2012年9月10日月曜日
資本経済の先にある世界
「旧世界は死んだ」
・・・と、ま、ニーチェの「神は死んだ」じゃないけれど、昨今の歪んだ政治状況、歪んだ世界情勢は、旧世界の権力が新世界へと移行しようとするワタシたちの意識を、
力ずくで押さえつけようとする
所謂「イジメ」の現われと見て取れます。であればこそ、世界規模でミクロスケールからマクロスケールまで、「イジメ現象」が現れるのも納得です。
インターネット言論空間を規制しようという動きも旧世界の住人の「あせり」の裏返しであり、身近な例で言えば、韓国における「親日ブログ」の取り締まりなどにも、その「あせり」が現れているのでしょう。
ネットゲリラ
朝鮮史は恥ずかしい
誰が何を好きになろうとそれは個人の自由であり、韓国の人が日本を嫌いであっても別に構わないのですが、逆に日本に好意的な人が犯罪者として法的に処罰を受けるとは、韓国はいつの間にか
人権無視
の国になってしまったんですかね?
それもこれも、韓国における旧世界の住人が、「言論統制」をすることで自らの身の安泰を図ろうとしているからで、問題は「親日」、「反日」にあるのではなく、一方の意見だけを封殺する
言論の自由の侵害
にあるワケです。したがってこの法律?を野放しにすれば、やがては政府に対する批判さえも抑圧されるように拡大解釈されるようになるでしょうし、いままさに日本で問題になっている「ACTA」は、そうした「言論の自由と人権」を脅かしかねない将来に対する危機感にあるワケです。
そして「日本国憲法」には、「自由と権利」は自分の手で守れ。・・・と、書かれているので、ワタシたちは「反ACTA」に立ち上がったワケですよね?
韓国の憲法ではそうした「自由と人権」は保障さていないんですかね?だとしたらワタシたちは、「日本国憲法」に感謝し、この素晴らしい「憲法」を後世に伝えなければなりません。
で、話を本題に戻しますが、貨幣経済、金融資本主義が旧世界の社会システムの骨格を担っていたワケですが、新世界では別な枠組み、価値観が必要になります。
所得の再分配だの、地域通貨の発行だの、新しい貨幣システムだのが昨今よく語られますが、ナンか視点がズレているというか、本質を見誤っているように思うワケです。
下に示した図は「消費」と「生産」と「雇用」の関係を表したものです。これらは基本的には「比例」関係にあり、「消費」が増えれば「生産」が増え、「生産」が増えれば「雇用」が増えるワケです。
「消費」の最大要因は何でしょうか?「人口」です。「人口」が頭打ちの国では「消費」の伸びも期待できません。しかし、「新しい市場」を創り出すことは可能です。テレビの無かった時代にテレビが登場して、テレビの市場が出来上がったのと同じように、原発無き後の産業として「再生可能エネルギー」とかが持ち上げられるワケですが、それによる「雇用の創出」も考えているワケです、
ま、原発は特殊な例にあたるのかも知れませんが、「消費」が増えれば同時に「生産」が増えるにしても、業種に依っては「機械化」、「自動化」が進み、「雇用」を生み出さないどころかさらに「リストラ」したり、賃金の安い「外国人労働者」に取って代わられる業種も現れるでしょう。
シャープ
1万人規模に削減上積みも
東京新聞WEB 2012年8月18日 夕刊
<抜粋>
シャープの追加リストラ策で、現在計画している約五千人の人員削減数を上積みする案が検討されていることが十八日分かった。人員削減の規模は連結従業員数の約二割に当たる一万人規模に拡大する可能性がある。既に検討されている一部事業の売却に加え、従業員のスリム化をさらに進めることで、経営の立て直しにつなげる。
</抜粋>
ヨーカ堂が正社員半減へ
従業員はパート9割に 15年度めど
東京新聞WEB 2012年9月8日 09時55分
<抜粋>
流通大手セブン&アイ・ホールディングスが、傘下のスーパー、イトーヨーカ堂の従業員を段階的にパート中心に切り替え、正社員を現在の約8600人から2015年度をめどに半分に減らす方針を固めたことが8日、分かった。
</抜粋>
そうなると、「消費の拡大」=「生産の拡大」=「雇用の拡大」というモデルは成立しないワケで、ま、こうなったの「自由主義経済」とやらの教えで、いかに利益を上げるか?と、みんなが「競争」した当然の結果です。
そしてその利益とは「お金」であり、企業が「社会幸福」だとか、「社会貢献」だとかを経営の目標にしていたならば、ロックフェラーセンター・ビルを買う前に、もっと有効的な「利益」の使い道を考えていたことでしょう。
経済のスタート地点は「消費」、すなわち「人間」にあり、その次に「消費の種類(車であるとか、スマホであるとか、食べ物であるとか、再生可能エネルギーであるとか)」があり、そして「消費」を満たすだけの「生産」が必要とされ、「生産」に必要な分の「雇用」が創出されるワケです。
で、この「消費」←「生産」←「雇用」のサイクルを潤滑にするのが「お金」の役割であり、現在のように「お金」=「金融」が経済を計る「モノサシ」になっている状況こそが
旧世界のシシテム
そのものなのです。
さらに言うならば、「金融」とか「貨幣(お金)」だけを問題にして社会を変えようというのは不十分であり、陰謀論?などに見られる「ユダヤ資本」がどうだとか、「ロスチャイルド一族」がこうだとか、「銀行家」が台頭してきたのは、ほんの2~300年くらい前からの話に過ぎません。
それよりも遥か昔、紀元前2000年以上前?のシュメール文明、もしくは有名な古代バビロニアの「ハンムラビ法典」に既に、「利子」の取立ての規則が記されているワケですよ。
つまり、基本的な考え方はその頃からゼンゼン進歩してないワケで、現代の銀行家は「ハンムラビ法典」の「利子」の決まりごとをアレンジしているだけだとも言えます。
ということは、「ハンムラビ法典」の頃からずっと変わらない「何か」に、ワタシたちは支配されていることに気づかなければならないワケで、それはすなわち「利子」という考え方だろうと思うワケです。
この「利子」という考え・・・もしくは「欲望」の形態とも考えられますが、「利子」の存在が「経済」とやらの「強制的な右肩上がり」を必要とさせ、資源が十分に余っていた時代ならイザ知らず、今日の様に資源を奪い合うような状況においては、その先に見えるのは「破綻」でしかないワケです。「利子」は架空の存在ですが、「資源(現物)」には限度があるワケですから。
したがって、「資本主義経済」にべったりと張り付いている「利子」の存在をどうするかがこれからの
新世界におけるヴィジョン
の枠組みになるワケで、でなければ、古代バビロニアからの「利子」の呪縛にワタシたちは縛られたままであり、「地域通貨」がどうだとか、「金融制度」がこうだとか、「ユダヤ資本の陰謀」なんつーのは、
枝葉の問題
に過ぎないように思うワケです。
ま、いま言えるのはそのくらいで、具体的な解決方法なんて思いつきませんが、ただ、ひとりひとりが「なぜお金を使うのか?」とか、「消費」という行為の先に「生産者」の存在であるとか、それによって生まれる「雇用」とか、そして自分自身も、「雇用」されているひとりの人間であり、同時に「消費者」でもあるということを常々意識できれば、新世界の「経済」の全体像もイメージできるようになるのではないか?・・・と。
人間ナメんなよ!
でわっ!