2011年2月2日水曜日

日本文化に対する破壊行為をヤメヨ!

 その、大相撲の一連の「八百長疑惑」というか、「八百長事件」と言った方がイイのかも知れないですケド、皆さんはどうお考えなんですかね?

八百長はけしからん!

・・・と、大いにお怒りなんですかね?

 そもそも相撲の始まりは「神事」だったワケでしょ?謂わば「儀式的」な側面が強かったワケですよ。これはワタシの個人的な想像の範囲のハナシですが、なぜ「東」と「西」に分かれて取り組みをするのか?考えてみたことがありますか?最終的に優勝するのは一人なのだから、個人戦で総当りで勝負をつけてもイイワケでしょ?それと、なぜ「春」、「夏」、「秋」、「冬」、と四場所あるのか?五穀豊穣を願う「神事」だからではないのですか?

 つまり「相撲」は日常を離れた「ハレ」の儀式であり、本来、日常の手垢を付けることは、何人たりとも許されないのです。そして昔の人は、その儀式的な側面を理解していました。決して近代スポーツの様に、「真剣勝負」を相撲に望んではいなかったでしょう。「角界」という非日常的な世界を、ちょうど「歌舞伎」を見るように、季節季節の娯楽として楽しんだはずです。

 最近タイガーマスクが復活しているようですが、ワタシは子供の頃、正にジャストタイムにタイガーマスクをTVで見た世代です。そして当時、プロレスも大いに人気がありました。ブラッシーだの、ブッチャーだの、サンマルチノだの、リック・フレアーだの、そうそうたる外国人レスラーと馬場、猪木、金太郎らが流血の死闘を繰り広げ、最後は日本人レスラーが勝つのが「お決まり」でした。分ります?

 しかし誰一人、どのマスコミも、声を荒げて、

八百長はけしからん!

などと、無粋なことは言いませんでしたわ。みmmmんな「ショー(儀式)」であることを知りつつ、それを楽しんでいただけです。してみると、昔の人の方が今の大人たちよりも、「ずっと大人」だったように思えます。はい。

 私に言わせれば、「相撲」にしたって同じもの。先の、「東」、「西」に分かれての取り組みにしても、その本意は、「東日本民族(先住日本民族)」と「西日本民族(新興渡来民族)」の間での、「民族紛争の代理形態」としての側面もあるように思えます。それは、真剣勝負に拠るものではなく、「儀式」として、一方が勝ち過ぎないように計らわれながら受け継がれてきた、日本人の、日本に暮らす人々の「知恵の形」であったとは思えないでしょうか?


 「相撲」がいつ頃から現在のように「変質」してしまったのか?ワタシには知る由はありませんが、少なくともワタシは、「相撲は儀式」だと思っているひとりなので、「儀式」である以上、儀式を執り行う当事者以外は、何人足りとも「儀式」に介入すべきではない。・・・と、断言する次第です。はい。

 繰り返しますが、「相撲」とか、「歌舞伎」とかは、日本人=ワタシたち庶民のアイデンティティーに深く関わってきます。それは、「文化」などという薄っぺらな言葉では片付けられない、先人たちの血の滲むような努力の賜物として、日本という国を、日本に暮らす人々を、争い合う事無く繋ぎとめるための「知恵」だと思うのです。


 近代理性が、過去(因果)をしっかり認識した上で使われなければ、それはただの破壊行為の道具にしかならないでしょう。ワタシたちは過去(歴史)をしっかり学び、悪い部分は正し、善い部分は伸ばし、未来を築いていく責任があるのではないでしょうか?

 世界情勢が不安定になりつつある現代であればこそ、日本人は自らのアイデンティティーを再認識し、これからの世界の荒波・・・例えば、TPPだとか・・・、TPPだとか・・・、TPPだとか・・・。に、立ち向かわなければならないのではないでしょうか?マスコミの論調に躍らされず、「相撲」というものが日本人のアイデンティティーに、どれほど深く影響を与えているかを理解する事が大切だと思う次第です。はい。

相撲

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