2012年2月2日木曜日

産業資源としての石油


 昨年の「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。



 原発事故以降、「エネルギー問題」についてニュース・新聞で目にしない日は無いワケですすが、その際に論じられるのがCO2の問題であったり、安定供給という問題であったりします。要は、原子力発電はCO2を排出しないし、過去の石油危機の教訓から学べという論理です。

 で、何度か下記の円グラフを引用しましたが、日本の総石油輸入量に対する発電用燃料としての石油使用量


約25%です。


 いちばん使用量が多いのが自動車で、全体の36%。その次が産業用で、化学・鉱工業を併せて33%。つまり、全体の70%は発電目的以外に石油が使用されています。しかも現状、これらの分に関しては「代替」という方策はありません。

 天然ガスからもウランからも、「衣料」「工業製品」などを生産する技術はありません。したがって、「石油に依存せざるを得ないのが現状なのだ。」・・・という事実を、先ず認識する必要があます。

 エネルギー政策(電力)と石油の安定供給をリンクして考えることは、問題の「本質」からズレていると言えます。石油の輸入量を問題にするならば、「自動車用」の分の石油を0(ゼロ)にしてしまえば、話はカンタンです。既存の技術として、電気自動車が既にあるワケですから。

 電気自動車が普及すればCO2の排出量は激減します。発電設備を火力から原子力にするのと、全ての自動車が電気自動車に代わるのと、ドッチがより大きなCO2排出削減になるか?・・・お解りですよね?

 原子力発電がCO2削減に貢献するなどと言う、全体が見えない「恥識人」の詭弁が明らかになったトコロで、じゃあこの先、「石油資源」とどう向き合うかのビジョンを持つ必要がありますが、大切なのは、その使用目的を明確にすることで、最終的な使用目的や製品形態から「逆算」して、石油に代わる原料を用意できるか否かがポイントになります。

 電気自動車を例にすれば、製品=電気自動車そのものが普及したからと言って、産業用石油の消費量がいきなり増えるワケではありません。従来のアッセンブリー・ラインは電気自動車用に置き換わるだけですし、部品点数が少なくなる分、石油消費量は少なくなるかも知れません。車に供給する電気にしても、夜間の余剰電力を使用すれば各家庭でも賄えるでしょうし、自動車燃料として使用しなくなった分の石油を発電用にまわしても「おつり」が来るでしょう。

 「おつり」の分を生産原料に回してもイイでしょうし、必要が無ければ石油使用量=石油輸入量が減るワケですから、所謂「国家安全保障」の面でもメリットがあります。ヒジョmmmに簡単な話です。なんで?こんな簡単な事が実行出来ないんですかね?「政治家」「官僚」とは、無能の集まりなんですかね?

 ま、それはそれとして、「エネルギー」については現在も様々な技術が研究中なワケですが、「産業資源」としての石油とは当面は縁が切れないにしても、発電などの分野の代替エネルギーは着実に現実のものとなりつつあります。・・・というか、「国の規制」さえなければ各メーカーの技術力で、


明日にも実現可能


な技術が目白押しなワケですよ。完全自立型自家発電設備とか・・・。


東京電力を必要としない生き方





自分で使う電気は自分で作る




 
 これらの新技術の普及を妨害しているのは「国」であり、「経団連」であり、「業界」であり、「企業」であり、「自己本位な知性」であり、


全ての利権構造


なのですよ。曰く・・・「自分の生活レベルがmmm!」などとゴネている強欲連中が、普遍的な技術=金にならない技術の普及を妨害しているワケです。

 で、何でそうなるか?と言えば、「金儲け」が美徳とされるような社会構造に病根があるワケで、極論を言えば・・・


お金しか信じられない


ような人たちが、恐らく現在の日本、世界の指導的立場にあるからで、その人たちが作り上げたシステムを「金融」とか、「経済」とか呼ぶらしいです。・・・はい。

 そんな利権構造も変わるべき時が近づいていると、IISIA(原田武夫国際戦略情報研究所公式ブログ)に興味深い一節があったので、無断で引用させていただきます。


<抜粋>

第3章 日本の産業・その可能性(その7)

「2015年」に向けた水素エネルギー革命と日本

~日の丸燃料電池車は世界史を刷新するのか~


東日本大震災によって引き起こされた「福島第一原発事故」後、我が国、そして世界中においてエネルギー・シフトが叫ばれ続けています。

「2015年」というターゲット・イヤーを掲げ官民挙げた努力が行われている代替エネルギーとしての水素。その本格導入に向けた「シナリオ」、特に燃料電池車の普及へのスケジュールと課題について取り上げ、私たちが何に備えればよいのかを先取りします。

</抜粋>


 手前味噌でアレですが、ワタシも昨年、「5年後」という「ターゲット・イヤー」を勝手に想定したワケですが、「水素エネルギー」云々は置いといて、世界の動きを虚心坦懐に眺めてみれば、「5年後」に変わるか否かよりも、「5年」というスパンが変化には必要だろうと思うワケです。

 「3年」では短い。「10年」では長すぎる。「5年」であれば、今この社会に生きる全ての人が参加できるだろう。・・・と。


人間ナメんなよ!


でわっ!