ヒロシさんところにね、こんな“つぶやき”があったんですが・・・
<引用>
副島先生と電話で話した。今回は特別に書く。「ジェダイの騎士達はこれから皆殺しにあうだろう。今回、ダークサイドに堕ちた政治家は何人いるんだろうか」。ハリウッド映画を引き合いに出して政局を語った。私は鳩山の表情を見て、ひょっとしたら「ルークは鳩山ではないか」と思っていた・・・・。
</引用>
なんかねぇ・・・、「悲壮感」が漂っててイケマセン。もう“お手上げ”なんですか?ナッサケ無いなぁ。まだまだ終わっちゃいないでしょう?頭のイイ人間てのは諦めも早い?のかねぇ?それとも育ちがイイのかねぇ?
ワタシなんて生まれてこの方、常に「逆境」の中に身を置いてきたので、自分の思い通りに事が運ばなくてもそれが「デフォ」だと思っているのでヘコタレません♪
戦いはこれからなのですよ。戦場に例えるなら、一時退却を余儀なくされているに過ぎません。ボクシングでいえば第一ラウンドが終わったようなもんですよ。少なくともワタシはそう見ます。でなければ、一緒に戦ってきた戦友の士気を下げてしまいます。
えwwwっと・・・「キューバ革命」の時にね?カストロ、ゲバラ(敬称略)たちを乗せた船「グラン・マ号」がキューバに到着した時、それはもう散々な状態だったわけですわ、ゲバラの自伝「革命の回想」によれば。
ほとんどのメンバーが「革命なんて無理だ」とあきらめかけていたのですが、その時にカストロやゲバラまでもが革命に絶望的になってしまっていたら、当然キューバ革命は成し得なかったワケです。はい。
つまり、「勝ち馬」に乗ってチョーシのいい言論を吐くことは誰にでも出来ますが、苦しい状況において粘り強く陣営を建て直し、仲間を勇気づけるのが「本物の指導者」だとワタシは思う次第です。
人情としても、苦しい時をともに過ごした仲間の方が、より強い信頼関係で結ばれるモンでしょ?
ハッキリ言えば、「ダークサイド」との戦いに終わりはありません。なぜなら誰もが皆、その内に「ダークサイド」を持っているから。ワタシにしてもそうです。だから、戦うことに疲れた者から「ダークサイド」に堕ちて行くのです。
例えるなら、「賽の河原で石を積む」のに等しい行為なのです。それでもなお・・・「石(意志)を積む」か?と云う「覚悟」の問題なのです。
ワタシの心も決して強い方ではありません。だからこそ自分で自分を鼓舞し続けないと、容易く「ダークサイド」に堕ちてしまうでしょう。そして一旦堕ちてしまえば、自分が堕ちたことさえ気づかないようになってしまうかもしれません。
トルストイの「光あるうち光の中を歩め」にて、主人公はキリスト教の「信仰」に目覚めるのですが、彼の友人は「現世の幸福」を享受しろと諭します。主人公も心に「ダークサイド」を持っているので、友人の言うことも尤もだと、なかなか「信仰」の道に入れないのですが、或る日とうとう「自分の信仰をこれ以上ごまかすことは出来ない」と出家を決意します。
キリスト教を賛美するワケではありません。この場合「信仰」とは、自分の「信念」とか「本心」とか「理想」とかで構わないワケです。
で、ワタシの場合、頭の出来のよろしい方々のように、言葉がたくさん詰まった引き出しを持っていないので、苦境に立たされた場合、この一言に集約されるワケです。
ヤラレてたまるかっ!
・・・と。
まったく・・・「4回戦ボーイ」みたいな政治家じゃなく、「12ラウンド」フルに打ち合えるタフな政治家はいないもんですかねぇ?政治家がダメダメなら、いよいよもって国民自ら日本の再建に取り組まなければならない時代が来ることも「覚悟」しなければならないのかも・・・
でわっ!
2010年5月29日土曜日
2010年5月23日日曜日
言葉の耐えられない軽さ
普天間基地の移設先が堂々巡りの末、元々の原案であった辺野古周辺に戻りそうなのですが、この間どれだけの「言葉」が浪費されたのだろう?と、ふと思ってみる。
「日米安保」だの、「安全保障」だの、「北朝鮮の脅威」だの、「沖縄の経済発展」だの、「日本の独立」だの・・・、ありとあらゆる「言葉」が出尽くし、もう、「言葉」そのものに辟易しているんじゃないでしょうかね?みなさん?
新聞、テレビはね?「言葉」を商売の「ネタ」にしているワケだから、朝から晩まで「言葉」を垂れ流し続け、インターネット空間でも同じく「評論家・批評家」なる人たちが、せっせと「言葉」をつむいでいるワケですわ。(最近ではツイッターとか・・・)
それこそ脊髄反射の如く「言葉」を吐く人たち。しかし、「言葉」ってそもそもナンなの?確かに情報のやりとりをする為の道具ではありますが、情報だけじゃないでしょ?「気持ち」、「心」をやりとりする道具でもあるワケでしょ?
恋人同士がお互いの「心」を確かめ合うとき、「言葉」と云うのはとても重要な意味をもつはず。親が子供を叱るとき、「言葉」は子供の運命すら変える力を持つはず。
それはひとえに、「言葉」に「心・魂」が宿っているからなのではないかと思う次第です。「心・魂」を持たない人間はいません。つまり、真摯に語られる「言葉」=「心・魂」とは、それを語る人間の「存在」をかけていると云うことなのではないでしょうか?
また、語りかける側の「心・存在」と真摯に向き合うと云うことなのではないでしょうか?
然るに、普天間基地を巡る一連の「言葉」の浪費合戦を見るに、真摯な「言葉」はあったのでしょうか?自分の「存在」を賭けて語られた言葉はあったのでしょうか?
唯一、その「存在」を賭けた「言葉」を吐いたのは、北マリアナ諸島の議会だけだったのではないでしょうか?普天間基地の受け入れを歓迎し、議会で決議し、そして日米両方に「どうぞ来てください」とお膳立てまでしてくれました。
振り返ってみると、「嘘」の無い「真摯な言葉」を語ったのは北マリアナ諸島の議会だけだったみたいです。これは日本人としてとても恥ずかしいことではないでしょうか?
