時間が止まった世界では、人は生きているのか?
それとも死んでいるのか?
心臓は鼓動を停止し、血流はその流れを止める。
全ての細胞は活動を停止し、成長も老化も無い。
苦しみも無ければ、喜びも無い。
全ては止まっているのだから。
全てが静止している世界において、全ての存在は平等だ。
人間も、建築物も、昆虫も、何もかもが止まっているのだから、
その存在、つまり空間の占有領域の差こそ有れ、
存在するとゆう状態において、何ら区別はないのだ。
物理学では一般に時空として扱かわれるが、
仮に、時間と空間の分離が可能であれば、
空間は時間よりも、「より根源的」なのか?
であるのならば・・・
空間を構成、維持している要素とわ?
と、ここまで思いを巡らせたところで、維持とゆう概念に、
既に時間が介在している事を自覚した。
(やはり、時間と空間は不可分なのか?)
時間が止まると、空間も消える。
では逆に、空間を持たない、「純粋時間」は有り得るのか?
これも、そもそも時間とは・・・
観測される事によってのみ存在する。
とゆう時間の性質から、空間が存在しない、つまり、
観測者が存在出来ないので、時間も存在証明出来ない事になる。
時間がその姿を現すためには、空間の存在が不可欠であり、
空間がその姿を維持するためには、時間の存在が不可欠となる。、
つまり、時間とは、空間を内側から支える柱の様なモノと、
考えられるのかも知れない。
時間と空間の重なり合いが存在となる。
話が少しわき道に逸れますが、例えば・・・
「宇宙戦艦ヤマト」に乗って、「空間をワープ」するとゆう事は、
同時に、「時間をワープ」するとゆう事にもなりますよね?
(あくまでもワタシの屁理屈の上でわ。)
これって、「タイムトラベル」じゃね?
とゆう、話の展開になるのですが、
で、連想するのが、ヒンズー教の「マントラ」、「タントラ」の話。
簡単に言うと、「マントラ=経」、「タントラ=行」なのですが、
この二つは、「織物」の「たて糸」と「よこ糸」に例えられます。
「マントラ」と「タントラ」を極める事で、「ブラフマン」に至る。と。
確か、「ヴァガヴァット・ギーター」に書いてあった様な・・・
ひょっとしたら、「サイババ」の本だったかも?
もしくは?「バグワン・シュリ・ラジニーシ」のパンフだったか?
(記憶が曖昧ですみません・・・)
で、この事は時間と空間の関係にも当てはまるん?と。
時間とゆう「たて糸」と、空間とゆう「よこ糸」によって、
存在とゆう「織物」が織り上げられてゆく。
そう考えると(想像すると)、タイムトラベルの「基本原理」って、
自分がいま居る「たて糸(時間)」と「よこ糸(空間)」の「交点(存在)」から、
別な場所の「交点」にジャンプするとゆう理解でOK?
だけど、先に推察したワタシの理屈(屁理屈)からすれば、
将来、よしんばタイムマシンが完成されたとしても、
タイムマシンは「未来」へは行けない。
とゆう事でわ無いでしょうか?なぜなら、
過去は既に織りあがっており、「交点が存在する。」が、
未来は未だ織りあがっていないので、「交点が存在しない。」
未来への「タイムトラベル」の可能性が有るとしたら、
現在自分が存在している「織物=世界」から、
既に未来が織り込まれた、「別な織物=別な世界」に行く他は無いかと。
でもそれって、所謂、「パラレル・ワールド(多重世界)」って事?
つまり、「本来の自分の未来」を知る術は無く、あくまでも、
何となく似た世界の未来
に移動するのが精一杯なんじゃないの?
つまり・・・自分の「本当の未来」は・・・
誰も知る事は出来ない。
「のび太」が、孫である「セワシ」に出会ったとしても、
本来の自分の世界の時間軸上の未来における、
血の繋がった?孫じゃ無い!と。
タイムトラベルには夢がありますが、下手すると、
永遠に、パラレルワールドの迷子になる危険があるワケです。
で、何で急にこんな事を考える気になったのかとゆうと・・・
ハイデッガーのせい・・・じゃなくて、
JIN - 仁 -
を見た影響なのは、スグにお分かり頂けるかと思いますwww。
ま、新年早々、下らない話にお付き合いいただき感謝。感謝。
ご挨拶が遅れましたが、
新年あけましておめでとう御座います。
ジョン・タイター・・・もとい、saigon ronin 拝
でわっ!