「私の闇の奥」の管理人氏、おそらくワタシなんぞより遥かに人生の先輩であられる氏の最新記事、「西日本新聞を讃える」の中で紹介されている、吉田健正氏の近著『戦争依存国家アメリカと日本』という本の題名から、何故?アメリカが戦争依存なのかを考えてみるに、そもそも「戦争の目的」という根本的な命題に、改めて向き合わなければと思った次第です。
「戦争」とは何なのか?表面的に見れば「国と国との殺し合い」ですよね?その動機、過程を言葉でどう取り繕おうが、結果として
国と国との殺し合い
に他ならないワケで、そして多くの場合、「弱い国が、強い国に敗れる。」ワケでして、必ずしも「悪い国が、善い国に敗れる。」ワケではありませんよね?力の強い者が弱者をネジ伏せるという、近代理性とやらから見れば、全く野蛮な行為ですわな。
では何故?そのような野蛮な行為を、人間は・・・というか、この世界は繰り返すのか?韓国の執拗な軍事演習にしても、中国が提案しているように、先ずは「話し合い」をしてみるべきなんじゃないんでしょうかね?それを、「話し合う必要は無い。」と突っぱねてしまっては、韓国の理性が疑われるんじゃないでしょうか?その他の多くの国に。いわんや北朝鮮にすら、「相手にしてられまへん。」とあきれられるようじゃ、イッタイどっちが「悪の枢軸」だか・・・。
「戦争」するって、そんなに「オイシイ」ことなんですかね?え?ここで戦争のもたらす恩恵?について考えてみるに、ひとつに「戦後復興事業」が挙げられますか?戦勝国側にわ。なんせ戦争によって多くの施設が破壊されつくされるワケですから、新たにインフラ整備し直さなければなりません。そしてそれは戦勝国側の企業利益に繋がる?・・・と。
次に敗戦国に乗り込み植民地化することで、敗戦国内の資産を思うがままにできますかね?かつて西欧諸国がアフリカやアジアでやってきたように。
現在は「国連」という機関があり、勝手に戦争を始めると批難を浴びますが、あくまでも建前のハナシで、国連の常任理事国が先の大戦の「戦勝国」で占められている実態を見れば、所詮、「世界は力関係の中に在る。」に過ぎないのかも知れません。
で、「戦争の一番の目的」は、ワタシ思うに「利益」の為ではないかと。誰も見返りの無い事はやりたがりません。人も、国も。そこに確実な利益が見込めるからこそ、「戦争」をしたがるのではないでしょうか?勿論、戦争に勝つ事が大前提ですが・・・。
だだし例外的に、戦争に勝とうが負けようが利益を得る人たちもいます。戦争に必要な武器を供給する「軍需産業」であったり、戦費を貸し付ける「金融機関」などです。なんせ戦争にはお金が掛かりますからなwww。イザ戦争が始まれば戦費をバンバン融資して、世界中の金融機関は大喜びでしょうなあwww。更には、先に述べたような「戦後復興事業」に投資して、お目こぼれに預かる利益も見込めますからなwww。
戦争やってくれwww!
と、密かに願ったとしても・・・さもありなんですわ。はい。
詰まるところ、何故戦争が起きるか?というと・・・
現在の経済システムの致命的な欠陥
を埋め合わせるため、帳尻を合わせるために「戦争」が起きるように思えるワケですわ。ワタシにわ・・・。考えても見てください、
永遠の右肩上がりの経済成長
ってやつが、自然の摂理に適っていると思います?この地球上には有限の資源しか存在しません。経済活動・・・いわゆる人間の消費活動を無限に・・・右肩上がりに増長させていったその先にあるのは、「資源の枯渇」に他ならないでしょう?また、建造物などの社会的なインフラは、一度建造してしまえば20~30年は新たな需要が生まれません。
右肩上がりの経済成長が意味するものは何か?永遠に利益を生み出し続けなければならない、現在の経済システムの矛盾です。しかしジッサイ問題、自然な経済活動の中では発展には必ず限度があるはずです。なぜなら、人間の欲望=生理的欲求にも限度があるからです。一回の食事の量にも限度がありますし、一度に運転できる車は一台だけです。体ひとつしかありません。
どんなにテレビCMで消費意欲を煽ろうが、需要が満たされれば、商品が社会に行き渡れば、いつかは消費活動も頭打ちになるのが自然の摂理ですが、経済(金融活動)は自然の摂理を越えた処に在り、無限に成長し続けなければならない宿命なのでしょう。元々が無から(バーチャルで)成り立っているに等しいシステムなワケですから。
そ・こ・で、その矛盾を解消するために「戦争」を起す必要が生まれるワケです。一度積み上げた積み木を崩し(チャラにして)、もう一度、最初から積み直すと言う行為を繰り返す事で、経済システムの矛盾をごまかし続けてきたワケです。世界が安定していては、新しい需要が生まれない。・・・という理屈です。
世界が一部の人間の手に握られていると「陰謀論」などで言われますが、「戦争」の問題に関して言えば、現在の経済システムに関わっている全ての人も、その「責」を担っていると言えるワケで(勿論ワタシも・・・)、その事実を先ず自覚する事が、「新しい時代」を迎えるための第一歩ではなイカ?・・・と。
己の矛盾を自覚し受容れる事には、葛藤が伴うはずです。しかし今はただ、「自覚」するだけでも充分でしょう。従来の生活をいきなり変えることは不可能でしょうし、自分の生活にも混乱を招くだけです。ま、その混乱を最小限に留める為の「社会」でもあるワケですが・・・。
一番大切なのは「潜在的な意識」だと思うワケです。大きな社会の変革が訪れる時、庶民の「潜在的な意識」が発端となるのは数々の歴史的な史実です。ベトナムにしても、「ドイ・モイ(刷新)」と呼ばれる経済政策の基礎は、農民の中から自然発生的に生まれたとの事です。 要は、
機が熟すのを辛抱強く待つ
のがワタシたち庶民のスタンスなのでしょうが、その為に一人一人が意識の変革をし、革命家の如く日常生活に身を置き機を伺う・・・。
誰もがゲバラ
というのは思いつきの例えではなく、誰もが実践できる簡単な事なのです。(自覚すればのハナシですが・・・。)
で、アメリカが何故?戦争依存症なのか・・・、一言で言えば「金融関係者のご都合によって振り回されているから。」でしょうな。・・・たぶん。ま、ワタシのようなド素人の戯言より、先に紹介した『戦争依存国家アメリカと日本』のご購読をお勧めしますwww。
でわっ!