日本人はいつからこんなに「言葉」を軽々しく扱うようになってしまったんですかね?またまた「バカの壁」を引き合いに出してアレですが、養老先生は「武士に二言はない」と云う言葉の解釈で、「変わるもの・変わらないもの」について述べています。以下、長くなりますが引用します。(バカの壁 第4章 万物流転、情報普遍 武士に二言はない)
<引用>
もし、現代人に、「人は変わる」ということだけをたたき込んだら何が起こるかというと、「きのう金を借りたのは俺じゃない」と、都合のいい解釈をするだけです。
借りるということは、返すという約束が前提にある。本来、約束を守れというのは社会でトップに来るルールのはずでした。
人間は変わるが、言葉は変わらない。情報は不変だから、約束は絶対の存在のはずです。しかし近年、約束というものが軽くなってしまった。
これも繰り返し言うところの「あべこべ」の表れです。変わるはずのものが変わらなくなって、変わらないはずのものが変わってしまった。
だから、約束を守るなんていうことを小学校の先生も言わなくなったし、子供たちは友達同士で言わなくなった。指きりげんまんが、どんどん廃れていくのも無理はない。
大人の社会を見ればもっとわかりやすい。政治家は公約なんて屁とも思っていない。全部嘘つきになった。受け止めるこちらの方も、彼らの公約なんてものはすぐに変わるものだ、と承知している。
これも約束が軽くなった、すなわち情報は変化する、という勘違いから生まれた最たる例です。政治家は誠心誠意その時々で公約を言うのだけれど、自分の言ったことにこだわっちゃいけない、と思っている。言ったことはどうせ変わっていくのだ、「情報」の類にすぎないから。でも、選挙で当選した自分は不変なんだからそれでいいじゃないか、と。
人間は変わるのが当たり前。だから昔は「武士に二言はない」だった。武士の口が重かったのは、恰好をつけていたからではない。うっかり言ったら大変だからです。
武士は下手な約束をして守れなかったら命に関る。責任を持とうと思えば、要するに責任の重い人ほど口が重くなった。綸言汗の如し、ということです。
約束、言葉が軽くなった理由は、同じ人なんだから、言うことは変わるはずがないだろうという前提がいつの間にかできてしまったところにある。
</引用>
ま、マスコミなんて云うものは「無責任」だから、いくらでも「嘘」・・・とは言いませんが「軽い言葉」を毎日飽きもせず垂れ流し続けるのでしょうが、政治家がね?マスコミに右に倣えで「軽い言葉」を吐くのは感心しません。
また、政治家が「軽い言葉」を吐くからといってワタシたちまで「軽い言葉」を吐いていたら、社会が成り立ちません。この社会はまだ「約束」は守るという暗黙のルールの上に厳然と成り立っています。
つまり、「約束」を守らない政治家をのさばらせておくことは、
日本の存亡に関る
と云う事です。(でしょ?)
しからば、「約束」を守らない政治家と徹底的に戦うというのは、日本を愛するワタシたちにとっては日本を守るための当然の行動であり、
大義はわれらに在り!
・・・と。(チョット過激ですかね?)
でわっ!
「日米安保」だの、「安全保障」だの、「北朝鮮の脅威」だの、「沖縄の経済発展」だの、「日本の独立」だの・・・、ありとあらゆる「言葉」が出尽くし、もう、「言葉」そのものに辟易しているんじゃないでしょうかね?みなさん?
新聞、テレビはね?「言葉」を商売の「ネタ」にしているワケだから、朝から晩まで「言葉」を垂れ流し続け、インターネット空間でも同じく「評論家・批評家」なる人たちが、せっせと「言葉」をつむいでいるワケですわ。(最近ではツイッターとか・・・)
それこそ脊髄反射の如く「言葉」を吐く人たち。しかし、「言葉」ってそもそもナンなの?確かに情報のやりとりをする為の道具ではありますが、情報だけじゃないでしょ?「気持ち」、「心」をやりとりする道具でもあるワケでしょ?
恋人同士がお互いの「心」を確かめ合うとき、「言葉」と云うのはとても重要な意味をもつはず。親が子供を叱るとき、「言葉」は子供の運命すら変える力を持つはず。
それはひとえに、「言葉」に「心・魂」が宿っているからなのではないかと思う次第です。「心・魂」を持たない人間はいません。つまり、真摯に語られる「言葉」=「心・魂」とは、それを語る人間の「存在」をかけていると云うことなのではないでしょうか?
また、語りかける側の「心・存在」と真摯に向き合うと云うことなのではないでしょうか?
然るに、普天間基地を巡る一連の「言葉」の浪費合戦を見るに、真摯な「言葉」はあったのでしょうか?自分の「存在」を賭けて語られた言葉はあったのでしょうか?
唯一、その「存在」を賭けた「言葉」を吐いたのは、北マリアナ諸島の議会だけだったのではないでしょうか?普天間基地の受け入れを歓迎し、議会で決議し、そして日米両方に「どうぞ来てください」とお膳立てまでしてくれました。
振り返ってみると、「嘘」の無い「真摯な言葉」を語ったのは北マリアナ諸島の議会だけだったみたいです。これは日本人としてとても恥ずかしいことではないでしょうか?
日本人はいつからこんなに「言葉」を軽々しく扱うようになってしまったんですかね?またまた「バカの壁」を引き合いに出してアレですが、養老先生は「武士に二言はない」と云う言葉の解釈で、「変わるもの・変わらないもの」について述べています。以下、長くなりますが引用します。(バカの壁 第4章 万物流転、情報普遍 武士に二言はない)
<引用>
もし、現代人に、「人は変わる」ということだけをたたき込んだら何が起こるかというと、「きのう金を借りたのは俺じゃない」と、都合のいい解釈をするだけです。
借りるということは、返すという約束が前提にある。本来、約束を守れというのは社会でトップに来るルールのはずでした。
人間は変わるが、言葉は変わらない。情報は不変だから、約束は絶対の存在のはずです。しかし近年、約束というものが軽くなってしまった。
これも繰り返し言うところの「あべこべ」の表れです。変わるはずのものが変わらなくなって、変わらないはずのものが変わってしまった。
だから、約束を守るなんていうことを小学校の先生も言わなくなったし、子供たちは友達同士で言わなくなった。指きりげんまんが、どんどん廃れていくのも無理はない。
大人の社会を見ればもっとわかりやすい。政治家は公約なんて屁とも思っていない。全部嘘つきになった。受け止めるこちらの方も、彼らの公約なんてものはすぐに変わるものだ、と承知している。
これも約束が軽くなった、すなわち情報は変化する、という勘違いから生まれた最たる例です。政治家は誠心誠意その時々で公約を言うのだけれど、自分の言ったことにこだわっちゃいけない、と思っている。言ったことはどうせ変わっていくのだ、「情報」の類にすぎないから。でも、選挙で当選した自分は不変なんだからそれでいいじゃないか、と。
人間は変わるのが当たり前。だから昔は「武士に二言はない」だった。武士の口が重かったのは、恰好をつけていたからではない。うっかり言ったら大変だからです。
武士は下手な約束をして守れなかったら命に関る。責任を持とうと思えば、要するに責任の重い人ほど口が重くなった。綸言汗の如し、ということです。
約束、言葉が軽くなった理由は、同じ人なんだから、言うことは変わるはずがないだろうという前提がいつの間にかできてしまったところにある。
</引用>
ま、マスコミなんて云うものは「無責任」だから、いくらでも「嘘」・・・とは言いませんが「軽い言葉」を毎日飽きもせず垂れ流し続けるのでしょうが、政治家がね?マスコミに右に倣えで「軽い言葉」を吐くのは感心しません。
また、政治家が「軽い言葉」を吐くからといってワタシたちまで「軽い言葉」を吐いていたら、社会が成り立ちません。この社会はまだ「約束」は守るという暗黙のルールの上に厳然と成り立っています。
つまり、「約束」を守らない政治家をのさばらせておくことは、
日本の存亡に関る
と云う事です。(でしょ?)
