2010年3月5日金曜日

権力への欲望 27

「政治」の歴史は古いワケですよね?それこそ古の、

卑弥呼の時代

から「政治」が行われてきたワケで、じゃぁ過去の「政治」と、
現代の「政治」のどこが違うのか?と考えて見るに、

「政治」の主役が変わった。

と云うことではないのでしょうか?
一部の権力者の「世襲的システム」から、選挙によって

誰でも政治に参加できる。

一般市民が「政治」に参加できるようになったのが
近代の民主主義だとワタシは理解しています。

で、「政治」に参加するプレーヤーが変わった事が、
「政治」にどう影響を及ぼすのか?をさらに考えてみれば、
「政治」が、国を纏める為の事務手続きであるならば・・・

封建社会においては、権力者の都合に合わせて「政治」が行われていたが、
民主社会においては、生活者の実情に合わせて「政治」が行える様になった。


その事を踏まえてまたまた考えるに(考えてばっかりですな)・・・
「生活者」が「政治」に不審感を抱いくのはヘンでしょ?
そもそも自分たちが選出した代表(施政者)のハズなのに

ナンデ?

思うに、「生活者」「施政者」の間にミゾがあるからなんでしょうな。

ところで、「生活者」と云う言葉を使うのには理由があって、
「常民」「非常民」と云う事が部落問題の中で言われるのですが、
所謂「エタ・ヒニン」「非常民」とされ、
「ジゲ戦記」によれば
「エタ・ヒニン」は明治維新まで警察機構を担っていたと。
つまり、警察機構と云うのは「日常」から離れた「非日常」の仕事。

当然ですワナ。「犯罪」が日常的になったら困ります。
「犯罪」は基本的には日常の外側、「非日常」の出来事であり、
その「非日常」を担当する警察機構と云うのが「非常民」の仕事。

ワタシたち「常民」は、毎日サカナを売ったり、ヤサイを売ったり
会社、学校に通いながら毎日を過ごしているワケです。
出来れば犯罪に巻き込まれずに、平穏な日々を送りたいのです。

そういった事情で、危険な仕事は「エタ・ヒニン」に担って貰い、
ワタシたち「常民」も「非常民」の仕事を認めていたワケです。
職業区別はあっても、「常民」+「非常民」で社会は成り立ってました。
で、ワタシたち「常民」も「非常民」も、同じ社会の「生活者」である。と、
ワタシは思うワケです。はい。

ま、「国民」と云う言葉が一般的なのかも知れませんが、
「日本国」「民」と云うイメージからは、「国」が「主」
「民」が「従」と云う感覚(錯覚?)を個人的に覚えてしまうので、
これからは「生活者」と云う表現を使うことにします。はい。

ところで、ワタシたち「生活者」と立場が異なるのが「施政者」ですわ。
「施政者」は、ワタシたち「生活者」の生活基盤を、「政治」によって

左右することが出来る

からですが、でも・・・
民主主義社会では、「施政者」はワタシたちが選挙で代表権を与え、
社会を取り纏めるように依頼した「元・生活者」のはずなので、
「生活者」が住み易くなる社会にならなければオカシイのです。
そうは思いませんか?

フシギダナァwww!?

・・・とワタシは思うんですわ。
(ワタシがオカシイんですかね?)


でわっ!