2011年2月19日土曜日

日本人の特殊性

 ナンテ書くと、すぐ「島国根性」だとか、「閉鎖的な国民性」だとか、否定的な意見が寄せられそうですが、ジッサイ、複数の文字を使い分ける民族はそう多くはないと思うワケです。「漢字」「ひらがな」「カタカナ」に加え、漢字の読み方にしても、「音読み」「訓読み」さらには「万葉仮名」まであり、ワタシたちはそれらの複雑な組み合わせを、日常生活の中でごく自然に使用しています。

 東(ひがし)一文字にしても、東京(とうきょう)であり、坂東(ばんどう)であり、東(あずま)であるといった具合に、どうしてこうも様々な読み方があるのでしょうか?そしてワタシたち日本人の「脳」は、それを区別し、使い分けられるのでしょうか?

 ひとつ確かなことは、「文字」が「言葉」の後からやって来たということでしょう。つまり「音」に対して「文字」が嵌め込まれることによって、日本語は成立したのだと。漢字は「表意文字」です。一字一字に「意味」が表現されています。例えば宗教の「宗」は、「ウ冠」の下に「示す」で「家」で「示す」の意であり、宗教とは本来?家での教え・・・家訓の様な形態に近かったのかも知れません。

 で、日本語の漢字の読みが複雑な背景には、漢字が輸入される前に、すでに様々な言語が存在していた。・・・という推論が導き出されます。つまり、多数の異民族が共存していた。・・・と。

 
日本に世界が凝縮されている

 ・・・と、以前に例えましたが、もう一歩推し進めると、

 日本一国で世界が完結している

 ・・・と、言い換えても、あながち的外れでは無いかも知れません。であればこそ、江戸時代に「鎖国」政策が採れたのではないか?・・・と。TPP推進論者は「開国」を旗印に掲げますが、「開国」云々はひとまず脇に置いておくとして、日本が「大陸国家」なのか、それとも「海洋国家」なのかを再考したいと思います。

 TPP推進論者の中には、日本は「海洋国家」だから貿易は日本の生命線だと、国家の在り様としてTPPを論じる向きもあるようですが、果たして日本は「海洋国家」なんですかね?「海洋国家」とは歴史的に、「貿易」をしないと成り立たない国ですよね?であれば、日本は「鎖国」をしていた時期に、とっくに消滅していてもおかしくないワケです。しかし実際は「鎖国」している間、日本国内は「自給自足」で経済が回っており、「大陸国家」のように、生活に必要な分の資源は自給出来たワケです。それだけ日本は恵まれた自然環境にあったワケです。

 もちろん限られた資源ですから、それを効率良く利用するために様々な工夫をしたり、また、無駄にしないために「もったいない精神」も自然発生したのでしょう。そしてそれは、現在も一般的な日本人の根底に受け継がれています。


<参考>
地政学(1):海洋国家と大陸国家はどの程度入れ替わるのか?


 まあ、チョット調べれば誰でもスグに判る事ですが、「日本は海洋国家で云々。」・・・などと吹聴している地政学者なるものは、とんだ・・・

イカサマ師ですmmm。




 で、この過去における日本の経験が、この先の世界の変革に役立つのではないか?・・・と。視野を広げれば、この地球そのものが閉鎖された(鎖国)状態なワケです。資源は限られており、それを如何に有効に使うか?そして効率良く分配するか?・・・「鎖国を実践した日本」には、その素養があるのではないか?
先人たちの知恵を活かせるのではないでしょうか。

 様々な人種、様々な文化がハイブリットされた日本ならではの知恵。それはやはり日本人の特質に他ならない様に思えます。その特質を恥たり、否定したりするのではなく、活かしていくのが日本にとっても、ひいては世界にとってもプラスになるのではないでしょうか。

 八百万精神。万物の存在に「共感」する精神性は、原始宗教や、単なる自然崇拝とは少し違うように思います。例として、ケルト民族の「ドルイド教」などが自然崇拝宗教として、八百万精神と同列視されますが、ワタシは似て異なるものと理解しています。両者の根本的な違いは、
ドルイド教は「生贄」を捧げる儀式が在るという点です。

 「血」を求める神とは、イッタイどういった「神」なのでしょうか?一言で言えば「侵略する神」であり、「絶対服従を求める神」です。翻って八百万の神々は「血」を求めるでしょうか?逆に「血」を「穢れ」として嫌います。争いを好みません。そういった宗教観念が培われたのは、日本人が多民族によるハイブリットでるという必然の結果だと考える次第です。


でわっ!