2012年12月4日火曜日
憂いている場合じゃない!
自分の思い込みばかりをウダウダ書いてもアレなんで、今回はワタシなんぞより、遥かに見識が広くて深いおふたりのご意見をご紹介します。
おひとり目はテレビ番組、「ホンマでっか!?TV」でお馴染みの武田邦彦氏。もうおひとかたは、元外務省官僚の天木直人氏です。おふたりのブログから丸ごと記事を転載しましたので、是非、ご拝読ください。
ま、「自分の思い込み」と書きましたが、おふたりのご意見と比較すると
案外、まと外れでもないかも?
・・・と、思ったもので。それではどうぞっ!
<転載>
巧妙なトリック政治・・・高校無料化と自然エネルギー
「tdyno.02-(6:02).mp3」をダウンロード
(被曝関係はもう少し待ってください)
民主党の人には松下政経塾のご出身者が多いけれど、なぜ、あれほどのウソをついたり、トリック政治をしたかは、まだよくわからない。でもトリック政治を露骨に始めた事は間違いない。その一つが「高校授業料無料化」である。
高校授業料無料化は2010年から「高校授業料無償化・就学支援金支給制度」が実施され、実質的に無料になっている。だから「トリック政治」では「公約を実行した」とされている.
でもトリックである.実際には「公約」は実施されていない.
政策には前提がある。「高校無料化のために増税をして無料化します」というのも政策と言えば政策だが、まずは支持されない.「増税をせずに無料化します」は支持される.「増税して無料化」が通るなら、何でもできるようなものだ。政策とは「選択」だから「何かを止めて高校無料化をする」ということだ。
民主党は「無駄を無くせば財源がでて、増税しなくても高校無料化、高速道路無料化、子育て資金などが出せる」と言った.これは選択の問題だから政策になる.
民主党は「増税に先立って高校無料化」をやった。その時は増税していない。その後「税収が足りないから増税」という順序を踏んだ.これがトリックである。
・・・・・・・・・
今回の選挙でも民主党はトリックを使ってくるので民主党の言っていることを吟味しても始まらない.ウソをつく人は一回では直らないからだ。一度、民主党を解体して出直す必要がある。
今回の選挙でもっとも「トリック的」なのは「自然エネルギー」とか「再生可能エネルギー」である。簡単な原理だ。
もし化石燃料で火力発電を動かせば、個人が負担する設備費は入らず、電気代はキロワットあたり約20円である.これに対して太陽光発電は、個人が100万円、税金で100万円という負担になり、電気代はキロワットあたり約40円になる.
国民が電気代で払うか、税金で払うかは別にして、負担するのは国民で、利益は太陽光発電メーカー、住宅メーカー、天下り官僚、政策実施政党が取る.
国民からすると実に馬鹿らしい.世界に豊富にある石炭や天然ガスなどの資源を使わずに、わざわざ太陽光発電をする。そして倍する負担は国民だ。しかし、高校無料化と同じで、「どこから金を取るか」を言わない.
もし自然エネルギーなどを政策にしている政党が政権を握ると、既成事実として太陽光発電が増える。そして「負担が増えてきたから電気代を上げる.税金を上げる」というのが後から来る。
これが今度の選挙の一つの大きなトリックである.テレビなどでは議論は中途半端に終わるから、その時間だけは切り抜けられるトリックが使われる.
