2010年4月29日木曜日

私的 「日本論」

「タクシン=小沢」、「国王=天皇」とダブらせて見ている意見をチラと見かけたので・・・

 システムとして見れば「王制」と「天皇制」とは明らかに別物。


現タイ王室はその前の王室をクーデターで倒し成立した王室で、「王制」と云うシステムが基幹。トンブリー王朝と現王朝の間に血の繋がりはありません。支配システムが「王制」なので、新しい王室が取って代わっても何の支障もありませんが、日本の皇室は血の繋がりを重視する「血統」と云うシステムが基幹なので交換が利きません。

 で、なぜ日本でこのようなシステムが機能しているのかと云うと、それはもう
卑弥呼の時代から・・・複数の豪族が「共王」を立てて争いを避けるという、古来の伝統的な統治の考え方があったからではないか?・・・と。

 さらに突っ込んで日本人について基本的な事を言えば、日本はその成立過程で多民族が共存していたという事。そして
多民族の混血の結果として現在の日本人が在ると云う事。

 日本人のルーツについてイロイロ説はありますが、遺伝子レベルで確かなことは人類のルーツが進化(移動)の過程で3つのグループに分かれ、その
3つのグループが混ざり合っているのは、世界でも日本くらいだという事実です。

 おそらく
6世紀頃までは各民族の混血もそれほど進んでおらず、それぞれ独自の「王」の元に日本各地に散らばっていたのでしょう。それらが大和朝廷の力でひとつの「国」として束ねられて行く過程で、日本人にはお馴染みの「和をもって尊きとなす」という共通認識が生まれ、さらに武士階級の台頭以降には、権力外の「権威」としての「天皇制」が日本に根付いたのではないか。・・・と、考える次第です。はい。

 なぜなら、もし本気で「天皇制」を日本から抹殺しようと思ったら、歴史上そのチャンスはいくらでもあった様に思うのです。

 でもそれをしなかった(出来なかった)のは、やはり日本が基本的に多民族国家であり、武士も多民族(他の武士集団)を繋ぎ止める「要」としての「天皇制」の存在を無視できなかったからなのでしょう。

 つまり
「天皇」とは日本人全て(全民族)の「共王」であり、それを一部のグループ(宮内庁のノーパンシャブシャブとか、右翼とか)が私利私欲のために利用しようなどとは


言語道断!


 なのだと思う次第です。はい。
(明治維新期、薩長土肥は上手く利用しましたが。)

 ワタシ自身は「天皇制」があっても無くても構わない立場なのですが、日本がひとつに纏まる為に「天皇制」「要」になるのだとしたらこのまま存続させた方が良いと思うのです。

 ・・・にしても、こんな事ブログに書いたら「不敬罪」で捕まりますかね?タイだと。


支離滅裂にて御免。


でわっ!

2010年4月26日月曜日

ゴルゴ13 曰く・・・


 いよいよ大詰めですかwww?


<貼付>


タイ:タクシン元首相派を強制排除へ 首相がテレビで明言

<抜粋>

実力行使に反対姿勢を示した陸軍トップのアヌポン司令官も出演。「軍は政府の命令に従う」と述べた。

</抜粋>
</貼付>

 これで「政府」 VS 「赤シャツ」の構図が明確になったワケですが、強制排除には及び腰だった軍が態度を変えたと云う事は、政府以上の力が働いたんじゃねwwwの?・・・と、勝手に妄想力が膨らみますwww。  ま、赤シャツとしては「武力弾圧」が始まる前にさっさと撤収するのが得策だと思うのですが、この撤収が難しい。

 老婆心ながら、バラバラに現地を離れると反赤シャツのリンチにあう可能性もあるのでお気をつけ下さい。出来れば大型バスかなんかで速やかに田舎の方に移動し、身の安全を図ってから散開するのが良いかと?農村部には反赤シャツ(黄シャツ)のシンパは居ないんでしょうし、そもそも農村部出身者が多いんでしょ?赤シャツは。

 「力による政権の転覆」は他国にも影響を与え兼ねないのでビミョwwwです。一例として「中国」。チベットとウイグルで暴動(反政府運動?)がありましたが、中国は力でねじ伏せました。よね?で、もし今回のタイでの赤シャツの抗議行動が実を結んでしまったら?・・・中国の取った行動が改めて「国際的な非難」の的になり兼ねません。中国としては現アビシット政権に肩入れしたい気持ちかも(バンコクの華僑を動員して)?共産主義?王制?関係ありませんね。権力者はいつだってその権力基盤を維持したいだけなのですから・・・。

 で、西側諸国はどうなの?と言えば、これまた中国という巨大市場を手放したくないワケですから、人権団体が何と言おうがまず「国益=経済発展」ってやつを優先するでしょうしwww。従って赤シャツが頼みとする「平和維持軍」がバンコクに来る可能性はゼロですね。やはり現時点では撤収するのが最善策かと。はい。

 ま、来年の選挙までに力を蓄え、選挙期間中には国連に「選挙監視団」の派遣を要請。選挙で相手がグウの音も出ないほど「圧勝」すればよろしいかと「選挙」での勝利となれば他国の干渉を心配する事も無く、「大義」を堂々と掲げられます。で、選挙後に軍が再度クーデターを起こす様な事態になったら、その時にこそ「平和維持軍」の派遣を要請し、軍事的弾圧に対抗して新政権の正当性を世界に知らしめれば良いのですよ。ま、その布石としても、今回赤シャツの集会を視察に来てくれたオーストリア、アルゼンチン、ペルー、デンマーク等とは関係を持続しておくべきでしょう。

 「革命」よりも「革命後」の仕事の方が大変だと思うのですわ。今回の赤シャツの行動が無謀だったとは言いません。庶民の「民主化意識」に一石を投じる事は出来たでしょう。しかし「大義」が弱かった。「政権交代後」にタイはどうなるのか?と云う「未来像」を明確に打ち出せなかった。だから明日の見えない「革命」よりも、生活を支えている今日と云う「日常」を庶民が選ぶのは当然の結果なのだと思うワケです。要は、大多数の国民の「民主主義」に対する意識が、赤シャツ程は熟していなかった。・・・と。だから庶民感情から言えば・・・

赤でも黄でも何も変わらんだろう?

 という政治に対する無関心が根底にあるのかも知れません。なぜなら今までタイの政治はずwwwっと、ごく一部の「特権階級」が仕切っていたワケですから。

 「武力弾圧」があろうとなかろうと、ここらで一区切りつけた方が良いと思うのですよ。つまり「民主化」に対する全国民的な「啓蒙運動」に。ゴルゴ13も言ってましたわ。辛抱強く待てば・・・

チャンスは必ずやって来る。

・・・てね。

 さて、今まで何度もタイの状況について自分なりの見解を述べてきましたが、一応今回をもって最後にしようかと。多分これからもタイとはイロイロ係わって行くんだろうし、ワタシ、タイの人(庶民)も好きなんですよ。そりゃwwwなかには悪い人もいますが、それは日本も同じコト。だからただの「傍観者」がタイの内情についてこれ以上アレコレ言うのは失礼な様な気して・・・。それにこれから高度な政治的駆け引きも始まると思いますので、あまりイイカゲンな事も言っとられんわ。・・・と、云うワケで。


2008年9月14日日曜日
バンコク雑感

2008年9月21日日曜日
どこまでが真実なのか?

2008年10月13日月曜日
人事ですけど・・・

2008年11月27日木曜日
(再)どこまでが真実なのか?

2009年4月13日月曜日
進歩か、後退か 12

2009年11月8日日曜日
権力への欲望 4

2009年11月12日木曜日
権力への欲望 5

2010年3月16日火曜日
旅は道づれ、世は情け? 2

2010年4月17日土曜日
ヘイヘイ、タクシー、どおして・・・

2010年4月19日月曜日
過去・現在・未来

2010年4月20日火曜日
「革命」古今


ザ・ベンチャーズ急がば回れ
(Walk Don't Run 64)





でわっ!