しからば、「約束」を守らない政治家と徹底的に戦うというのは、日本を愛するワタシたちにとっては日本を守るための当然の行動であり、
大義はわれらに在り!
・・・と。(チョット過激ですかね?)
でわっ!
2010年5月19日水曜日
タイの状況を勝手に整理してみる
タイで暴動が頻発する背景には、武器・火器の入手が容易であると云う社会状況があるのでは?これはベトナム戦争以来の武器ブラックマーケットの存在があり、当時よりCIAが深く係わっている。
同時に「黄金のトライアングル」との麻薬ビジネスにもCIAは係わっており、バンコクを中継地とした麻薬ビジネスに目をつむると云う密約がCIA(アメリカ)とタイ政府の間で交わされたとしてもさもありなん。
アメリカはアメリカで、アジアの共産化阻止(ドミノ理論)のためにもタイは押さえておきたい。
そうすると、CIA(アメリカ)=タイ軍部=タイ政府(王室?)と云う権力者の利害のトライアングルが形成されたのではないか?・・・と。
過去から現在までCIAがタイの裏社会に深く係わっていることは容易に想像がつくが、タイがCIA(アメリカ)にとっての独壇場だったのだが、最近になって(リーマンショックとかで)状況に変化が現れたのではないか?と。
今までアメリカの独壇場であったタイに、ヨーロッパ勢(特にイギリス?)が「こっちにもパイを分けろ」と進出しつつあり、その軋轢がイギリス系のスーパーの襲撃などに現れているのではないか?また今回の騒動も、あえてタイ国内を混乱に陥れ、混乱に乗じてパイを掠め取ろうと画策しているムキもあるのではないか?
世界経済・・・特に欧米の地場経済が振るわない昨今、彼らがアジアに市場を開拓しようと凌ぎを削っている事を考えれば、ASEAN地域が独立した経済地域となることを懸念したとしても不思議ではない。逆に言えばアジアがバラバラであった方が、欧米勢には商売がし易いワケだ。つまり欧米の経済界としてはアジアの一体化など望んではいない。
経済的な目で見れば、いままさに欧米勢によるアジアの切り分けが画策されつつあるのではないか?そのためにアジアに紛争の火種を絶やしたくないのではないか?例えば北朝鮮とか・・・
ここからは勝手な推論(ここまでも勝手な推論)だが、「赤シャツ」はもともと一枚板ではなかった。タクシン元首相を慕う者と、真に民主化を望む者との相乗りであったのが、アビシット首相の譲歩提案によって二者の利害に齟齬が生じ、タクシン元首相シンパの強硬な態度(自己の利益確定)により、今回の騒乱になったようにワタシには見受けられる。
迷惑を被ったのは真の民主化を求める者たちで、きっかけはタクシン元首相の復権を求める運動だったとしても、最終的に目指すのはタイ国政の民主化であり、タクシン元首相を神輿に担いでいたに過ぎない。
タイは東南アジアにおける要衝である。タイの国情は隣のミャンマーやカンボジアにも影響を及ぼす。さらには「東アジア構想」の経済的なバックボーンとなるASEANの安定にも大きく係わる。
日本はこの先どちらを向いて混沌とした未来を切り開いて行くのか?欧米追従の従来思考か?それとも同じアジアの仲間と協力し合うのか?
ひとつ確かな事は、欧米はアジアが団結することを恐れているという事。ワタシが思うに欧米、特にヨーロッパ諸国には過去、アジア人に侵略(モンゴル帝国)された時の記憶が残っているのではないか?その復讐としてアジアの国々を植民地化したのではないか?復讐として人種差別したのではないか?
戦時中アメリカなどに見られた「黄禍論」などは、根底にモンゴル人の襲来に対する恐怖のDNAがなせる業だった様にも思えるワケです。はい。
以上。今回も支離滅裂にて・・・
でわっ!
同時に「黄金のトライアングル」との麻薬ビジネスにもCIAは係わっており、バンコクを中継地とした麻薬ビジネスに目をつむると云う密約がCIA(アメリカ)とタイ政府の間で交わされたとしてもさもありなん。
アメリカはアメリカで、アジアの共産化阻止(ドミノ理論)のためにもタイは押さえておきたい。
そうすると、CIA(アメリカ)=タイ軍部=タイ政府(王室?)と云う権力者の利害のトライアングルが形成されたのではないか?・・・と。
過去から現在までCIAがタイの裏社会に深く係わっていることは容易に想像がつくが、タイがCIA(アメリカ)にとっての独壇場だったのだが、最近になって(リーマンショックとかで)状況に変化が現れたのではないか?と。
今までアメリカの独壇場であったタイに、ヨーロッパ勢(特にイギリス?)が「こっちにもパイを分けろ」と進出しつつあり、その軋轢がイギリス系のスーパーの襲撃などに現れているのではないか?また今回の騒動も、あえてタイ国内を混乱に陥れ、混乱に乗じてパイを掠め取ろうと画策しているムキもあるのではないか?
