2013年3月29日金曜日

「放送法」を知らんのか?

   
 なにやら最近日本では、「TPP」やら「原発」やらの批判論者や批判的TV番組が、次々に放送打ち切りになったり、番組出演を降板されているとかで、


実にケシカランですなwww。


 あまつさえ国会議員までもが、放送局の放送内容を検閲するかの如き発言を国会の場で堂々とするとは・・・。


カレイドスコープ
Wed.2013.03.27

始まった自民党による言論弾圧と「TPP世論操作詐欺」




 マズ第一にハッキリさせなければならないのは、国は検閲をしてはならないという憲法規定があるということです。


日本国憲法

第三章 国民の権利及び義務

第二十一条
第1項
 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
第2項
 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。


 同条項には「主語」が欠けているので、「誰が」、「誰に」対しての条文なのか明快ではないのですが、「国民の権利と義務」という章の中に含まれる条文であることから、すべての国民に適用されるものと考えられます。したがって、同二十一条は、


第二十一条
第1項
 (すべての国民の)集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
第2項
 (すべての国民は)検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。


・・・と、理解するのが一番合理的です。

 しjかしここでひとつ問題・・・というか矛盾?が発生するのが、第二十六条との兼ね合いです。


第二十六条
第1項
 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
第2項
 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。


 義務教育課程において、その教育内容は教育者側に一任されるという現実は、すなわち「検閲」の存在を肯定していることを意味します。したがって、「すべての国民」という括りにすると第二十一条は、義務教育の教育現場にはそぐわないので、少なくとも義務教育過程においては、保護者も含めた「教育者の良心」に信頼して、「検閲」の存在を認めるのが妥当な判断です。

 もちろんこの良心が、「公共の福祉」を前提としたものであることは言うに及びません。

 以前にも、「自分の良心にしたがえ」・・・とエラそうなことを書きましたが、「良心」なんて、あやふやな言葉に頼れるか!・・・と、思う人がほとんどでしょう。しかし実際、この社会の規律を守る「司法」の基本原理とは、この「良心」に他ならないのです。


第六章 司法

第七十六条
第1項
 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
第2項
 特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
第3項
 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。


 「すべての裁判官は、その良心に従い」・・・という基本原理、裁判官の「良心」によって、この社会の規律が維持されているという現実。それは取りも直さず、「良心」というものが一般の国民であろうと裁判官であろうと、「同じモノサシ」であるがゆえに、おおかたの裁判の結果において国民の合意が得られるワケですよね?違います?

 したがって、「裁判官の良心」に信頼して日本の司法を委ねているように、義務教育の過程においては、「教育者の良心」に信頼して「検閲」の権限を認めるのは、憲法に違反しないようにワタシには思えるワケです。はい。

 しかしながら、「良心」というものが「社会的な合意事項」であることを鑑みれば・・・早い話が、時代時代の雰囲気によって、「良心」が好戦的になったり、また、排他的になったりすることもワタシたちは経験済みなワケで、そうした現実からすれば、「良心」の土台となる軸が求められるワケです。

 それが、憲法で保障されている「人権」なワケですよ。

 人間は普遍的な存在であり、例えば臓器移植・・・あまり例えが良くないかもしれませんが、臓器移植にしても、人種、性別の関係なく可能なワケであり、個人個人の存在価値は、生物学的には「同等」なのです。そうした、


人間回帰


・・・の考え方からすれば、すべての人の権利もまた、普遍的平等であるとしか言いようが無く、したがって日本国憲法に謳われる「基本的人権」とは、この普遍性に基づいていると理解できます。

 そして、この普遍性に基づいた「良心」こそが、すべての人をつなぎ合わせる「良心」であり、当然、日本もこの「良心」に基づいて社会構築すれば、揺ぎ無い社会となるワケです。はい。

 話が「検閲」から逸れてしまいましたが、翻って、NHKの放送内容を批判している、この自民党の大西英男なる議員は「良心」を持っているのか?また、日本のマスコミ各社、メディア関係者は「良心」をもっているのか?

