ポツダム宣言
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ポツダム宣言の受諾に関しては、その解釈は一般的に「無条件降伏」と理解され、ワタシ自身も学校でも、そして家でテレビを見ても、そういう情報にしか接してきませんでした。
一部の人には、「無条件降伏ではない」・・・という認識があり、曰く、第13条で述べているのは、「日本軍隊の無条件降伏」であり、「日本政府は条件付で降伏している」・・・と、いうものです。この論からすると、軍と政府は戦争責任の所在が別々である・・・という奇妙な論理になるワケですが?
つまり、日本国軍は日本政府の指揮下にはなかった・・・という理屈がまかり通ることになり、ということは、大東亜戦争は軍が勝手に始めたことで、日本政府はソレを傍観していたと?ワタシたち・・・というか当時の日本国民はそんなデタラメな戦争に付き従っていたワケですか?だとしたら間抜けすぎて涙が出てきます。
同じ敗戦国であるドイツと比較し、政府が完全に崩壊したナチスと違い、日本は政府が国体を維持した状態で敗戦を迎えたのだから、「無条件降伏」ではないということらしいです。で、日本政府のポツダム宣言受諾条件として、「天皇制の存続」を連合国側に告げたということですが、それに対する回答は、第5条の・・・「条件からの逸脱はないものする」・・・であり、明確な「天皇制存続」の確約がないままに「ポツダム宣言」を受諾したワケですから、やはり「無条件降伏」としか受け取れません。
「無条件」というのは日本側に対してであり、即ち、「連合国側の提示する条件を100%受け入れよ」・・・という意味に他なりません。曰く・・・
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・・・というもので、これらの条件を「無条件」で呑みなさいというのが、ポツダム宣言の主旨です。
この内容を確認して、ワタシとしては・・・というか、日本国民としては大歓迎に思えるワケですが如何でしょうか?ま、「言うことを聞かないと酷い目に遭うぞ」・・・という脅し文句はいただけませんが、戦争中のことですからね?相手の戦意を挫くために強い態度にも出るでしょう。
戦前、戦中の時代を生きてきた人であれば、「ポツダム宣言」の内容がよく理解できると思います。「日本は神の国である」・・・とか、「天皇陛下は現人神である」・・・とか、「神風が吹く」・・・とか、そういった荒唐無稽な教育を受け、そうした考えに異論を唱えた者はどうなったか?
それを思うと、非国民と非難されるのを覚悟で言いますが、「日本が戦争に負けて良かった」・・・とすら思えてきます。
確かに、アジアの植民地を欧米の支配から開放したという功績は讃えられて然るべきです。しかし、それが「皇国史観」に基づく行為でしかなかったら・・・つまり、「異民族」に対しても「日本は神の国である」・・・だとか、「天皇陛下は現人神である」・・・だとかの思想を強制することが可能であったか?
現実的に考えて不可能でしょう。各民族は独自のアイデンティティーを持ち、価値観を持っている以上、「皇国教育」は汎アジア的に広がるどころか、必ずいつかは反感を買い、反日感情に発展するのが目に見えます。
だからこそ、アジア各地の植民地が独立を果たしただけでも「善し」・・・に留めておいた方がイイのです。そしてワタシたちにとっても、誤った教育=洗脳から解放され、過去を仕切り直して新しい日本を建設する機会になったワケですよ・・・「敗戦」は。
LEGACY OF ASHES:「近衛上奏文と現神人(あらびとがみ)」
しかし残念ながら、敗戦処理・・・戦争犯罪人の弾劾と、好戦的勢力(戦争でイイ思いをした連中)の徹底的な追及と排除・・・が終了する以前に「朝鮮戦争」が勃発し、連合国側同士のエゴの軋轢に飲み込まれて、いつのまにかウヤムヤなままになってしまったワケです。
したがって、「戦後総括」が十分になされなかったのは日本国民だけの責任ではないのですが、日本国民が真に過去の過ちを反省し、もう二度と同じ過ちは繰り返さないと決意するのであれば、今からでも「戦後総括」を再スタートさせればイイだけの話です。
というか、今だからこそ「戦後総括」を再スタートさせる必要性を感じるワケです。というのも、やはり一番大きいのは、「福島第一原発」の事故と、それに連なる行政・メディアの対応のあり方を見ていると、戦前・戦中の日本と基本的に変わっていないんじゃないか?・・・としか思えないからです。
メディア・政府は言論統制・・・とまでは言いませんが、あきらかな情報操作を繰り返し、「安全神話」=「皇国史観」の教育を学校でも行い、軍閥、財閥が跋扈していたように、「原子力村」、「経団連」が事故の責任も取らず、そのうえ「TPP」だなどと「戦意高揚」しているワケですよ。負けているのに勝っていると言い張る「安倍(歪)内閣」と「大本営」と、どこが違うんですかね?
現在のような政治状況、社会状況が出来上がってしまったのも、「戦後総括」が中途半端で終わり、「形だけの民主主義」に甘んじてしまったからだと思うワケです。そして現在、その報い?として「福島第一原発」の事故処理・・・「核保有競争」の敗戦処理で、こんなにも苦しんでいるのだと思うワケです。
いまだに誰一人たりとも責任の所在を明確にしないどころか、原発事故という未曾有の事故の捜査も行われない異常な事態が続いているワケですよね?それどころか、この上まだ「原発を稼動しろ」・・・と言っているワケですよ自民党は・・・。オカシイでしょ?
それもこれも、大東亜戦争の敗戦総括が中途半端に終わったのが原因としてあり、同じ過ちを繰り返してはならないワケですよ。「原発事故」はキッチリとその背後関係も含めて検証し、責任者には相応の責任を取ってもらうのが、「本当の民主主義」への出発点になるであろうと思うワケです。
その一方で、地方に危険な原発を押し付け、快適な生活を享受し、それを当たり前だと思っていた都市部の人間も「猛省」しなければならないでしょうし、また、それができなければ「民主主義」なんて「絵に描いた餅」でしかないと思うワケです。
この、「第2敗戦期」とも呼べる現在の状況をどう総括するか?曲がりなりにも「戦後民主主義」を体現してきたワタシたちにとって、非常に重要な命題が目の前にあると言えますし、そのことをひとりひとりが自覚しなけれならない時代にあるワケです。次なる時代に「ブレーク・スルー」するためには・・・。
人間ナメんなよ!
でわっ!