世界経済・・・特に欧米の地場経済が振るわない昨今、彼らがアジアに市場を開拓しようと凌ぎを削っている事を考えれば、ASEAN地域が独立した経済地域となることを懸念したとしても不思議ではない。逆に言えばアジアがバラバラであった方が、欧米勢には商売がし易いワケだ。つまり欧米の経済界としてはアジアの一体化など望んではいない。
経済的な目で見れば、いままさに欧米勢によるアジアの切り分けが画策されつつあるのではないか?そのためにアジアに紛争の火種を絶やしたくないのではないか?例えば北朝鮮とか・・・
ここからは勝手な推論(ここまでも勝手な推論)だが、「赤シャツ」はもともと一枚板ではなかった。タクシン元首相を慕う者と、真に民主化を望む者との相乗りであったのが、アビシット首相の譲歩提案によって二者の利害に齟齬が生じ、タクシン元首相シンパの強硬な態度(自己の利益確定)により、今回の騒乱になったようにワタシには見受けられる。
迷惑を被ったのは真の民主化を求める者たちで、きっかけはタクシン元首相の復権を求める運動だったとしても、最終的に目指すのはタイ国政の民主化であり、タクシン元首相を神輿に担いでいたに過ぎない。
タイは東南アジアにおける要衝である。タイの国情は隣のミャンマーやカンボジアにも影響を及ぼす。さらには「東アジア構想」の経済的なバックボーンとなるASEANの安定にも大きく係わる。
日本はこの先どちらを向いて混沌とした未来を切り開いて行くのか?欧米追従の従来思考か?それとも同じアジアの仲間と協力し合うのか?
ひとつ確かな事は、欧米はアジアが団結することを恐れているという事。ワタシが思うに欧米、特にヨーロッパ諸国には過去、アジア人に侵略(モンゴル帝国)された時の記憶が残っているのではないか?その復讐としてアジアの国々を植民地化したのではないか?復讐として人種差別したのではないか?
戦時中アメリカなどに見られた「黄禍論」などは、根底にモンゴル人の襲来に対する恐怖のDNAがなせる業だった様にも思えるワケです。はい。
以上。今回も支離滅裂にて・・・
でわっ!
2010年5月14日金曜日
むかし 「ジャン・クリストフ」 を読んだ
青空文庫
ジャン・クリストフ
JEAN CHRISTOPHE
第三巻 青年
ロマン・ローラン Romain Rolland
豊島与志雄訳
<巻末抜粋>
彼はいつも、酒の匂いをさせ、笑い興じ、ぐったりして、家にもどってきた。
憐(あわ)れにもルイザは、彼の様子をながめ、溜息(ためいき)をつき、なんとも言わず、そして祈りをした。
ところがある晩、彼は酒場から出て、町はずれの街道で、数歩前のところに、例の梱(こり)を背負ってるゴットフリート叔父(おじ)のおかしな影を見つけた。数か月来、この小男は土地へ帰って来たことがなかった。いつもその不在が次第に長くなっていた。でクリストフはたいへん喜んで彼を呼びかけた。重荷の下に前かがみになってるゴットフリートは、ふり返った。そして大袈裟(げさ)な身振りをやってるクリストフの姿を見、ある標石の上にすわって、待ち受けた。クリストフは元気な顔つきをし、飛びはねながら近寄っていった。そしてたいへんなつかしい様子を示して叔父の手をうち振った。ゴットフリートは長い間彼を見つめて、それから言った。
「今晩は、メルキオルさん。」
クリストフは叔父が間違えたのだと思った。そして笑いだした。
「かわいそうに耄碌(もうろく)したんだな、」と彼は考えた、「記憶(おぼえ)がないんだな。」
ゴットフリートは実際、老いぼれ萎(しな)び縮みいじけた様子をしていた。かすかな短い小さな息をしていた。クリストフはやたらにしゃべりつづけた。ゴットフリートは梱(こり)をまた肩にかつぎ、黙って歩きだした。身振りをし大声にしゃべりたててるクリストフと、咳(せき)をしながら黙ってるゴットフリートとは、相並んで帰りかけた。そしてクリストフに呼びかけられると、ゴットフリートは彼をやはりメルキオルと呼んだ。こんどはクリストフは尋ねてみた。
「ああ、どうして僕をメルキオルというんです? 僕はクリストフというんですよ。よく知ってるじゃないですか。僕の名を忘れたんですか?」
ゴットフリートは、立止りもせず、彼の方に眼をあげ、彼をながめ、頭を振り、そして冷やかに言った。
「いやメルキオルさんだ。よく見覚えがある。」
クリストフは駭然(がいぜん)として立止った。ゴットフリートはとぼとぼ歩きつづけていた。クリストフは答え返しもせずに、そのあとについていった。彼は酔いもさめてしまった。ある奏楽コーヒー店の戸のそばを通りかかると、入口のガス燈と寂しい舗石との映ってるその曇った板ガラスのところへやって行った。彼はメルキオルの面影を認めた。心転倒して家に帰った。
彼はみずから尋ね、みずから魂を探りながら、その夜を過した。彼は今や了解した。そうだ、自分のうちに芽を出してる本能や悪徳を認めた。彼はそれが恐ろしかった。メルキオルの死体の傍(かたわ)らで通夜(つや)をしたこと、種々誓いをたてたこと、などを考えた。そしてその後の自分の生活を調べてみた。ことごとく誓いにそむいていた。一年この方、何をしてきたのであったか? 自分の神のために、自分の芸術のために、自分の魂のために、何をしてきたのであったか? 自分の永遠のために、何をしてきたのであったか? 失われ濫費され汚(けが)されない日は、一日もなかった。一つの作品もなく、一つの思想もなく、一つの持続した努力もなかった。たがいに破壊し合う欲念の混乱。風、埃(ほこり)、虚無……。望んでもなんの甲斐(かい)があったろう? 望んだことは何一つなしていなかった。望んだことの反対をばかりなしていた。なりたくなかったものになってしまった、というのが彼の生活の総勘定であった。
彼は少しも寝なかった。朝の六時ごろ(まだ暗かった)、ゴットフリートが出発の支度(したく)をする音が聞こえた。――ゴットフリートはそれ以上足を留めようと思っていなかった。町を通るついでに、いつものとおり、妹と甥(おい)とを抱擁しにやって来たのであった。でも翌朝はまた出かけると、前もって言っておいた。
クリストフは降りて行った。苦悶の一夜のために蒼(あお)ざめて落ちくぼんだ彼の顔を、ゴットフリートは見た。彼はクリストフにやさしく微笑(ほほえ)んでやり、ちょっといっしょに来ないかと尋ねた。未明に二人はいっしょに出かけた。何も語る必要はなかった。たがいに了解していた。墓地のそばを通ると、ゴットフリートは言った。
