2012年2月24日金曜日

昔、ひとりの「鬼」がいた


 昨年の「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。



 その昔・・・なんて話をはじめると、「ジジ臭い」とヒンシュクを買いそうですが、それでもダンディ・・・もとい、「ダンヂイ(爺)」なワタシとしては是非にも伝えておきたいのです。その昔、ひとりの「鬼」がこの日本に存在した事を。

 かの偉大なボクシング世界チャンプ、具志堅用高氏すら尊敬する、「キックの鬼」こと沢村忠、その人を。


沢村忠の真実




キックの鬼




真空跳び膝蹴り




 ま、40代後半以上の世代であったら、知らない人はいません(キッパリ!)。しかしながらその華々しい活躍以降、みごとに忘れ去られた人でもあります。嘗ての人気からすれば、引退後にタレント業に転身してもオカシクないのに、それを潔しとしない「武士(もののふ)」の魂があったのでしょう。

 それに比べたら、バラエティー番組でヘラヘラしている具志堅にしろ、他のスポーツ選手にしろ、本来自分が進むべき道というか、自分が目指していた道を忘れちゃったんじゃないの?とすら思えます。

 で、これは本当に厳しい生き方なのですが、


見返りを求めるな。


という、沢村氏の祖父の言葉・・・「武士道」の在り方が、正に現在の日本の政治家に問われているように思えます。

 政治家が見返りを求めたら、それは「政治」ではなく、「商売」でしょ?「滅私奉公」という言葉がありますが、政治とは「滅私奉公」の精神が無くては勤まりません。「滅私奉公」の精神無くして「政治」を執り行えば「公(おおやけ)」が乱れ、ひいては「国」が乱れるでしょう。

 当たり前過ぎて、ワタシなんぞが今更言うまでもないのですが、ただ、「キックの鬼」の生き様をこの年になって再認識し、子供の頃のあこがれの「ヒーロー」が晩節を汚さず、ずっと「ヒーロー」でいてくれた事を知り、嬉しかったワケです。

 沢村忠という「武人」は稀有な存在かもしれませんが、かの宮本武蔵が「五輪書~地之巻」にしたためた如く・・・

「まず武士は文武二道といって、この二つの道をたしなむことが大原則である。・・・ふつう、武士の気持ちを推し量ると、武士はただ死ぬという道をたしなめばよいと考える程度のことである。死ぬという覚悟の道においては、武士だけに限らず出家であっても、であっても、百姓以下に至るまで、義理を知り、恥を思い、死を覚悟することについては、なんら違いはない。

・・・というワケで、「死の覚悟」のレベルにおいては、「キックの鬼」もワタシも、何ら違いは無いのです。

 つまり「死の覚悟」を体現する過程、簡単な言葉で言えば「生き様」が決定的に違うということなのでしょう。人は必ず死にます。誰にでも人生のゴールが訪れるワケです。「生き様」とは、そのゴールに向かいどう走りきるか?ということなのでしょう。

 スポーツ競技において、その成績だけでなく、競技に真摯に取り組む姿勢が観客の心を感動させるように、人の生き様もまた、多くの人に感銘を与えます。

 ガンジーのような、キング牧師のような、S.ジョブスのような、歴史に残るような生き方、生き様でなくても、「キックの鬼」こと沢村忠氏が、名を残す(見返りを求める)生き方を好しとせず、己の本分に忠実に生きたこと、その生き様が、子供の頃にあこがれたヒーロー像以上に、年齢を重ねた今のワタシには、「ヒーロー」として燦然と輝くワケです。


沢村忠氏のようにありたい。


・・・と。(具志堅は・・・ねえな。)

 つまりこれも「個人革命」の一環なワケです。ひとりひとりが自分の生き様を意識するところから、「個人革命」がはじまるワケです。


俺の生き様はこれでイイのか?


と、自問するところから「個人革命」がはじまるワケです。このまま死んで「後悔」はないのか?と。自分の家族のため、家族を支える社会のため、子供たちが生きる未来のため、自分はベストを尽くしているのか?と。

 ワタシたちひとりひとりは無力ですが、ひとりひとりの生き様が変われば、世界も必ず変わります(そう信じます)。その時まで、「キックの鬼」のように「見返りを求めず」、自分の本分を貫き通せるか否か・・・?そこで!宮本武蔵はこう説くワケです。

「まず武士は文武二道といって、この二つの道をたしなむことが大原則である。・・・ふつう、武士の気持ちを推し量ると、武士はただ死ぬという道をたしなめばよいと考える程度のことである。死ぬという覚悟の道においては、武士だけに限らず出家であっても、であっても、百姓以下に至るまで、義理を知り、恥を思い、死を覚悟することについては、なんら違いはない。

 覚悟を決めるという事は誰であろうと出来る。逆に、覚悟を決められない武士こそ、「武士に非ず。」・・・と言えるでしょう。

 その意味で、自分の生き様を貫いたチェ・ゲバラも、


立派な武士であった。 


・・・と。


人間ナメんなよ!


でわっ!