2012年5月20日日曜日
ベトナムに「スペック・ホルダー」が?
突然ですが過去、ロシアは国家プロジェクトとして「SPEC(特殊能力)」・・・所謂、「超能力」を研究していた経緯があります。アメリカも同様な研究をしていたようですが、ロシアの方が一歩先んじていた感はあります。
で、その後の研究が現在どうなっているのか、一切表に出てこないので知る由も無いワケですが、ついポロリと口がスベる?こともあるようで・・・。
<転載>
ロシア 史上最強の兵器を開発
12.04.2012, 15:07
ロシアは光線兵器や波動兵器、遺伝子や心理兵器などに関して、欧米諸国と競争することができる。というのも、そのような武器の開発はいかなる国際条約によっても禁止されていないからだ。
これは12日、「ロシア新聞」が伝えたもの。これより先、アナトリー・セルジュコフ防衛相がウラジーミル・プーチン首相との会談のなかで、ロシアは「新しい物理的原則」に基づいた武器を開発する用意があると述べたことに対して、欧米の専門家からの批判があったことを背景としている。
「ロシア新聞」によれば、1980年代、ソビエト連邦の秘密研究所では、たとえば戦車を停止させたり、飲料水を飲めなくするための光線ジェネレーターなどが開発されていた。
ソビエト連邦のこの分野における成功は非常に目覚しいものがあり、もしもソ連崩壊がなければ、核兵器がなくても最強の国となり、米国が超大国であり続けることはなかっただろう。しかしソ連崩壊後、すべての開発はストップし、専門家は解雇されたほか、文書は捨てられたか、海外に渡るかした。それはちょうど90年代初めから、米国で光線兵器などの開発が活発になったことと重なっている。
「ロシア新聞」には、超心理学の専門家であるアレクセイ・サヴィン中将の第10003号秘密情報についても書かれており、普通の人間が超人になれる未来兵士のコンセプトがあったとされている。この情報はいまだに海外に流出していないとみられており、ロシアはこのような国際的制限のない兵器の開発を進めていくことができると「ロシア新聞」では結論付けられている。
</転載>
要するにですなあ、「普通の人間をスペック・ホルダーにする」研究があったらしい・・・というワケです。
マジですかっ!?
・・・と、記事を読み思ったワケですが、ベトナムのスペック・ホルダー?の記事には、「右脳半球に異常な周波数が観測された」という一文があり、脳の機能という医学的、物理学的側面からの具体的なアプローチが可能になれば、あながち「スペック・ホルダー」の量産が「夢物語」に留まらない可能性もあるワケです。はい。
<転載>
発火を引き起こす少女、超能力が原因か?
2012/05/18 19:46 JST配信
ホーチミン市タンビン区在住の少女トゥイちゃん(11歳)の周辺で最近、原因不明の発火事故が相次いでおり、超能力者ではないかと話題になっている。16日付VNエクスプレスが報じた。
家族の証言によると、先月からトゥイちゃんの近くにある家具などが突然発火する現象が発生し始めたという。発火現象はコンセント、洗濯機、マットレス、タンスなどから始まり、今月12日には自宅3階が全焼した。自宅が火事になったため、トゥイちゃんを親族の家に預かってもらったところ、今度は親族の家で発火現象が起こったという。
トゥイちゃんは、「普段は熱を感じないけど、疲れたときは体温が急に上がるのが分かる。そんなときは、どうしてか分からないけれど、周りのものが燃えてしまう。このままじゃ不安だから何かの病気なら治して欲しい」と訴えている。
ホンバン大学傘下の地上生物学研究所の専門家がトゥイちゃんに無線周波数干渉(RFI)検査を行ったところ、右脳半球に異常な周波数が観測されたという。また、エネルギー科学研究所および物理学研究所の専門家らは、トゥイちゃんの検査を行っていないため、発火現象の原因についてコメントは出来ないが、家族からの依頼があれば、原因究明に協力すると表明した。
</転載>
ま、阪神・・・もとい、半信半疑で・・・というか、「半信」している時点でちょっとアレかも知れませんが、ワタシが知る限り「スペック」を持った著名な日本人がふたりいらっしゃいます。
ひとりは合気道の創始者であられる「植芝盛平翁」。そしてもうおひとかたは、フィリピンから戦後29年目にして生還した「小野田少尉」です。で、おふたりに共通する「スペック」とは、
銃弾の弾道が見える
という、「マトリックス」を地でゆくような「スペック」です。はい。
おふたりとも「弾道が光って見える」と証言されているのですが、ウィキペディアにもその件について記されています。
<引用>
小野田寛郎
小野田 寛郎(おのだ ひろお、1922年(大正11年)3月19日 - )は、日本の陸軍軍人。階級は陸軍少尉で情報将校だった。陸軍中野学校二俣分校卒。太平洋戦争終結から29年目にしてフィリピンルバング島から帰還を果たす。
その他エピソード
戦時中に自身が体験した人間が持つ潜在的な能力にも触れている。本当に命を賭けなければいけないと必死になった瞬間、頭が数倍の大きさに膨らむ感覚と同時に悪寒に襲われ身震いし、直後、頭が元の大きさに戻ったと感じると、あたりが急に明るく鮮明に見えるようになったという。「夕闇が迫っているのに、まるで昼間のような明るさになりました。そして、遠くに見える木の葉の表面に浮かぶ1つ1つの脈まではっきり認識することができました。そうなると、はるか先にいる敵兵の動きも手に取るように分かります。それこそ、相手が射撃をする直前にサッと身をかわして銃弾を避けることさえできると思いました」 。命を賭ける場面が、命を賭けなくても大丈夫だという自信に変わった瞬間だったという。
また『月刊秘伝』2004年7月号でのインタビューでは「直進する物は物理的に見えるんですよ。(中略)真っ直ぐ自分のほうに伸びてくるんだから見えます。(中略)撃たれたときは、火を噴いている銃口から見えた。(中略)相手の突きを避けられるのだから避けられますよ。」と語っている。自身の著書である『小野田寛郎―わがルバン島の30年戦争』でも、銃弾は飛んでくるとき蒼白い閃光を放つから、それを避ければいいと語っている。
</引用>
で、植芝盛平翁の場合は・・・
<引用>
植芝盛平
植芝 盛平(うえしば もりへい、1883年(明治16年)12月14日 - 1969年(昭和44年)4月26日)は、日本の武道家。合気道の創始者。合気道界では「開祖」(かいそ)と敬称される。
エピソード
鉄砲の弾をよける
1924年(大正13年)2月、出口王仁三郎と共に、宗教国家の建設を意図し満州・モンゴルに赴く。数々の死線を通じて銃弾を避けられるようになった。盛平自身の説明では「敵の銃弾より先に赤い光が飛んでくるので、それを避けると後から銃弾が飛んでくる」のだという。また剣を相手にしたとき、まず白いモノが振り下ろされ、それを避けると必ずそのあとに本物の剣が振り下ろされたという。
</引用>
・・・ということで、どうやらおふたりとも「死線」を何度もかいくぐることで脳機能が異常に活性化し、「弾道が光って見える」という能力を身に付けたかに見受けられます。
盛平翁はとうの昔に他界されていますが、小野田少尉はまだご存命中で、ブラジルで農園を経営しておられるハズ。平和な世の中では「役に立たない」能力かも知れませんが、その能力をまだお持ちなのか?それともすっかり「退化」してしまったのか、興味がありますなあ・・・。
人間ナメんなよ!
でわっ!