「はいろうよ、ね。」
彼はこの地へ来るとかならず、ジャン・ミシェルとメルキオルとを訪れていた。クリストフはもう一年も墓参をしたことがなかった。ゴットフリートはメルキオルの墓の前にひざまずいた、そして言った。
「このお二人がよく眠るように、そして私たちを悩ますことのないように、お祈りをしよう。」
彼の考えはいつも、不思議な迷信と明るい分別とが交り合っていた。クリストフは時としてそれに驚かされることがあった。しかしこんどは、その考えをよく了解した。二人は墓地を出るまで、それ以上何にも言わなかった。
きしる鉄門をまたしめてから、二人は壁に沿って、雪の滴(したた)りが落ちてる墓地の糸杉(いとすぎ)の下の小道をたどり、眼覚めかけてる寒そうな畑中を歩いて行った。クリストフは泣きだした。
「ああ、叔父(おじ)さん、」と彼は言った、「僕は苦しい!」
彼の恋の経験については、ゴットフリートを困らすだろうという妙な懸念から、あえて語り得なかった。そして、自分の恥ずかしいこと、凡庸なこと、卑劣なこと、誓いを破ったこと、などを話した。
「叔父さん、どうしたらいいでしょう? 僕は望んだ、たたかった。そして一年たっても、やはり前と同じ所にいる。いや同じ所にもいない! 退歩してしまった。僕はなんの役にもたたない、なんの役にもたたないんです。生活を駄目(だめ)にしてしまったんです、誓いにそむいたんです!……」
二人は町を見晴す丘に上りかけていた。ゴットフリートはやさしく言った。
「そんなことはこんどきりじゃないよ。人は望むとおりのことができるものではない。望む、また生きる、それは別々だ。くよくよするもんじゃない。肝腎(かんじん)なことは、ねえ、望んだり生きたりするのに飽きないことだ。その他のことは私たちの知ったことじゃない。」
クリストフは絶望的にくり返した。
「僕は誓いに背いたんです!」
「聞こえるかい?……」とゴットフリートは言った。
(田舎(いなか)で鶏が鳴いていた。)
「あの鶏(とり)も皆、誓いに背いただれかのためにも歌ってるんだ。私たちのめいめいのために、毎朝歌ってくれる。」
「もう僕のために、」とクリストフは切なげに言った、「鶏も歌ってくれない日が来るでしょう……明日のない日が。そして僕の生活はどうなってることでしょう?」
「いつだって明日はあるよ。」とゴットフリートは言った。
「でも、望んだってなんの役にもたたないんなら、どうしたらいいでしょう?」
「用心をするがいい、そして祈るがいい。」
「僕はもう信じていないんです。」
ゴットフリートは微笑(ほほえ)んだ。
「信じていないとしたら、生きていられないはずだ。だれでも信じてるものだ。祈るがいいよ。」
「何を祈るんです?」
真赤(まっか)な冷たい地平線に出かかってる太陽を、ゴットフリートは彼にさし示した。
「日の出にたいして、信心深くなければいけない。一年後のことを、十年後のことを、考えてはいけない。今日(こんにち)のことを考えるんだよ。理屈を捨ててしまうがいい。理屈はみんな、いいかね、たとい道徳の理屈でも、よくないものだ、馬鹿げたものだ、害になるものだ。生活に無理をしてはいけない。今日(こんにち)に生きるのだ。その日その日にたいして信心深くしてるのだ。その日その日を愛し、尊敬し、ことにそれを凋ませず、花を咲かすのを邪魔しないことだ。今日(きょう)のようにどんよりした陰気な一日でも、それを愛するのだ。気をもんではいけない。ごらんよ、今は冬だ。何もかも眠っている。がよい土地は、また眼を覚ますだろう。よい土地でありさえすればいい、よい土地のように辛抱強くありさえすればいい。信心深くしてるんだよ。待つんだよ。お前が善良なら、万事がうまくいくだろう。もしお前が善良でないなら、弱いなら、成功していないなら、それでも、やはりそのままで満足していなければいけない。もちろんそれ以上できないからだ。それに、なぜそれ以上を望むんだい? なぜできもしないことをあくせくするんだい? できることをしなければいけない……我が為し得る程度を。」
「それじゃあまりつまらない。」とクリストフは顔をしかめながら言った。
ゴットフリートは親しげに笑った。
「それでもだれよりも以上のことをなすわけだ。お前は傲慢(ごうまん)だ。英雄になりたがってる。それだから馬鹿なまねしかやれないんだ……。英雄!……私はそれがどんなものだかよく知らない。しかしだね、私が想像すると、英雄というのは、自分にできることをする人だ。ところが他の者はそういうふうにはやらない。」
「ああ!」とクリストフは溜息をついた、「そんなら生きてても何になるでしょう? 生きてても無駄です。『欲するは能うことなり!』……と言ってる人たちもあります。」
ゴットフリートはまた静かに笑った。
「そうかい?……だがそれは大きな嘘つきだよ。でなけりゃ、たいした望みをもってない人たちだ……。」
二人は丘の頂きに着いていた。やさしく抱擁し合った。小さな行商人は、疲れた足取りで去っていった。クリストフはその遠ざかってゆく姿をながめながら、じっと考えに沈んだ。彼は叔父(おじ)の言葉をみずからくり返した。
「我が為し得る程度を。」
そして彼は微笑(ほほえ)みながら考えた。
「そうだ……それでもやはり……十分だ。」
彼は町の方へ帰りかけた。堅くなった雪が、靴の下で音をたてた。冬の鋭い朔風(さくふう)が、丘の上に、いじけた樹木の裸枝を震わしていた。その風は、彼の頬を赤くなし、彼の皮膚を刺し、彼の血を鞭(むち)うった。下の方には、人家の赤い屋根が、まぶしい寒い日の光に笑っていた。空気は強く酷(きび)しかった。凍った大地は、辛辣(しんらつ)な歓喜を感じてるがようだった。クリストフの心も大地と同じだった。彼は考えていた。
「俺も眼を覚ますだろう。」
彼の眼にはまだ涙があった。彼は手の甲でそれをぬぐった。そして霧の帷(とばり)の中にはいってゆく太陽を、微笑みながらながめた。雪を含んだ重い雲が、強風に吹きたてられて、町の上を通っていた。彼はその雲に向って軽侮の身振りをした。氷のような風が吹いていた……。
「吹け、吹け!……俺をどうにでもしろ! 俺を吹き送れ!……俺は行先をよく知ってるのだ。」
</巻末抜粋>
でわっ!