2010年4月24日土曜日

ゆっきー、女を泣かすなよwww

Cocco The hill of Dugongs
(「ジュゴンの見える丘」)





女、子供の笑顔は、男にとって最高の宝物だと思うんですケドねwww。


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首相、辺野古案容認の米紙報道を否定 「自然への冒涜」
2010年4月24日19時4分



 鳩山由紀夫首相は24日、視察先の群馬県大泉町で、沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題で名護市の辺野古沿岸部を埋め立てる従来の日米合意について「私はあの辺野古の海に立って、辺野古の海が埋め立てられることの自然に対する冒涜(ぼうとく)を大変強く感じた」と述べ、修正案も含め、海の埋め立てを伴う案は容認できないという考えを強調した。さらに「従って、(日米合意の)現行案が受け入れられるような話はあってはならない」と念を押した。

 24日付の米紙ワシントン・ポスト(電子版)が、岡田克也外相が23日、現行の辺野古移設案に一部変更を加えたうえで受け入れる考えをルース駐日米国大使に伝えた、と報じたことについて、首相は「外相が米大使と会ったのは事実だが、内容は必ずしも事実ではない」と否定した。岡田氏も24日夕、「そういう事実はない」と述べた。

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わけの分からんウソつきヤロー供に・・・
日本男児が「玉無しじゃない」事を分からせなきゃならwwwん!


でわっ!

東南アジアと日本人

 今回は歴史のお勉強として参考文献を丸ごと張り付けますwww。学校の授業では教わらなかった鎖国以降の日本人と東南アジアとの係わり、そして当時東南アジアの植民地支配を強めつつあった欧米と日本人との係わりなど、現代まで引き継がれる因縁を紐解いて、これからの日本、アジア、ひいては世界の在り方を考えてみるのも一興かと。


<貼付>

経済メモ


東インド会社

高校時代に、「東インド会社が世界最初の株式会社」と習った記憶がある。
ところが調べてみると「東インド会社」は一つではなく、イギリス、オランダ、スエーデン、デンマーク、フランスの各国に存在した。

各国が東インド会社を作ったのは、それ以前はアジアで交易会社が乱立し、過当競争に陥っていたのを防ぐためだった。そしてイギリスがイギリス東インド会社を最初に作り、アジア地域との貿易を独占する権利をエリザベス1世から与えられた。当時「インド」とはヨーロッパ・地中海絵庵癌地方以外の地域を指していた。1600年のことである。これに驚いたオランダは1602年により大きな資本でオランダ東インド会社を作ってイギリスに対抗する。

当時はポルトガル・スペインの黄金時代で、オランダとイギリスは新しい会社組織に国の力を集結し、ポルトガル・スペインの牙城に食い込んでいく。これらの会社はそれぞれの母国が発行した特許状を持ち、貿易の他、条約の締結、軍隊経営、植民地経営、などの権利も与えられていた。その点では現在の株式会社とは大いに異なっている。対象地域はアジアである。

また、株式会社の起源はオランダ東インド会社であって、イギリス東インド会社ではないようである。



1.イギリス東インド会社

概要

自前の従業員を持っており、主業務は貿易。本社はロンドン、当初の株主125人、資本金7万2千ポンドであった。

インドネシアでの香辛料(当時の主要貿易品目)貿易をするためにジャワ島やインドに拠点を置き、マレー半島やタイ、日本の平戸、台湾にも商館を設けたが、オランダ東インド会社との競争に負けて、インドに力を集中することになる。インドではカルカッタ、マドラス、ボンベイ(ムンバイ)に拠点を置いた。会社はフランス東インド会社との競争に勝ってインド全域を手中に収めた。ナポレオン戦争後は再び東南アジアに進出してペナン島、マラッカをはじめとする元オランダ領東インドの各地、シンガポール、を手に入れて、1826年、これら3植民地を統合して海峡植民地とした。

1819年、イギリス東インド会社のラッフルズは、東西貿易の中継地を求めて人口わずか数百人のシンガポールに上陸した。数年後には、イギリスの旗のもと、シンガポールはイギリスにとって、マレー半島植民地化の基地となっていたのである。

シンガポールに立つラッフルズの銅像出典

サマセット・モームが滞在したことで有名なラッフルズ・ホテルは、ラッフルズの名前にちなみ、1886年にオープンした。

ラッフルズホテルのドアマン出典



アヘン戦争

18世紀以降には、中国の広東とも貿易を始めた。この時の主要な貿易品目がアヘンであった。中国はアヘンの弊害を見てなんとかこれを禁止しようとしたが上手く行かず、特命された大臣 林則徐は1839年、アヘン商人たちに「今後一切アヘンを持ち込まない」と言う誓約書を出す事を要求し、イギリス商人が持っていたアヘンを没収し、これをまとめて焼却処分した。この時のアヘンの総量は1400tを越えた。その後も誓約書を出さないアヘン商人たちを港から退去させた。(アメリカ商人は誓約書をすぐに出して巨利を得ていた。)イギリスはこれに対して、直ちに戦火を開き、清国船団を壊滅させた。「麻薬の密輸」という開戦理由にはイギリス本国の議会でも、野党であった後の首相ウィリアム・グラッドストンなどが『恥さらしな戦争だ』として反対した賛成271票、反対262票の僅差で承認された。1842年に清国の敗北を認める条約が両国によって調印された。

イギリスがこれだけアヘンに拘ったのは、当時のイギリスでは喫茶の風習が上流階級の間で広がり、茶、陶磁器、絹を大量に清から輸入していたが、逆にイギリスから清へ輸出できるものが少なくて、イギリスの大幅な輸入超過であったからである。そこでイギリスが目を付けたのがインドで栽培させたアヘンを仕入れ、これを清に密輸出する事で超過分を相殺し、三角貿易をすることにした。これによってイギリスは空荷で舟を運行する必要がなくなったのである。

アヘン戦争出典

林則徐の銅像出典



イギリスはアヘン戦争に勝って、多額の賠償金、香港の割譲を受けると共に、広東、厦門、福州、寧波、上海の開港を認められ、治外法権、関税自主権の放棄、最恵国待遇条項の承認を獲得した。しかし、これらを定めた条約は、戦争の原因となったアヘンについては特には触れていなかった。さすがのイギリスも戦争の真の原因を文書上に残すことに躊躇したためであると言われている。

しかし、イギリス製の靴下を中国に輸出しようと言う望みは叶わなかった。中国製の綿製品がイギリス製品の輸入を阻害したからである。これが第二次阿片戦争とも言われる1859年のアロー戦争へとつながっていくことになったと言われている。

このときに阿片貿易で儲けた資金を安全かつ迅速にイギリスに送金するために、ロスチャイルド一族のユダヤ系イギリス人アーサー・サッスーンが設立したのがHSBC(香港上海銀行)である。HSBCは現在でも健在で日本にも支店をだしているのでご存知の方も多いだろう。

そして1857年~1859年のインド大反乱(シパーヒー(セポイ)の乱、第一次インド独立戦争とも言う)が起る。



セポイの乱

セポイの乱の漫画出典

イギリスは、インドを原料供給地であるとともに、自国の綿製品を売り込む市場としたので、インドの資源はイギリスに吸い取られ、インド国内は混乱するとと同時に土着の綿工業は急激に衰退した。このため多くのインド人がイギリスへの反感を持つに至り、反乱への参加者の増加につながった。そのため、この大反乱はインドで初めての民族的反乱とされている。

