もう遠い過去の記憶になりかけちゃってるんですケド、気を取り直して・・・
市場の周りを一回りした後で海を見に行く予定だったのですが、
まぁ、セオムとゴタゴタしたのに懲りたのか、妻が先ずは実家に行こうと。
実家にバイクがあるからそれで海を見に行こうと言うのです。
セオムと値段交渉するに疲れたのでしょう。
(そういうことならホテルを出るときにお土産もって出たのに・・・orz)
成り行きだからしょうがないと諦め、とりあえず妻の実家に向かったのですが、
実家に着くころにはあたりはもう薄暗く、海を見に行く気も萎え気味。
しかも丁度バイクが家に無くて、(これで行かなくてもイイや)と内心ホッ♪
しかしぃ~!妻がワザワザ親戚からバイクを借りてきて、もう行くしかない。と。
で、街灯も無い田舎道をビクビクしながらバイクを走らせること約20分。
妻は海に着いたと言うのですが、波の音が聞こえない???
「本当に海に着いたの?」と聞くと、
「水があるところはもう少し先。」
というので、暗闇の中をバイクのヘッドライトだけを頼りに先に進んだのですが、
どうも・・・ナンか・・・変な感じ???
砂浜らしい気配がゼンゼン無く、泥地の上をひたすら走っているのです。
しかもそのうちに泥地が湿気を帯びてきて、ハタと気がつきました。
「ここの海岸は潟だ!」と。
このまま先に進んで潟にタイヤを取られて抜け出せなくなったらヤバイ!
というワケで、ソッコーUターンしていま来たルートに沿って引き返しました。
まわりはすでに真っ暗。バイクのヘッドライトだけが頼り。
救援を求めても助けが来る可能性は限りなく0%・・・
イヤ~・・・もうね・・・バイクのハンドルさばきには細心の神経を集中しました。
ま、そのかいあって無事に潟から帰還できたんでケド。
で、妻の実家に戻っても近所の人が、なんで日本人がこんなところにいるんだ?
という感じで入れ替わり立ち代り見に来て、落ち着かないことこのうえ無し。
ひと通りご近所さんにご挨拶したところで妻に、「お寺に行こう。」と耳打ちし、
近所のお兄ちゃんにセオムを頼んで、妻の実家から10分ほどの所にある
小さなクメール寺院に向かいました。
お寺は正月を祝うクメール人で結構な込み様。出店もたくさん。
クメール語の正月を祝う読経?がスピーカーからガンガン流れ、
境内は初詣の人と線香の煙とでいっぱい。
境内には盛り土された場所がいくつかあって、初詣に来た人は盛り土に
線香を何本も立ててお祈り(お願い)していました。
盛り土に仏像が飾られていたので、
この盛り土は、須弥山を表しているのだなぁ・・・。
と、納得した次第です。はい。
境内では寺院増築の寄進も募っていて、ワタシも僅かながら寄進しました。
妻いわく、この寺の寄進台帳にワタシの名前が載るとか?
こんなヘンピな場所にあるクメール寺院の寄進台帳に
日本人の名前があるといのもまた酔狂。
(そういえばアンコールワットに自分の名を残した日本人がいたような・・・)
プノンペンに比べてソクチャンの正月はロアム(踊り)が無いからつまらない。
と、妻は正月前に言ってましたが、お寺の境内には舞台が設えられ、
カラオケ(クメール語)をやったり、踊りを踊ったり、なかなかおもしろかったっス。
カンボジアの田舎の正月もこんな感じなんだろうなぁ~・・・と思いながら、
人が生きるという事において、
国家というものに、どれだけの意味があるのか?
などと考させられもしました。
ここの人たちはベトナムという国家の中ではよそ者のような存在。
実際、ポルポト時代にカンボジアからこの地に逃げてきた人も多くいます。
そのような難民を快く受け入れてきたベトナムであればこそ、
経済の市場化が進み、田舎にまで投資や開発の手が伸びようと
この地は彼らのために、このままそっとしておいてあげて欲しいと願うのです。
国家と国民。
約束の地。
民のために国家があるのか?
国家のために民があるのか?
国家が無くても民はたくましく生き続けるでしょう。
でも、民無くして国家が存続することは出来ません。
やたら国益、国益と力説してる某国の政治家の姿や
基本的に「寄らば大樹の陰」気質の某国の国民の姿を思い浮かべながら
ソクチャンの片田舎で、そんなカンタンなことに得心したクメール正月でした。
でわっ!