2010年5月4日火曜日

都市と農村

 タイの現在の状況を平たく言うと、都市部と農村部の対立とも言えます。が、この対立は何もタイだけに限らず日本にも当てはまります。

 新聞・ネットのタイ関連ニュースを見ると、富裕層(特権階級)と貧困層(労働階級)の対立のようですが、視野を広げれば、富裕層とは都市部の人たちであり、貧困層とは農村部の人たち。つまり、都市化の恩恵を受けている人たちと、都市化から取り残された人たちの対立とも見て取れます。

 その様に見れば、沖縄の基地問題にしても、原子力発電所の建設問題にしても、そこには都市部の人間の、農村部に対する「軽視」があるようにも思えるワケです。

 そもそも都市部の生活を支えて来たのは農村部のはず?食料の供給地として、労働力の供給地として農村部の存在は不可欠だったはず?日本の高度成長時代を支えたのは、農村部から「集団就職」で上京してきた若者たちの労働力だったはず?

 ワタシの地元である多摩も農村部です。ただ多摩は昔から領主不在の自治地区だったので他の農村部とは多少事情が異なるのですが、農村部と云う「封建体制」は全国共通のものだと思います。

 基本的に家の跡取りは長男で、次男以下は外に出なければならない。土地をたくさん持っている裕福な農家であれば田畑を分けることが可能ですが、そうでない場合は別な仕事に就かねばならず、不本意ながらも住み慣れた土地を離れ、仕事を求めて都市部へと向かうワケです。

 してみると都市部は、「故郷を追われた人々」によって構成されているとも言えるワケです。ま、その他にも封建的な農村部を嫌い自ら都市部へ向う人もいるでしょうが・・・

 故郷・田舎を追われた身であるが故に、農村部に対して恨みこそあれ、農村部を発展させようと云う気が起きないとしても、まあ、それは農村部の封建的な体制が自ら蒔いた種なのかも知れません。

 しかし人間は食べなければ生きていけません。したがって食料の供給地となる農村部を、軽視するワケには行かないことにご同意していただけるかと。であれば、「農村部=食料供給地」を今後どう維持していくかを考える必要がある事にもご同意していただけるかと?

 ワタシが反原発なのも、ひとつに「安全な食料供給地の確保」と云う視点があります。海外に住んでいる日本人が実感する事のひとつに、「日本の豊かな自然・生態系」があります。そしてその恩恵によって、日本人の生活の維持(食料自給)が可能であったことも。

 然るに、その恩恵を自ら放棄せんとする原子力発電所の増設と云う愚行をなぜ?今の政府が奨励するのか?ワタシにはトンと理解できません。「右」だろうが「左」だろうが「親米」だろうが「親中」だろうが「ナン」だろうが「カン」だろうが・・・

食わなきゃ死ぬ

 という現実を曲げることは出来ません。

 「お金」と云うものは確かに「便利」です。「お金」があれば欲しい物を手に入れることが出来ます。しかしくどいようですが、「お金は食べられない」のです。「お金」は等価の品物と「交換」することで、初めてその役割を果たすのです。では交換する「物」が無くなったら?

 お金を持っていても無意味

 「現物」・・・食料なり原料なりエネルギーを持っている国が最終的には強いワケです。然るに、これらの中でも最も重要な「食料」の供給源たる「日本の豊かな自然」を、ナゼ?どおして?WHY?自ら放射能汚染するような愚策を取るのか?

全く理解不可能

としか言いようがありません。自殺願望?でもあるんですか?日本の企業家は?ゆっきーは?ワタシは空腹でジワジワ死ぬなんて御免こうむりたいですわ。はい。

 原子力発電で金儲けなんてヤメヤメ。他にもっといくらでも素晴らしい技術を日本は持っています。世界を滅ぼす様な技術ではなく、世界を活かす様な技術を。云うなれば・・・

殺人剣ではなく、活人剣

 のような技術を世界に広めるのが現代の日本の武士道かと。

 で、その第一歩。食料供給地に対する認識の共有ために、「都市部」と「農村部」の「和解」もしくは「融合」がこれからの課題になるのでは?と、思う次第です。具体像は見えませんが、例の「高速道路無料化」はひとつのキッカケになるのかな?・・・と。


でわっ!