普天間基地の移設先が堂々巡りの末、元々の原案であった辺野古周辺に戻りそうなのですが、この間どれだけの「言葉」が浪費されたのだろう?と、ふと思ってみる。
「日米安保」だの、「安全保障」だの、「北朝鮮の脅威」だの、「沖縄の経済発展」だの、「日本の独立」だの・・・、ありとあらゆる「言葉」が出尽くし、もう、「言葉」そのものに辟易しているんじゃないでしょうかね?みなさん?
新聞、テレビはね?「言葉」を商売の「ネタ」にしているワケだから、朝から晩まで「言葉」を垂れ流し続け、インターネット空間でも同じく「評論家・批評家」なる人たちが、せっせと「言葉」をつむいでいるワケですわ。(最近ではツイッターとか・・・)
それこそ脊髄反射の如く「言葉」を吐く人たち。しかし、「言葉」ってそもそもナンなの?確かに情報のやりとりをする為の道具ではありますが、情報だけじゃないでしょ?「気持ち」、「心」をやりとりする道具でもあるワケでしょ?
恋人同士がお互いの「心」を確かめ合うとき、「言葉」と云うのはとても重要な意味をもつはず。親が子供を叱るとき、「言葉」は子供の運命すら変える力を持つはず。
それはひとえに、「言葉」に「心・魂」が宿っているからなのではないかと思う次第です。「心・魂」を持たない人間はいません。つまり、真摯に語られる「言葉」=「心・魂」とは、それを語る人間の「存在」をかけていると云うことなのではないでしょうか?
また、語りかける側の「心・存在」と真摯に向き合うと云うことなのではないでしょうか?
然るに、普天間基地を巡る一連の「言葉」の浪費合戦を見るに、真摯な「言葉」はあったのでしょうか?自分の「存在」を賭けて語られた言葉はあったのでしょうか?
唯一、その「存在」を賭けた「言葉」を吐いたのは、北マリアナ諸島の議会だけだったのではないでしょうか?普天間基地の受け入れを歓迎し、議会で決議し、そして日米両方に「どうぞ来てください」とお膳立てまでしてくれました。
振り返ってみると、「嘘」の無い「真摯な言葉」を語ったのは北マリアナ諸島の議会だけだったみたいです。これは日本人としてとても恥ずかしいことではないでしょうか?
日本人はいつからこんなに「言葉」を軽々しく扱うようになってしまったんですかね?またまた「バカの壁」を引き合いに出してアレですが、養老先生は「武士に二言はない」と云う言葉の解釈で、「変わるもの・変わらないもの」について述べています。以下、長くなりますが引用します。(バカの壁 第4章 万物流転、情報普遍 武士に二言はない)
<引用>
もし、現代人に、「人は変わる」ということだけをたたき込んだら何が起こるかというと、「きのう金を借りたのは俺じゃない」と、都合のいい解釈をするだけです。
借りるということは、返すという約束が前提にある。本来、約束を守れというのは社会でトップに来るルールのはずでした。
人間は変わるが、言葉は変わらない。情報は不変だから、約束は絶対の存在のはずです。しかし近年、約束というものが軽くなってしまった。
これも繰り返し言うところの「あべこべ」の表れです。変わるはずのものが変わらなくなって、変わらないはずのものが変わってしまった。
だから、約束を守るなんていうことを小学校の先生も言わなくなったし、子供たちは友達同士で言わなくなった。指きりげんまんが、どんどん廃れていくのも無理はない。
大人の社会を見ればもっとわかりやすい。政治家は公約なんて屁とも思っていない。全部嘘つきになった。受け止めるこちらの方も、彼らの公約なんてものはすぐに変わるものだ、と承知している。
これも約束が軽くなった、すなわち情報は変化する、という勘違いから生まれた最たる例です。政治家は誠心誠意その時々で公約を言うのだけれど、自分の言ったことにこだわっちゃいけない、と思っている。言ったことはどうせ変わっていくのだ、「情報」の類にすぎないから。でも、選挙で当選した自分は不変なんだからそれでいいじゃないか、と。
人間は変わるのが当たり前。だから昔は「武士に二言はない」だった。武士の口が重かったのは、恰好をつけていたからではない。うっかり言ったら大変だからです。
武士は下手な約束をして守れなかったら命に関る。責任を持とうと思えば、要するに責任の重い人ほど口が重くなった。綸言汗の如し、ということです。
約束、言葉が軽くなった理由は、同じ人なんだから、言うことは変わるはずがないだろうという前提がいつの間にかできてしまったところにある。
</引用>
ま、マスコミなんて云うものは「無責任」だから、いくらでも「嘘」・・・とは言いませんが「軽い言葉」を毎日飽きもせず垂れ流し続けるのでしょうが、政治家がね?マスコミに右に倣えで「軽い言葉」を吐くのは感心しません。
また、政治家が「軽い言葉」を吐くからといってワタシたちまで「軽い言葉」を吐いていたら、社会が成り立ちません。この社会はまだ「約束」は守るという暗黙のルールの上に厳然と成り立っています。
つまり、「約束」を守らない政治家をのさばらせておくことは、
日本の存亡に関る
と云う事です。(でしょ?)
しからば、「約束」を守らない政治家と徹底的に戦うというのは、日本を愛するワタシたちにとっては日本を守るための当然の行動であり、
大義はわれらに在り!
・・・と。(チョット過激ですかね?)
でわっ!