2013年3月22日金曜日

食について考えた朝

   
 今朝、昨日のお店(Ha:ハー)にまたフォーを食べに行ってみたら、出されたフォーのスープが昨日と違い濁っていて、(1日ももたなかったか・・・orz)と、ガックリしていると、お店の女主人(ハーさん?)が、「どうですか?」・・・と、聞いてきたので、「昨日の方が美味しかったです。」・・・と、歯に衣着せず答えたら、「そうですか・・・。」・・・と、悲しそうな顔になってしまい(ま、当然か?)、もう少しソフトな言い方をすればよかったかな?・・・と。

 それにしても、昨日のアノ美味しさを知ってしまっただけに、今日の味との落差にこっちのほうが悲しいワケで、(ソノへんも分かってよ)・・・と、思っていると、「昨日、日本人のお客さんから、味が薄いと言われました。」・・・と。(オイオイ、ワタシも日本人なんですけど?)・・・と、思いつつ、考えてみれば同じ日本人でも、関東人と関西人では味の好みが違うワケだし、関東にしろ関西にしろ、その地方地方でまた独特の味覚を持っているワケです。

 関東は「濃い味」、関西は「薄い味」と大別されますが、関東人のワタシでも「薄い味」の美味しさは分かりますし、つまり、味の「濃い」、「薄い」は料理全体の造形であり、「旨味」はそれとは別なものではないかと思うワケで、味が「濃い」、「薄い」は料理の「入り口」であり、その奥に「旨味」があるかどうかが重要なのではないか?・・・と。

 前にも話したように、ワタシは「グルメ」でもなければ「食通」(同じか?)でもないので、これ以上はどう説明したらイイのかその術を知らないのですが、ま、「子供」のように先入観を持たずに料理を食べ、それで美味しければイイだけの話しです。

 そういうワケで、今朝のフォーは、(味を濃くしたせいで「旨味」を殺しているのではないか?)・・・と、思えたので、ついついストレートなもの言いになってしまったワケですが、その後に女主人(以後ハーさん)から聞いた言葉に、(我が意を得たり!)・・・と、ひざを叩いた次第です。曰く・・・


「雑貨屋のおじさんにも、同じことを言われました。」


 (でしょ?x ∞)・・・と、心の中で納得しつつ、本当に美味しいものは日本人だろうとベトナム人だろうと、普遍的に伝わるものなのだと、確信した次第です。

 (もしかしたら自分が「舌バカ」なのかも?)・・・と、多少不安ではあったのですが、フォーの本家本元のベトナム人が、同じことを言っているワケですよ(おじさんも「舌バカ」だったらアレですが)。

 で、話はその先に発展するワケですが、ベトナムでフォーを食べた経験のある人はご存知ですが、フォーを「素のまま」食べるベトナム人はマズいません。みんなテーブルにある調味料を好みで入れ、野菜なども自分勝手にトッピングして、「自分好みの味」にして食べます。



 もちろん日本でも、ラーメン屋などに行けば調味料がおいてありますが、基本は、「出されたものをそのまま食べる」・・・であり、ラーメンに限らずほとんどの料理が「料理する側で完結」していて、食べる側は「ただ黙って食べる」・・・というのが日本式?と言えるかも知れません。

 でも考えてみると、ナンか変な気もします。金銭のやり取りは一旦、脇に置いておくとして、料理人(料理)と食べる人の関係性だけに着目すれば、「王様と奴隷」の関係のようにも思えます。絶対的君主(料理人)に出されたものを、不平不満を言わずありがたく頂く。もしくは、絶対的君主(お客)が奴隷(料理人)にたいして、完璧な仕事を要求するとも置き換えられます。

 それにひきかえベトナム流の食事は、出された料理は「食事という行為」の中における「一要素」であり、料理に自分好みの味付けを加えることによって、料理を、自分の「食事という行為」の中に同化させ、その行為を経ることで、料理人とお客という「身分差別」も存在しなくなる。

 ・・・などと考えさせられたワケです。

 「いい仕事をしてますねw。」・・・などと、職人を誉め称えたりりますが、そこには「褒める側」と「褒められる側」の間に、無意識の「身分差別」が隠されている場合もあります。ワタシからすれば、


ふんぞり返って何様のつもり?


・・・とも、思えたりするワケですが。

 こうした「食の封建制度」とも呼べるものが、日本古来の文化なのか?それとも、やはり明治期に欧米から輸入された文化なのかは、その道の専門家にお任せることにして、じゃあ、日本にはベトナムのような「食の民主制度」らしきものが無いのかというと、そんなことはありません。

 みなさん、冬場は特に大好きなアレ、「鍋物」が日本にはあります。もちろん、ベトナムでも「鍋物」は大人気です。「鍋物」はスープと素材だけが用意され、あとは自分たちで好きなように調理して食べますが、これって「完成した料理」じゃないですよね?自分が調理に参加しているワケですから。



 したがって日本人にしても、ベトナム人と同じように「食の民主制度」を・・・「食事という行為」そのものを楽しむ文化風土を持っているワケですが、昨今は「グルメブーム」とやらで、乱暴な言い方をすれば、


「美味いものを食わせろ!」


・・・という、「食の封建制度」が蔓延っているのではないか?・・・と、たかだかフォーの味付けひとつで考えさせらた次第です。はい。


楽しく食事をするのが一番!


・・・ですよね?

 ま、ソレはアレとして、ハーさんのフォーが、以前の味に戻ることを願って止みません。





人間ナメんなよ!


でわっ!