飯山さんのトコでいよいよ「拓跋(たくばつ)」に触れだしたので、ワタシも少し混ぜてもらおうか?・・・と。
で、以前紹介した「ルーツのツール」さんによれば、ワタシの故郷である「多摩」は、「拓跋」の勢力圏であったこと、そして更に遡れば「拓跋」のルーツは中国に現在も暮らす「ダフール族」であること。
「ダフール」の意味が「耕す者」であることから、多摩の百姓は、正に「ダフール族」の伝統?を綿々と受け継いでいると言えますなmmm。
更に更に、ダフール族曰く、彼らのルーツは「遼国スキタイ族の子孫」ということですが、スキタイのシンボルと言えば「鹿」です。で、スキタイ=>ダフール=>多摩の流れを推測させる物証?のひとつとして、奥多摩の「海沢獅子舞」の写真を見ると獅子頭に「角」があるのが判りますが、おかしいと思いません?獅子=ライオンだとしたらですよ?ライオンの頭に「角」が生えているでしょうか?
日本庭園などに見られるあの、「カコーン」と音の鳴る竹の仕掛け。「ししおどし」といいます。字は「鹿(しし)脅し」とも、「獅子脅し」とも書きますが、要は、「鹿」を「しし」と読む事実があることです。してみれば、奥多摩の「獅子舞」は恐らく「鹿(しし)舞」であり、その意味するところがスキタイの「鹿のトーテム」に繋がる可能性はあります。
さて、ここで矛盾が生じます。ダフール族が自らの先祖をスキタイに求め、部族のシンボルを「鹿」とするならば、後世そのシンボルを受け継いだのは、飯山さんもご指摘のように「扶余」なのです。となると、「拓跋系」と「扶余系」は不可分な関係となるのでしょうか?
さらにずっとこだわり続けている、「藤原鎌足」、「藤原不比等」に始まる藤原一門ですが、「鹿」と関係が深いのはそのルーツが「扶余系」にあるからなのか?
で、スキタイは古代ギリシャでは「サカ」と呼ばれていたそうですが、どうも古代ギリシャ人が接していた「サカ」=「スキタイ」はペルシャ系の人々であったようで、中国の歴史書には「月氏」として現れ、この月氏が後に満州にて「扶余国」を建国したらしいのですが、してみると「扶余族」とはペルシャ系の人々であったと?ということは、藤原一門にはペルシャ人の血が流れていることですなあ。
で、ふと思い出したのが、飛鳥の宮の建設に多くのペルシャ人が関わったらしいというTV番組ですが、もうね?ワケが分らなくなってきたので、続きはまた別な機会に。
でわっ!