OUT OF EDENより・・・
赤い楯-ロスチャイルドの秘密 下巻-1
広瀬隆、集英社、1991
<前略>
第三章 地獄の黙示録
かつてはインドシナと呼ばれたベトナム、その戦争を始めたのはアメリカではなくフランス。インドシナ戦争、フランス領インドシナは、現在のベトナム、ラオス、カンボジアを含む広大な領域。日本の侵略、満鉄調査部の英仏に関する調査、そのいい加減な報告書。こんな調査報告で開戦に踏み切ったのかと呆れる。
第二次世界大戦後のインドシナ侵攻
1945.8/15、日本敗戦。
1945.8/17、インドネシア独立宣言。
1945.9/2、ベトナム独立宣言。
蘭、インドネシア侵攻。仏、インドシナ侵攻。
1946.12、インドシナ戦争勃発。時の仏首相レオン・ブルーム、戦中は収容所にいたユダヤ人、その人がインドシナを襲撃。
1948.10/18、ドゴール、原子力庁を創設。ブルーム、核兵器開発を推進。イレーヌ・キュリー、原子力委員に任命。その夫ジュリオ・キュリー、原子力庁初代長官に就任。
同じ年、イヴ・モンタンのセシボンは大ヒット、カンヌ映画祭開催、ジッドにノーベル文学賞授与、ガンジー暗殺、アラブ寄り国連調停者ベルナドット伯爵暗殺。
1948.12/10、インドシナの惨劇をよそに、国連人権宣言を採択。
1951、ラオス、カンボジア、ベトナムの連合戦線。
1953.4、フランス軍、ラオス北部から撤退。
1954.4/5、駐仏アメリカ大使ダグラス・ディロン、アメリカ空軍の介入を要請。
1954.6、フランス全面撤退、国防大臣ルネ・プレヴァン辞任。
1954.7、ジュネーブにて休戦協定、インドシナに平和が。
ディロン・リード社出身のダグラス。創業者クラレンス・ディロンはアメリカ戦争産業会議幹部を兼務。典型的な戦争金融。
さらにダグラスの娘ジョーンはルクセンブルグ公爵シャルルと結婚、有名なシャトーブリオンの経営者となる。公爵の妹はロスチャイルドと姻戚。
ダグラス・ディロン、ケネディ内閣で財務長官に就任。仏上流階級に恩返し。
1961.5/11、ケネディ、ベトナムに特殊部隊の派遣を決定。
ダグラスと連携した国防相プレヴァンの嫁はセイロンを支配するウォルムズ家出身。まるで、コーヒー農家とぶどう農家の密談がベトナムの悲劇を産んだようなもの。
インドシナ銀行の最高幹部は、その多くが、北部鉄道の最高幹部を兼務している。すべてジェームズの鉄道ファミリー。
インドシナ植民地人脈
アンリ・ナヴァール将軍、北アフリカ産業銀行重役を兼務。
ポール・リングラード将軍、伯母シュテルン家を通してルイ・ドレフュス、ブンゲ姻戚。
ミシェル・ボワシュー、サガ海運重役、パリ・ロスチャイルド商会重役、同族アルベールはインドシナ銀行重役。
ジャック・ジェッタン、サガ海運重役、パリ・ロスチャイルド商会重役、北部投資副社長、大蔵省高官、安南鉄道支配人、父ピエールはインドシナ鉄道重役。
インドシナの産品は米、輸出の七割。ルイ・ドレフュスとブンゲが狙わない筈はないのに、名前が出てこない。鉄道で運んだ後は、ウォルムズ海運とサガ海運に任せて置けば、セイロン島でルイ・ドレフュスの船や、ブンゲの船に積み替えても自由。
アントワーヌ・シュテルン、ブンゲ重役、祖父エドガーはインドシナ銀行三位。
サロー、仏首相、インドシナ総督、一族はルイ・ドレフュスの重役。穀物を巡って、インドシナとウクライナが同じ運命を辿っても不思議ではない。
金融と兵器産業
1875、インドシナ銀行設立、最大株主はパリバ銀行。パリバ銀行創立者ジャック・シュテルンの甥ジャンの妻はベティー・ロスチャイルド。
十九世紀、セイエール銀行、シュネーデル兵器工場に融資。
セイエール、ドマシー家と姻戚。ドマシー・セイエール銀行誕生。シュネーデル、ヴァンデル家と姻戚。
砂糖・タバコで財をなし、フランス植民地金融を設立して侵略投資を煽ったオクターヴ・オンベルグ財閥、ドゴール家と姻戚。
インドシナ銀行最高幹部はドマシー、オンベルグ。ドマシーはパリバ銀行頭取を兼務。
1991現在のパリバ会長はミシェル・ポンセ、フランソワ・ポンセ仏外相の従弟。外相ポンセは駐日仏大使フランソワ・ミソッフとともに、ヴァンデル家の娘婿。政治、金融、穀物輸入、兵器産業がひとつながり。
