2011年5月30日月曜日

知識人?or 恥識人?

 このたびの「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。


 事故から2ヶ月以上、毎日24時間放射性物質を垂れ流し続けている「世界のFUKUSHIMA」原発なワケですが、何と言うか・・・未だにその被害規模、被害状況の「統一見解」が見られないという現状に、ウンザリされている向きの方も多いのではないか?と。

 まあ、不思議なもんですワナ。起きている「現象」はひとつなワケで、当然結果もひとつ。事実はひとつしかないワケです。・・・にも拘らず、「安全派(当面の影響は無い)」と「危険派(注意喚起)」に分かれた、所謂「知識人」を自称する人たちが、ネットに限らず様々なメディア上で論争?しているかの如き状況も、これまた毎日ダラダラ続いているワケです。

 で、「リスク管理」の考え方からすれば、「最悪の状況を考慮に入れる。」というのがセオリーなワケで、これは企業に限らず個人にも当て嵌まるワケです。・・・はい。

 自分にとって最悪の状況とは何か?一般社会人であれば、恐らく生活の糧を得るための「職を失う」ことを先ず恐れるでしょう。これはありとあらゆる職業の人に共通しています。政治家だろうが学者だろうが医者だろうが知識人だろうが芸能人だろうが作家だろうが批評家だろうが自衛官だろうが八百屋だろうが会社員だろうが・・・。

 しかし、様々な職業が存在できる環境とは、「安全な社会」が前提として在るワケで、いま正にその前提そのものが崩れようとしているワケです。・・・というか実際、毎日崩れつつあるワケです。放射性物質の垂れ流しによって。

 某タレントが「反原発」を声高に主張した結果、所属事務所を去らざるを得なくなったらしいのですが、恐らく彼のタレントにしても「反原発」を口にすればどうなるかなんて、「芸能界」の暗黙の了解で十分知っていたでしょうし、実際、その他の芸能人は「失業」を恐れ、硬く口を閉ざし、

「がんばろう、ニッポン」

などという陳腐な台詞、耳障りのイイ言葉を繰り返すだけです。まあ、へそ曲がりのワタシなんぞから見れば、「体制側」の片棒を担いでいるようにしか見えません。(ま、元来芸能とはそういう側面もありますが・・・。)

 そんな中で件のタレントが堂々と「反原発」を表明した事は、「芸能界」という「村社会」においてはタブーとされたにしても、より広い社会において「言論の自由」は保障されており、尚且つ、現在の「世界のFUKUSHIMA」や「世界のHAMAOKA」の状況を見れば、当然の行動ではないでしょうか?「良識の有る大人」としてわ。

 リスク管理をどのレベルまで上げて(下げて?)考える必要があるのか?いまの日本の状況からすれば、

生活圏を守る。

が、先ず優先されなければオカシイでしょう?先に挙げたあらゆる職業にしても、確固たる生活圏、社会が存在することが前提なのですから。

 ひとつにね?「風評被害」なんて言葉がありますが、その「風評被害」によって日本経済が云々・・・といった論調は、ワタシは個人的にアレですが・・・嫌いです。

 経済活動が停滞するから「風評」に惑わされるなと、ニュースキャスターやアナウンサーやタレントや経済関係者は連日くり返しますが、これって「日本経済の為に犠牲になってくれ。」と、ワタシの耳には聞こえて来るワケです。(幻聴かも知れませんが。)

 まあ、「風評被害」をああだこうだと議論したところで、原発事故後の政府、東電の対応、各省庁のデータ発表、専門家?の先生方の意見の食い違いを見ても、「真実」そのものが曖昧なのに、「風評被害」もナイダロmmm!・・・と。

 であれば、自分の身や家族は「自己判断」で守るのは当然なワケで、その「自己判断」や「判断材料」を「風評被害」と第三者に非難される筋合いは・・・ナイ!(と、思う)



<転載>

現代ビジネス

経済の死角

2011年05月30日(月) 週刊現代

安全基準を超えた「内部被曝」(要精密検査)すでに4766人、異常値を示した人1193人
隠された放射能汚染を暴く


<抜粋>

 いま変わらなければ、いつ変わるのか。「がんばろう、ニッポン」とは、この国が変わることを怖れない、躊躇しているヒマはない、ということだ。


</抜粋>

</転載>


・・・と、週間現代では言ってますが、ワタシも同意しますわ。そして日本が変わること・・・すなわち「ひとりひとりが変わること。」を恐れずに第一歩を踏み出し、

ダレもがゲバラ

になる日が遠からず来ると。その日まで・・・


ヤラレてたまるかっ!


でわっ!