前回の続き?になりますが、「国際金融カルテル」=「NWO派」だとすると、「人口削減計画」は世界の経済発展にとってはマイナス要因となるワケですから、「金融業を生業としている身」からすれば自己矛盾を生じることになりま。
それでも尚、「ロックフェラー財団」などが「優生学」に基づく「人類の選別」=「人種の淘汰」を目論んでいるのだとしたら、彼らの最終目的は「お金」ではなく、ギリシャ時代より続く「優生思想」の実現にあると考えられます。
優生学 先駆としての古代ギリシア優生思想 人種改良は、少なくともプラトンまで遡ることが可能である。彼は、人間の生殖活動は国家によって管理されるべきであると考えた、次のように記している。 「最も優れた男性は、意図して最も優れた女を妻に娶ったに違いない。そしてその反対に、最も劣った男性についても同じことが言える」-プラトン『国家』 プラトンは選択法則に気付いて人々の心が傷つけられるのを防ぐために、偽りのくじ引きで(人為的)選択が行われるべきであると提案している。その他の古代の事例としては、虚弱な新生児を都市の外れに遺棄したスパルタの伝説的な慣行が上げられる。このスパルタの事例については、のちにエルンスト・ヘッケルも参照している。 |
初期の優生学のたどった道 2002年6月18日高橋徹記 偏狭な人間観 また優生学は人間の性質や能力が生まれながら決まっているという考え方(生物的決定論)が前提に立ちます。そして、その上で人間の能力や性質を優れたものと劣ったものに評価しわけていきます。この考え方に立つと、人間の価値が生まれながら生物学的に決まっている事になります。優生学は科学の装いを取ることによって、この価値判断の陰に隠れている差別性を見抜く目を曇らせてしまいます。生存競争に打ち勝ったもの、社会的に優位を占めるものが「優れている」=「存在して良い」という価値判断をします。「人種」「民族」「障害者」「病弱者」など、社会的な弱者、少数者に対する差別が科学的に正当化されていく事になります。 |
こうした「優生学」の理論的補完の役割を担ったのが、マルサスの「人口論」であり、ダーウィンの「自然選択説」になります。
貧困の出現 ・・・このような事実から人口増の継続が、生活資源の継続的な不足をもたらし、したがって重大な貧困問題に直面することになる。なぜなら人口が多いために労働者は過剰供給となり、また食料品は過少供給となるからである。このような状況で結婚することや、家族を養うことは困難であるために人口増はここで停滞することになる。安い労働力で開墾事業などを進められることで、初めて食料品の供給量を徐々に増加することが可能となり、最初の人口と生活資源の均衡が回復されていく。社会ではこのような人口の原理に従った事件が反覆されていることは、注意深く研究すれば疑いようがないことが分かるとマルサスは述べている。・・・ |
ダーウィンの進化論 自然選択説 生物の進化は、すべての生物は変異を持ち、変異のうちの一部は親から子へ伝えられ、その変異の中には生存と繁殖に有利さをもたらす物があると考えた。そして限られた資源を生物個体同士が争い、存在し続けるための努力を繰り返すことによって起こる自然選択によって引き起こされると考えた。 |
マルサスの「人口論」にダーウィンは「自然選択説」のヒントを得たらしいのですが、簡単に言うと「足し算」と「引き算」の話であり、「生産手段」を待たない野生動物に限った話であれば、そうした数式の中の「固定されたパラメータ」でしかないのですが、どっこい人間は、「変化するパラメータ」であり、当然数式の答えも、予測不能な変化をします。
したがって、そうした事実を見落としているマルサスとダーウィンの理論は、
破綻している
・・・と言えます。
「自然の法則」という、誰もが陥りやすい「暗黙の合意」を装いながら、「優れた者たち」だけは常に優位な環境を手に入れられる・・・という、
自己中心的な理論
・・・を構築しているだけに過ぎません。
「自然の法則」を前提とするのであれば、「優れている」とは身体能力の優劣に他なりません。ひとつの「種」においてその頂点に君臨するには、「最も強い」・・・ということのみが条件であり、であれば、人類を「優生学的」に見るならば、オリンピックの金メダリストこそが身体能力において最も優れており、「金持ちである」・・・というのは、「優生学」とは別の「社会学」に属する問題です。「国際金融カルテル」=「NWO派」が「優生学」に基づく「人口削減」を計画しているのだとしたら、
トンだお門違いである!
・・・と、言う他はありません。
然しながら、マルサスの言うところの「労働者が過剰供給になる」・・・には、ワタシも「別な視点」から賛同する次第です。と、いうか、文明の進歩は必然的にそこに向かわざるを得ないでしょう。
従来労働者によって行われていた「3K」の仕事が、産業ロボットによって無人化されるようになったら、それは
いい事ですか?悪いことですか?
仕事が無人化されるということは、その分の労働者が不要になり「失業者」を生み出す結果となるワケですが、では?誰が進んで「3K」の職場を望むでしょうか?誰もいません。「収入」を得るために、嫌々ながら就労せざるを得ない状況があるだけであり、それでは、
ハッキリ言って奴隷と変わりません。
その他にも、人口増加分を埋め合わせる食料を確保するために、「安い労働力」が必要である・・・と、マルサスは説きますが、この「安い労働力」とは、企業の利益を前提とした考えであり、増加する人口と食糧生産量のバランスだけを考えれば、産業ロボットによって「3K」の仕事から解放された「余剰労働力」に、不足しがちな食糧の増産を担ってもらえば解決する問題であり、新規に「安い労働力」を補填する必要はありません。
先ずは国民(政府)の合意による食糧生産の基盤固めが必要であり、そのためには、新規に食糧生産に就労する労働者への初期段階での補助なり、就労環境の整備が必要となります。
このことは食糧の分野に限らず、仕事、職業のあらゆる分野において「労働力の流動性」を促進する労働環境の整備が求められます。
即ち、「文明の進歩」に伴う「産業構造の変化」は不可避であり、同時に「産業構造の変化」に対応可能な「労働力の流動性」も考慮に入れておかなければ、ただただ「失業者」を生み出すだけの社会になってしまうというコトです。
そして、本来であれば「新しい仕事」を手に入れるチャンスがあるにも関わらず、家庭でも、社会でも、「厄介者」のように扱われ、「自由経済主義者」=「競争原理主義者」=「優生学派」=「NWO派」の目指すところの
人口削減計画
・・・に、いつの間にか組み込まれてしまいそうな勢いなワケですよ。
現状の日本からすれば、「TPP」などは正に「競争原理」に基づくものであり、「原発」は食糧生産にとっては排除しなければならない「危険因子」であるということです。
現状の世界情勢からしても、「自由経済主義」が幅を利かせているこの世界は、
マルサスの壁
・・・に、取り囲まれた状態にあると看做すこともできるワケです。
人間ナメんなよ!
でわっ!