この大反乱は、1857年5月にインド北部の都市でシパーヒー(sipahi)が蜂起したことに始まる。スィパーヒーとはイギリス東インド会社が編成したインド人傭兵のことで、セポイ(sepoy)ともいわた。多くはヒンドゥー教徒とイスラム教徒からなっていた。彼らが反乱を起こした直接的な原因は、イギリス軍が新たに採用した銃の薬莢にヒンドゥー教徒が神聖視する牛の脂とイスラム教徒が不浄とみなしている豚の脂が使われていた。当時の薬莢は紙製であり、弾薬には防湿油ないし潤滑油として脂が塗られていたが、弾丸を装填する場合にはまず口で弾薬の端を食いちぎらなければならなかったため、彼らは戦闘時に宗教的禁忌(牛または豚を口にすること)を犯すことになる。彼らはこれを宗教的侮辱と受け取って弾薬の受領を拒否するなどしたが、これらの行為は懲罰の対象とされた。こうした処置に怒ったシパーヒーは、ついに反乱を起こすに至ったのである。

翌1858年には東インド会社の軍隊の反攻が始まり、反乱軍は鎮圧された。

一方東インド会社は、インド人に重税を掛けながら自分達は汚職・着服によって莫大な私利をむさぼった。そのため会社の効率は落ち、赤字決算が続いて、再々本国政府に援助を依頼することとなった。イギリス政府は、一会社に広大なインドの領土を託すことの限界を痛感し、東インド会社を解散させ、直接統治することにした。これにより、インドの支配権はヴィクトリア女王に返上され、東インド会社は1874年に解散、274年の歴史を閉じた。



日本人傭兵

イギリス東インド会社には多くの日本人が傭兵として働いていた。鎖国が始まって日本に帰れなくなった海外在住の日本の武士が多数いたのと、更には鎖国を嫌って海外に脱出した武士がいたものと思われる。ピーター・ウォーレン・シンガーによるとイギリス東インド会社の傭兵の半数は日本人であったとのことである。

中でも有名なのがアンボイナ事件(アンボン事件)である。これは、1623年にモルッカ諸島のアンボイナ島(アンボン島、クローブなどの香料の産地)にあるイギリス商館をオランダが襲い、商館員を全員殺害した事件である。これによりイギリスの香辛料貿易は頓挫し、オランダが同島の権益を独占して、イギリスはインドへ矛先を向けることとなった。

この頃、東南アジアには日本人が多く進出し、アユタヤやプノンペンには日本人町が形成されるほどであった。アンボイナ島にも日本人が居住し、傭兵として勤務する者もいた。

1623年2月23日の夜、オランダ側の傭兵・七蔵が衛兵らに対し、城壁の構造や兵の数についてしきりに尋ねていた。これを不審に思ったオランダ当局が、七蔵を拘束して拷問にかけたところ、イギリスが砦の占領を計画していると自白。直ちにイギリス商館長ガブリエル・タワーソンら30余名を捕らえた当局は、彼らに火責め、水責め、四肢の切断などの凄惨な拷問を加え、これを認めさせた。3月9日、当局はタワーソンをはじめイギリス人10名、日本人9名、ポルトガル人1名を斬首して、同島におけるイギリス勢力を排除した。

当時のオランダの要塞出典


それに先立つ1613年イギリス東インド派遣船司令官ジョン・セーリスが日本からバンテンに帰港した時、日本人水夫15名を雇い入れている。その後1617年リチャー ド・ウイッカムは平戸を去るにあたり、日本人11名を伴い、他のイギリス船でも14名が渡航している。1621年商館長コックスの8月3日の日記には給料支払い名がある。

The Moon 乗り組 善三、三四郎、久七
The Bull 久左、 マチヤス、五郎作、
The Elizabeth 忠七郎、仙五郎、儀八、


イギリス人に雇われて海外に出た邦人もかなりいたことが分かる。

1617年7月19日、市場での些細な両商館員の諍いから、オランダ商館次席が日本人を含む20名を連れて急行して害を与えたのにイギリス側も雇員の日本人、バンダ人を引き連れてオランダ館を急襲し、黒人1名を斃し4名(日本人1名を含む)に重傷を負わせた。バタヴィア政庁はピーテル・デカルベンチールをバンテン王に差し向け、英人の不法行為を糾弾した。

この事件が決着しないうちの11月22日に、再び悶着が起こって互いに相手を殺傷するまでに発展し、イギリス側は200人でオランダ商館を襲撃した。オランダ人の大半は遁走したが、踏みとどまった日本人5名は防戦して1名即死、4名が重傷を負った。殺害された日本人の中にカピタンがいたと言う。

バンテン王は外出差し控え勧告をだしたが、この事からも同地の両商館に雇用される日本人は30~50名にものぼり、カピタンにも選任されていたことが判明する。その後両国は互いに物資搬入を妨害しあい、1621年、命令違反して出港した日本人12名が捕らえられ殺されたり、同33年オランダ艦隊のバンテン港封鎖で、数名の日本人船が拿捕されたり、自ら商船を操って独力活動した者もあった。

同年9月9日イスパニア人の拠る旧ポルトガル城塞に一番乗りの旗を翻したのは日本傭兵で、あまりに大胆剽悍なため多数の戦傷者をだしたと報告されている。

オランダ軍の出動に対抗して、フィリピンのドン・フアン・デシルバ長官が、15隻からなる艦隊をモルッカ遠征に組織した際、マニラ在住日本人の500名が応募して従軍したが、その管理に手を焼き、シンガポールで解雇し陸上に追放してしまった。

オランダ方面軍の報告には、再三にわたって日本人傭兵や大工・石 工・鍛冶職の狡猾、制御困難、危険性を指摘しているから、少なからざる日本人が雇用されていたのが判明する。1617年8月12日のテルナテ島マライユの オランダ駐在員決議録には、「今度のエーンドラハトで当地に来る日本人には、頭領を置き、それを互選させることが適当」と記している。

フレデリック・ハウトマン知事(1621年)の名簿にも、オランダ人40名、マルダイケル25名、日本人20名の名簿があり、カラマタ城塞篭城戦では、イスパニア側戦死11、負傷40、オランダはオランダ人7名、日本人3名戦死、20名が負傷している。

斬首された日本人は下記の通りである。

七蔵 Hytieso 24歳 平戸 傭兵
シドニイ・ミヒール Sidney Migiel 23長崎 アンボン英国商館雇員
ペドロ・コンギ Pedro Congie 31 長崎 Conje、Congey
トメ・コレア Them Corea 50 長崎 朝鮮系?
長左 Tsiosa 32 平戸 傭兵
久太夫 Quiondayo 32 唐津 傭兵
神三 Sinsa 32 平戸 傭兵
左兵太 Tsavinda 32 筑後 傭兵
三忠 Sanchoe 22 肥前 傭兵
ソイシモ Soysimo 26 平戸 傭兵
作兵衛 Sacoube 40 平戸 傭兵
最後の2名は後に釈放

ヤン・ヨーステン、ピーテル・ファン・サンテンによると、日本人は常時刀を二本帯びていたこと、彼等もマレー、ポルトガル語を話すことを述べている。また事件後も日本人が30名程がいたと言っている。

アンボイナ守備隊名簿には五郎作、ヨウストJouste、長崎のLouis、庄三郎、堺の孫六などの名前がある。

参考

関連コラム

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過去の因縁の上に現在の世界があるワケで、タイにしても日本にしてもそれは同じ事。で、あるならば過去に目を向け、過去の過ちを悔い改めた国から先に新しい時代へと前進して行くのではないでしょうか?逆に過去の亡霊にいつまでも取り付かれている国は、この先、時代の流れに取り残されるのだろうなぁwww。・・・と、思う次第です。はい。


でわっ!

