のホニャララ族を訪ねたって、礼儀や作法はあります。
なぜなら、礼儀や作法は長い歴史の上で自然発生した、

人間社会の根源を成す

部分があるからと、ワタシは理解しています。それこそ、
「年寄りを敬う」とゆうのは世界共通の礼儀?ですわな。
「礼」の根本とは、自分以外の他人を認めるコト。
でないと、社会が成立しない様に思うワケです。ハイ。

翻って、きっこさんが引き合いに出した朝青龍(敬称略)にしても、
故国モンゴルには
「ナーダム」とゆう、モンゴル相撲の大会があり、
たしか取り組みの前に「鷹の舞」を踊ると記憶しているのですが、
アレですか?最近モンゴルじゃ、

「鷹の舞」なんてダセwww!

とか言って、踊らない若者が増えてて、ホンで年寄りも

若いモンは元気があってエエのぉwww

とかゆう状況になっちゃっているワケ?チガウでしょ?
みんな粛々と、儀式・礼儀に従っているワケでしょ?
「ナーダム」のときにわ。

はずみで朝青龍(敬称略)を引き合いに出していますが、
彼にしたって、礼儀や作法を学ぶ素養はあるワケで。
ま、朝青龍の場合は若くして親元を離れて異国の地を踏み、
親の躾が行き届かなかったとゆう事情もあるのでしょうが・・・

礼儀とか作法とかは、キチンと指導する人が必要で、
そうゆう人が減っている社会の現状がヤヴァいんじゃないの?
指導するからには、まずは自分の身を律する必要があるのに
それが出来ない、口先だけの偽の指導者(大人)ばっかりで、
だから結果的に

元気があってイイんじゃない?

なんて、いい加減な理解者を装ったりして・・・
そうゆう人たちって、自分の子供とかにも同じ事言うのかね?
アホクサ・・・

カネを沢山持っていればエラいのか?
金メダルを取りさえすばエラいのか?


だからと言って過剰にイイ子ちゃん振る輩もハナにつきますが、
結論?として言うならば、イチロー選手と国母選手

ドッチが好きか?

と問われれば、ワタシはイチロー選手が好きです。

(もっとも、イチロー選手はすでに立派な大人ですが)
まぁ・・・そうゆう・・・オチですわ。・・・ハイ。


でわっ!

2010年2月7日日曜日

権力への欲望 26

権力への欲望は、ずwwwっと昔からあるワケで、
現代の、「小沢 VS 検察」のゴタゴタも、
その本質は、見かけより根が深いのかも知れません。

ま、小沢氏の「不起訴」に関する一連の報道・コメントで、
ワタシが、一番核心を突いているなwwwと感じたのが、
「天木氏」のブログの記事であったワケです。はい。


<転載>

天木直人のブログ
権力者同士が手を結べば馬鹿を見るのは非権力者の一般国民だ

<前略>

 しかし我々一般国民は、この騒動を冷静、客観的に見極めなければならない。

 この騒動は、どっちが正しいか、どっちが勝つか、などと言った観点で見てはならない。

 今度の大騒ぎの顛末は、時の権力者と、同じく一般国民にとっての絶対権力者である検察官僚の、お互いの面子を立てあった手打ちで終わった茶番劇だったと見たほうがいい。



<後略>

</転載>


・・・ダヨねwww?
常識?とゆうか、当たり前?とゆうか、
社会をある程度知っている成人であれば、

権力者同士が潰し合い

なんてするワケ無いだろうと、簡単に想像がつきます。
権力者側の考え方としては、基本的に

如何に権力を維持するか

言葉を換えれば、「利権」を維持する事が優先で、
総力戦で潰しあうよりも、一時的に分け前が減っても

また後で取り返せばいいいや

とゆう選択をする様に思うのですよ。
最終的にはお互いに手打ちをして、「シャン、シャン」と。
ヤクザの抗争にしたって同じ。潰し合うまではやりません。
「組」とゆう組織を守るのが最優先。

もうね?これは古今東西の、すべての権力者が同じ。
自分の「利権」を守る事が最優先。
で、いつまでたってもワタシたちは蚊帳の外・・・と。

「ロスチャイルド」だの、「ロックフェラー」だのと、
陰謀論者は、如何に自分が世界の裏側を知っているか
得意気に騒ぎ立てますが、そんなの全部見せかけでしょ?

金持ち喧嘩せず

じゃないケド、結局は自分らの取り分、謂わば

世界の富の90%

を世界総人口の10%の人たち同士で

今回はちょっとコッチに回せや

と、融通し合っているだけの話ナンじゃないの?
そうゆう物事の本質を見誤っているシトたちって
自分らが率先して
「民衆を騙している」ことに
気が付かないのかねえ?それとも確信犯かえ?
(陰謀は否定しません。計略・政略は厳然としてあります)

ま、それはそれとして、少なくとも今回の件を
小沢氏が中途半端な形で終わらせるようであれば、
小沢氏の正体も伺える様に思うワケですわ。はい。

(ま、もとより過分の期待はありませんが・・・)
それに、いまの若いもんに示しがつかないダロwwww


サントリーBOSS CM
会議でしゃべる編




でわっ!