2011年12月20日火曜日

生産効率と消費効率


 このたびの「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。



 えmmm、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記が逝去されたそうで、前回、朝鮮半島の統一についてチョコッと触れたのでビックリしてます。形式的ではありますが、


心から哀悼の意を表します。


死んでしまえば、みんな「仏様」ですから。

 ま、それはそれとして、逝去の知らせが早いですよね?イメージとしては、暫く事実を伏せておく事も考えられるのに、何故ありのまま?をスグに報道したのか?・・・と、そこに興味がわきますなあ。つまり、金総書記亡き後の準備は既に出来てるんじゃないの?・・・と。


<転載>

金正日・北朝鮮総書記死去:韓国、弔意表明で苦慮 深刻な政治対立に発展か

 【ソウル澤田克己】韓国の李明博(イミョンバク)政権が、北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記に対する弔意表明を巡って難しい判断を迫られている。対北朝鮮包容政策を取った金大中(キムデジュン)、盧武鉉(ノムヒョン)両政権の関係者らが弔問団派遣に前向きな一方、保守派は強く反発。韓国内で深刻な政治的対立に発展する可能性が高く、来春の総選挙にまで影響を与えかねないからだ。

 韓国メディアによると00年に金総書記と首脳会談を行った金大中元大統領の李姫鎬(イヒホ)夫人は、元大統領の葬儀(09年)に北朝鮮が弔問団を送ったことから「弔問するのが道理だ」として自身が弔問する意向を表明。元大統領側近だった朴智元(パクチウォン)議員も「朝鮮半島の緊張を緩和するためにも派遣すべきだ」と主張した。

 北朝鮮は09年に自殺した盧前大統領の葬儀には弔電を送ってきており、前大統領側近らが集まる盧武鉉財団も北朝鮮に弔電を送ることに前向きだ。一方、韓国統一省報道官は19日の会見で弔問問題については「何も決まっていない。関係省庁で協議中」と口を濁した。

 一方、政界の反応は複雑で保守与党からも理解を示す声がある。ハンナラ党の元喜龍(ウォンヒリョン)前最高委員は毎日新聞に、「無制限に許可することはできないが、李姫鎬夫人が行くというなら止めるべきではない」と話した。

 94年に金日成(キムイルソン)主席が死去した際にも、韓国では弔問団派遣を巡って保守派と進歩派が対立した。当時の金泳三(キムヨンサム)政権は結局、派遣を許可せず、北朝鮮側が猛反発。南北関係はその後、数年間停滞した。

 北朝鮮は「外国からの弔問を受けない」と発表しているが、韓国は「外国」には当たらないと見られている。北朝鮮は金主席死去時も、外国からの弔問を受けないとしていた。

毎日新聞 2011年12月20日 東京夕刊

</転載>


 韓国ぅmmm、小っちぇえなぁmmm。


 さて、金総書記の訃報の件はこのくらいにして、このところ武田センセイが「節電」について熱く?語っておられるのですが、どうやら節電を「道徳」の問題として捉え、実社会・・・特に、日本においては実質的に何のメリットも無いという事を仰りたいようです。


2011現代環境論本論4. (挿入編)節電は意味があるか?

「takeda_20111219no.340-(7:08).mp3」をダウンロード


 確かに「節電」とか「節約」とかは、或る「制限された状況下」においてのみ有効な考え方かも知れません。従って、「弱者に皺寄せ」が来るような「節約」を求めるのは、「如何なものか?」とワタシも思いますし、少なくとも公共の施設では、全ての利用者に快適な環境を提供すべきでしょう。だってみんなの「税金」による、みんなの為の施設なワケですからね?

 ただワタシが思うに、道徳的問題の側面が色濃いにせよ、「節約」という考え方にも一理あります。事、電気消費に限って見れば、「省エネ」という産業分野が確立されたのは事実です。つまり、「技術のイノベーション」に貢献したと。

 10年前の家電に比べて現在の家電の消費電力が半分以下になったとしたら、それは「消費効率」が上がったという事。即ち、「技術力が向上」したと言えます。


<転載>

「最新の冷蔵庫は10年前と比べ約43%省エネ」、JEMA調査
~家庭にて消費電力量を実測。容量も約16%アップ

 JEMA(日本電気工業会)は、最新の冷蔵庫と約10年前の冷蔵庫について、実際の家庭にて省エネ効果に関するモニタリングを実施。その結果、最新機種は約10年前の機種と比べて、年間消費電力量を平均で約43%削減できたという調査結果を発表した。

<後略>

</転載>


 もし、電気は好きなだけ使えるとみんなが高を括っていたら、だれも節電技術を開発しようなどと考えないでしょうし、エネルギーの「消費効率」も改善されないままです。大袈裟に言えば「技術の停滞」とも言えます。

 因って、技術革新の「モチベーション」としての「節約」という考え方であれば、ワタシは十分にその意味があるように思う次第です。はい。

 また、今後も更なる技術開発が進み、各家庭、各工場などに於ける消費電力が低減されれば、それこそ、


原子力発電所は要らなくなる


のです。

 また、消費側の改善に加えて、生産(発電)側の効率も上がれば・・・燃焼効率、タービン、モーター、配電網等・・・の技術革新が成されれば、発電所の数を少なくすることさえ可能です。

 もしくは発電所の小型化が進み、より地域に密着した電力網も構築できるでしょうし、その究極が「自家発電」になるワケです。

 恐らく、人類が核物質を完全に制御するよりも先に、既存の技術の改良の方が実現されます。なにしろ「ベース技術」の蓄積は既に十分にあるワケですから。

 であれば、武田センセイにも少しは「節電」「節約」の意義をご理解して頂けるんじゃないですかね?翻って、やはり原子力発電には当面明るい展望は開けそうも無いので(使用済み核燃料の問題とか)、早々にお引取り願うしかないでしょうな。

 以上。「生産効率」と「消費効率」のハナシでしたmmm。


人間ナメんなよ!


でわっ!