2010年4月23日金曜日

チチカエル

 ワタシの父が手術の麻酔の後遺症から「仮性痴呆症」になり、東京の西、青梅の山中の「特別養護老人ホーム」に入所していたことは以前お話しましたが、ま、おかげさまで現在はすっかり回復し、暇を見ては百姓仕事なんぞに精を出しているワケです。ホント、しぶといと言うか、ナカナカくたばりませんwww。で、山崎先生のトコで文学と「父親殺し」の相関関係について書かれていたのを読んで、少しばかり自分の思うところを述べてみようかと。はい。

 父が入所している特別養護老人ホームにベトナムから何度か見舞いに行ったワケですが、冬場なんぞは気温30℃のホーチミンから、いきなり10℃以下の青梅山中に居るワケですから、まぁ、夢でも見ている様な気分でした。が、冬の身を切るような寒さと云うのも子供の頃から慣れ親しんだ多摩の環境なので、「あぁ、帰ってきたんだなぁ。」と云う感慨もありました。

 で、ある年の冬、母が用事があったのでワタシ一人でお昼過ぎに父を見舞いに行った時の事、父の部屋に行くと姿が見えません。そのころ父の徘徊行動が多く、モップの柄でトイレの窓ガラスを割り脱走?をしようとした事件もあったので、どこへ行ったのかと所内を探し回ると、畳の敷かれた空き部屋の日当たりの良い場所で、食後の昼寝をしているのを見つけました。

 そこはポカポカと暖かく、窓の外には冬枯れの雑木林が見え、まるで時間が止まったかの様な静かな、穏やかな空間がありました。ワタシは寝ている父の横に胡坐をかいて座り、小枝に残った枯葉が風に吹かれ揺れるのを暫く見ていたのですが、ボチボチ起こそうか?と父に視線を下げた刹那、そこに一匹の老猫を見た気がしたのです。一匹の年老いた猫が、陽だまりの中で本当に気持ちよさそうに寝ている。今にして思えば、あれがワタシと父の「邂逅」の瞬間ではなかったか?・・・と。

 男なら誰しもが、「父親」と云う存在と或る時期対峙するハズです。ご多分に漏れずワタシにも「反抗期」なんぞがあり、父にはずいぶんと逆らったものでした(ワタシに原因があったケースがほとんどですが)。が、やがて自分の家庭・家族なんぞを持つようになると、やはり誰もが自然と「父親」「邂逅」し、酒なんぞを酌み交わす様になるものです。

 「邂逅」=めぐり合う・・・かの冬の日、ワタシは父と「邂逅」できたのだと思うワケです。それまで多くの時間を父と過ごしてたのに、ワタシは父とめぐり合っていなかった。父とは、ワタシを抑圧する「権力」であり、それはより大きな「社会」分身だったのかも知れません。まぁ、子供から見たら得体の知れない社会システム、その「代行者」としての「父親」と云う逃れ様のない存在が、若かりし頃どうにも息苦しかったのは事実です。はい。

 男の子は「生きること(未来)」への漠然とした不安や、「自分(アイデンティティー)」と云う存在の危なっかしさを、「父親」と云う存在を足がかりとして乗り越えて行くのではないでしょうか?もちろん「父親」がいなくとも年をとればイヤでも大人(社会参加)になるのですが、「社会システムの代行者」としての「父親」、その「権力(社会)」に反抗する事で「擬似革命」を経験し、「反逆者」として逞しくなるのではないか?・・・と。

 ま、ワタシの如き凡人は、この「擬似革命」で情熱を浪費しているので芸術的な感性がゼロなのでしょうし、逆に「擬似革命」を通過しなかった人が、その情熱(反逆的精神)「文学」とか「芸術」に投影しているのかも知れません。

 「父親」と云う、ひとりの人間、ひとつの人格と「めぐり合う」のには時間が掛かるのでしょうな。一生「父親」と「邂逅」せずに終わってしまう人も居るかも知れません。が、恐らくは意識せずとも「邂逅」している人が大多数なのでしょう。ただワタシの場合、かの冬の日の昼下がりに父と「邂逅」できたという実感が嬉しく、反面、「邂逅」の祝杯を酌み交わすことが出来ないのは残念ですわ。

 で、
「エディプス・コンプレックス」ですが、「人間性」の時にも述べた様に、ワタシは西欧の学問を金科玉条の如く受け売りするのはどうか?と思っているヒネクレ者なので、いまさら・・・と思うワケですわ。ま、大学の先生とワタシとでは相手になりませんがwww。


でわっ!

2010年4月20日火曜日

「革命」古今

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タイの地元新聞を読む

2010年04月20日
1976年10月6日の状況に近づきつつある、同盟は今すぐ集会中止をと離脱派

 反独裁民主主義同盟と袂を分かったデーンサヤームのスラチャイ・セーダン氏は19日、政府側はバンコクのラーチャプラソン交差点に集結している同盟のデモ隊の鎮圧に向けた準備を整えており、流血の事態となった1976年10月6日
と同じ状況になりつつあると指摘した上で、同盟3幹部に対して集会活動の中止を決断し、新たな活動に向けて態勢を整えるべきであると訴えた。

 更にスラチャイ氏は、同盟3幹部の活動は大衆を引き連れ死に向かわせてているものであると指摘した上で、情勢を解決できる唯一の方法は即時解散要求では無く、赤服軍団の生命を守る為に集会の中止を決断し大衆を死に向かわせない事であると指摘した。

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 タイの人たちのみならず、世界中のだれもが「流血の事態」なんて望んでいないと思うのですよ。赤シャツの肩を持つワケではありませんが、今回の行動は一応の成果を得たと見なすべきなんじゃないでしょうか?これ以上無理強いしても膠着状態が打開されるようには思えないんですわ。ワタシは。

 前にも述べたように、今回の行動の「大義」ってヤツがイマイチ一般の市民の共感を得られていないのでわ?結局はタクシン元首相のタイ国内資産差し押さえに揺さぶりをかけるのが目的だったんじゃないの?・・・と。つまり、赤シャツの活動資金はタクシン元首相の資産頼りなんじゃないの?・・・と。(本当のトコロは知りませんが)

 今現在の状況を見てもバンコク都内だけが盛り上がっていて、地方での赤シャツの動きが見えません。(見えないだけなのかも知れませんが)政権を代えると云う大仕事は、全国民的な合意が無ければそう易々とは成し得ないでしょ?しかも「反独裁」を掲げ、政治のシステムそのものを変えようとする大仕事(革命?)なら尚の事。ここはスラチャイ氏の言うように、一旦撤収して地方のネットワーク強化に励み、満を持してタイ全土に渡る一斉蜂起に方針転換したほうがイイように思うんですケドねwww。

 今のままジリジリ続けても、何にせよ「大義」が弱い。タクシン元首相の個人的な都合ではなく、タイの民衆が自ら望んだ事なのだと云う明快な「大義」が無い限り強制排除による流血の惨事は避けがたく、そのような事態になればその責任をなすりあう非難合戦から、民衆は白けて心が離れて行くのではないでしょうか?

 「大義」が無い限り「闘争」は正当化されません。今は赤シャツのシンパを強制排除でむやみに傷つけるよりも、首都を撤退し地方組織の連携を強化するべきだ。・・・と。ま、タイの政局の現状を詳しく知っているワケではないので無責任ですがwww。ただ一昔前の「革命」とは違い、現代の「革命」はかくも地味な努力によって成立すべきだというのがワタシの考えです。

 つまり「力ずくの革命(独裁的・独善的)」でなく、「民主的な革命(合意・総意に基づく)」を成す事こそが、現代の「革命」の姿ではないのかと。その意味で「選挙」は誰一人血を流すことなく成し得る「最高の革命」だと思ったりするワケです。はい。(本音を言えば血を見るのが嫌なだけなんですわ。気が小さいもんで。)

 ま、その選挙すら否定されたのなら闘うしかないのでしょが、ひとまず日本は選挙と云うシステムが正常に機能していてヨカッタわwww。・・・と。あとはね?政治を担ってくれる私利私欲の無い奇特な若者が現れてくれれば日本は安泰なんですがwww。


でわっ! 

