「汎アラブ主義」をWikipediaで検索してみると、次のような説明がなされています。
汎アラブ主義
もともとは、第一次世界大戦前にオスマントルコ帝国の国力を弱めようと、イギリスが血気盛んなアラブの若者に吹聴した「策略」だったワケですが、彼ら・・・若きアラブの指導者たちが、「アラブ民族の自主独立」という純粋な理想に突き動かされたことも事実です。
オスマントルコ帝国の支配体制が緩やかであったとはいえ、その下には各地の王族の支配体制も敷かれており、そうした「二重の支配体制」の中で、欧米の進んだ社会状況に触れた若者たちが、「閉塞した状況」を打破したいと思うようになるのは、いたって自然な流れと言えます。
ま、若者はいつの時代もそう変わるものではありません。本質的には「無垢」な存在であり、現代の若者にしても、例えば何かと話題の「在特会」を支持する若者や、「右翼志向」の若者にしても、その行動の本質は
現状を変えたい!
・・・という、かつてのワタシもそうであったように、若者特有の衝動に駆られたものであると理解しています。
「反原発」にしても何にしても、運動に参加、またはそれを支持する若者は、「現状を変えたい」という心情においては「同等」だということです。
問題は、そうした衝動がどういった形で「発露」されるかであり、「自愛的」なものなのか?それとも「博愛的」なものなのか?・・・ということです。
で、イギリスはそうしたアラブの若者たちの心に入り込み、巧みにオスマントルコ帝国の弱体化を図るワケですが、「狡猾な狐」であるイギリスには、やはり「下心」も当然あったワケです。
イギリスは「汎アラブ主義」を焚きつける前に、多くの学者をオスマントルコ帝国支配下のアラブ各地に派遣し、各地の文化、歴史、部族、人間の関係性などをつぶさに研究した上で、おそらく・・・
アラブ統一など不可能である
・・・という結論に達したのでしょう。
収集したデータ、研究成果を用いれば、「アラブを自由にコントロールできる」・・・という確信を得た上で、「汎アラブ主義」を大義名分としてアラブの若者を煽り、オスマントルコ帝国の弱体化を成功させ、第一次世界大戦で連合国側を勝利に導いたワケです。
若きアラブの指導者たちが掲げる「汎アラブ主義」は、高尚な理想ではあるのですが、その実現に向けての「ヴィジョン」に欠けていました。結果を性急に求め、「社会主義」という安易な方向に流れたことで、後日、様々な混乱が発生し、「アラブの統一」も頓挫してしまったワケです。
イギリスは事前にこの事態を予測していたワケです。長年かけて収集した「アラブ地域のデータ」がそれを導き出しており、即ち、「汎アラブ主義」挫折の最大の原因とは、
アラブ人自身が、アラブについて無知であった
・・・ということです。
主に遊牧民族が暮らすアラブ地域のことですから、イギリスのように学術調査隊を派遣して組織的に調査しなければ、アラブの全体像はアラブ人ですら把握できないワケで、いうなれば「汎アラブ主義」は、
アラブの理解度
・・・において、イギリスに敗北したと言えます。
ワタシが歴史にこだわるのは、実はこの点にあるワケで、「外国人排斥デモ」や、いわゆる「右翼」と呼ばれる人たちの運動の行動原理となる「歴史認識」は、
本当に正しいのか?
・・・ということを自己検証しないと、イギリスに翻弄された「汎アラブ主義」のように、何処かの誰かの都合のイイように利用されるだけだ・・・と言いたいワケです。
で、いま正にそうした「歴史認識」が、イギリス、フランス、アメリカの、シリアへの軍事介入という局面でも問われているワケです。
イラクでの過ちを繰り返すのか?
・・・と。
未来を展望することも大切ですが、いまを生きるワタシに求められるのは
正しい歴史を知る
・・・という、自分の「足場」を固める作業です。これは日本だけに限らず、世界的規模での歴史の再検証も必要です。なぜなら、その時代々の権力者によって、多くの歴史が「捏造」されているからです。
そのことで世界各地で謂われ無き差別が生まれ、「支配階級」にとっては都合のイイ社会が維持され、その代わりにワタシたちは、「本来の人生の素晴らしさ」からは遠ざけられてゆくワケです。
「本当の歴史」を知ることによって、従来の既得権益を否定されたり、自己のアイデンティティーが揺らぐ人も現れるでしょうが、それを受け入れ、乗り越えるためにも、先ずは「ひとりの人間としての自分」に立ち戻り、「個としての限界」を理解したうえで、「個を包括する社会」を再構築する・・・というのが、
人間回帰
・・・の言わんとするところなワケです。
ま、ソレはアレとして、アラブ地域における問題には、次の4点が考えられます。
1.社会制度 2.宗教 3.人種 4.文明
社会制度は、「王制」と「非王制」の国に別れ、宗教は、大きく分けて「スンニ派」と「シーア派」という、同じイスラム教同士の対立構造があり、人種は、「アラブ人」、「クルド人」、「ペルシャ人」等々・・・と、雑多な民族が混在し、文明は、「シュメール」、「バビロニア」、「エジプト」と、そうそうたる文明が開花した歴史的な地域です。
こうした諸々の条件を統括する「アラブの統一」なんて可能なのか?・・・と、いう話になるワケですが、例え不可能に見えるようでも、それを見出さない限り、
借り物の歴史認識
・・・に踊らされ、「アラブの統一」はおろか、一国の国内安定さえ儘ならないのが、現在のアラブの状況のように見えてしまうワケです。
ご存知の方も多いと思いますが、「ユダヤ教」も「キリスト教」も「イスラム教」も、「同根」・・・同じ根っこから伸びた宗教なワケです。大雑把に言えば、
みんな「預言者モーセ」の息子
・・・な、ワケですよ。違うのはその「愛し方」であり、息子たちを平等に愛している「お父さん」が、息子たちが血みどろの争いを繰り返していることを知ったら、さぞかし悲しむでしょうなw。
そしてそこに、アラブの利権(石油)を目当てに多くの国が介入してくるような事態になれば、アラブの人にとっても「大きな悲劇」となるワケですから、アラブの若者たちには、「フイッター」だの、「フェイスブック」だのと浮かれる前に、
アラブについて勉強し直して頂きたい!
・・・と、お勧めする次第です。そして様々な相違を理解した上で、「何か」・・・そうした相違をも包括する「アラブ独自の遣り方」が見出せたのなら、「アラブの統一」・・・というよりも、争いの無い、平和な共存環境を構築できるものと信じています。要は・・・
知性の勝負
・・・なワケで、感情に流されず、過去、偉大な文明を育んだ先祖に恥じない、現代のアラブの若者の知性を発揮して頂きたいと願う次第です。はい。
シリアに平和を!アラブに平和を!
人間ナメんなよ!
でわっ!