昔読んだ本で「現代フランス詩集」とゆう本があったのですが、
(本の題名はウル覚えなのですが・・・)
その中の「ジャック・プレヴェール」の、「バルバラ」とゆう詩が
妙に記憶に残っているワケです。
多感な年頃(もちろんいまでも多感ですが)だったので、
「バルバラ」の中の、男と女の愛の姿にあこがれました。
好きな人の名を呼ぶ。
ただそれだけのコトで、幸せな気持ちになる。
そんな女性と巡り合いたいものだと・・・
ただ、「バルバラ」のなかで男と女は戦争によって
引き裂かれしまうワケですが、その悲しみを表すのが
雨
雨って、なんで悲しいんですかね?
ここで突然ですが、「第五福竜丸」の話を少し。
第五福竜丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第五福竜丸が被爆したのは1954年で、生まれる前の事ですが、
アメリカ、フランスはその後も南太平洋で核実験を繰り返し、
(世界は「冷戦」の真っ只中)
その恐怖から日本で「ゴジラ」の映画が製作されたのは知られた話。
(「ゴジラ」の対極にあるのが「鉄腕アトム」)
美しくも恐ろしいフランスの核兵器・核爆発実験(カノープス)の高画質画像
ジッサイ、ワタシが子供の頃、
「雨に濡れるとハゲになる。」
と、親に脅かされたものでした。雨に放射能が含まれているからと。
そういった事情で、子供心に雨に濡れたらヤヴァいと信じ込み
雨は忌まわしきものだったのですが、おかげで大きくなってからも
雨にはどこか「死」のイメージがつきまとう次第です。はい。
そういった背景もあって、「バルバラ」の中に降る雨に、
共感を覚えたのかも知れません。
バルバラ
イヴ・モンタン - ジャック・プレヴェール - ジョセフ・コスマ
思い出してごらん バルバラ
ブレストの町をきみは
雨の中を
笑みを浮かべ歩いて
いたね
思い出してごらん バルバラ
雨の港町
ぼくたちはすれ違い
ふたりで
微笑み交わしたね
思い出してごらん バルバラ
きみはまだぼくを知らず
ぼくはまだきみを知らず
思い出してごらん
思い出してごらんあの日のことを
そうだ
あの人がきみを見て
きみの名を呼んだ
バルバラ
きみは駆け寄る 雨の
中を うれしそうに
愛する人の方に
思い出して バルバラ
ぼくは呼ぶきみの名を
愛しい人たちを
一度出会っただけの
愛し合う人たち
あの日の恋人よ
思い出してごらん バルバラ
あの日
雨が降った
幸せそうな
きみの顔に
町に海に
船にも
やさしい雨が
おおバルバラ
バカな戦争が
ふたりを分けた
鉄の雨
火の雨が降った
きみをいとしく抱いた
あの人は
生きているのか死んでしまったのか
おおバルバラ
ブレストには
今日は不吉な雨が降る
つらく荒んだ雨が降る
嵐ではなく
悲しい雨
ただ雲だけが
野良犬のように
消えてゆく
流れてゆく
腐り果てて
遠く遠く遠く
すべて消えた。
「ただ雲だけが野良犬のように
消えてゆく流れてゆく
腐り果てて遠く遠く遠く
すべて消えた。」
この、最後の下りがね?何と言うか、人類が滅亡した後のね?
荒涼と続く世界を連想させるワケですわ。
ここで先の「雨」にまつわる自分の気持ちをこの詩に投影して
不遜は承知でちょっとばかり書き換えさせていただくなら・・・
おおバルバラ
バカな原発が
ふたりを分けた
ウランの雨
プルトニウムの雨が降った
きみをいとしく抱いた
あの人は
生きているのか死んでしまったのか
おおバルバラ
女川(原発のある町ならどこでも)には
今日は不吉な雨が降る
つらく荒んだ雨が降る
嵐ではなく
悲しい雨
ただ雲だけが
野良犬のように
消えてゆく
流れてゆく
腐り果てて
遠く遠く遠く
すべて消えた。
旧ソ連もねぇ・・・「ツァーリ・ボンバ」なんてトンデモ核実験するから
その因果として、「チェルノブイリ」の大事故が発生したんじゃないの?
そういえばアメリカも「スリー・マイル」の事故があったけど、
アメリカもさんざん南太平洋で核実験やったからなぁ・・・
周辺の島民のウラミをかってもおかしくないわな。
そうすると・・・残るはフランスか?核実験の報いを受けるとしたら。
最近、ワタシが以前危惧したことが現実となりそうなので、
ちょっと憂鬱な今日この頃ですわ・・・
でわっ!