2013年10月29日火曜日

性善説と性悪説

  
 人間の「本性」は「善」であるのか?それとも「悪」であるのか?・・・という命題は、幾世紀にも渡り洋の東西を問わず議論されてきました。

 ワタシ如きが、「偉大な先人たち」を差し置いてこの問に答えることなど出来ませんが、ひとつだけ確かに言えることは、


人間は過ちを犯す。


・・・ということです。

 どんな「善人」であれ「過ち」を犯す・・・という側面を持ち、それは、その人が「善人」であるか否かとは無関係に発生します。

 即ち、人間は神とは違い「不完全」な存在であるワケで、更に言うならば、「人間の原型」である「神」ですらも「過ち」を犯していることが、多くの神話の中で語られています。

 で、ここから「特定秘密保護法案」の話になるワケですが、「特定秘密保護法案」では、「特定秘密」を指定する「行政機関の長」の権限は絶対的とされています。まるで「神」のように。

 「特定秘密取扱者」の適性検査には厳しい基準が設けられていますが、責任者である「行政機関の長」には一切のチェック項目が無いのです。

 これは、「行政機関の長」を「性善説」の観点から規定し、


悪いことなどするはずがない!


・・・という、誤謬に基づく判断に拠るものとワタシは理解します。

 で、先の「前振り」に戻るワケですが、「善人」だろうと「悪人」だろうと、


人間は過ちを犯す。


・・・という事実を見過ごすことはできません。

 「特定秘密取扱者」の適性検査において「身辺調査」を執拗に行うのも、例えば「酒の席」で口を滑らせるだとか、身内に政府に批判的な人物がいるだとか、あらゆる可能性を考慮して「過ち」を未然に防ぐためですよね?

 それならば何故?そうした目的の頂点に存在する、「行政機関の長」が「過ち」を犯すという事態についても考慮しないのか?これは、


全く非論理的


・・・であり、かかる「非論理的」な思考に基づいて作成された「法案」が、「論理的」であるハズがないワケで、そもそも「法」というものは、「罰則」、「懲罰」に重きを置くものではなく、「過ち」を未然に防止するための「ルール」である・・・とも言えるワケです。

 ま、ワタシの独断に過ぎませんが、以上の観点を総合すると


「特定秘密保護法案」は「法」の体をなしていない。


・・・と、なるワケで、「非論理的な法律」がまかり通る社会って、


どwなのよ?


 というか、そんな「法案」を認めちゃダメでしょ?近代理性を身につけている日本人としてわ・・・。

 手短ですが、これにて。










人間ナメんなよ!


でわっ!