2012年1月22日日曜日

欲望メルトダウン


昨年の「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。



 気になる記事を目にしたので先ずは。


<転載>

「金持ちを否定する人は金持ちにはなれない」は本当か?
自由人


 「金持ちを否定する人は金持ちにはなれない」

 たまに、成功法則的な本や心理学的な本を読んでみると、上記のような言葉を見かけることがある。こんな言葉を聞くと、鼻で笑って一笑に付す人もいるのではないかと思うが、今回はこの言葉の意味を少し考察してみたいと思う。

 「金持ちにはなれない」などという挑発的な言葉を聞くと、条件反射的に「そんな馬鹿なことがあるか!」と否定する人が大勢いると思われるので、ここでは論理はそのままにして言葉だけを少し変えてみたいと思う。

 「犯罪者を否定する人は犯罪者にはなれない」

 これなら、納得する人が大部分だろうと思う。この「犯罪者」という言葉を「殺人者」や「泥棒」「詐欺師」という言葉に置き換えても同様である。精神論的にストレートに述べると拒絶する人であっても、少し具体性を持たせて述べれば、その言葉の持つ意味を冷静に分析することができるようになる。

 ここで言えることは次のことである。

 「人間は普段から憎しみを抱いている対象には成り得ない」

 常日頃から犯罪者を憎んでいるような人が意識的に犯罪を犯すなどということは、余程のことがない限り有り得ない。
 この理屈が理解できれば、難解な潜在意識論を述べるまでもなく、「金持ちを否定する人は金持ちにはなれない」という言葉には一理あることが解る。

 昔、『人間は自分が考えているような人間になる!!』という本を読んだことがあるが、この言葉を裏返すと、「人間は自分が考えていない人間にはならない」となり、もう少し掘り下げて言うと、「人間は自分が拒絶している人間には絶対にならない」ということになる。
 もし、この言葉が本当であれば、「金持ちを拒絶している人間は金持ちにはならない」ということになる。なぜなら、その人は、自分が金持ちになるということ自体も自ら否定してしまっていることになるからだ。

 本心ではお金が欲しいのに、「お金は嫌いだ」
 本心では家が欲しいのに、「家は嫌いだ」
 本心では車が欲しいのに、「車は嫌いだ」

 普段からこういった本音とは裏腹な台詞を吐いている人は、皮肉なことに本心とは裏腹にその言葉が実現してしまうような人生を歩むことになる場合がある。

 少し誤解される方がいるかもしれないので補足しておくと、“金持ち”ではなく、“金持ちの言動”などを否定する行為はまた別である。“金持ちの行為”を否定することと、“金持ちという概念”自体を否定することは全く違う。

 例えば、ある金持ちが悪質な脱税行為を行ったとかいうなら、その罪を否定するのは当然のことであるし一向に構わない。“金持ち”ではなく“罪”を否定する行為であるなら、何の問題もない。ただ、その罪を断罪する行為の裏に“嫉妬”という感情が入り込むと、また話は逆転してしまう場合がある。

 例えば、あるIT企業経営者が粉飾決算を行ったということで、その罪の真偽を確かめようともせずに、嫉妬の感情を出発点として(罪を憎んでいる振りをしながら)批判するという行為は「金持ちを否定する」ことになってしまうということである。

 日本には「罪を憎んで人を憎まず」という諺があるが、「罪を考えずに金持ちを憎む」ではいけないのである。
 数年前に実際にこの例と同じ事件が起こったが、当時、そういった人が大勢現れたことは記憶に新しい。そのせいもあって現在の日本経済は“貧乏”になってしまった。

 「金持ちを否定する人は金持ちにはなれない」という法則を理解している人であれば、感情的に金持ち(という概念)を否定するような愚かな行為(=心の貧しい行為)はしないと思う。

 マーガレット・サッチャーの「お金持ちを貧乏にしても、貧乏な人はお金持ちになりません。」という言葉と「金持ちを否定する人は金持ちにはなれない」という言葉はどこか似ている。この2つの言葉の根底にあるものが、人間の「嫉妬」という感情であることが理解できれば、日本経済の発展を阻害しているものが何であるかがよく解るかもしれない。

</転載>


 ワタシもついでにひとつ・・・。


幸福を否定する人は幸福になれない。


 そこでワタシからも問いたいのですが、みなさんは、「幸福」になりたいのですか?それとも、「お金持ち」になりたいのですか?

 みなさん何となく、「幸福お金持ち」とは感じているハズです。日々のニュースで、「お金」にまつわる痛ましかったり、愚かな事件に触れる度に・・・。違います?

 「お金」は労働の対価であり、「収入」は生活の資本です。そう・・・生活の資本ではありますが、生活そのものではないのです。では、「生活」とは何でしょう?家族の安泰を願い、健やかな子供や孫の成長に触れ、親しい友人との交流を楽しむ・・・etc。それらを「お金」に換算できます?どれもこれも、


「お金」には換算できません。


 ま、当たり前すぎて、今更ワタシ如きが言うのもおこがましいのですが・・・。

 「お金持ち」に対して貧乏人が「嫉妬」していると「自由人」さんは言いますが、確かに、「嫉妬」が無いとは言い切れません。・・・が、それが全てとも言い切れません。そんな事は「大人」であればみんな知ってます。

 したがってワタシには、「自由人」さんの理屈はとても幼稚な理屈にしか聞こえませんし、件の木元孝子内閣府原子力委員のように、田原総一郎氏のように、「自己本位な知性」しか持ち合わせていないように思えてなりません。 

 何度でも言いますが、幸福とお金ではイコールではないし、少なくともワタシが本質的に求めるのは「幸福」でり、本来「お金」とは労働の対価(自分の時間の価値)であるのだから、無闇に「お金」を求めるという行為、衝動とは、それだけで暗に「人間の尊厳」を軽んじる事にも繋がり、その顕われが後進国での労働力の搾取であったり、欧米金融業の自分勝手な経済政策であったり、日本における諸問題にしても、全ては「自己本位な知性」の成せるワザだと・・・。


詭弁に騙されてはいけない!


のですよ。ま、こんな「詭弁」に引っ掛かる人もいないと思いますが・・・。



 「詐欺師」は常に人の心の弱みに、言葉巧みに付け込んできます。蛇蝎の如き、「自己本位な知性」を振りかざすヤツらの、「欲望のメルトダウン」「欲望のチャイナ・シンドローム」から身を守る術はひとつだけです。


聡明であれ!


 それには「本質」を見失わないことです。「本質」を見失なえば「本質」は奪われてしまうでしょう。「人間の尊厳」という、いちばん大切な「本質」が・・・。

 ま、そんなトコですかね?


人間ナメんなよ!


でわっ!