(平成24年12月3日)
武田邦彦
</転載>
続いて、天木直人氏のご意見ですw。
天木直人のブログ
<転載>
2012年12月04日
対米従属からの脱却なくして脱原発はありえない
今度の総選挙はその主要なテーマが脱原発である。
それを皆が唱えるようになった。
しかしどの政党も本気でそれを実現しようとしているとは私には見えない。
というよりも脱原発の実現の本当の難しさについて脱原発を唱えるどの政党も気づいていないかのようだ。
脱原発の本当の難しさは新しいエネルギー源を見つけることとか工程表を示すとかのような問題ではない。
そのようなことは脱原発を政治決断すれば後は叡知を集めて必死で取り組めば出来ることだ。
重要な事は脱原発を政治決断することなのである。
そしてその決断は対米従属から自立しなければ出来ないのである。
きょう12月4日の毎日新聞は「脱原発 問われる本気度」と題して極めて重要な記事を掲載していた。
私が注目したのはその記事の中に書かれていた次の部分である。
「・・・野田政権が『脱原発』方針を後退させたのは、原発立地自治体や電気料金高騰による産業空洞化などを懸念する経済界のほか、同盟国の米国から強い反発があったためだ・・・」
これは私が自らのメールマガジンで繰り返し書いてきたことだ。
そして脱原発の政治決定は、オスプレイ拒否に象徴される沖縄問題の政治決定と通底する。
なぜいつまでたっても沖縄問題が片付かないのか。
それは歴代のどの政権も沖縄県民を泣き寝入りさせて米国の要求に従おうとしてきたからだ。
沖縄県民という日本国民の悲願を米国政府に伝えそれを実現しようとする意思と覚悟を持った指導者が一人もいなかったからだ。
脱原発とオスプレイは表裏一体だ。
沖縄の苦しみは福島の苦しみと同じだ。
日本国民の叫び目をつむり米国政権の意向を優先する。
そのような日本の政治を否定し、日本国民の暮らしと命を最優先する政治の実現。
米国の手先になって動くこの国の官僚支配体制に終止符を打つ政治。
それを私は小沢一郎に期待しだからこそ応援してきた。
それは小沢一郎でも困難だろうと思う一方で、今の政治家では彼しかいないという期待を込めて私は小沢一郎を応援してきた。
しかしその彼が無罪が確定してこれから出番だという時に嘉田知事を担いだ時、私はそれをいぶかしく思った。
そして嘉田知事率いる日本未来の党の立候補予定者の最終顔ぶれを見て、深い失望をおぼえた。
これでは対米自立はできない。対米従属の官僚たちとは戦えない。
たとえ全員が当選しても何の役にも立たない。
総選挙後の政権は、どのような組み合わせになろうとも、日米同盟深化で見事に一致する政党たちの連立政権になるだろう。
本物の脱原発などありえない・・・
この続きはきょうの「天木直人のメールマガジン」で書いています。
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</転載>
しかし毎度思うのは、おふたりのように高い見識をお持ちの方々が、
なぜ自ら立候補しないのか?
・・・という、素朴な疑問です。
武田氏にしても天木氏にしても、国政に係わった経験がおありで、山本太郎氏のようにドシロウトが国政に打って出るのとは違い、既にあるレベルに達している・・・つまり実務能力を兼ね備えておられるハズなのに、その見識を実現しようという情熱?は無いんですかね?
山本太郎氏は、確かに政治に関してはドシロウトであり、諸々の言動からしても「情熱」が先行していて、「脇が甘い」と思われる場面が多々ありますが、それでも、「基本」はシッカリしている好青年だと、誰にでも伝わるワケですよ。
今回の「新党 今はひとり」にしても、そうした情熱に突き動かされた止むに止まれぬ行動であり、自分の信念に従って「動く」というのは、近年稀に見る「侍精神」の持ち主であると感服いたします。
ずいぶん前に「情熱」について述べたことがありますが、「情熱」はある面では危険なものでもあります。特に行動的な情熱は、ヒトラーのナチスドイツのように多くの人(国民)にも感染します。ただボwwwっとつっ立っている人間は、「情熱」を持っている人間にチョット押されただけで、簡単によろめいでしまうものです。
そうならないためには、シッカリと踏ん張って立っているしかないワケですが、この、「シッカリと踏ん張る」という自発的行為が、即ち、「信念」があるか無いかの違いなワケです。
ま、あくまでも「間違った情熱」に感染しないための予防の話してあり、「情熱」が社会変革の原動力であることに変わりはありません。
クレイジーな人たちがいる
「情熱」を持ったひとたちは、周りから見れば「クレイジー」と映るのかも知れません。が、彼らがいなかったら今の社会もなかったでしょう。
クドクド回り道しましたが、ワタシは山本太郎氏の情熱を支持します。残念ならがベトナムからでは何の手助けもできませんが、それでも支持します。
そして願わくば、武田氏や天木氏のような情熱と見識を兼ね備えたひとたちが、山本太郎氏のように国政に打って出て、その信念を「行動」で示して欲しいものです。
人間ナメんなよ!
でわっ!