2012年10月20日土曜日

気が重いのだケド・・・。

       
 「週刊朝日」の橋下(ハシシタ)氏の出自に関する記事に端を発し、「差別問題」がアチコチで取り沙汰されていていますが、「カレイドスコープ」のハリマオ氏まで論陣に加わるとは・・・。


Thu.2012.10.18
日本解体阻止
「ハシシタ」報道の意味と日本維新の会の無政府主義



 そして、もうおひと方、「差別」「同和」の問題に関する書物を過去に出版しておられる小林よしのり氏。


差別論スペシャル
ゴーマニズム宣言 (幻冬舎文庫)

小林 よしのり (著)


橋下徹はえらい!
小林よしのり 2012年10月19日 15:02


 で、ワタシも過去何度か「差別問題」に言及してきたワケですが、「差別問題」を突き詰めていくと、「日本の真の歴史(裏の歴史)」と向き合わざるを得なくなるワケですよ。

 そして、ソレなくしては「差別問題」の根本的な解決は見られないワケで、その事によって自己のアイデンティティーの崩壊に陥る人も現れるであろうワケで、その時に「正常な精神状態」を保っていられるか?・・・という、まさに「癌の告知」にも等しいワケです。

 ま、今回の「ハシシタ氏」の出自について「週刊朝日」が暴露?した件で、ハシシタ氏は「血統差別」であると声を大にして抗議しているワケですが、「差別」自体に非はないワケで、問題は、どう「差別」をするか?にあるワケです。

 「差別」をして「優遇」するのか?それとも「冷遇」するのか?が本質であり、「出自」を明らかにされたくらいで「差別」だとイキリ立つのは、ちと、思慮に欠けるかと?

 皆さん、華道だの、茶道だの、歌舞伎だの、あと宮様だの、日常的に「血統差別」をしてますよね?そうした差別はOKで、「部落」だの「同和」だのいう差別はNGなんですか?その違いは何ですかね?ひとえに「優遇」されているか「冷遇」されているかの違いであり、「差別」のウラとオモテ、光と影のような、


表裏一体


の関係にあるワケですよ。したがって、「差別」をなくす為には、どちらか一方だけを否定してもしょうがないワケで、ウラもオモテもまとめて「否定」しなければ「差別」は消えないワケです。

 で、もし本当にそういう社会をワタシたちが望むのであれば、過去のそうした「血統」の威光、既得権益を頼りに生きてきたエスタブリッシュメント層は自分たちのアイデンティティーを失ってしまうワケで、先日、TVに出演していた宮様の血筋を引くらしいナンタラいう学者も、自分のセールスポイントがなくなり、さぞ、悲しむことでしょう。

 「差別」に向き合うとは、「日本の真の歴史」=「支配体制の構図」と向き合うコトなワケです。そして多くのおぞましい事実、信じられない事実に直面するワケですが、


その覚悟はあるのか?!


という意味で、「癌の告知」にも似た「気の重さ」がワタシに纏わり付くワケです。

 以前、大相撲の八百長が世間を騒がせた時に、ワタシなりの見解を述べさせて貰いました。そしてヤクザについても。


2011年2月2日水曜日
日本文化に対する破壊行為をヤメヨ!


2010年10月7日木曜日
やくざのレゾンデートル


2007年11月22日木曜日
誇りを持て!


 で、ハリマオ氏は、橋下氏や経済学者の竹中氏の心の内にある「日本破壊願望」を訝っているワケですが、ワタシが思うにそれは、


ルサンチマン(怨恨)


のように思えます。歴史に埋もれてしまった原日本人?の怨念が現代でも生きているというコトです。このへんはリンクに追加した「八切止夫作品集」のなかの「古代史入門」とか、五木寛之「風の王国」とかが参考になるでしょう。


松岡正剛の千夜千冊
『風の王国』五木寛之




風の王国 [単行本]
五木 寛之 (著)


 要は、「日本のテッペンを誰が獲るか?」・・・という抗争が、綿々と幾世紀にも渡って続けられているという「裏の歴史」が存在するワケで、その為には「外国勢力」と手を組むことさえ厭わない「血統」が存在するワケです。・・・残念ながら。


 今日は「貴」なる者たちが、明日には「賎」なる身分に貶められる。そうした「階級闘争」に、何も知らないワタシたちが振り回されていることに恐らく気づいてしまったのが、2002年に暴漢によって「暗殺」されてしまった民主党の石井紘基議員であり、その心情を表している言葉が友人に宛てた手紙に書かれた・・・


「これにより(国会で暴露する事により)不都合な人は沢山いますので、身辺には注意しますが、所詮身を挺して闘わなければ務まらないのが歴史的仕事という事でしょうから、覚悟はしていますが、それにしても、こんな国の為に身を挺する必要があるのかな、との自問葛藤も無きにしもあらずです。」


・・・という思いになるのではないかと?


石井紘基 日本病の正体




闇を暴く もっと光を


 いま、橋下(ハシシタ)氏が真剣に「差別」の撤廃を訴え、「ルサンチマン」を越えた「現代理性」に基づいた行動に出るのであれば、ワタシは支持を惜しみません。

 ま、今にして思えば、「文楽」の否定というのも、ある意味「差別」に対する復讐だったのかも知れませんが、そうした個人的な感情と、「文化」として認知されてしまった「芸」とは分けて考えたほうがイイでしょう。

 「文楽」という「芸」は認めても、「文楽」という「特権階級」が存在するのはオカシイと、ワタシも思いますもの。「文楽」、「歌舞伎」、「茶道」・・・等々、「芸」であるならば先ず自分で稼ぐのがスジであり、国から補助金を貰うというのは如何なものか?そこには、「血統」を優遇する「差別」があるんじゃないの?・・・と。

 で、そうした「差別」は公然と認められていて、「部落」とか「同和」とかいう差別には大騒ぎするというのも、ズイブン都合のイイ差別だなw。・・・と、思えたりするワケです。

 悪い癖で纏まりがつかなくなってきましたが、ワタシが感じるのは、橋下氏が「出自」を公表されたくらいで「差別」だと大騒ぎするのはお門違いだというコト。逆に歴史をしっかり学べば、「ヤクザ」でさえもその存在に「誇り」が持てるワケです。

 したがって橋下氏が「差別」に対して逆上するのは、「差別」の本質を理解していないか、もしくは心の中にやましい部分があり、それを「差別」にすり替えて自分を正当化しているようにも見受けられるワケです。

 「差別」をなくすには、本当の日本の歴史を知る必要があるワケですが、それによってアイデンティティーが崩壊してしまう人も現われるかも知れません。それでもワタシたちは現実問題として今を生きているワケであり、アイデンティティーが崩壊しようと腹は減るワケで、それが生きていること、自分がいまここにいることの何よりの証なワケです。

 ただ「心の在り方」が変わることで、世界の見え方が180°変わってしまうかも知れません、「癌の告知」の後のように・・・。だから「差別」の問題を取り上げるのは気が重いワケですが、この「壁」を乗り越えないと「新しい世界」の地平線も見えてきません。
 
 「旧世界のゾンビーズ」たちの頚木から開放され、「差別」による「優遇」や「冷遇」のない、ただ、ありのままの人間同士が共存する、


我々は、我々なのだ !


と、確信できる「新しい世界」を迎えるには・・・。



人間ナメんなよ!


でわっ!