カブにまつわる都市伝説

 その昔ね?ひとつの都市伝説がありまして、それが・・・

カブはてんぷら油でも走る。

 と云う、???な伝説なのですが聞いたことありません?どこかのバイク雑誌がそれを検証して、ナンと!ホントに走ったレポートを読んだ記憶があるのですよ。もちろん恒常的にてんぷら油を燃料として使い続けたらエンジンが壊れちゃうんでしょうケド、非常時に燃料として使えると云う事の意義は大きいように思うワケです。

 ナゼ唐突にこんなハナシを切り出したかと云うと、先日タイに行くのにタン・ソン・ニャット空港に向かう道すがら、夕方の帰宅ラッシュに巻き込まれてパスター通りでゼンゼン動けなくなってしまったのですが、改めて思ったワケです。

ベトナムはバイクが多いわwww

 ま、一家に一台は常識です。しかもほとんどが「HONDA」のカブ。もしくはスーパー・カブ。パスター通りの渋滞を見ても、85%以上は「HONDA」のカブ。これがベトナム全土となれば、90%以上は「HONDA」のカブ。そしてそれ以外の車種も加えれば95%以上は「HONDA」製のバイクと見てイイんじゃないかと。これってスゴイことですよね?一国の国民の足になっているんですから。

「HONDA」は。

 昔の思い出話をチョットさせて下さい。(by 鳩山邦夫)・・・メコンの方に遊びに行くと、街道沿いに「HONDA」の看板をよく見かけたものです。それが、どんな田舎にも必ず一軒は「HONDA」の看板を掲げた店があり、「HONDA」の販売網ってスゲwww!と感心したのですが、実はバイクを売っているのではなくバイクの修理屋だったのです。

 か様に、バイクと言えば「HONDA」「HONDA」と言えばバイク。・・・の関係がベトナム人の頭の中にインプットされており、まさに「金」本位制ならぬ「HONDA」本位制?

 「HONDA」がここまでベトナム人に信頼され、愛されている理由は分かりませんが、現実、今もベトナム人は「HONDA」のバイクを支持し、日常の足としているワケです。きっと、亡き本田宗一郎氏がベトナムのこの状況を見たら、涙を流して喜ばれるんじゃないでしょうか?

 そんな事を、ボwwwっと渋滞の中で考えていたのですが、だが待てよ?これだけ「HONDA」のバイクが多いと云うことは、それだけ「HONDA」のバイクが撒き散らす排気ガスもハンパじゃないと云うこと?・・・と、そう云う理屈が成り立ちますよね?

 そこで、最初の「フリ」に戻るワケです。てんぷら油で動くエンジンなら、ナマズから採った「バイオ燃料」でもイケんじゃないの?もしくは「バイオ燃料」対応の、ベトナム限定仕様エンジンがあってもいいんじゃないの?「世界のホンダ」なら出来んじゃないの?・・・と。


ホンダ・スーパーカブ販売50周年企画で自らデザインしたカブにまたがる白鵬。

 ま、ワタシは企業人じゃないんで一般的な庶民感情のみで語らせてもらいますが、これだけ自社の製品を愛用してもらえるなら、その御愛顧になんとかお応えしたいと思うのが人情であり商道でしょ?そこで御愛顧の御礼として、「バイオ燃料」対応のカブをベトナム限定で試験的に製造販売。で、「バイオ燃料」の排気ガスがいくらかでもクリーンな排気ガスになれば一石二鳥。モノ造りを生業とする企業冥利につきます。

 最近は電動バイクと云うか自転車を街中では多く見かけるようになりましたが、所詮は自転車の延長。荷物を運んだり、家族で出かけたりで使用するにはパワーがゼンゼン足りません。そこで!「世界のホンダ」が一肌脱いで・・・

 などと、たわいも無いことを考えながら、バイクの波の中を空港に向かったワタシなのでした。


でわっ!

2010年4月19日月曜日

困った時はお互い様

 16日にエールフランスの機材でバンコクから戻ってきたのですが、首の皮一枚で戻ってこれた感じですか?いまヨーロッパの各空港は軒並み閉鎖されてますから、間が悪ければワタシだってバンコクから「陸路」で戻ってこなければならないところでした。ので、他人事とは思えないワケです。はい。


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火山噴火:ぐったり 空港寝泊まり150人
2010年4月19日 11時50分 更新:4月19日 13時13分

 「いつになったら飛べるのか」--。アイスランドの火山噴火の影響で欧州に飛ぶ日本発着便も航路が断たれて、19日で5日目を迎えた。空港で足止めされベンチなどで寝泊まりしながら運航再開を待つ外国人が徐々に増え、同日、成田国際空港で約100人、関西国際空港でも40~50人が朝を迎えた。成田だけでもこの日、出発、到着合わせて運航を取りやめたのは44便。旅行者の疲れといら立ちが目立つ。

 午前5時、成田国際空港第1ターミナルの出国ロビー。一斉に照明が点灯し、ベンチや床に横になった旅行客が眠そうに目をこすりながら起きあがる。さっそく、帰国便を確保しようとパソコンや携帯電話を使って必死に情報を求める人も。チェックインカウンターには、まだ係員が来るまで1時間以上あるというのに、運航状況を問い合わせようとする乗客の長い列ができた。

 気象条件による欠航では原則として航空会社は宿泊提供義務を負わない。乗客の中には周辺のホテルに自費で宿泊している人もいるが、格安旅行の旅行客には想定外の出費になる。

 フランスから1週間の予定で京都や広島を観光に訪れた電子部品販売会社員、ボリス・ソロミックさん(24)は搭乗予定だったエールフランスのパリ行きが飛ばず、17日からロビーに滞在。「アジア、中東経由での帰国も考えたが、運賃が高すぎる。予約できたのは30日のフライト。安く宿泊できる方法がないかフランス大使館に相談してみる」と途方に暮れた様子。「非常にストレスを感じる。ヨーロッパの空港で簡易ベッドや軽食が用意されたというニュースも目にした。対応が全然違う」と不満を訴えた。

 2週間の休暇を日本で過ごし、リヒテンシュタインへ帰国するためにルフトハンザドイツ航空のミュンヘン行きの搭乗を待つ高校教諭のピーター・ブッシェルさん(44)は、19日が新学期の初日だった。「メールで勤務先に状況を伝えた。航空会社に聞いても『再開のめどは分からない』と繰り返すだけ。日本の桜は素晴らしかったのに、最後にトラブルに巻き込まれて参った」と疲れた表情。「ニュースを見たり、航空会社のサイトを見るためにインターネットを使いたいのだが、空港のパソコンは料金が高いので困る」と話した。【山田泰正、酒井雅浩】

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 このニュースを読んで思うに、例えばね?代々木の旧オリンピック村施設とかを困っている外国人旅行者のために解放するとかすればいいのに、そう云う発想は出来ないんですかね?政府関係者は?今回の件はある意味、日本の外交上、非常に有効に利用できるチャンスのように思うワケですよ。ワタシは。

 
エルトゥールル号の事例もある事ですし、いま困っている旅行者の中に、将来ヨーロッパの某国の指導者になるような人物が居ないとも限りません。それに「150人の親日派」をつくれる絶好の機会と考えても、ここで多少税金を使おうが国民の同意は得られるでしょ?ODAとかで「顔の見えない援助」をするよりも、目も前に暖かい食事、快適なベッドを用意してあげた方がどれほど効果的か?その辺の外交センスが無いんですかいな?外務省には?