インドシナ銀行傘下の企業、インドシナ冶金、インドシナ蒸留、インドシナ不動産、インドシナ・ビール、インドシナ商事、インドシナ農業銀行、インドシナ抵当信用、インドシナ水道電力、インドシナ研究社、インドシナ農業開発、インドシナ鉱山、インドシナ・ゴム、インドシナ鉄道、インドシナ製薬、インドシナ商業連合、ざっとこの二倍。
1872、パリ銀行、オランダ・クレディ預金銀行が合併。パリバ銀行誕生。仏語でオランダの事をペイ・バ(低い国)と言う。よって、パリ+バ。
インドシナ銀行へ直接融資した銀行は、ヴェルヌ、オッタンデル、ヌフリズ、マレ、シュルンベルジェ、クレディ・リヨネ、ソシエテ・ゼネラル、リヨン預金銀行、パリバ、パリ割引銀行。そのすべてに出資しているのが、1990資産世界第一位の「スエズ金融」。
テロ国家フランス
1985.7/10、ムルロワ環礁での核実験に抗議するグリンピース「虹の戦士号」爆破。撮影フェルナンド・ペレイラ死亡。ほか十一名は救出。
ニュージーランド警察、事件はフランス政府の指令によると断定。
フランス政府、ニュージーランドから羊肉と酪農品を輸入。事件に幕引き。
1988、首謀者ミッテラン、大統領選挙で再選。引責辞任は、エルニュ国防大臣とラコスト対外治安総局長官のみ。
フランスの諜報組織、SDECEセデス=外国文書防諜局、1982からは改称してDGCEドグス=対外治安総局となる。
フランス革命の主体となったジャコバン・クラブ。その母体はフリーメーソン・パリ支部。1954、アルジェ独立戦争時にジャコバン・クラブ会長に就任したのが、後の国防大臣エルニュ。
社会党大統領ミッテランと、表面上は対立する筈の保守のシラク首相。グリンピース爆破事件は格好の攻撃材料、しかし、これを絶讃し、抗議する豪ホーク首相を馬鹿者呼ばわりさえするシラク。
ミッテラン・ジスカールデスタン閨閥
ミッテラン=ブレゲ=Brantes=ジスカールデスタン。
シュネーデル=Brantes=ボイスヴィアン。
フランシス・ミッテラン、社会党出身、1981-1991大統領。
ルイ・ブレゲ、エール・フランス創業、戦闘機製造。
ヴァレリー・ジスカールデスタン、1974-1981大統領。
ギイ・サベージ・ド・ブランテ、ラザール・フレール米支店。
マリナ・ボイスヴィアン、ギイの妻、パリ・オペラ座支配人。
核実験廃止、兵器輸出抑制、原子力発電の全廃を公約に掲げて当選したミッテラン大統領。その後は、保守のジスカールデスタン以上に核実験、原子力、兵器輸出に邁進。抗議団体の船は爆破するという、猿より下等なフランス大統領のこれが正体。
第二中東、ダッソー社ミラージュ戦闘機、初の実戦投入で戦果。
1971、仏二大航空会社ダッソー、ブレゲ合併。
1982、同社ダガーネシャー機、英フォークランド紛争で実戦配備。
マルセル・ダッソー、旧名マルセル・ブロッホ。ミラージュ戦闘機をイスラエル、南アフリカ、イラクにまで売り付けた死の商人。
ロスチャイルドとフリーメーソンの関係
アンヌ・ルイーズ・ジェルメーヌ・ネッケル嬢、スウェーデン大使エリック・スタール・ホルスタイン男爵と結婚して、スタール夫人となる。この家系、後にシュルンベルジェ家やマレ家を輩出。
ナポレオンを口撃するスタール夫人、シャルル・タレイランと実懇。タレイラン、無心の代償に、ジェームズ・ロスチャイルドをフリーメーソン最高監査役に任命。
パリ占領時代、ピエール・ブロソレット、フリーメーソンの組織とロスチャイルドの財力を活かして、レジスタンス組織を一本化。ドゴールの政策顧問、息子はクレディ・リヨネ会長。
ジャック・ミッテラン、大統領の弟、アルジェリア出兵、NATO代表、エグゾセ・ミサイル開発軍需産業アエロスペシャル総裁。
ジャック・ミッテラン、同姓同名、フリーメーソン・フランス本部指導者。
ミッシェル・バロワン、ミ大統領の親友、警察官僚、内務省諜報員、アルジェ弾圧に参加、フリーメーソン指導者。
ミッテラン家はフリーメーソンの庇護を得て成長し、甥オリヴィエがブレゲ家の娘と結婚するに及び、さらなる飛躍を遂げる。財界の後ろ盾を得て当選したミッテラン大統領は、核実験、兵器輸出、原子力産業を暴走させる。
