スーパーコンピュータの開発予算について雑感をば。
で、その前に、以前、「人はなぜエセ科学に騙されるのか?」
とゆう件についてイロイロ書いたワケですが・・・もう、ね?
「科学そのものに騙される。」
と、言っても過言では無いでしょ?
「地球温暖化」のカラクリ
が暴露されてしまった今となってわ!
危うく、「大きな奴隷船」に乗るところだった?
それもこれも、「科学原理主義」が幅を利かせるようになった
近代社会、教育の弊害ではないでしょうか?
科学的とは、「数字で表現できる」事の様に思うのですが、
それが高じると、現実世界と数字世界の反転を招き、
世界は数で表現できる。
とか言い出しちゃうワケでしょ?「数」が、「科学」が「真理」だと。
その弊害が、経済にまで波及しているのが問題ではないかと。
ムズカシイ事は分かりませんが、「虚」と「実」の境界線が
非常に曖昧なまま、ワタシたち現代人は生活しているのカモ?
(バーチャル感覚ってやつですか?)
本当の科学的思考とは、
イロイロな条件、要素を考慮し、
安直に答えを求めないものである。
と、ゆうのが件の先生のご意見でしたが、いや、そう思います。
みんなね、簡単に答えを求めすぎているんですよ。
現実の世界はゲームの世界(虚の世界)と違って、
攻略法なんて無い。
だからこそ、多少の不安を抱えながらでも生きてゆく精神力が、
今の時代には、特に必要なのではなかろうか?と。
もし、「自殺」や「薬物」依存が、「現実」からの逃避だとして、
でも、「現実」ってどこにあるの?
ましてや、「現実」をどこまで知っているの?
もし「現実」を知らずして、「現実」から逃れようってんなら、
「自殺」も「クスリ」も、何の意味も無いんじゃないの?
せめて、「現実」ってやつをキチンと知った上でないと、
「逃避」するとゆう行為すら、成り立たないんじゃないの?だったら、
「現実」ってやつを、まず確かめてみたら?
などと、無責任に?思ったりするワケですがwww。はい。
さて、前置きはこれくらいにして本題に。
(えらい長い前置きでしたwww.)
ガマンをすることでの進歩。
とゆう事を以前に述べましたが、そんなワタシから見るに、
予算をよこせとゴネている「科学者連中」は
非常に見苦しい。
彼の科学者連中は、ガマンをするとゆうことが嫌いらしい。
何が何でも、自分の研究のために予算をよこせと?
「学者」と呼ばれる人たちが、浮世離れした価値観を持っているのは、
まぁ、「ある程度」しょうがない事なのかも知れませんが、
にしても、彼らとて、「健全な社会」が存在するからこそ、
「自分の居場所がある」ことに、ナゼ思い至れないのでしょうか?
そりゃネ?「科学」が進歩すれば、
イロイロ便利になることは承知していますが、
この地球上に「原発」のような、
どうしようもないゴミばかり増やす
のが科学の「成果」だとしたら、そんな「科学」は要りませんです。はい。
「それなら無人島で暮らせ。」
と言われるのであれば、それもアリかも・・・
スーパー・コンピュータがナンボのものか知りませんが、
膨大な予算を、今、この時期につっ込むくらいなら、
その分の予算を困っている人たちの「救済」に当てた方が
どれ程この「社会にとって有益」か?小学生でも納得するでしょ?
しかも、生活を切り詰めてまで「研究」に没頭するほど純粋ならまだしも、
自分はン百万円の給料を貰いつつ、その上まだ研究費をよこせと?
スーパー・コンピュータがドウタラこうたらと熱弁を振るっている人たちって、
ワタシの目から見れば、立派な「科学原理主義者」ですわな。
で、か様な学者さんたちがいる一方で、この方↓の様なお方も。
WHO多国籍製薬会社を向こうに、ワクチン問題で大立ち回り。孤軍奮闘、日本人を守った沖縄人ウイルス学の権威・根路銘邦昭
「名も無きひとたち」の無償の努力によって、日本は、世界は、
かろうじて現在の姿を保っているとゆう事実を再確認しましたわ。
「科学者」とゆう人たちも、脳の機能は「一般人」と大差ないワケで、
脳のどの部位を使っているかで、人間の「個性」が分かれるのだとしたら、
「難しいことを考えるのが好き」とゆう個性ばかりが優遇されるのも
ま、「公平性」に欠ける話ではありますわな。「凡人」のワタシとしてわ。
「科学者」だろうと、「凡人」だろうと、
おなじ人間だろ?
とゆう視点がどうして持てないんだろう?
(我ながら今回も支離滅裂だわwww。)
でわっ!