 噴火の影響は今しばらく収まらないでしょうから、ここは日本人の「お人好しぶり」を是非、発揮していただきたいものです。はい。


困った時はお互い様


でわっ!

過去・現在・未来

 バンコクで今起きていることを理解するには、バラバラになったパズルのピースをつなぎ合わせなければならないと思うのですよ。で、

(1)麻薬の問題
(2)武器ブラックマーケット
(3)カレン族難民の問題
(4)南部のイスラム教徒の問題
(5)カンボジアとの遺跡を巡る国境紛争


あたりがさしあたっての問題でしょうか?

 (1)の麻薬の問題ですが、これはもう「黄金の三角地帯」の存在無しに語ることはできないでしょう。そして麻薬王クンサを支援したのは誰か?と言ったら、皆さんご承知のCIAですwww。ベトナム戦争当時、タイ国内にあるアメリカ軍基地から麻薬・アヘンが運び出されていた事実は多くの関係者が証言しています。そして、そんなCIAの行動を黙認することで代償を受け取り、私腹を肥やし財を成したタイ側の人間は誰なのか?

 (2)クンサ率いる少数民族部隊が欲しかったのは武器。で、CIAがいくらでも横流ししてくれるわけですよ。なにせベトナムで戦争中なワケだから武器は腐るほどあります。これが武器ブラックマーケットの母体になったのは想像に難くありません。当然の如く、タイ軍部を含む関係者は武器売買を黙認する代わりに袖の下を受け取る。そして私腹を肥やす。・・・と。

 (3)ミャンマー政府との間で独立闘争を続けているカレン族難民の存在はタイにとっても頭痛の種。タイ国内でさえ多くの山岳少数民族を抱えているのに、このうえカレン族の面倒を見て、カレン族の存在がタイ国内の山岳少数民族の独立心に火をつけたらどうしよう?・・・とか?

 (4)同様に、南部のイスラム教徒の存在もタイの国内の不安要素。つまりタイは北部(山岳少数民族地域)と南部(イスラム教地域)に不安要素を抱えており、東部はカンボジアと、西部はミャンマーと国境で揉めていて、まさに四面楚歌

 (5)のカンボジアと遺跡を巡る紛争は、そもそもタクシンが遺跡の主権をカンボジア側にあると認めたものなので、タクシンの過去の業績を否定するというパフォーマンスも含まれているのでわ?

 これらのピースをつなぎ合わせると現在のタイの状況、赤シャツ(反独裁派)VS黄シャツ(王族派)の根底に流れるものが見えてくる様に思うのですが?ただ、集会に参加している両派の市民がどこまでこれらの事実を認識しているかは疑問ですケド・・・

 それにしてもナンですか?最近はピンク派まで現れたようで、問題の本質から市民の目を遠ざけようとする勢力の存在をも窺えますわ。事はもうタクシン一派の手を離れ、ひとつ上のレベルに変わりつつあるように思うワケです。何せタイの今後の行方が、ミャンマーやカンボジアにも影響する可能性があるのですから。更に言えば、ゆっきーが言うところの「東アジア共同体」+「ASEAN」の体制にも影響が出る可能性があります。

 タイの内政に干渉することは出来ませんが、まwww同じご町内で夫婦喧嘩が絶えない家庭があったとして、知らん顔してほっとくのもどうか?と思ったりする次第です。はい。

 あwww、そう言えば今はまだ目立った動きを見せていないタイ仏教界の重鎮の方々がね、ボチボチ重い腰を上げるんじゃなかろうか?などと期待したりするワケです。タイの民衆はお坊さんの説教には素直に耳を傾けますからwww


でわっ!

2010年4月17日土曜日

ヘイヘイ、タクシー、どおして・・・

 ソンクラーンの期間中バンコクに行ってきたのですが、しっかりと水を「Bukkake」られてしまいました。あれって、「問答無用」「切捨て御免」・・・てな感じで容赦ないっすね。おまけに首筋に白い粉まで塗ったくられるし・・・

 コッチは買い物帰りで袋を両手にブラ提げていたので、まぁ、見逃してくれるだろタカを括っていたのですが、スケスケ濡れTシャツのオネエチャンの横を通り過ぎようとしたら、オネエチャン・・・手にした柄杓でやおら足元のクーラーBOXに溜めた水をすくい上げ、ワタシの背中に盛大に「Bukkake」てくれました。幸い袋の口を固く結んでいたので、中の電気製品に被害が及ばなかったのは救いなのですが、これが水でイカレちゃってもダレにも文句は言えないので、そん時はもう、泣き寝入りするしかありませんでしたワ。

 でも、今回一番面食らったのはナンと言っても、パンティープに買い物行こうとタクシーひろったら、そのまま赤シャツの結集地点(ワールド・ポイント前)に連れて行かれたことですか・・・・orz

 気の小さいワタシは、物騒な場所に近づく気などハナッから1ミクロンとして無く、ただドライバーにパンティープ・プラザに行ってくれと告げただけで、当然ね?ドライバーもね?赤シャツが集まっている所を迂回するだろうと・・・。ダレでもフツーそう思いますよね?スクンビットからタクシーに乗ったのですが、アソークの交差点あたりで右折するのかと思いきや、そのままナナの方に直進するので、「オイオイ」と思わず日本語で話しかけると、「ノープロブレム」と満面の笑顔。聞けばバンコクっ子らしいので、ウラ道でも知ってるんだろうから任せよう・・・と。

 しかしwww、ナナの高速料金所を過ぎたらBTSの高架下に赤シャツのPickupトラックが・・・。そんでもって交通規制やってんじゃん。どう考えてもこれ以上進むのはヤヴァいんじゃないの?ドライバーは交通規制やってる赤シャツの関係者らし人物と何やら言葉を交わすと、通行止めのバリケード横にあるホテルの敷地に入って行ったのですた。

 ホテルの敷地を抜けて行くとわ通な抜け道だわwww。・・・などと感心していたら、ホテルの裏側を回ってまた入り口に戻ってきただけ。そこでドライバー今度はホテルの従業員と思しき男性に何か尋ね、今度はダイジョウブだからと先ほど右折したホテルの裏の道を今度は左折。で、その先に見えたは・・・いくつも並んだテント。


なんでそうなるのっ!
(by 萩本欽一)



 赤シャツの結集地点のど真ん中じゃん!しかもこんなド派手な蛍光ピンクのタクシーで乗り込んじゃって!ドwwwすんのっ!・・・頭の中がクラクラしたのですが、もうどうしようもありませんわ。ドライバーは全く?危機感が無く、その辺に居る人をつかまえて「ここ、通れる?」みたいなことを聞いたんでしょうか、親切にも進路を妨害していたジャマ物をどかして誘導してくれ、テントの中を突っ切って広いところに出れたのですが、いずれにしろ赤シャツ結集地点のド真ん中。生きた心地がしません。

 もう、一刻も早くこの場から出たいのですが、テントはワラワラあるし、なんか外は水「Bukkake」で盛り上がってるしで、ゆっくり徐行しながら進むのですが、その間にもどこかでスナイパーが狙ってんじゃないかと、タクシーの中で「冷や水」を浴びせかけられたような心境でしたわ。テントではいろんなデザインの赤シャツを売っていて、(これ買ってヤフオクに出したら高く売れるだろwwwなwww)などと色気もわいたのですが、命あっての物ダネ・・・と思い留まった次第です。はい。

 とにかく、赤シャツの結集地点から出るまでは、1秒がホントに長く感じましたわ。川を越えて信号までたどり着いた時にはもうグッタリ。ドライバーはいたって平気な顔してましたケド、知り合いでも居るんですかね?赤シャツに。まったく・・・


なんでそうなるのっ!
(by 萩本欽一)


でわっ!

