「緑茶会」というフザケタ名前の脱原発政治連盟の呼びかけ人・賛同人として、プロジェクト99%の安部芳裕氏や、著書「東大話法」で一躍有名になった安冨歩教授が名を連ねているが、まず言いたいことは、脱原発運動を「みどり」だとか、「グリーン」だとか、
イメージ(抽象化)にスリ替える
のは止めていただきたい。・・・ということです。
脱原発をワタシたちが訴えているのは、それが「命に関わる問題」であり、いわば、血の通った深刻な問題であるからで、「みどり」だとか、「グリーン」だとか、そんな「爽やか」なものではなく、「肉体」と言うドロドロとした「粘液と汚物の塊」が、生きることを欲しているからなのです。
人間は・・・というか、生命活動とは新陳代謝の連続であり、そのためには弱い生物を殺し、それを捕食し、活動エネルギーに変換すると言う、避けられない業(ごう)を背負っているワケであり、そうした業を背負った上で、
それでも生きたい!
・・・と、足掻いているのが「脱原発」の本質であり、ワタシたちが生きること、生き残ることを真摯に願うのであれば、
生きるとは?
・・・ということについて、正面から向き合わねばならず、「みどり」だの、「グリーン」だのといった「イメージ」で、「お茶を濁して」はならないし、また、誤魔化されてはならないワケで、そのことを・・・
人間回帰
・・・という言葉で、クドクド繰り返してきたワケであり、したがってワタシは、「みどり」だの、「グリーン」だの、「イメージ先行形」のあらゆる政治団体、政治運動は一切信用していません。
彼らは、「イメージ=キャッチフレーズ」を売り物にしている「広告屋」と同類であり、宣伝文句は巧みですがその中身は無く、「イメージ戦略」によって「お客=有権者」を取り込もうとしている、旧いタイプの政治勢力に過ぎません。「数=力」と信じている、「権力崇拝者」に過ぎないのです。
そうした、旧い政治勢力を打ち破らなければならない時に来ているのです。
あえて名指しで批判しますが、プロジェクト99%の安部芳裕氏や安冨歩教授にしても、そうした旧い政治体質から抜けられない人たちなのか?・・・と、
ガッカリしましたわw。
新しい政治システムは、「群れる」ことではなく、「分散」することにある・・・というのがワタシの持論であり、それは「脱原発運動」が、首相官邸前の一極集中的な運動から、全国に分散していった過程とも符合します。
更に言えば、「脱原発運動」は、ひとりひとりの意識の内に帰結される方向にまで進む必要がある・・・ということです。
一個人として、「生きる」という事に正面から向き合った時、そこに「原子力発電」が自分にとって・・・自分の生活環境にとって、本当に必要なものであるかどうかは、「みどり」だの、「グリーン」だのといった「イメージ」の問題ではなく、己の血管を流れる「赤い血」に聞いてみるしかないワケですよ。
そして誰もに同じ「赤い血」が流れている事を思い起こせば、「みどり」だの、「グリーン」だのといった「陳腐」なイメージ戦略が、いかに「薄っぺら」なものであるかに気づくでしょう。
彼ら「イメージ戦略家」のすべてに「悪意」があるとは思いませんが、先にも述べたように、「広告戦略」として確信犯的にそれを行っている者もいるでしょうし、そうではなく、「善意」からそれを行っているのだとしたら、それは「旧い政治思考」に囚われていることの表れであると言えます。
「政党」、「派閥」を単位とする「封建型政治」ではなく、個々の「政治理念」を基盤とする「分散型」の新しい政治システムの構築が、今の日本には・・・というか、世界中で求められているワケです。
実際にそうした意識変化は世界各地で顕在化しつつあると見るべきで、そうした「分散化」された世界は、「グローバリスト」や「旧支配層」にとっては、非常に都合が悪いワケです。
