2011年6月18日土曜日

5年後

 このたびの「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。


 今現在、世界は大きく変わりつつあるワケですが、革命と同じで、「その先」が描けるかどうかが重要に思います。それ(目標や指標)が無ければ、残念ながらエジプトの「ナンチャッテ革命」の様にグズグズになってしまい、より一層の社会的な混乱を招く結果にもなりかねません。

 で、僭越ながら現在の諸々の世界的な状況を見るに、どうやら「5年後」をひとつの区切り?として世界が動き始めているようにワタシには感じられる次第です。・・・はい。

 具体的にどうこうは言えませんが、恐らく「5年後」にはアメリカも然る事ながら、今までパワーエリートの地位に君臨していた指導者?と呼ばれている多くの人たちの、その殆どが一線から姿を消すんじゃないか?・・・と。つまり、世界の権力者の構図がガラッと変わるんじゃないかと。

 もう少し希望的?な観測をするならば、従来の「光」と「影」、「表」と「裏」の二重構造的な世界が、その構造自体は変わらなくても、二つの間の「溝」が狭まる様になるのではないか?・・・と。で、この「溝」とは何か?と言えば、散々繰り返してきた事ですが、「情報」になるワケです。

 つまり、ワタシたち庶民がインターネット等で多くの「情報」を手に入れる事で、「旧来の支配層」はワタシたち庶民を騙し通せなくなって来たワケです。ウラから社会を支配しようという目論見が立ち行かなくなりつつあるワケです。

 そして、相変わらず従来の既得権益にしがみ付こうとする勢力と、新しい時代に適合しようという進歩的な勢力が、いま分かれつつあるようにも感じられます。そこで、新しい時代を見据えた勢力の当面の計画目標が「5年後」辺りかな?・・・と。

 従って彼ら「新勢力」は「5年後」から逆算して行動を始めているワケで、当然?ワタシたち庶民も「5年後」を見据え・・・と言うか、「5年後にはこういう社会にしたい。」という目標を持って、今を生きる必要があるのでわ?・・・と、思った次第です。はい。

 ま、ワタシの個人的な希望ですが、「5年後」には少なくとも「電力自由化」は達成されていて欲しいですね。でもって、誰もが自由に電気を作ることが可能となり、勿論、自分で電気を作るのが面倒で、電気会社から電気を買いたい人は、買うのも自由です。

 あと、流通も大手が独占する形態よりも、各地方が独自に流通網を構築し、「物」の流れが大都市に集中的に向かうのではなく、必要とされる場所に的確に流通する、インターネットの様な流通網になれば、何も都市部に拘らなくても、自分が生まれ育った地元で快適な生活を送れるんじゃないかと。

 経済的発展云々とは、早いハナシがどれだけの「金額(札束)」が動いたか?というハナシで、現在の日本の様に物価が低く抑えられているデフレ状態ではどれだけ「物」が動いても、ナカナカ右肩上がりにはならないワケです。よね?

 しかし人が生活している以上、「物」は確実に流通しているワケで、経済発展という「呪文」に惑わされずに「実体」を見ならば、都市部に集中するよりも全国くまなく「物」が流通するほうが、「実体」としては健全である様にワタシは思う次第です。

 そうなれば地方独自の産業も発展し易いでしょう。次に、若者も仕事があれば戻ってくるでしょうし、ひいては少子化にも歯止めが掛かるんじゃないでしょうか。都市部に集中する現在の経済システム、金融システムこそが、地方の過疎化少子化の原因であるかも知れません。

 ワタシは別に、地方文化を取り立てて美化する気はありません。余計なお世話でしょうし、結局はその土地、その地方に暮らす人たちの「心意気の問題」なのだと思います。しかし、現在の社会のシステム、経済システムが、地方を切り捨てるような仕組みであれば、それはそれで正さなければとも思います。日本という土地に暮らす全ての庶民に平等な生活権、生存権が保障されているのは、「日本国憲法」の定める所ですから。

 兎にも角にも、「5年後」の未来をシッカリ想い描くこと。そこから逆算して今、何から始めるかを一人一人が真剣に考えて行動すれば、きっと「素晴しい5年後」になるんじゃないんですかねぇ・・・。


でわっ!