人間性のハナシ

 前回、「人間性」は定義不可能ナンじゃないの?と、ワタシの私見を述べたワケですが、その後ずっと「人間性」についてイロイロ考えていました。で、人間が「理性」「本能」の両方を備えていることは既におハナシしたワケですが、何かまだ足らないような気がしてて、ようやく思い当たったのが「情」ですわ。そこでワタシの私論として人間性の3要素に、「理性」「本能」「情(シンパシー)」の三つを仮定したいと。はい。

 思えば「情」って不思議ですよね?犬や猫などのペットや動物に愛着、情を寄せるのならまだしも、自動車とか、道具とか、生き物以外の物体にも人は時に「情」を寄せます。これって「理性」の働きから見れば全く理不尽なことですよね?だって、ただの「物」なんですから。「本能」の働きから見ても、道具なんて自分の肉体の外側の存在なのですから、傷つこうが壊れようが一向に構わないワケでしょ?ペットにしたって、イザと云う時のための非常食用としての存在価値くらいですか?「本能」的に見れば。

 「理性」と「本能」と「情」の三つが複雑に絡み合ったのが「人間性」ではないか?と思い至ったのですが、この三つの絡まり具合が人それぞれバラバラであるが故に、「人間性」を定義と云うか、ひと括りにしてしまうことが出来ないのではないか?・・・と思う次第です。はい。

で、

人間の人間たる所以は「情」にある。

のではないでしょうか?

 「本能」のままに生きると言うのであれば、それは「獣」と一緒だし、「理性」のみを重んじるのであれば、「コンピューター」には敵いませんワナ。しかし、どんなにAI(人工知能)が発達しても、コンピューターがコンピューターに「同情」するようになるとは思えないのですが、どんなもんですかねぇ?


智に働けば角が立つ。

情に棹させば流される。

意地を通せば窮屈だ。

とかくに人の世は住みにくい。


(草枕 夏目漱石)


 と、夏目漱石(敬称略)も仰ってますが、
ワタシも同感でアリマス。はい。

 ですが、「住みにくい」からこその「人の世」とも考えられるワケですわ。コンピューターや獣には悩みはありませんから。・・・ね?

 ひとりひとりが、お互いの「人間性」をぶつけ合い、そして「妥協」し合ってこその「人の世」。そしてこの「妥協」を得る上で重要になるのが、「情」ではないかと。


お前の立場は分かる。

だが、こっちの立場も分かってくれ。



 これが所謂「民主主義」の基本・根底の概念じゃないでしょか?であればこそ、多数派の意見を先ず尊重したとしても、少数派の意見も汲み上げ「最善の妥協点(落し所)」を導き出す。それこそが民主主義社会であり、これを否定視するような政府、企業は、反民主主義的であると見なされても仕方ありませんワナ。


<貼付>

反対派・中電、緊迫9時間/上関町
2010年04月16日


◆テント撤去に住民抵抗


  9時間近い緊迫の末、中国電力が作業を断念した。上関町の上関原子力発電所建設予定地で、同社は15日、反対派住民らのテントや旗などの撤去を試みたが、住民らの激しい抗議によって、この日は作業を始められないまま終わった。反対派は「これが中電の本質」と反発を強め、16日以降も作業があれば抗議を続ける構えだ。

  中電側は、社員や警備員、作業員ら計約150人が仮桟橋のある砂浜を訪れ、海上から建設資材や重機を陸揚げするための仮桟橋近くに反対派が設置したテントなどを撤去しようとした。

  テントがある砂浜には住民らが早朝から陣取っており、中電社員が移動するよう呼びかけたが、住民らは「まず住民の理解を得てください」などと抗議し、応じなかった。その後、作業員らが強引にテントの周りの土嚢(どのう)をどかしたり、旗を結びつけた竹をのこぎりで切ったりして、現場は騒然とした状態に。中電の敷地から町道への出入り口を作業員が開けようとしたが、住民らが町道に座り込んで阻止する場面もあった。中電側は断続的に説得を繰り返したが、作業は進まないまま、中電側は午後4時45分にこの日の作業を断念した。

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でわっ!

2010年4月3日土曜日

権力への欲望 32


 またまた天木氏を引き合いに出してアレなんですケド・・・


[公式] 天木直人のブログ

<貼付>

トム・ハンクスの作った映画「ザ・パシフィック(太平洋)」の功罪

<抜粋>

・・・しかし人種差別を使って反戦を訴えるのは得策ではない。不要な議論を巻き起こすからだ。反戦はストレートに行うのがよい。いかなる戦争も認められない、人間性の否定だ、と単純、明快に否定すればいいのだ。・・・

</抜粋>

</貼付>


 当然の如くワタシもこの映画は知らないのですが、それでも、天木氏の意見にチョット違和感を持ったので、恐れながら、ワタシの見解を述べるに・・・

 「人間性の否定」と言いますが、でわ「人間性」とは何か?これに明快に答えられる人は、世界中探しても恐らく居ないのでわ?と言うよりも、「人間性」なんて定義不可能な類のもんじゃ無いの?

 天木氏の考えるところの「人間性」とは、恐らく欧米の近代思想家たちの理念の延長線上にある「人間性」かと思われ、知識人と呼ばれる人はそこに何がしかの「普遍性(善性)」を見い出そうとするのでしょうが、ワタシには、「人間性」とはもっと混沌としたものに見え、


不可解なもの


の様に思うわけです。人間が「精神(理性)」と「肉体(本能)」の両面を持っていることは、もう十分に語り尽くされた事ですが、その上で、近代とは「精神」を「肉体」の上位に置く事に、発展の方向を見出してきたと、ワタシには見えるワケです。はい。

 詰まるところ、「秩序」を勿て社会を肥大させて来たと。

 ところで、精神は肉体を超えられないと云うのが持論でして、精神活動=脳の活動(肉体活動)であることを考えれば当然の如く辿りつく結論ですよね?

 そして「精神活動」はその活動を維持するために、同時に「肉体活動」の維持も欲するのだ・・・と。

 まぁ、戦時中インテリと呼ばれる多くの人が大本営に従い、戦意高揚のプロパガンダに加担したのがイイ例かも?


そう云う時代だった。


などと陳腐な言い訳をするくらいなら、


「特高」が怖かった。

家族を養なう必要があった。


・・・と、正直に言ってくれれば良かったのに、きっと、インテリのプライドがそれを邪魔したんでしょう。


我々は庶民とは違うんだ!


・・・と。

 ま、今更過ぎたことを蒸し返しても意味が無いので本題に戻りますが、ハヤイ話が、食うに困れば「人間性」もヘッタクレも無いワケで、だから?「人間性」などと云う曖昧な定義にすがって「反戦」を訴えるより、


人種差別があった

と云う現実の方が、インテリ以外の人には分かり易いと思えるワケです。

 ジッサイ戦争は無垢な庶民が始めるのではなく、インテリが音頭を取って始まるケースの方が多いんでしょ?普段は「人間性」とやらを吹聴しているインテリが!


人種差別があった。

 その事実と向き合い、人種差別の根拠を洗い出し、それが正当であるか徹底的に検証する。それこそが「現代理性」の姿だと思うワケです。
 
 そして正しい教育を受けた人間であれば、大抵の人は「人種差別」と云うものに
何の根拠も無い事はスグに分かる・・・と、信じる次第です。はい。

 であれば、「反戦」=「死にたくない」と云う「本音」の方が共通の感覚として世界中に広がり易いのではないか?・・・と。

 「人間性」と云う美辞のみで、「人種差別」と云う「本音」を、


不要な論議


として片付けてしまっていいものでしょうか?問題の本質を見ずしてその場を取り繕っても、必ず同じ問題は再発します。

 見方を変えれば、権力者は本質を知られるのを嫌がるものです。何故なら、庶民を騙すために本質は隠しておきたいから・・・

 で、トム・ハンクスが「人種偏見」を「開戦」の要因として見ているのなら、
人種差別側からの「告白」として勇気ある行為だな・・・と。

 支離滅裂ではありますが、以上が、天木氏の記事へのワタシ感想です。おつきあいいただき、ありがとうございました。


でわっ!

