2013年7月18日木曜日

獣たちの原理

  
 もうね?ストレートに名指しでいきますが、


武田邦彦教授は自由経済主義者


・・・ですなあ。


「節電」は国を滅ぼす・・・共産国より共産主義

「tdyno.298-(12:00).mp3」をダウンロード


 武田教授の論をざっくり言うと、「節約は自由競争を妨害する」・・・というもので、「自由競争が社会を発展させる」・・・と。

 そこで「節約」を否定し、「エネルギー」をドンドン使用しなさいとのことですが、なんか?論点がズレているワケですよ。

 「エネルギー」とは「仕事」の単位です。従来は「10のエネルギー」が必要とされた「仕事」が、現在では「1のエネルギー」で事足りるようになっているのに、わざわざ「10のエネルギー」を使う必要はありません。

 余った「9のエネルギー」を他の「仕事」に振り分けてもイイでしょうし、そうでなければ「9のエネルギー」の分の「資源」を消費せずに済みます。このことは「サイフの中身」と同じで、「エネルギー」を賢く使えば、「資源」を「財産」として後世に残すことができるワケです。

 「お金」と「資源」の大きな違いは、「お金」は無から作られますが、「資源」は使えば減るだけだということです。

 ワタシたちの生活は、地球に埋蔵された「資源」によって支えられており、それが如何に大量に存在していようと、


使えば減る


・・・という事実に変わりはありません。

 したがって、「資源」の使用量を減らすことは、「次の世代」のためにも取り組まなければならないことです。

 で、「資源」の使用量を減らす方法として、「節約」によって減らす方法と、「エネルギー単位」で減らす方法の、2通りがあるワケです。

 武田教授は「エネルギーの節約」という、この独立した2通りの方法・・・「節約」と「エネルギー単位」を、意識的に?混同してミスリードをしています。

 繰り返しますが、「エネルギーの有効利用」は産業界の技術革新の賜物であり、「節約」とは別問題です。「資源」の消費量を減らすことで、結果的に「節約」と同じ効果が得られるワケですが、「節約」が謂わば「後ろ向き」であるのに対して、「技術革新(エネルギーの有効利用)」は、社会にとって「前向き」であると言えます。

 その点を論ぜずに、「エネルギーの節約なんて止めなさい」・・・と、問題を混同させるのは、


全くおかしな話です。


 「エネルギーの有効利用」がもたらす未来とは、残念ながら、「余剰労働力」の発生に他なりません。「より少ない資源で、より豊かに暮らせる」・・・というのが、文明の進歩が向かう未来の姿であり、この前チラと見たTVドラマ・・・「ガリレオ2」の中で湯川教授?が言っていた、


「アポロ」に搭載されたコンピュータは、現代の「スマホ」以下の処理能力しかなかった。

・・・という言葉からも、ホンの10年前のPCと現在のPCを比べても、消費するエネルギーに格段の差があり、これが世界的規模で進行しているワケですから、全世界で一体どれだけのエネルギーの「節約」になったのか?・・・と。

 しかし同時に、エネルギー生産量も減る・・・とまではいかなくても、伸びる要素が年々減るワケですから、それに携わる労働力も伸び悩み、コンピュータが進化する過程で、失業者も生まれていたであろう事は、想像に難くありません。

 「節約」という行為が子孫のためになるか?・・・という点については疑問です。世界全体の人口は今後も増え続けるでしょうから、「技術革新」を置き去りにした「節約」だけの考え方では、遅かれ早かれ「資源の枯渇」に到達するのは明らかです。

 「技術革新」による「資源の有効利用」であれば、人口の上昇線に対して、一人当たりのエネルギー消費は下降線を描きます。したがって、ただ「節約」しているだけよりも、「資源の枯渇」に到達する時期をズッと後にすることができるワケですよ。もしくは、全く新しいエネルギーが開発される可能性だってあります。

