2011年12月27日火曜日
P波とS波
このたびの「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。
地震そのものをリアルタイムで観測する計器として「地震計(振動計)」があります。基本構造はいたってシンプルです。つまり、誤魔化しようがありません。そして過去に発生した地震の記録から、地震の伝わりには「P波(縦揺れ)」と「S波(横揺れ)」があることが確かめられました。コレは前回引用させて頂いた「海の研究者」サンが示すところの、「野外観測」の部位に当たります。
ところが今回の「東日本大震災」では「P波」の後に続くハズの「S波」が現れず、「P波」を根拠とした気象庁の地震予報がことごとく外れ、従来の「地震予報体制」の信頼性が揺らいでいます。ちなみにイタリアでは、地震発生の評価を見誤った科学者が過失致死罪で告訴される事態となっていますが、日本の科学者も、「想定外」などと責任逃れしてる場合じゃないでしょ?
気象庁HP
地震予知について
ワタシだったら「気象庁」の予算を大幅に削減しちゃいますね。多額の税金をムダ使いし、その上に地震で多くの被災者が出たワケですから、「気象庁」の全職員はその事実を重く受け止め、自発的に予算を返上してもイイくらいです。ま、日本人は優しいですから?イタリアのように科学者の告訴にまでは至らないでしょうが、「知識」を行使するというコトは、同時に「責任」も生じるというコトを肝に銘じて頂きたいものです。
偉大な力には、偉大な責任が宿る。
「スパイダーマン」でのベンじいちゃんの言葉ですが、いまの日本には「力=権力」を弄ぶだけで、「責任」を果たさない連中が多いようです。東電の値上げにしても、契約者に対して一方的な「力」の行使のみで、原発事故を起こした責任とか、安定した電気(電気料金を含む)を供給する責任感が全く見られません。
<転載>
東電値上げ要請 上乗せ「総原価」手つかず
東京新聞 2011年12月23日 朝刊
<抜粋>
だが、東電管内のほとんどの家庭や企業は、東電から電気を買わなければ生活や営業ができない。原発事故の対応に批判が消えない中での西沢社長の発言は、それを見越したものといえる。
</抜粋>
</転載>
みんな自分の仕事持っています。八百屋は八百屋、魚屋は魚屋、パン屋はパン屋、みんな自分のやるべきことをやり、社会と連携しています。それは「学者」と呼ばれる人たちも同様なハズです。「学者」の本分、「政治家」の本分は、
世の中をより良くする
コトに尽きるワケでしょ?もっと広い目で見れば、世の中を悪くしようと仕事に励んでる人なんていません。八百屋にしても魚屋にしても、新鮮で安全な食材を販売してみんなに喜んで貰いたいと仕事に励んでます。みんなに喜んで貰えなければ、みんなのお役に立てなければ、生活が成り立ちませんからね。
話が逸れたので戻します。このところ地震について考えていたのですが(夢にまで見ました)、当然ワタシが考えてドウコウなる問題ではありません。然るべき「専門家」に任せるしかないワケですし、また、本人もそれを望んでその道を選んだのですから。
八百屋になりたい人が八百屋になり、学者になりたい人が学者になる。仕事は違えども目指すところはひとつです。
人の役に立つ
この基本を踏み外した「仕事」に何の意味があるでしょう?「仕事」に励むことによって社会がドンドン不幸になるなんてバカげてます。
ああ・・・スミマセン。また話が逸れました。P波とS波の話だったんです。と、いうか、「海の研究者」サンが示してくれた、地震予知における3つの柱(観測・理論・実験)について言いたかったワケです。
各種計測器、およびフィールドワークによる地層、宏観異常現象の記録。地質学、火山学などによる大地の造成活動の研究。地球物理学、天体物理学などによる理論的推察・・・。
これらの研究者が協力し合い、お互いの成果が噛み合わないと、地震発生のメカニズムは解明できないだろうと言いたかったワケです。ズイブン遠回りになりましたが。
で、下の図のような縦割り関係は、まさしくニーチェが言うところの
蛭の脳髄の研究者
の言に通じるように思えたワケです。
彼の研究者は言いました(ウル覚えですが)。「世界がどうなろうと知ったことか。ワタシには、蛭の脳髄研究という自分の立脚点がある。どんなに小さな立脚点だろうと、自分が立てる場所があればそれで十分なのだ!」・・・と。
これって研究者のエゴでしかありません。自分の保身の為に、自分の好奇心の為だけに「蛭の脳髄」を研究しているワケで、いうなれば「趣味」。
「趣味」は「趣味」で否定するつもりはありません。ワタシにだって「趣味」はありますから。しかし、研究者として給料を貰い禄を食むのであれば、それはリッパな「仕事」です。しかもそれ(給料)が税金から出ているとなれば尚の事。自分自身のエゴを捨て、
人の役に立つ
成果を目指して貰わなくては、「税金ドロボウ」と呼ばれても致仕方ありませんなあ。
<転載>
2011現代エネルギー論12. 易しく話すことと難しく解説することの差
ここまでエネルギー問題を優しい言葉、つまり科学的用語や計算を使わずに進めてきました。特に自然エネルギーなどはエネルギー密度が大切なのですが、それにもあまり触れずに考えました。私がなぜそのような方法をとったのか、その意味はどこにあるのかについても触れます。山片蟠桃の「大知」という概念も考えます。
「takeda_20111225no.348-(6:28).mp3」をダウンロード
(平成23年12月18日(日))
</転載>
ま、シロウトの「大知」よりは、専門家の「大知」の方がより優れているだろうとは思うワケで、「学者」の人間性も問われるんじゃないですかね?
人間ナメんなよ!
でわっ!