2010年4月2日金曜日

原発反対書記長

ま、これも「原発推進派」にとっては、
追い風になるようなニュースなんでしょうな。


NY原油、一時85ドル台=年初来高値更新

 【ニューヨーク時事】1日午前のニューヨーク商業取引所(NYMEX)の原油先物相場は、世界的な景気回復に伴うエネルギー需要の拡大期待を反映して、続伸している。米国産標準油種WTIの中心限月5月物は一時1バレル=85.10ドルまで上昇し、取引時間中としての年初来高値を更新。午前10時10分現在は、5月物は前日終値比1.00ドル高の84.76ドルとなっている。(2010/04/02-01:05)


石油が高騰すれば電気代も高くなる。
だから石油に頼らないエネルギー(原子力)が必要だ。と。

でもね・・・?冷静に考えてみれば、
石油はエネルギー用途(電力)だけですか?違いますよね?
衣料になったり、食器になったり、いろいろ使い道があります。
んで、原子力(ウラン)はどうなの?原料がウランの服とか?
ありえませんワナ。せいぜい「核兵器」に転用できるくらいです。はい。

したがって、石油の値段が上がったからといって、
原子力を石油の代替として考えるのが如何に馬鹿げた事か、
ワタシ程度の脳ミソの持ち主でもスグに分かります。

いま現在の原子力発電の存在意義と言えば

CO2を排出しない
(排出するのは放射性物質だけ♪)


と云う点のみで、それもこれもCO2が地球温暖化ガスの元凶と、
プロパガンダを繰り返してきた、ゴア米元副大統領らの
地道な努力によるものであります。はい。


地球温暖化詐欺




しかし、地球温暖化データの改竄と謂うか捏造と謂うかが、
COP15の直前に暴露され、世の中の流れが変わりつつあるのに、
なぜ?そこまでしがみ付くかなwww。
何たって、「ノーベル賞」あげちゃったもんねぇ。
所謂、欧米の知識階級のエリートは引っ込みがつかんワナwww。

しかし、間違ったことは素直に認めないとねぇ・・・
「ノーベル賞」の権威ってヤツが地に落ちるんじゃないの?
ま、権威うんぬん以前に、知識人と呼ばれる人たちの
化けの皮が剥がれちゃうんじゃないの?と。


9000名の博士号を含む31000名の科学者が温暖化人為説、脅威説を否定




いま、ワタシたちにも、この地球の為に簡単に出来る事と言えば、

石油の使用量を減らすこと。

これに尽きますワナ。ハヤイ話が資源の浪費を控える。
そんでもって、石油、原子力に代わる安全なエネルギーを
近い将来、手に入れるまではじっとガマンする。
それしか無いんじゃないでしょうかねぇ・・・

経済発展?

いまは金儲けよりも、先にやるべき事があるんじゃないの?
例えば、次の世代を担う若者を育成するのもそう。
教育にも金が掛かるなんてバカげてます。良くは知りませんが
江戸時代、庶民の識字率が高かったのは「寺子屋」があったからだと。
「寺子屋」の看板には「指南所」と書かれていたそうですが、

指南

とは、中国の故事に因んで、常に南を指し示すことから
「道を指し示す」ことを表わしているのですが、「教育」とは?
子供たちに道を指し示しているんでしょか?
また、子供たちに道を指し示すのは何も「先生」に限らず、
全ての大人は、子供たちに道を指し示す責任があると思うのですが、
現代のお父さん、お母さんは、子供に道を指し示してます?


作り話:石油はいつか無くなる




・・・とまぁ、話がダイブ逸れましたが、基本、「反原発」ということで。


でわっ!

2010年4月1日木曜日

原発反対委員長

この記事を読んで、「政権」という「権力」にしがみつく
政治家の愚かしさがよく分かりましたわ。


【コラム】安住るりの昭和史瑠璃色眼鏡
民主党 原発マフィアに乗っ取られ?

2010年03月09日コラム



「原発」のことを何も知らないドシロウトならともかく、
まがりなりにも「博士号(工学)」を持っているゆっきー
「原発」の危険性を認識してないとは考えられません。
であるならば・・・

確信犯?

で、全てを知りながらワタシたちの生命を危険にさらす。
という外道のような政権ですわな。
どうしてそんな酷い真似が出来るんですかね?

で、記事の抜粋なのですが・・・


- 以下抜粋 -

◆ 現実に 東京湾に浮かんでいる 原子力発電所
 
 東京湾の横須賀基地には米海軍の原子力空母や原潜が、ほぼ常時入港停泊しており、約束違反の定期修理まで行っている。これは日本政府の管理が及ばないブラックボックスである。いまも東京湾には「日本が手を出せない原発が浮かんでいる」のだ。
 
 先日のチリ地震の津波は高いところで2m程度で済んだが、近いうちに必ずあるといわれる首都圏大地震では、何が起こるか、想像してもらいたい。一帯が放射能で覆われたら、自衛隊も役に立たない。救助にも入れなくなるのだ。すなわち日本国の機能はほぼ壊滅する。
 
 こういう想定が、まったくの荒唐無稽な妄想だ、と思う人は、この先を読まないで結構である。

- 以上抜粋 -


じつに「ハッ」とさせられる事実ですが、

東京湾に原発が浮かんでいる

これは紛れも無い事実なのです。そしてここで原子力
アメリカ軍がリンクしてくるワケです・・・


<貼付>

日米密約:「説明受けた」中曽根元首相、認める
2010年3月31日 0時10分 更新:3月31日 1時45分


 中曽根康弘元首相は30日、NHKの報道番組で核持ち込み密約について、「私が質問して、外務省が説明したと思います」と述べ、首相在職中に同省から密約に関する説明を受けたことを明らかにした。当時の同省幹部は中曽根氏に対し、「文書はないけど慣行で、(日米が)お互いに信頼関係でやっている」と説明したという。9日に公開された外交文書では、佐藤栄作内閣当時の68年から海部俊樹内閣当時の89年まで歴代首相に説明したことが書き込まれており、中曽根氏は83年1月14日に説明を受けたと記されていた。

 中曽根氏は密約の必要性について、「大局的見地で政治の知恵だ。それまでノーと言ったら安全保障は成り立たない」と述べた。【野口武則】

</貼付>


非核三原則


こりゃwwwイッタイ何なのかね?ただの戯言?
毎年のヒロシマ・ナガサキ原爆戦没者慰霊式典。
ありゃwwwイッタイ何のサル芝居?
「原爆」で死んだ人たちを、現在苦しんでいる人たちを

バカにしてるのか?

つまり、こういったサル芝居が現在進行中なのが

米軍基地移転問題
であり、

日米安保条約  

であり、

原発事業の推進  

なワケだ。
で、この事実を知ったからには、道はふたつ。

座して死を待つか・・・

それとも声を上げるか・・・
ま、日本は民主主義なので、みんなの「総意」
ってヤツに従うしかないのだけれど、それでも

嫌なものは嫌!

と言えるのも民主主義であり、言論の自由ってヤツでしょ?
ま、そんなワケで、ワタシもこの場(ブログ)を借りて
「自分の思い」ってヤツを性懲りも無く書き綴ってるワケで。

で、願わくば、皆んなの「総意」ってヤツが先の選挙で
自民党の60年に渡る政権を民主党へ移行させた様に、
地検という絶対権力組織の暴走を食い止めたように、
日本に「脱原発」「脱核兵器」の日が一日もはやく訪れることを

祈り、願ってやまないものです。はい。


でわっ!