 (すべての国民は)検閲をしてはならない・・・という憲法を遵守のであれば、国会議員は真っ先にその義務を負っているワケですよ。


第十章 最高法規

第九十九条
 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。


 つまり、自民党の大西英男なる議員は、国会の場で堂々と憲法違反をしているのであり、なおかつ、他の議員の誰一人それを指摘する者がいないというのは、誰も日本国憲法のことなど知らないという、


恐ろしい状況下で国会が運営されている


・・・という事態にあるワケです。憲法無知の国会議員が・・・つまり、国会議員としての最低限の教養すら無い者たちが、この日本を動かしているという事実なワケですよ。どうします?

 であればこそ、安倍(歪)総理と楽しい自民党から、憲法改正などという提案が出てくるのも、憲法も理解できない、教養の無い国会議員たちのなせる業なのだなw・・・と、納得至極。

 「愛」だの「文化」だの言っていますが、ワタシに言わせれば、「愛」なんて「良心」以上に曖昧で、そして「個人的」な感情に過ぎません。ワタシはワタシの嫁を「愛」していますが、それを他人に強要する気はありませんし、他人がワタシの嫁を嫌ったからといって、ワタシの嫁への「愛」が揺らぐものではありません。

 おりしも春の高校野球で、みなさん「郷土愛」に目覚めていることでしょう。「母校」、「地元校」が勝ち進めば「郷土愛」も熱く燃え盛ることでしょうが、敗退してしまったら、それで「郷土愛」の熱も冷めてしまうんですかね?そんなものが「本当の郷土愛」と言えるんですかね?

 「郷土愛」・・・視野を広げて「日本」全体を対象とした場合でも、「経済的」に強くなければ「郷土愛」が持てないのか?「オリンピックで金メダル」が取れなければ「郷土愛」が持てないのか?「他国より強力な武力」が持てなければ「郷土愛」が持てないのか?・・・つまり、日本が何でも一番でないと「郷土愛」が持てないのか?・・・というハナシなワケですよ。


そんなの、ホントの愛なの?


・・・と。

 で、憲法無知の国会議員もアレですが、NHKにしろ他の報道機関にしろ、彼らの報道姿勢も褒められたものではない・・・といか、「放送法」に違反しているでしょ?


放送法

第一章 総則

(目的)
第一条
 この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。

 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。

 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。

 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。


 第1条、第2項の「放送の不偏不党」。そして、第3項の「健全な民主主義の発達に資する」という放送事業の目的を、NHK及び民放各社は遂行していると胸を張れるのか?

 「自社独自のアンケート調査」なるものを、当たり前のように垂れ流していますが、「自社独自」の調査結果を流すのであれば、必ずそれに相反する調査結果も流さなければならないのも、これまた「放送法」で決められたこと。


第二章 放送番組の編集等に関する通則

(放送番組編集の自由)
第三条
 放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。


(国内放送等の放送番組の編集等)
第四条
 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

 公安及び善良な風俗を害しないこと。

 政治的に公平であること。

 報道は事実をまげないですること。

 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。


 第3条、第4項の規定を鑑みれば、孫崎氏がNHKの番組中で「TPP」、「領土問題」についての見解を発言したとしても、それは放送法に定められた規定を遵守することであり、自民党の大西英男なる議員はそれを「ケシカラン!」・・・と言っているワケですから、「放送法」を捻じ曲げろと言っているのに等しいワケであり、


ケシカランのはどっちだ!?


・・・という話しなワケですよ。まったく・・・。

 で、「カレイドスコープ」で報告されているように、安倍(歪)総理と愉快な自民党の政策に反するTV番組が打ち切りになっているのだとしたら、これは由々しき問題ですよ?放送業者側が自ら「放送法」を破っている・・・つまり第一条、第3項の、「健全な民主主義の発達に資する」という目的を放棄して、民主主義に敵対しようというのですから、「放送法違反」で告訴して、「総務省」からの事業認可を取り消すしかありません。

 事態はそこまで逼迫しているワケで、民間の調査機関を立ち上げ放送業者の放送内容を逐一チェックをしなければ、放送業界お抱えの「放送番組審議機関」などでは、原子力業界お抱えの「原子力規制委員会」のように、業界内の「自浄」には遠く及ばないだろうということです。はい。






人間ナメんなよ!


でわっ!