2012年5月9日水曜日
情状酌量
何でも東京都の猪瀬副都知事が、「車が来なければ、赤信号でも渡ってもイイじゃない。」と、つぶやいターそうですが、ベトナムから見ると
何を今さら・・・。
というカンジで、ま、ベトナムに限らず「日本以外の国」ではそれが標準かと思われます。はい。
(道路交通法)
第二条 十四号 信号機 電気により操作され、かつ、道路の交通に関し、灯火により交通整理等のための信号を表示する装置をいう。
だいたいベトナムなんて、10年前は信号機そのものが少なく、交差点では皆が「阿吽の呼吸」でお互いを避けつつ行き交っていました。
(道路交通法)
第四条 4項 信号機の表示する信号の意味その他信号機について必要な事項は、政令で定める。
で、なかには「空気の読めない」自己中なドライバーもいて、そういう人間が交差点に侵入して来るとその交差点は
大渋滞!
に陥ってしまうワケで、ワタシもよくそういった状況に遭遇し、辟易したものです。
(道路交通法施行令)
第二条 赤色の灯火 一 歩行者は、道路を横断してはならないこと。
今ではアチコチの交差点に信号機が設置され、通りの概観も「日本風」?になりましたが、交通マナーまではナカナカ・・・。というか、「世界共通のマナー」なんてあんの?最終的にはそれぞれの国の国民性に拠るワケでしょ?
(道路交通法施行令)
第二条 黄色の灯火 一 歩行者は、道路の横断を始めてはならず、また、道路を横断している歩行者は、すみやかに、その横断を終わるか、又は横断をやめて引き返さなければならないこと。
ヘルメットも今では皆が着用していますが、ワタシがベトナムを訪れた当初は「ノーヘル」でした。その後、一時的に行政の指導により「ヘルメット着用」が指導されましたが、「暑い」とか、「カッコ悪い」とか評判が悪く、殆どの人は相変わらず「ノーヘル」でバイクに乗り、行政側も指導をあきらめてしまいました。
で、暫くして再度「ヘルメット着用令」が出されるのですが、今回はスンナリ皆が受け入れ今日に至っているワケです。でもなぜ?前回は失敗し、今回は上手くいったのか?を考えてみるに、その間の社会の変化にあると思えるのです。
年に7%、8%、時には10%くらい経済発展するお国柄ですから、一年経てば身の回りの経済状況も変わるでしょう。つまり、個人の資産・財産も増えるワケで、そうなると、そうした財産を増やしたり、守りたいという気持ちになって当然です。
自己資産を守り、管理するのに一番大切なものは何か?
それは我が身
に他なりません。したがって「我が身を守る」ため=「財産を守る」ために、多くのベトナム人がヘルメットの有用性に気付き、現在の「交通安全意識」が形成された・・・と、ワタシは勝手に分析しています。
(道路交通法)
(信号機の信号等に従う義務)
第七条 道路を通行する歩行者又は車両等は、信号機の表示する信号又は警察官等の手信号等(略)に従わなければならない。
(罰則 第百十九条第一項第一号の二、同条第二項、第百二十一条第一項第一号)
ま、ベトナムの例はさて置き、「赤信号」に限って述べるならば、日本以外の国では
車が来なければ渡る。
・・・が、「標準」であることは事実です。良いか悪いかは別にして、
それが現実
であることは知っておいて損はないでしょう。外国にて、「車が来ない交差点」で、「赤信号を守り」突っ立っていたら、「自分で状況判断の出来ない愚か者」・・・という目で周囲の人に見られるだけです。はい。
(道路交通法)
第百二十一条 次の各号のいずれかに該当する者は、二万円以下の罰金又は科料に処する。
一 第四条(公安委員会の交通規制)第一項後段に規定する警察官の現場における指示若しくは第六条(警察官等の交通規制)第四項の規定による警察官の禁止若しくは制限に従わず、又は第七条(信号機の信号等に従う義務)若しくは第八条(通行の禁止等)第一項の規定に違反した歩行者
当然、信号機を設置している国には必ず、「赤は止まれ」という法律があるはずですが、法律を遵守する意識とか基準とかが、日本とは若干違うところにあるのでしょう。つまり、
法の解釈
という根源的な問題になるワケです。
必要悪は無い。
あるとすれば、許容悪である。
ということを何度か言ってきたワケですが、これを法廷用語?裁判用語?で言えば、
情状酌量
とも言えるかも知れません。「罪は罪として、罪を犯すに到った経緯には同情の余地がある。」というアレです(たぶん・・・)。
いたって「人間的」な裁量ですなあ。もしね?コンピュータが裁判官だったら、判決には「○」か「×」しかないワケですよ。個人の事情なんて知ったあこっちゃない。法令に従ってサクサク裁判が進むことでしょう。
効率的で素晴らしいですなあ!
・・・と、考える人が殆どいないのは
人間は過ちを犯すものだ。
・・・と、誰もが自覚しているからに他なりません。「コンピュータなんぞに、人間の気持ちが分かってたまるかっ!」・・・と。
即ち、「過ちを犯す」というマイナス面もひっくるめて人間は人間であり、ワタシたちはある意味「危なっかしい社会」を合意の上で、「共同生活」を営んでいるワケです。はい。
で、情状酌量の余地=許容悪の基準となるのは、「社会(共同生活の場)」を破壊しない。悪影響を及ぼさない。・・・というのが、最低条件のようにワタシには思えるワケで、その点で見れば「原発事故」は・・・
情状酌量の余地無し!
と、糾弾されても当然の事態のようにワタシの目には映るのですが、日本の検察・司法が全く動かないのは、イッタイどういうワケ?なんですかねえ・・・。
更に言えば、「自分で状況を判断をする。」という能力が、いつの間にやら日本人は低下してしまったようにも見えます。何でですかね?この「赤信号」の件もアレですが、現在、もっと深刻な「放射能汚染」の問題でも、同じ事が起きているように思えるワケです。はい。
ま、「放射能汚染」の話はまた別な機会に譲るとして、「赤信号」の話に戻りますが、これはね?ワタシ個人としては、猪瀬副都知事のつぶやきに与すのですが、万が一事故が発生した場合に、誰が責任を取るか?が問題とされるワケで、諸外国のように、「赤信号を渡ってもイイけど、自己責任でね♪」というコンセンサスが構成されないと、安易に結論は出せないのでしょう。ん。
人間ナメんなよ!
でわっ!