オルタの言うこともね、一理あると思うワケです。
もっとも、
ベネディクト・アンダーソン 「定本・想像の共同体」 書籍工房早山
の受け売りなワケですが・・・
んで、「日本文化とは移民・混合文化に他ならない。」
と、ワタシは個人的に思っているワケですが、
その根拠として、まず挙げられるのが血液型です。
A型、B型、O型、AB型と、4種類の血液型を日本人は持っていますが、
このことが雄弁に、4種類の民族が「日本人」の「ルーツ」であることを
物語っています。
ま、「原日本人」として、「縄文人」(明石原人の子孫?)が
元からは居たのでしょうが、もし純粋に、
「縄文人」だけがそのまま「日本人」になっていたとしたら、
いまの「日本」が存在していたかどうかはヒジョwwwに疑問ですナ。
そりゃね?八切止夫氏の言うようなドロドロした
異民族の侵略の歴史があり、
それが現在まで続く「部落差別」の原因になってしまったことは
今を生きるワタシたちにとって、「不幸」であり残念ですが、
多民族の血が交じり合うことによって、より多くの知識を得たことは、
後日の「日本」のためにプラスになった面もあるんじゃないでしょうか?
「和」を重んじる国民性は、少なくとも4種類の民族が「日本」という
限られた場所で共存していくための知恵だったのだと思う次第です。
はい。
ところで、時の権力者が自らを神格化して、
民を支配し、「国」を束ねようとするのは、
神話の時代からヒトラーまで・・・もとい、現代ですら
けっこう日常的に行われてますよね?
そこで、自らのアイデンティティーを「国」に置かず、
「自分自身」に置くというのも、もっともなハナシなのですが、
「人間」は・・・というよりも、ほとんど全ての「生き物」は
「群れ(社会)」をつくって生活しているという事実があります。
「百獣の王」といわれるライオンでさえも・・・
「群れ(社会)」で行動する方が、個体で行動するよりも
生存確率が高くなることを、全ての生物は「本能的」に理解しています。
もし「群れ(社会)」がなかったら、この寒空のもと解雇された派遣社員は
あっという間に「野垂れ死に」の憂き目にあうことでしょう。
つまり、ワタシたちに必要なのは「権力者」を崇め奉るコトではなく、
この「群れ(社会)」を大切にすることであり、
身近な「お隣さん」を大切にすることなのだ。
と、思うワケなのですが、どうでしょう?
でわっ!