2012年1月4日水曜日

レッドオーシャンを往け 2


 昨年の「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。



 ま、ワタシも、いつ潰れてもおかしくない零細自営業の端くれなので、商売の苦労は身に染みています。だから他人の商売に口を挟むのは、同じ苦労を味わっている身としては憚られるのですが、それもこれも、


フェアな競争


という原則があっての話です。

 東京電力を含む電力各社には競争相手が無く、「独占市場」を形成しそれを貪っています。かかる市場においては、消費者・利用者は「選択の自由」を奪われ、多大な不利益を被ります。また、談合などで、自由競争や各社の自主性を規制する各業界団体の体質も同様です。

 商売を営む以上、少しでも利益を増やしたいという気持ちは痛いほど分かります。し・か・し・・・


お客様あっての商売。


 直接的に顧客、エンドユーザーと対面しない大企業のサラリーマンは、会社から「給料」を貰っていると錯覚しがちですが、「給料」の原資は「売り上げ」であり、顧客が離れてしまえばそれでオシマイです。

 だからこそ商売人は顧客を失わないよう、如何に顧客を満足させるか「胃が痛む思い」をするワケだし、それが本来のレッドオーシャン=競争と言えるワケですが、常に他者と切磋琢磨し合うという環境(ストレス)に耐えられず、「癒着」だとか「手抜き」だとか、あとワケの分からない「付加価値」とかに頼りたくなる気持ちも、ま、人情かと。

 ところで、確か宮本武蔵は「五輪の書」の中で、「女であろうと百姓であろうと商人であろうと、「覚悟」を持って生きる者は「侍」である。」と、論じていたと記憶してますが、当時の「覚悟」とは何を意味していたのかを考えるに、真っ先に思い浮かぶのは「死」の一文字です。で、ワタシ思うに「覚悟」の在り方とは、


「死」から逆算して自分を見つめる


ことではなかろうか?・・・と。当時は今よりずっと寿命=人生が短かったワケですから。

 誰もみな、死んでしまえば火葬場に送られて「一握りの灰」になるだけです。そこには身分も人種も関係ありません。ある人種は火葬にすると砂金になる・・・なんて話、未だ嘗て聞いたことがありません。強いて言えばチベットでは「鳥葬」ですから、死んでから後も鳥の役に立っていると言えますが・・・。

no music no life 忌野清志郎



 ま、それはどうでもイイのですが、「死」から逆算して今の自分の存在を見つめ直すこと、その際に、「自己中心的」に自分を見るか、それとも「全体の一部」として自分を見るかで、生き方は大きく違うでしょう。


どうせ死ぬんだから、
好き勝手してやる!



と、考える人もいるでしょうが、「好き勝手」をするなんて実質不可能なワケですよ。

 人は生きて行く為に「食べ物」を摂取しなければなりません。寒さを凌ぐ為に「衣服」を着なければなりません。快適な生活をしようと思ったら、更に多くの日用品が必要になりますが、自分ひとりでそれら全てを賄うことが出来るでしょうか?


無理ですよね?


何処かの誰かが用意してくれた物が無ければ、快適な日常なんてとても送れません。

 つまり文明とか文化的生活というのは、多くの人の分業で成り立っているワケです。様々な産業・商業の相互補完の上に成立しているのです。例えば電力会社に勤務する人にしても、日常生活は多くの産業製品のお世話になっているワケです。

 極端な話、電力料金の値上げで金属加工産業の生産力が低下し、アルミの生産量が激減すれば、楽しみにしている晩酌の缶ビールが飲めなくなる・・・という事態も想定し得るワケですよ。

 粉ミルク会社は放射能表示をしないと決めたようですが、全く以って


言語道断ですなっ!


 粉ミルク会社の社員には子供が、赤ちゃんがいないんですかね?そんな事ないでしょ?だったら自分の子供にアブナイかも知れない粉ミルクを飲ませますか?・・・と。


殺人企業「明治」:赤ちゃんにセシウム入りの粉ミルクを販売  森永・雪印も株価は急落


2011現代倫理論8  汚染米と外食産業


<転載>

粉ミルクからセシウム 明治ステップ、最大30ベクレル 40万缶無償交換へ
2011.12.6 14:25

<抜粋>

 国が定める粉ミルクの暫定基準値(1キログラム当たり200ベクレル)は下回っている。乳児は大人より放射性物質の影響を受けやすいとされ、厚労省は近く新たに「乳児用食品」の基準値を設定する方針を決めている。

</抜粋>

</転載>


 繰り返しますが、如何なる産業も単独で成立する産業はありません。様々な産業と補完し合って、初めて製品として市場に流れます。自分の会社だけ儲かれば良いとか、消費者を欺いても利益が上がれば良いとか考える企業は、一時的に栄えたとしても必ず消え去ります。

 武田センセイのように「倫理」とか「法律」とか難しい用語を使うのは苦手なので、ワタシなりの言葉で言えば、


調和は善。不調和は悪。


というコトです。自分の、自社の利益ばかりを追求するのは、結果として周囲や社会に「不調和」を生み出すものであり、社会全体が、多くの人々の「調和」の上に成り立っている事実を考えれば、「不調和」をもたらす企業が社会から排除されるのは当然の結果です。

 偏狭な「村意識」に囚われ、己の業界だけを最優先に考え、広く社会に目を配れない企業は、今後衰退の一途を辿るだけでしょうし、ワタシたち庶民にしても、より良い社会を築くには、社会調和を乱す企業、存在を排除する努力が必要です。

 表題の「レッドオーシャンを往け」とは、偏狭な「村意識」「村社会」から飛び出す勇気が、いま日本全体に必要とされていると思うからで、今回のTPPの件にしても、「外圧で、日本国内の様々な規制を取り払う」という推進派の言い分にも、ま、頷ける部分が少なからずあるワケです。


日本人が気がつかないTPPの罠




 しかしながら、「それではあまりに情けない!」というのがワタシの心情なワケで、自らを律し、克己し、過去の悪弊、村意識、利権依存体質を断ち切り、進んで「レッドオーシャン」に身を投じない限り、背中を押されて「レッドオーシャン」に漕ぎ出したトコロで、早晩、「レッドオーシャン」の猛者どもに、好きな様にあしらわれるのが目に浮かぶからです。

 もうね?何度も同じ事を書いているのでウンザリしているかと思いますが、それでも残すものは残し、変えるものは変えて「村社会」の先に在る、「もっと大きな共同体」としての日本というビジョンを持たないと、ホント、このまま日本は衰退しますよ?・・・と。

 それが嫌なら「覚悟」を決めて・・・「レッドオーシャンを往け」と、言いたいワケですよ。あ、ワタシTPPを推進しているワケじゃありませんから・・・。

 TPP加盟は後回しにして、自分の意思で、自分の力で、「村意識」を改革して後、海千山千の連中と「レッドオーシャン」で互していくのがスジだと言いたいワケです。

 正直、TPP反対派の中には「村意識」ゴリ押しの意見もあるのでしょうが、それでも「時期尚早」であるという事実は疑いようも無く、現状では・・・震災復興もままならない状況を鑑みても、TPPは当面凍結とする他は無いでしょうな。


人間ナメんなよ!


でわっ!