シュザンヌ・ドイッチ、アエロクラブを設立、ここから仏航空会社が育つ。
ピエール・サミュエル・デュポン、タレイランの片腕、親友ラヴォワジェ、息子はその弟子。アメリカにデュポン商会を設立、その出資者はスタール夫人の叔父ルイ・ネッケル。1907まで全米火薬の七割を独占。
タレイラン邸の次の住人は、仏エドアール・ロスチャイルド。
ウォルムズ銀行とは何か
1987、カンヌ映画祭グランプリはヴェンダース「ベルリン天使の詩」 時の審査委員長はイヴ・モンタン、ジャンヌ・モローはことごとにヴェンダース擁護、審査委員の中の唯一の銀行家ジェラルド・カルドロンこそ、カンヌ映画祭の黒幕。フランス映画金融のソフェ・ソフィディ社、UFCA社で会長を兼務。ロ系ウォルムズ銀行上級取締役。
戦前、大日本帝国の公式見解「セイロンは、ウォルムズ家の私有地であり、ロスチャイルドの所有になる」
ウォルムズ家、初代ネイサンの姉ジャネット・ロスチャイルドと姻戚。
1815、渡英、ヘンリー・ウォルムズ植民地省長官、国際砂糖会議議長。
1941、ウォルムズ兄弟、セイロン全域を買収。
表にはファッション、文学、映画など、世間受けするものを出しながら、裏では植民地支配、脱税業務を続けるフランスの二百家族。
フランス籍のオイル・タンカーの1/3がウォルムズ銀行の所有。
民族自決政策を謳いながら、他国の自決権を奪ったドゴール。
オナシスとケネディは古い付き合い
父ジョゼフ・ケネディ、ベツレヘム・スチール造船部門の副支配人。海運王オナシスは得意先。
1900、アリストテレス・ソクラテス・オナシス、トルコ・スミルナに富裕なタバコ商の子として誕生。ギリシア民族。
ヒルシュ男爵、武器商ザハロフの陰謀により、トルコ、ギリシア両国決裂。
第一次大戦、ギリシア、スミルナを併合。アナシス家全盛。
ケハル・パシャの乱、在トルコ・ギリシア人を虐殺。叔父三人が処刑される中、父は存命、息子オナシスはアルゼンチンへ。
オナシス、オリンピック海運を設立。
アンリ・フランソワ・ポンセ、独クルップ・フランス代表。
ベルナール・フランソワ・ポンセ、その弟、オリンピック海運重役。
ジャン・フランソワ・ポンセ、その弟、仏外相、ウォルムズ海運重役、ヴァンデル海運重役を兼務。
ミシェル・ポンセ、その従弟、1990パリバ銀行会長。という訳で、オナシスは英仏独財界に親しい。
海運に強いギリシア。オナシス、ギリシア船主協会長老リヴァノスの娘アティナと結婚。その姉エウゲニア、ライバル海運業者ニアルコスと結婚。
リヴァノスの背後にはギリシア最大財閥のラリ家、ラリ=ロドカナチ=グンツブルグ=オットマン=ウォルムズと姻戚。オットマン銀行、ウォルムズ銀行の融資を得て、続々とタンカーを発注するオナシス。
ジョゼフ・ケネディ、暴落前に株を売って無傷。モルゲンソー財務長官、ケネディを証券取引委員会委員長に任命。
1937、ケネディ、海事委員会委員長に就任。さらに駐英アメリカ大使となり、チャーチルと関係を深める。
1953、オナシス、ティナ・オナシス号の進水。石油輸送につき、サウド国王と独占契約。ロックフェラーさえ締め出し。
1954、アメリカ海事委員会委員長ルイス・サミュエル・ロスチャイルド、無国籍船の通行許可政策を発表。さらなるロックフェラー締め出し。
1951.4/3、西ドイツ造船操業再開許可。オナシスからの発注、クルップ工場稼働、その株主ヴァンデルの増収=ポンセ兄弟の増収。
チャーチル家11代マルボロ公、オナシスの前妻アティナ・リヴァノスと結婚。
オナシス、豪華客船クリスティナ号にケネディ大統領とチャーチル元首相を招待。
1961.5/11、ケネディ、ベトナム派兵。ケネディ内閣の財務長官ディロンはフランス財界出身。
ケネディ暗殺。ジャクリーン・ブーヴィエ、オナシスと再婚。
フランスからベトナム侵攻を引き継いだアメリカ。その決定がケネディ政権下で行われたのは偶然ではない。
<後略>
物事には、因果と応報があるのだなぁwww
・・・と。
で?サルコジ大統領はどうなんですかネ?
でわっ!