この秋スタートしたTBSのドラマで、「SPEC(能力)」というドラマの第一回放送を観てナカナカ面白かったので、ドラマの中の未詳事件特別対策係係長の台詞、「ピンフ、ピンフ、(平和、平和)」をタイトルに使ってみました。
ストーリーの展開は、超能力者による犯罪をやはり超能力?を持つ女刑事が追い詰める。・・・となるのでしょうが、超能力に対する考え方、捉え方が旧来とは少し違い、脳生理学的見地からその実在を前提にしているところが斬新かと。
で、実はワタシも超能力・・・と言うか、常人以上の能力(SPEC)を秘めた人間が、実はこの世界には結構いるんじゃないか?と思っているクチなので、ワタシには無い能力を持っている人が、まあ、羨ましいです。ジッサイ。
そこで超能力の無いワタシのヒガミと言ったらナンですが、身体的な超能力(第一話)?はひとまず置いといて、予言とか念力とかいった「因果律」を無視した現象について思った事を少し・・・。
或る現象が発生するという事は、現象を生成する「場」が存在しなくてはなりません。ワタシが何も無い場所を、いくら力いっぱい腕押ししても何も起こりません。そこにワタシの力を受け取る何かが存在する事で、初めてワタシの「力=働き」が現象として表れるワケです。
と云う理屈から言えば、超能力が存在するという事実(あくまでもワタシの中で)から導き出されるのは、ワタシたちの周囲には超能力を発生させる「場」が遍在しているという事ではないでしょうか?
そこで「場」の候補として挙げられるのが「エーテル体」なのですが・・・。アインシュタインも初期の頃はエーテル体の存在を考えていたようです。しかし、その存在が証明が出来ない事から否定派にまわり、それによってニュートン以降、エーテル体の存在は無視されてしまいました。
しかし、証明出来ないから存在しない。と云うのも科学者にあるまじき短絡的思考の様にも思います。「ま、ひとまず後回しにしようか?」・・・で、良かったんじゃないか?・・・と。
込み入った物理学的話は、京大物理学部卒の当麻刑事に任せるとして、エーテルがどうこうではなく、超能力などの超常現象が発現する「場」が確実に存在するという事実に目を向ければ、いずれ超能力とかオカルトとか呼ばれるものの類は「場」の解明によって、誰もが自動販売機でジュースを買うが如く、いたって日常的な風景に変わるんじゃないでしょうか?(そうなると所謂「超能力者による犯罪」も日常的になるのでしょうが。)
ま、ワタシのような凡人は、その「場」にアクセスする方法を知らないワケで、超能力者と呼ばれる人たちは、本能的にアクセス方法を身につけたんだろうなぁ。でも、「場」の存在が解明されれば、次のステップとして「場」へのアクセス方法も解明されるんだろうなぁ。・・・などと思った次第です。はい。
でわっ!