2012年9月6日木曜日

それは首相官邸前から始まった・・・


 首相官邸前にて毎週金曜日に行われる「反原発集会」の意義は、いずれ世界を巻き込み、


世界的な反核運動


に発展するところにある。・・・と、何度か述べてきたワケですが、ジワジワとその効果が現れ始めているみたいですw。


スピノザと反原発


世界の利権構造の中での原子力



<転載>

欧州の核は分裂、原子力は東へ?
アンドレイ フェジャーシン 6.09.2012, 04:23





IAEA(国際原子力機関)の主催のもと、原子力安全条約(1986年のチェルノブイリ原発事故を受けて採択された)の締約国75か国が参加した専門家会議がウィーンで開かれた。2011年3月の「フクシマ」原発事故を教訓に、原発の安全性強化の問題が討議されほか、欧州の原子力エネルギーの将来についても討議が行われた。

「フクシマ」の事故の頃、欧州ではおりしも、大型の原子力発電所の建設計画が進められていた。事故以後、EUの主導的な国々(フランスを除く)は、2020年から2025年に向けて自国の原発を閉鎖するという方向に動き出した。既にドイツ、スウェーデン、イタリアが旗幟を鮮明にし、ベルギーも最近、その列に加わった。

対して東欧の国々では、このような動きは全く見られない。チェコ、ポーランド、ハンガリー、スロヴァキアといった国々は、むしろ自国の原子力エネルギーを発展させていく意向だ。原子力からの撤退は自国をエネルギー的飢餓に導くものと危惧されているのだ。

しかし、西欧における平和的原子力利用が死滅しつつあると言ってしまうのは勇み足である。「ヴェレース・キャピタル」のドミートリイ・リュチャーギン上級分析員は、欧州は早晩、平和的原子力利用に立ち返ると確信している。

「原子力エネルギーからの撤退」は、明らかに、日本の原発事故に対する感情的な反応である。将来的に、安全設計と電子制御技術の向上のもと、西欧諸国は電力源としての平和的原子力利用に立ち戻ると、私は思う。

ドミートリイ・リュチャーギン氏の発言に、独立系分析企業「インヴェストカフェ」の専門家アンドレイ・シェンク氏も同調する。

―東欧の原発で発電し、その後西欧に送電するというのは、経済的に非効率だ。西欧は原子力発電所の建設を再開するだろうと、私は見ている。それがいつのことになるか、予断は許されない。これら諸国の政治的な動向を見守る必要がある。

世界、そして欧州は、原発事故に驚いた。しかし、IAEAの専門家会議で、欧州で悪化を見せているエネルギー的飢餓を救う現実的な代替燃料は存在しない、と指摘された。2030年、原子力エネルギーの地球全体での生産は倍増し、比重は東に移っている。特に二つの巨人、中国とインドに。ロシアも同様に、自国の「原子力プラン」を放棄していない。ロシアの参加のもと、間もなくベラルーシで新しい原発の建設が始まる。しかし何と言っても、記録保持者は中国である。中国では2030年に向けて50基の原発建設が計画されている。

</転載>


 基本に立ち戻れば、


人類は未だ核分裂を制御できない。


・・・に、尽きるワケですよ。完成された技術では決して無いワケであり、であれば、「完全制御」に向けた今後の研究及び「核廃棄物」の処理に向けた研究を継続することには、吝かではないワケです。

 で、その時が来るまで、


なんで我慢できないの? 


・・・というのがワタシの言わんとするところであり、たいていの人には納得していただけるかと?

 一部の科学者や、原子力利権に群がる輩たちの「火遊び」で、大切な生活基盤が破壊されたらタマラン。・・・という当たり前の理屈なワケです。

 大体が、そうした一部の人間だけが利益を受けるような社会、国を、「日本国憲法」では明確に否定しているワケであって、何度でも繰り返しますが、


原子力発電は憲法違反


と見なすことができ、反原発運動は広義に照らして「護憲精神」の表明でもあり、「護憲」とはすなわち、自由と権利を守るための揺ぎ無い決意であるのだから、当然、「TPP」であるとか「ACTA」であるとかの、「言論」や「人権」や「自由」を脅かすものを否定することも、「護憲精神」の表れと言えます。

 ま、小難しい話はアレとして、日本における「反原発運動」の高まりが、欧州においても「厭原発」の機運を高めていることは確かなワケで、日本中に広まる「反原発運動」は決して無駄な行為じゃないワケです。

 そして何度も言うように、「反原発運動」は・・・


日本国憲法

第三章 国民の権利及び義務

第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。


・・・と、規定されているように、「不断の努力」=「抵抗し続ける」ことによって守ることが「国民の義務」とされているワケです。

 しかがって、警察などが「国民の義務」=「反原発運動」を妨害するということは、憲法に違反する行為を警察が犯しているという理屈になり、


それで法治国家と言えるのかっ?!


・・・つー話になるワケですよ。

 で、何で?「国民の義務」とまで規定されているのかを考えて見るに、ヤッパリ、「次の世代」のことを考えているからだと思うワケです。「次の世代」に対する「愛」?があるからこそ、より良い社会を残したい・・・という願いであり、「公共の福祉」「公共の利益」が、日本国憲法の「根幹」にあるワケです。

 ですから、「原発再稼動反対」を無視し、「消費税増税反対」を無視し、「ACTA反対」を無視し、この上「オスプレイ配備反対」を無視し、「TPP反対」を無視し、あと・・・何でしたっけ?

 とにかく、ワタシたちが反対するものをことごとく押し付けようとする政府の所業は


イジメ


以外の何者でもなく、学校などでの「イジメ」にしても、社会的な「イジメ」にしても、さらに視野を広げればシリアに対する「イジメ」にしても、まったく同じ類の「病根」であり、世界全体が


イジメ世界


になってしまったかの様にも見えます。

 そんな世界で生活していて楽しいですかね?イジメる側にしてみれば楽しいのかも知れませんが、それにしてもホンの一握り(1%)の人たちだけです。その他の99%の人たちはイジメられる側にいるワケですよ?そんな世界で生活していて楽しいですかね?

 「イジメ」という視点から観れば、「教育現場」も、「原発」も、「ACTA」も、「シリア」も、全く次元を同じくするということであり、意識は「連動」しているということです。

 と、いうことは・・・表面的な事象は違えども、「反原発」という突破口を突き破れば、それに「連動」してその他の「イジメ問題」の解決にも繋がる可能性があるというワケです。

 したがってそれには、「徹底的な抵抗運動」が必要不可欠であると同時に唯一の手段とも言え、


抵抗は、止めたらそこで終わり


・・・ということを、よく理解する必要があります。なお且つワタシたちの抵抗運動には、


「日本国憲法」


という、日本の「最高法規」が味方についていることも忘れてはなりません。




憲法ナメんなよ!


でわっ!