中国:「環境デモ」相次ぐ 工場建設に反対、当局にも不信 2013年05月12日 【上海・隅俊之】中国上海市西部の松江区で11日、建設が計画される電池工場が環境汚染を招くとして、住民ら約700人が計画撤回を求めてデモ行進した。雲南省昆明市でも4日、1000人以上が石油化学工場の建設に抗議するなど、権利意識の高まりを反映したデモが相次いでいる。 (後略) |
それもこれも、「従順な国民」・・・と世界中から見られていた日本人が、福島での原発事故以降、2年以上も原発の運転停止と廃炉を求める運動を続けてきた結果、日本人の未来に対する・・・そして生存への真剣な想いが、世界中の人々(99%)に波及し始めたからであり、それは同時に、同じ人間としての普遍的な生命観が、「世界中のワタシたち」の心の中にあることの証明でもあります。
穿った見方をすれば、「みどり」だの、「グリーン」だのといった、「イメージの檻」の中に人々を閉じ込めてしまうことは、「グローバリスト」に利する結果しか生み出さないでしょう。
だからワタシは言いたいのです。「人間回帰」して、ひとりの人間になれ・・・と。ひとりになって「解放」され、そして「生きることの実相」と向き合い、命の普遍性を「足掛かり」として「孤独」を克服し、「人間関係」を、「社会環境」を再構築する時代に来ている・・・と。
同じ人間だろ?
・・・と、誰もが共有できる社会が必ず構築できると信じていますし、また、「人間の進歩」とは、そう在るものだと信じています。
で、話は「緑茶会」に戻りますが・・・というか、「緑茶会」からは少し脱線しますが、元衆議院議員で、脱原発に積極的に取り組んでいる平智之という方がおられます。
平智之 公式ホームページ
平氏は「緑茶会」の賛同人である安富教授の盟友でもあり、「脱原発」ということでワタシも陰ながら支持していたのですが、問題点は・・・TPP賛成派だということです。
それでもワタシの中では、「TPP」よりも「脱原発」の方が比重が重いので、平氏に期待する部分があったのですが、先日、「みんなの党」の渡辺代表との対談を見て、
こりゃダメだ・・・。
・・・という結論に達しました。
対談の中で平氏は、「みんなの党」が脱原発を明確に打ち出している・・・と、持ち上げていましたが、「みんなの党」の脱原発路線とは下記のようなものです。
みんなの党 エネルギー政策の見直し及びこれに関する原子力発電の継続について国民投票に関する法律(案) 第一条 (趣旨) この法律は、平成二十三年三月十盲に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う原子力発電所の事故(次条第一項において「平成二十三年原子力事故」という。)を踏まえたエネルギー政策の見直しが喫緊の課題となるとともに、原子力発電の継続が高い表的関心を有する問題となっている状況に鑑み、エネルギー基本計画(エネルギー政策基本法(平成十四年法律第七十盲)第十二条第表に規定するエネルギー基本計画をいうC以下同じC)の変更に係る検討及び当該検討の結果に基づきエネルギー基本計画が変更された場合における国会への報告並びにこれに関し国会が発議する原子力発電の継続についての国民投票等について定めるものとする。 第二条 (エネルギー基本計画の変更に係る検討等) 第1項 政府は、エネルギー政策基本法第十二条第五項の規定にかかわらず、平成二十三年原子力事故に関する評価を踏まえ、平成二十三年九月三十日までに、エネルギー基本計画に検討を加え、必要があると認めるときには、これを変更しなければならない。 第2項 エネルギー政策基本法第十二条第三項及び第四項の規定は、前項の規定によるエネルギー基本計画の変更について準用する。 第三条 (原子力発電の継続に係る案件についての国民投票の国会の発議) 前条第二項において準用するエネルギー政策基本法第十二条第四項の規定によりエネルギー基本計画の変更に係る国会への報告があった場合において、これに関し国民世論を把握するため、原子力発電の継続に係る案件について国会が国民投票(法律で定めるところにより、選挙権を有する者がその賛否の投票を行い、これを集計することにより国民の賛否を明らかにする手続をいう。