2012年7月7日土曜日

スピノザと反原発


 先日、6月29日。大飯原発前の抗議集会の状況を見ようと「IWJ」のch1にアクセスしたら、時間が早かったのか某教授の講義が流れていました。

 で、何とはなしに見ていたのですが、すっかりこの講義に嵌ってしまいました。

 講義内容は、ホイヘンスの「振り子」に関する実験と、それに関するスピノザの洞察だったのですが、簡単に説明すると、ホイヘンスが病気で寝込んでいたとき、壁に掛けられた二つの振り子時計の振幅が同期していることに気づき、その現象を解明するためにいくつか実験を行います。


クリスティアーン・ホイヘンス – Wikipedia


 まず、振り子時計どうしが「ある程度」近づかないと、「同期現象」は現れないということ。そして、背中合わせの椅子に棒を渡し、そこに振り子時計をぶら下げるという人為的な「システム」では、振り子が同期しないうちはギシギシと音を立てていた椅子が、振り子が同期すると音も振動も止んだというものです。

 で、振り子時計の振り子の周期は、Aの時計の周期がαで、Bの時計の周期がβだとすると、同期した振り子の周期はαとβの中間ではないと。先ほどの椅子のギシギシという軋みも加味されて、第三の周期、新し周期に落ち着くという結果でした。

 そこでスピノザは、その新しい周期を


「システム」全体の固有振動数


と考察するワケです。

 ホイヘンスの実験はそれ以上の発展は無かったようなのですが、スピノザはこの考察から、「汎神論」的な哲学を発展させた可能性も伺えます。


バールーフ・デ・スピノザ – Wikipedia


 「椅子と棒」による「システム」が同期=安定に向かうのは、そうなるように用意された、「さらに大きなシステム」が存在するからで、そのシステムの「全体像」を以ってしてスピノザを「汎神論」に向かわせたのかも知れません。

 スピノザは、ライプニッツと肩を並べる優れた数学者でもあり、「公理」「定理」「定数」などの存在を解明することはできても、なせそうなのか?には踏み込めない「限界」を熟知していたことでしょう。

 これは現代科学においても全く同じことで、結果から因果関係を究明し、起こった現象ついての説明はできますが、「因果」の存在そのものについては


そうだから、そうなのだ。


としか言いようが無いのです。そしてこの、「科学者が踏み込めない領域」を担うのが「宗教」になるワケですが、それを一歩間違うと「オウム真理教」のようになるということなんでしょう。

 オウム真理教に入信する前にスピノザに出会っていたら、人生変わっていたかも知れませんなあ…。

 どうも話が散漫になる悪い癖があってアレですが、以上の講義の内容を踏まえ、ワタシなりに腑に落ちたことがいくつかあります。

 講義の終わりのほうで「レシオ(比率)」という言葉が出てきたのですが、まず、振り子時計が同期(シンクロ)するには「ある程度」近づかなければならないということ。そして振り子時計も、「ある程度」類似したものでなければ同期が取れないであろうこと。

 これらの条件が満たせなければ「同期(シンクロ)現象」は顕れず、即ち「動的システム」は成立しないということです。

 したがって「動的システム」を存在させ、且つ存続させるには、「ある程度」=「レシオ」の中に条件が納まらなければならないワケで、まいど手前味噌になりますが、ワタシが考えるところの「許容悪」とか「調和」とかは、正に「レシオ(比率)」の問題だと腑に落ちたワケです。はい。



 ま、スピノザを知っていれば回り道をしないで済んだのかもしれませんが、「知識」が自分の「血肉」になっていたかは疑問です。スピノザの「名前ばかりを振りかざす」、イヤミな奴になっていた可能性のほうが高いようにも思えます。

 で、まとめ?に入りますが、「原子力」や「核開発」というものが、人間社会という「動的システム」を維持する上で「レシオ内」に納まっているのか?というと、一旦事故が起こったら手をつけられないという事実から、「度を越している」とワタシには見えます。

 同様に、「原子力産業」およびその取り巻きの、「利権のおこぼれ」に預かろうとする一部の人たちの「欲望」も、「度が過ぎている」と言わざるを得ません。これは日本に限らず、世界中で共通です。

 であれば、「脱原発」は日本だけの問題でも、日本だけで解決し得る問題でもなく、


世界的な協調体制


で臨まなければ、容易には成し得ないということです。

 ジッサイ、「日米原子力協定」によって日本の原子力行政は決定されています。国際間の条約や協定を一方的に破棄することは、ま、国の威信とやらからも、あまり望ましいことではありませんが、それでも「脱原発」、「核廃絶」に向かうという意思を持ち続けることと、日本のそうした「決意」を、世界に示し続けることは大切です。


広瀬隆講演会 後半
20110902




 そのための抗議集会なのです。「世界を巻き込む」ための抗議集会なのです。アメリカでも、ヨーロッパでも、ロシアでも、中国でも、


同じ人間だろ?


と、世界が「核廃絶」に立ち上がって各国政府を動かし、お互いの国同士を縛り付ける「原子力協定」を無効にしてしまえば、日本もそれだけ早く「脱原発」が達成できるワケです。



バカの壁 (新潮新書)
養老 孟司 (著)



 したがって今後の抗議集会は、「国内向け」と「国外向け」の2面性を意識しつつ進める必要も考えられます。



 そこで、またスピノザの話に戻るのですが、ワタシにはスピノザの考える「汎神論」と、日本の「八百万精神」やアジアの「アミニズム(自然崇拝)」は、割と近い関係のように思えたりするワケです。つまり、洋の東西を問わず理解を深め、連携する上でスピノザは


ひとつの糸口


になるのではないかと思った次第です。はい。

 そして最も重要なのは、未来を描く想像力なのです。子供たちの未来を、将来の日本を描く、ひとりひとりの


無限の想像力なのです。


 想像力を奪われないためにも生活を守る必要があるワケで、ひとりひとりの想いは違えども、生活を守るために首相官邸前に集っていることは、紛れもない事実なのです。




人間ナメんなよ!


でわっ!