2012年7月20日金曜日
旧世界は死んだ
旧世界は死んだ。マスコミを見ても、政治を見ても、金融を見ても、それは明らかだ。いま世界で幅をきかせているのは、旧世界の「残りカス」にすぎない。
残りカスの知識人、残りカスの学者、残りカスの役人、残りカスの政治家、すべては旧世界の遺物だ。
しかし残念ながら、「新世界」を迎えるワタシたちの準備が不十分である以上、もう暫くは旧世界のゾンビたちと付き合いながら、それとは別に、新しい社会を構築していくしかない。
旧世界のシステムを応急で利用しつつ、改善が急務とされる部分から着実に変えてゆく。そしていずれは、すべてが新世界のシステムに置き換わるのは、現在のひとりひとりの「意識の目覚め」からすれば、当然の成り行きとなる。ワタシたちは既に、旧世界のシステムの弊害に気付いてしまったのだ。
一部の特権層による独善的な政治なんてもうたくさんだし、成長率という数字に踊らされて、現実世界を直視しない経済なんてウンザリだし、それら諸々が原因となる、絶えることの無い騙し合い、奪い合い、争い合いなんて、ワタシたちの求める社会には必要無いのだ。
旧世界は死んだのだ。それは明らかな事実なのだ。ワタシたちは目を見開き、これから何処へ行こうか?と考えている最中だが、テレビを見ても、新聞を読んでも違和感を覚えてしまうのは、旧世界が死んだ証なのだ。マスコミ、メディアが、既に旧世界の遺物と化している証なのだ。
新世界の形は未だ定まっていない。しかしそれは「意識」として、そして「共感」として、全ての善男善女、老若男女の心の中に芽生えた。少なくとも、この日本においては。
新世界において優先されるのは、人間本来の「命の輝き」≒「笑顔」を取り戻そうという意欲であり、「命の輝き」を基準にすべては検証され、構築される。
何万年もの進化の道を辿り、ワタシたちはやっと現代に辿り着いた。そしてワタシたちがここまで来れたのも、
人間はどうあるべきか?
という自問自答を、洋の東西を問わず絶え間なく続けてきた結果であり、ただただ生存競争に明け暮れていたなら、依然として「高等なサル」のレベルでしかなかっただろう。そして、
自分とは何者なんだ?
という疑問を抱いた瞬間から人類の進歩が始まったのだとしたら、人類は長年かけて
自分とは、自分なのだ!
という答えに、やっと辿り着けたに過ぎない。そして、「自分になる」ための新しい時代が、ようやくこれから始まろうとしている。旧世界に抑圧され、隷属を強いられていた自分を解放し、「本来の自分」に戻る時が来たのだ。「自分になる」ことで「命の輝き」を取り戻し、その光で新しい時代、新しい日本は満たされる。
ワタシたちの「光」は輝きを増し、
旧世界はその輝きを失う。
今は未だ暗い。旧世界の残照であろうとも、足元を照らすには役に立つだろう。が、いずれ「自らの輝き」が光を増せば、はるかに明るく、そして遠くまで道を照らし出す。ひとりひとりが独立独歩で道を歩む、「十全の存在」に成り得るのだ。それが新世界の人々の姿なのだ。
ワタシには見える。旧世界は死んだのだ。屍に寄り添っていても、一緒に朽ち果てるだけなのだ。生きる意志があるのなら、前に進む意思があるのなら、まずは声を大にして宣言するのだ。
旧世界は死んだのだ!
...と。
人間ナメんなよ!
でわっ!