ジャン・クリストフ
JEAN CHRISTOPHE
第三巻 青年
ロマン・ローラン Romain Rolland
豊島与志雄訳
<巻末抜粋>
彼はいつも、酒の匂いをさせ、笑い興じ、ぐったりして、家にもどってきた。
憐(あわ)れにもルイザは、彼の様子をながめ、溜息(ためいき)をつき、なんとも言わず、そして祈りをした。
ところがある晩、彼は酒場から出て、町はずれの街道で、数歩前のところに、例の梱(こり)を背負ってるゴットフリート叔父(おじ)のおかしな影を見つけた。数か月来、この小男は土地へ帰って来たことがなかった。いつもその不在が次第に長くなっていた。でクリストフはたいへん喜んで彼を呼びかけた。重荷の下に前かがみになってるゴットフリートは、ふり返った。そして大袈裟(げさ)な身振りをやってるクリストフの姿を見、ある標石の上にすわって、待ち受けた。クリストフは元気な顔つきをし、飛びはねながら近寄っていった。そしてたいへんなつかしい様子を示して叔父の手をうち振った。ゴットフリートは長い間彼を見つめて、それから言った。
「今晩は、メルキオルさん。」
クリストフは叔父が間違えたのだと思った。そして笑いだした。
「かわいそうに耄碌(もうろく)したんだな、」と彼は考えた、「記憶(おぼえ)がないんだな。」
ゴットフリートは実際、老いぼれ萎(しな)び縮みいじけた様子をしていた。かすかな短い小さな息をしていた。クリストフはやたらにしゃべりつづけた。ゴットフリートは梱(こり)をまた肩にかつぎ、黙って歩きだした。身振りをし大声にしゃべりたててるクリストフと、咳(せき)をしながら黙ってるゴットフリートとは、相並んで帰りかけた。そしてクリストフに呼びかけられると、ゴットフリートは彼をやはりメルキオルと呼んだ。こんどはクリストフは尋ねてみた。
「ああ、どうして僕をメルキオルというんです? 僕はクリストフというんですよ。よく知ってるじゃないですか。僕の名を忘れたんですか?」
ゴットフリートは、立止りもせず、彼の方に眼をあげ、彼をながめ、頭を振り、そして冷やかに言った。
「いやメルキオルさんだ。よく見覚えがある。」
クリストフは駭然(がいぜん)として立止った。ゴットフリートはとぼとぼ歩きつづけていた。クリストフは答え返しもせずに、そのあとについていった。彼は酔いもさめてしまった。ある奏楽コーヒー店の戸のそばを通りかかると、入口のガス燈と寂しい舗石との映ってるその曇った板ガラスのところへやって行った。彼はメルキオルの面影を認めた。心転倒して家に帰った。
彼はみずから尋ね、みずから魂を探りながら、その夜を過した。彼は今や了解した。そうだ、自分のうちに芽を出してる本能や悪徳を認めた。彼はそれが恐ろしかった。メルキオルの死体の傍(かたわ)らで通夜(つや)をしたこと、種々誓いをたてたこと、などを考えた。そしてその後の自分の生活を調べてみた。ことごとく誓いにそむいていた。一年この方、何をしてきたのであったか? 自分の神のために、自分の芸術のために、自分の魂のために、何をしてきたのであったか? 自分の永遠のために、何をしてきたのであったか? 失われ濫費され汚(けが)されない日は、一日もなかった。一つの作品もなく、一つの思想もなく、一つの持続した努力もなかった。たがいに破壊し合う欲念の混乱。風、埃(ほこり)、虚無……。望んでもなんの甲斐(かい)があったろう? 望んだことは何一つなしていなかった。望んだことの反対をばかりなしていた。なりたくなかったものになってしまった、というのが彼の生活の総勘定であった。
彼は少しも寝なかった。朝の六時ごろ(まだ暗かった)、ゴットフリートが出発の支度(したく)をする音が聞こえた。――ゴットフリートはそれ以上足を留めようと思っていなかった。町を通るついでに、いつものとおり、妹と甥(おい)とを抱擁しにやって来たのであった。でも翌朝はまた出かけると、前もって言っておいた。
クリストフは降りて行った。苦悶の一夜のために蒼(あお)ざめて落ちくぼんだ彼の顔を、ゴットフリートは見た。彼はクリストフにやさしく微笑(ほほえ)んでやり、ちょっといっしょに来ないかと尋ねた。未明に二人はいっしょに出かけた。何も語る必要はなかった。たがいに了解していた。墓地のそばを通ると、ゴットフリートは言った。
「はいろうよ、ね。」
彼はこの地へ来るとかならず、ジャン・ミシェルとメルキオルとを訪れていた。クリストフはもう一年も墓参をしたことがなかった。ゴットフリートはメルキオルの墓の前にひざまずいた、そして言った。
「このお二人がよく眠るように、そして私たちを悩ますことのないように、お祈りをしよう。」
彼の考えはいつも、不思議な迷信と明るい分別とが交り合っていた。クリストフは時としてそれに驚かされることがあった。しかしこんどは、その考えをよく了解した。二人は墓地を出るまで、それ以上何にも言わなかった。
きしる鉄門をまたしめてから、二人は壁に沿って、雪の滴(したた)りが落ちてる墓地の糸杉(いとすぎ)の下の小道をたどり、眼覚めかけてる寒そうな畑中を歩いて行った。クリストフは泣きだした。
「ああ、叔父(おじ)さん、」と彼は言った、「僕は苦しい!」
彼の恋の経験については、ゴットフリートを困らすだろうという妙な懸念から、あえて語り得なかった。そして、自分の恥ずかしいこと、凡庸なこと、卑劣なこと、誓いを破ったこと、などを話した。
「叔父さん、どうしたらいいでしょう? 僕は望んだ、たたかった。そして一年たっても、やはり前と同じ所にいる。いや同じ所にもいない! 退歩してしまった。僕はなんの役にもたたない、なんの役にもたたないんです。生活を駄目(だめ)にしてしまったんです、誓いにそむいたんです!……」
二人は町を見晴す丘に上りかけていた。ゴットフリートはやさしく言った。
「そんなことはこんどきりじゃないよ。人は望むとおりのことができるものではない。望む、また生きる、それは別々だ。くよくよするもんじゃない。肝腎(かんじん)なことは、ねえ、望んだり生きたりするのに飽きないことだ。その他のことは私たちの知ったことじゃない。」
クリストフは絶望的にくり返した。
「僕は誓いに背いたんです!」
「聞こえるかい?……」とゴットフリートは言った。
(田舎(いなか)で鶏が鳴いていた。)
「あの鶏(とり)も皆、誓いに背いただれかのためにも歌ってるんだ。私たちのめいめいのために、毎朝歌ってくれる。」
