2012年5月10日木曜日

幼年期は終わる・・・


 中学生の頃、SF(空想科学小説)にハマって、それ系統の本ばかり読んで時期がありました。で、SF小説目録のような小冊子の中に気になる小説があったのですが、当時は派手な仕掛けが登場するエンタメ性の高いSFが好みだったので、その小説のタイトルに興味は引かれたものの、内容の解説を読むと何やら難解そうな雰囲気だったので、もう少し後で読もうと後回しにしていました。

 で、そうこうする内にSF熱もいつしか冷め、日々の喧騒に埋もれ今日に至っているワケですが、それでも不思議とその小説の名前を忘れませんでした。それが・・・



幼年期の終り
(ハヤカワ文庫 SF (341))
アーサー・C・クラーク (著), 福島 正実 (翻訳)



です。

 で、たまたま某サイトで「幼年期の終わり」の大方のあらすじを知ったのですが、読まないでおいてヨカッタw。あの当時読んだとしても、ワタシには理解不可能だったと100%確信できます。


All in One_00
幼年期の終わり 要約


 
 で、物語の設定としては、人類以上の存在が地球に現れ、自らが無力だと悟った人類は、地球外知的生命体「オーバー・ロード」の管理の下に「ワン・ワールド」を築く。そして「ワン・ワールド」が安定した頃、人類の前にその姿を見せた「オーバー・ロード」の容姿は、古より伝えられた「悪魔」の姿そのものであった。

 しかし、宗教すら瓦解した「ワン・ワールド」の人類は「オーバー・ロード」を受け入れ、やがて全ての「子供たち」の人格に変化が顕われる。

 人類とは「精神の癌」を宿す種族であり、その破壊力は物理的世界を凌駕し、宇宙の隅々にまで感染する。そうなる事態を防ぐために「オーバー・ロード」の更に上の存在、「オーバー・マインド」から彼ら・・・「悪魔(オーバー・ロード)」は使わされて地球に来た。

 子供たちの人格の変容とは、「精神の癌」を取り除いた結果であり、恐らく・・・「精神の癌」=「エゴ」を取り除かれた子供たちはひとつの統合体となり、「オーバー・マインド」のいる星へと旅立って行く。後には空っぽになった地球が残され、役目を終え静かに終焉の時を迎える。以上。

 要約のさらに要約ですが、あらすじだけ読んでも物語は様々な示唆に富んでいます。

 先ず「ワン・ワールド」の出現です。現在でこそ陰謀論・・・いわゆる「イルミナティーが云々」で、「ワン・ワールド」という言葉が当たり前のようにネット上を行き交っていますが、当時(1970年代)そんなことを論ずる人は皆無で、妄想の類でしかありませんでした。


 そして宗教が瓦解するというのも「ワン・ワールド」の世界観であり、当時は口に出すのも憚られる「危険思想」だったんじゃないんですかね?だからこそSF(空想科学小説)の中でなら許された。・・・と。


 「子供たち」の人格(精神)の変容は、ヱヴァンゲリオンの中で繰り返し語られる「人類補完計画」そのもののようにも思えるワケです。


 で、物語の「核」となるのは、「人類の精神性」なのですが、つい最近もその手の邦画、「SPEC~天~」が封切られ興行成績もイイようで、そういった超常現象がワタシたちは大好きです。知的好奇心もあるのでしょうが、その他にも、今以上の力を欲する欲望が心のどこかにあるのも否めません。


 ではそういった「力(特殊能力)」を手に入れた時、人はどう振舞うのでしょか?「SPEC」のドラマ版の中では、
 

「SPEC(特殊能力)は欲望の産物だ!」


・・・と、言っていますが、「お金」を持つと使いたくなるのと同じで、「SPEC」を持てばそれを使いたくなるのは当然です。問題はその「使い方」にあり、それを誤ると「宇宙の崩壊」さえ招きかねないと、「オーバー・マインド」は「オーバー・ロード」を地球に遣わせたワケです。

 つまり「人類補完計画」によって、個人の人格とかエゴとかをひとつに統合してしまえば、混乱や争いや破壊は回避できる・・・・と。

 なんかコレって、陰謀論で言われている「ワン・ワールド構想」と非常に似たものを感じますなあ。逆にね?「そこまでしないと人類って救われない種族なの?」と、少し・・・いや、大いに悲しくもなります。

 感情の起伏・・・嬉しいとか悲しいとか、恋だとか愛だとか、諸々の感情は今以上の人類の進化の妨げであり、ひいては宇宙的な迷惑であると?


じゃあ、人類て何なのよ?


・・・と、アーサー・C・クラークに聞いてみたいものですが、既に故人です。はい。  

 欲望を形にすることで文明が、人類が進歩してきたのは事実です。しかし、同時に多くの悲しみをも生み出してきたのも、また事実です。「核爆弾」「核廃棄物」「自然破壊」・・・etc。

 このまま、人類が進歩するほどに負の面の被害も大きくなるのであれば、いずれ「宇宙を破壊」というような事態が起きたとしても、不思議じゃないかも知れません。「幼年期の終わり」は、それを警告したかったのか?・・・と。

 「戦争」「飢餓」「疫病」・・・人類が文明を築いてこのかた、ずっと変ることの無い問題です。それどころか一度問題が発生すれば、過去よりも更に大きな被害が発生しています。

 「人類補完計画」により、個性を失った「統合体」としての「種」の進化を選ぶのか?それともひとりひとりが、「理性により欲望をコントロールする」術を身に付け、他人とも、地球とも、宇宙とも、「共存」する道を選ぶのか?「幼年期の終わり」は、もう、すぐそこまで来ているように思えたりするワケです。



人間ナメんなよ!


でわっ!