2012年1月26日木曜日

優生学=人種差別のルーツとは? 3


 昨年の「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。



 その2から時間があきましたが、続けたいと思います。優生学≒人種差別についておさらいすると、第一に、「黄渦論」が欧米で勃興した事。その原因、背景として考えられるのは、極東の島国・・・「ジパング」に棲む人種は、欧米人に匹敵、若しくはそれ以上の能力を秘めていると、来日した宣教師や貿易商が本国に報告し、そのポテンシャルが「日露戦争」での日本の勝利で証明され、欧米に警戒心が芽生えた事。

 本来、固体の優性と「種」とは無関係であり、「環境の変化に強い種が生き残る。」・・・というのが、当初のダーウィンの主張であり、それを捻じ曲げ、「アーリア人」が優れているなどとホザいたヒトラーは、まったくナンセンスだどいう事。

 そして、ヒトラーをバックアップしたアメリカ優性学会も同様に「本質」を捻じ曲げ、ただただ、「人種差別」の大義名分として「優生学」なる学問?を利用した事。

 ま、そんなカンジですかね?とにかく、「優生」の「優」が意味するところは、「種」として優れているという意味ではなく、環境変化の適合性に「優れている」という意味での「優」だとワタシは理解しています。


変化に適合する種が生き残る。


 さて、優生学のルーツを遡って行くと、ギリシャの哲学者プラトンにまで遡るワケですが、何故プラトンが斯様な考えを持つに至ったのか、当時の時代背景やプラトンの人と成りを知りたいと、ウィキペディアで検索するに・・・


<引用>

プラトン
(紀元前427年 - 紀元前347年)

1.プラトンは紀元前427年、アテナイ最後の王コドロス(Codrus)の血を引く貴族の息子として、アテナイに生まれた。

2.若い頃は政治家を志していたが、やがて政治に幻滅を覚え、ソクラテスの門人として哲学と対話術を学んだ。
  
3.紀元前367年、恋人であったディオンらの懇願を受け、生涯に2回目となるシチリア島のシュラクサイへ旅行した。シュラクサイの若き僭主ディオニュシオス2世を指導して哲人政治の実現を目指したが、着いた時にはディオンは追放されており、不首尾に終わる。

</引用>


・・・ということで、生い立ちは今風に言えば「ボンボン」なワケです。で、ガタイもよかったらしく、「レスリング」が得意であったと。

 当時の「都市国家」においては「奴隷」を持つことは当たり前であり、戦争は主に「奴隷」、「植民地」の確保の為であり、プラトンの住むアテナイも、ペロポネソス戦争(紀元前431年 - 紀元前404年)に破れ、一時スパルタの支配下に置かれます。

 当時23歳であったプラトンがアテナイの敗北を大いに憂いたとしても、その血筋、年齢からすれば至極当然です。そして、何故戦争に敗れたかを推察した時、戦勝国スパルタの、子供の「優生」選別による強い軍事力の維持という点に着目したとしても・・・。


<抜粋>

先駆としての古代ギリシア優生思想

人種改良は、少なくともプラトンまで遡ることが可能である。彼は、人間の生殖活動は国家によって管理されるべきであると考えた、次のように記している。

「最も優れた男性は、意図して最も優れた女を妻に娶ったに違いない。そしてその反対に、最も劣った男性についても同じことが言える」 -プラトン『国家』

プラトンは選択法則に気付いて人々の心が傷つけられるのを防ぐために、偽りのくじ引きで(人為的)選択が行われるべきであると提案している。その他の古代の事例としては、虚弱な新生児を都市の外れに遺棄したスパルタの伝説的な慣行が上げられる。このスパルタの事例については、のちにエルンスト・ヘッケルも参照している。

</抜粋>


 つまり、「優生思想」の根源にあるのは、戦争における「軍事力(強力な兵)」の確保という側面が伺えるワケです。ワタシには。



 ちなみにプラトンといえば「イデア論」ですが、弟子のアリストテレスは師に逆らい?「目に見えないイデアなる概念よりも、現実世界を観察しよう!」と、世界を分類することを最初に始めた人で、故に欧米では「科学の祖」と崇め奉られているワケです。はい。

 しかしそのアリストテレスにしても、アレキサンダー大王に・・・「ギリシア人だけを人間として扱い、他の征服した民族は動物か植物と考えるように助言した。」・・・ということですから、真に科学的な視点に基づき「分類」をしていたかどうか疑問ですな。

 ギリシャにおける過去の植民地戦争と、アレキサンダー大王による世界統一とが重なって見えたのでしょうが、少なくともアレキサンダー大王には、ギリシャ人を特別視する考えは無かったようです。

 さて、現在においてなお「人種偏見」を持つ人たちとは、ギリシャ時代(紀元前)からの偏見に縛られている人たちとも言えます。バカげてますね、一言で言うと。

 しかもギリシャ人がギリシャ人以外を差別したように、アーリア人がアーリア人以外を差別し、ユダヤ人がユダヤ人以外を差別し、日本人が日本人以外を差別するといった様な、まったく「自己本位の知性」による根拠の無い「選民意識」は、未だに一部に存在するのでしょう。

 はじめに戻りますが、ダーウィンが当初述べていた、 


変化に適合する種が生き残る。


を、もう少し拡大解釈するならば、人間という種には「大きな個体差」は無いワケですが、その集合体である「社会=システム」に差が現われるならば、システムの構成要素である「社会階層」も当然、変化の影響を受けます。

 で、その際に、社会的変化を拒み、変化に適合できない階層は、ダーウィン風に言えば、


淘汰される


という事になるのでしょうが、ワタシ流に言えばこれは「村社会」の存在問題に繋がります。

 一部の「村社会」が自らの利権に固執し、社会全体の変化を拒むのであれば、社会全体として変化に対応できない・・・「生存率の低い社会」にならざるを得ないでしょう。

 何度でも言いますが、「村社会」の先にある「もっと大きな共同体」を意識できなければ、一部の「村社会」のワガママで、「全体」が滅び行くしかないワケですよ。ワタシのロジックからすれば・・・。

 ま、最後は主旨からだいぶ飛躍しましたが、このシリーズは今回で〆とします。


人間ナメんなよ!


でわっ!