「もう僕のために、」とクリストフは切なげに言った、「鶏も歌ってくれない日が来るでしょう……明日のない日が。そして僕の生活はどうなってることでしょう?」
「いつだって明日はあるよ。」とゴットフリートは言った。
「でも、望んだってなんの役にもたたないんなら、どうしたらいいでしょう?」
「用心をするがいい、そして祈るがいい。」
「僕はもう信じていないんです。」
ゴットフリートは微笑(ほほえ)んだ。
「信じていないとしたら、生きていられないはずだ。だれでも信じてるものだ。祈るがいいよ。」
「何を祈るんです?」
真赤(まっか)な冷たい地平線に出かかってる太陽を、ゴットフリートは彼にさし示した。
「日の出にたいして、信心深くなければいけない。一年後のことを、十年後のことを、考えてはいけない。今日(こんにち)のことを考えるんだよ。理屈を捨ててしまうがいい。理屈はみんな、いいかね、たとい道徳の理屈でも、よくないものだ、馬鹿げたものだ、害になるものだ。生活に無理をしてはいけない。今日(こんにち)に生きるのだ。その日その日にたいして信心深くしてるのだ。その日その日を愛し、尊敬し、ことにそれを凋ませず、花を咲かすのを邪魔しないことだ。今日(きょう)のようにどんよりした陰気な一日でも、それを愛するのだ。気をもんではいけない。ごらんよ、今は冬だ。何もかも眠っている。がよい土地は、また眼を覚ますだろう。よい土地でありさえすればいい、よい土地のように辛抱強くありさえすればいい。信心深くしてるんだよ。待つんだよ。お前が善良なら、万事がうまくいくだろう。もしお前が善良でないなら、弱いなら、成功していないなら、それでも、やはりそのままで満足していなければいけない。もちろんそれ以上できないからだ。それに、なぜそれ以上を望むんだい? なぜできもしないことをあくせくするんだい? できることをしなければいけない……我が為し得る程度を。」
「それじゃあまりつまらない。」とクリストフは顔をしかめながら言った。
ゴットフリートは親しげに笑った。
「それでもだれよりも以上のことをなすわけだ。お前は傲慢(ごうまん)だ。英雄になりたがってる。それだから馬鹿なまねしかやれないんだ……。英雄!……私はそれがどんなものだかよく知らない。しかしだね、私が想像すると、英雄というのは、自分にできることをする人だ。ところが他の者はそういうふうにはやらない。」
「ああ!」とクリストフは溜息をついた、「そんなら生きてても何になるでしょう? 生きてても無駄です。『欲するは能うことなり!』……と言ってる人たちもあります。」
ゴットフリートはまた静かに笑った。
「そうかい?……だがそれは大きな嘘つきだよ。でなけりゃ、たいした望みをもってない人たちだ……。」
二人は丘の頂きに着いていた。やさしく抱擁し合った。小さな行商人は、疲れた足取りで去っていった。クリストフはその遠ざかってゆく姿をながめながら、じっと考えに沈んだ。彼は叔父(おじ)の言葉をみずからくり返した。
「我が為し得る程度を。」
そして彼は微笑(ほほえ)みながら考えた。
「そうだ……それでもやはり……十分だ。」
彼は町の方へ帰りかけた。堅くなった雪が、靴の下で音をたてた。冬の鋭い朔風(さくふう)が、丘の上に、いじけた樹木の裸枝を震わしていた。その風は、彼の頬を赤くなし、彼の皮膚を刺し、彼の血を鞭(むち)うった。下の方には、人家の赤い屋根が、まぶしい寒い日の光に笑っていた。空気は強く酷(きび)しかった。凍った大地は、辛辣(しんらつ)な歓喜を感じてるがようだった。クリストフの心も大地と同じだった。彼は考えていた。
「俺も眼を覚ますだろう。」
彼の眼にはまだ涙があった。彼は手の甲でそれをぬぐった。そして霧の帷(とばり)の中にはいってゆく太陽を、微笑みながらながめた。雪を含んだ重い雲が、強風に吹きたてられて、町の上を通っていた。彼はその雲に向って軽侮の身振りをした。氷のような風が吹いていた……。
「吹け、吹け!……俺をどうにでもしろ! 俺を吹き送れ!……俺は行先をよく知ってるのだ。」
</巻末抜粋>
でわっ!
2010年5月7日金曜日
ドウダイ 原発はドウダイ
足尾鉱毒事件について「勝海舟」がこんな談話を述べているのですが・・・
NHKヒストリア
2009年10月14日放送
俺がやらなきゃ誰がやる
~勝海舟 第2の人生の使い方~ より
ドウダイ 鉱毒はドウダイ
旧幕(府)は野蛮で
今日は文明だそうだ
山を掘ることは
旧幕時代からやっていた事だが
当時は手の先で
チョイチョイやっていたんだ
海へ小便したって
海の水は小便にはなるまいし
手の先でチョイチョイ掘っていれば
毒は流れやしまい
今日は文明だそうだ
文明の大仕掛けで山を掘りながら
そのほかの仕掛けは
これに伴っていない
文明というのは よく理を考えて
民の害とならぬことを
するのではないか
だから 本当の文明流に
なさいと言うのだ
「氷川清話」/「海舟座談」より
この言葉をまんま原発推進派の人たちに贈ります。はい。
<貼付>
もんじゅ、核燃料破損示す検出器の警報作動
2010/5/7 13:37
日本原子力研究開発機構と経済産業省の原子力安全・保安院は7日、6日に14年5カ月ぶりに運転を再開した高速増殖炉「もんじゅ(福井県敦賀市)で、原子炉内の核燃料破損を示す検出器の警報が鳴ったと発表した。保安院は「検知器の故障と推定される」と説明、安全性に問題ないという。
警報が鳴ったのは2回で、1回目は6日午後11時9分、2回目は7日午前10時1分。3つある検出器のうち1つが異常を示していた。残る2つは、キセノンやセシウムなどの放射性物質の漏れを示す数値は表れていなかった。また、核分裂生成物の漏れを測る3種類の検出器も放射線を検出しなかった。
原子力安全・保安院は「原因は調査中で誤作動かどうかよく原因を特定しないと申し上げられないが、安全には影響なく試験は続行する」という。
</貼付>
何度でも言います。先人たちから受け継いだ「日本の豊かな自然・生態系」を破壊する原子力発電所は、日本のためにはならない。・・・と。
これはもう、イカサマ地球温暖化科学者らと肩を並べるレベルですか?原発の危険性を知りながら沈黙を守っている日本の科学者の怠慢は。あんたたちの「学問」は一体、「何のための学問」なんだ?・・・と。情けなさよりも、か様な科学者たちの「欺瞞」「怠慢」に恐怖を覚える次第です。はい。
でわっ!