 さて、ここまでで、「節約」と「エネルギーの有効利用」は別問題である・・・と、ご理解いただけましたでしょうか?そうした技術革新に導かれた近未来社会において必ず、


余剰労働力


・・・が、問題となるのは、文明の進歩に伴う不可避の事態であることを何度も述べました。

 翻って、武田教授の説である・・・「節約はするな=エネルギーを無駄遣いしろ」・・・というのは、究極的には


資源を無駄遣いしろ


・・・と、言っているのと同じであり、これは人類、文明の進歩とは逆行した考え方であると言えます。

 確かに、資源を無駄遣いしている限り、ある一定の「労働市場」は確保できるでしょう。しかし、それを何世代にも渡って確保できるのか?ワタシには「資源の枯渇」をより一層早めるだけのようにしか思えません。

 よしんば、「資源」がまだまだ潤沢に存在すると仮定しても、「技術革新」=「進歩」を忘れた放蕩三昧の姿は、「親の財産」を喰い潰すだけの、


金持ちのボンボン


・・・と同じであり、そんな呆けた「文明」を「善し」とするのですか?

 こうした「無駄遣い思想」は、自由競争論者、自由経済論者にとっては都合がイイでしょう。「個人消費」の自由は認められて当然ですが、1億人分の「個人消費」は、確実にそれ相応の「資源」を消費しているということです。そこで、「資源」の奪い合いが発生するワケですよ。「自由競争」の名の下に・・・。

 したがって「自由ナンたら」・・・という思想は、ある面では


好戦的な思想である


・・・と、看做すこともできます。

 そうした「資源」の奪い合いは国家間による「戦争」にも発展し、「NWO派」が常々提唱している


人口削減


・・・にも一役買うことでしょう。





 つまり、「無駄遣い」させ、「戦争」を引き起こし、「人口」を減らし、結果として「人口」と「資源」のバランスを調整する・・・といった、一連の流れが浮かび上がってくるワケですが、この流れの中で一番得をするのは誰なのか?

 先にも述べた通り、「技術革新」は「産業形態」に変化をもたらし、「余剰労働力」を生み出します。しかし何度も言いますが、これは「文明の進歩」による恩恵であり、「文明の進歩」を責める人はいませんよね?

 であれば、「余剰労働力」を吸収する「社会形態」に変化しなければならない・・・という事です。いままで100人でしていた仕事が10人で回るようになり、90人が「余剰労働力」となったとして、それでも企業の生産力と売り上げを維持・・・もしくは伸ばしているとするならば、企業が納める税金は以前と変わりません。

 したがって企業単位で見れば重要なのは「売り上げ(利益)」であり、従業員数ではありません。ということは、個人事業主や企業だけに税金を課すシステムであれば、政府は安定した税収を見込めるワケです。

 こんなことを言うと、「企業の競争力ガwww!」・・・と、目くじらを立てる人が多いワケですが、ま、現代人はそれだけ「競争原理」に毒されているということなんでしょう。イイですか?ワタシたちは人間なワケですよ?


競争原理とは獣の原理


・・・に他ならないワケで、どんなに言葉を飾ろうと、詭弁を弄しようと、本質は「獣の原理」に過ぎません。

 ワタシたちは遥か昔に「獣の群れ」を離れ、「人間」として生きる道を選んだワケでしょ?それなのにまだ「獣の原理」に縛られ続けているワケですか?

 ま、ワタシは学識も浅いので、「ヴィジョン」をより具体的に示すことはできませんが、ワタシより賢い人は星の数ほどいるワケです。そうしうた人たちの知恵を持ち寄るのが、武田教授が言うところの


集合知


・・・なワケですよね?違います?

 ところで、武田教授は現在の日本政府をして「共産主義」と捉えていますが、大きな間違いです。


独裁主義


・・・に他なりません。しかも、「金融独裁主義」・・・と、呼べる代物でしょう。






人間ナメんなよ!


でわっ!