以下同じ。)に付すときは、その議決により、これを発議する。 第四条 (国民投票の実施) 国会が前条の規定により発議したときは、国民投票を行う。 第五条 (国民投票の結果) 前条の国民投票の結果は、政府においてエネルギーの需給に関する施策を講ずるに当たって尊重されるものとするほかは、国及びその機関を拘束しないものとする。 第六条 (発議及び国民投票に関し必要な事項) この法律に定めるもののほか、第三条の発議及び第四条の国民投票に関し必要な事項は、別に法律で定める。 附則 この法律は、公布の日から施行する。 理由 東日本大震災に伴う原子力発電所の事故を踏まえたエネルギー政策の見直しが喫緊の課題となるとともに、原子力発電の継続が高い一般的関心を有する問題となっている状況に鑑み、エネルギー基本計画の変更に係る検討及び当該検討の結果に基づきエネルギー基本計画が変更された場合における国会への報告並びにこれに関し国会が発議する原子力発電の継続についての国民投票等について定める必要がある。 これが、この法律案を提出する理由である。 |
国民投票に原発の是非をかけるという時点で、政治家としての理念の希薄さが伺えますが、さらにいただけないのは、国民投票の結果、つまり国民の意思が、何ら政策に拘束力を持たないという・・・
フザケタ法案
・・・だということです。ハッキリ言って、
原発推進のアリバイ作り
・・・でしかありません。原発ゼロが聞いてあきれます。
.平智之 渡辺喜美代表に聞く。 みんなの党の脱原発政策 .
かかる「100%原発推進政党」を、「脱原発を明確にしている」・・・とは、イッタイどういう理屈?からなのか理解に苦しむワケで、所詮「脱原発」だの、「禁原発」だの、「原発ゼロ」は、
口先だけのパフォーマンスか?
・・・と。
であれば、平氏の盟友である安富教授が賛同人になっている「緑茶会」も、本気で即時原発廃止なのかソートー疑わしいものであり、プロジェクト99%の安部氏にしても同類と看做さざるを得ません。
早い話が、彼らはやはり・・・「旧い政治的思考」から抜け出せない人たち・・・にしか見えないワケですよ。
先にも述べたように、「封建型」の旧い政治システムでは先に進めないワケですよ。だからこその・・・「旧い政治システム」から抜け出せない・・・抜け出す気も無い「自民党」や「生活の党」の憲法改正案には、時代に対しての逆行性が見られるワケであり、「イメージ戦略」による囲い込みにも繋がるワケです。
新しい政治システムは「分散型」であり、その新政治システムを実行するには先ず、現在の政党政治を打破する、新らしい勢力の政治参画が求められるワケです。
そうした新しい政治勢力は、「政党」とは無縁の、「個人」の政治理念をシッカリと持った人物に拠るものであり、有望な無所属の新人が選挙にて不利益を被らないためにも、現行の
供託金制度
は欧米のように直ちに撤廃するか、フランスのようにその額を、小遣い程度にまで引き下げる事が急務です。
現在、「支持政党」を持たない有権者が大部分を占めますが、その弊害として、「既成政党」に対しての不信感、無力感に起因する「投票率の低下」が挙げられます。
それもこれも、過去の「政党単位」、「派閥単位」、謂わば「村単位」での旧い政治体質・選挙システムに原因があり、そうした「過去の悪習」を改める時に来ているワケです。
先ずは「供託金制度」の廃止。そうなれば、自己資金が無くて政治の表舞台に立てなかった有能な若者が、「雨後のタケノコ」のごとく名乗りを挙げることでしょう。
是非、今回の夏の選挙には、供託金制度の撤廃を実現していただきたいものです。
人間ナメんなよ!
でわっ!