人間てえのは不条理な生き物です。それは自分が人間だから良く解ります。往々に、「無駄な情熱」を浪費する生き物です。「趣味」なんてのは、その最たるものではないかと。下手をすれば家族からも白い目で見られ、肩身の狭い思いをしつつも「自分の世界」に没頭している方も多いのではないでしょうか?
人間以外の生き物にも同じような行動は見られるんですかね?ま、あったとしても、人間ほどではないんでしょう。で、その差が人間を人間たらしめているワケで、「発明」とか呼ばれる類も、この「無駄な情熱」が結果を出したから人類の「進歩」に繋がっただけのハナシで、「無駄な情熱」を軽んじてはいけませんなwww。
なぜ人は「無駄な情熱」を抱くのか?ワタシはそこに、人間の自己再確認の欲求があるからだと思うワケです。ワタシが飽きもせずブログを書き続けている事も、全くの「無駄な情熱」に他なりません。ブログを書く事によって「自己再確認」をしているに過ぎないのだと思います。では何故?こうも長々と続けているのかと自問してみるに、自分が、世界が、「毎日変化している。」と云う事なのではないか?・・・と。この一年にしても、イロイロな事がありましたよね?みなさん?
もし「自分」と云う存在が「固定化」された存在であったら、自己確認は一度すれば済むはずです。例えばワタシがロボットであったなら、自分を構成する要素は不変であり(プログラムのアップデートや部品の交換はあったとしても)、自分の変化とか社会の変化を、自発的に意識することはまずないでしょう。
しかし人間(生物)である以上、成長と老化、そして死は避けては通れない道であり、肉体は時間と共に刻々と変化しています。今まで簡単に出来た仕事だったのに、今では余計に時間が掛かるようになったり、内臓の機能の低下から食べ物の嗜好が変わったり、日常生活は少しづつ、確実に変化していきます。
そういった変化を自覚すればこそ、その変化にどう対応すべきかの確認作業=自己再確認を、人間は無意識に求めるのではないでしょうか?それは言葉を変えれば、「この世界との接点を探る」作業だとも思うワケです。鉄道模型に没頭する人は、鉄道模型に入れ込んでいる「自分の存在を愛する」事で、この世界に存在する「自分の居場所」を見出しているとも考えられるワケです。
これを一般論に展開すれば、誰もがみんな・・・
世界との繋がり(存在の実感)を求めている。
と、解釈する事も可能ではないでしょうか?その一例として、「GIGAZINE」さんに注目すべき動画があったので紹介します。
2010年12月23日 13時00分00秒 更新シンプルなアイディアで日常を楽しい非日常に変えるムービー集「FAST LANE(追越車線)」&「The Fun Theory(楽しさの理論)」
YouTube - The Fun Theory 1 - Piano Staircase
ま、この階段がね?東京駅のように長々と続く階段だったら、エスカレーターを選ぶ人が圧倒的に多くなると思いますが、この程度の階段であれば「遊び心(無駄な情熱)」の許容範囲内ですかね?
階段よりはエスカレーターの方が便利でラクなワケです。ジッサイみなさんエスカレーターを使っていたワケですが、階段から「音が出る」という「遊び心」を施した結果、ものの見事に階段を使う人が増えました。この事は・・・階段を踏むと音が出る。・・・自分の行為を結果として確認出る・・・この世界が反応してくれる・・・自分の存在が確認が出来て気持ちイイ!・・・という心理の表れのよう思えるワケです。
無機質なエスカレーターに、回転寿司のネタのように乗せられてただ移動させられるよりも、自分の行為と、その反応が確認できる「音の出る階段」に快感を覚えるのは、「自己再確認」をしたいという人間の欲求、本能を満せるからだと思うワケです。
さらにハナシを展開させて貰えば、地域通貨などのローカルマネーも、地域(世界)との繋がりを密接に実感する=自己再確認の手段として、心情的には受容れられ易いのではないか?・・・などと、思った次第です。はい。
でわっ!