NHKヒストリア
2009年10月14日放送
俺がやらなきゃ誰がやる
~勝海舟 第2の人生の使い方~ より
ドウダイ 鉱毒はドウダイ
旧幕(府)は野蛮で
今日は文明だそうだ
山を掘ることは
旧幕時代からやっていた事だが
当時は手の先で
チョイチョイやっていたんだ
海へ小便したって
海の水は小便にはなるまいし
手の先でチョイチョイ掘っていれば
毒は流れやしまい
今日は文明だそうだ
文明の大仕掛けで山を掘りながら
そのほかの仕掛けは
これに伴っていない
文明というのは よく理を考えて
民の害とならぬことを
するのではないか
だから 本当の文明流に
なさいと言うのだ
「氷川清話」/「海舟座談」より
この言葉をまんま原発推進派の人たちに贈ります。はい。
<貼付>
もんじゅ、核燃料破損示す検出器の警報作動
2010/5/7 13:37
日本原子力研究開発機構と経済産業省の原子力安全・保安院は7日、6日に14年5カ月ぶりに運転を再開した高速増殖炉「もんじゅ(福井県敦賀市)で、原子炉内の核燃料破損を示す検出器の警報が鳴ったと発表した。保安院は「検知器の故障と推定される」と説明、安全性に問題ないという。
警報が鳴ったのは2回で、1回目は6日午後11時9分、2回目は7日午前10時1分。3つある検出器のうち1つが異常を示していた。残る2つは、キセノンやセシウムなどの放射性物質の漏れを示す数値は表れていなかった。また、核分裂生成物の漏れを測る3種類の検出器も放射線を検出しなかった。
原子力安全・保安院は「原因は調査中で誤作動かどうかよく原因を特定しないと申し上げられないが、安全には影響なく試験は続行する」という。
</貼付>
何度でも言います。先人たちから受け継いだ「日本の豊かな自然・生態系」を破壊する原子力発電所は、日本のためにはならない。・・・と。
これはもう、イカサマ地球温暖化科学者らと肩を並べるレベルですか?原発の危険性を知りながら沈黙を守っている日本の科学者の怠慢は。あんたたちの「学問」は一体、「何のための学問」なんだ?・・・と。情けなさよりも、か様な科学者たちの「欺瞞」「怠慢」に恐怖を覚える次第です。はい。
でわっ!
2010年5月4日火曜日
都市と農村
タイの現在の状況を平たく言うと、都市部と農村部の対立とも言えます。が、この対立は何もタイだけに限らず日本にも当てはまります。
新聞・ネットのタイ関連ニュースを見ると、富裕層(特権階級)と貧困層(労働階級)の対立のようですが、視野を広げれば、富裕層とは都市部の人たちであり、貧困層とは農村部の人たち。つまり、都市化の恩恵を受けている人たちと、都市化から取り残された人たちの対立とも見て取れます。
その様に見れば、沖縄の基地問題にしても、原子力発電所の建設問題にしても、そこには都市部の人間の、農村部に対する「軽視」があるようにも思えるワケです。
そもそも都市部の生活を支えて来たのは農村部のはず?食料の供給地として、労働力の供給地として農村部の存在は不可欠だったはず?日本の高度成長時代を支えたのは、農村部から「集団就職」で上京してきた若者たちの労働力だったはず?
ワタシの地元である多摩も農村部です。ただ多摩は昔から領主不在の自治地区だったので他の農村部とは多少事情が異なるのですが、農村部と云う「封建体制」は全国共通のものだと思います。
基本的に家の跡取りは長男で、次男以下は外に出なければならない。土地をたくさん持っている裕福な農家であれば田畑を分けることが可能ですが、そうでない場合は別な仕事に就かねばならず、不本意ながらも住み慣れた土地を離れ、仕事を求めて都市部へと向かうワケです。
してみると都市部は、「故郷を追われた人々」によって構成されているとも言えるワケです。ま、その他にも封建的な農村部を嫌い自ら都市部へ向う人もいるでしょうが・・・
故郷・田舎を追われた身であるが故に、農村部に対して恨みこそあれ、農村部を発展させようと云う気が起きないとしても、まあ、それは農村部の封建的な体制が自ら蒔いた種なのかも知れません。
しかし人間は食べなければ生きていけません。したがって食料の供給地となる農村部を、軽視するワケには行かないことにご同意していただけるかと。であれば、「農村部=食料供給地」を今後どう維持していくかを考える必要がある事にもご同意していただけるかと?
ワタシが反原発なのも、ひとつに「安全な食料供給地の確保」と云う視点があります。海外に住んでいる日本人が実感する事のひとつに、「日本の豊かな自然・生態系」があります。そしてその恩恵によって、日本人の生活の維持(食料自給)が可能であったことも。
然るに、その恩恵を自ら放棄せんとする原子力発電所の増設と云う愚行をなぜ?今の政府が奨励するのか?ワタシにはトンと理解できません。「右」だろうが「左」だろうが「親米」だろうが「親中」だろうが「ナン」だろうが「カン」だろうが・・・
食わなきゃ死ぬ
という現実を曲げることは出来ません。
「お金」と云うものは確かに「便利」です。「お金」があれば欲しい物を手に入れることが出来ます。しかしくどいようですが、「お金は食べられない」のです。「お金」は等価の品物と「交換」することで、初めてその役割を果たすのです。では交換する「物」が無くなったら?
お金を持っていても無意味
「現物」・・・食料なり原料なりエネルギーを持っている国が最終的には強いワケです。然るに、これらの中でも最も重要な「食料」の供給源たる「日本の豊かな自然」を、ナゼ?どおして?WHY?自ら放射能汚染するような愚策を取るのか?
全く理解不可能
としか言いようがありません。自殺願望?でもあるんですか?日本の企業家は?ゆっきーは?ワタシは空腹でジワジワ死ぬなんて御免こうむりたいですわ。はい。
原子力発電で金儲けなんてヤメヤメ。他にもっといくらでも素晴らしい技術を日本は持っています。世界を滅ぼす様な技術ではなく、世界を活かす様な技術を。云うなれば・・・
殺人剣ではなく、活人剣
のような技術を世界に広めるのが現代の日本の武士道かと。
で、その第一歩。食料供給地に対する認識の共有ために、「都市部」と「農村部」の「和解」もしくは「融合」がこれからの課題になるのでは?と、思う次第です。具体像は見えませんが、例の「高速道路無料化」はひとつのキッカケになるのかな?・・・と。
でわっ!
新聞・ネットのタイ関連ニュースを見ると、富裕層(特権階級)と貧困層(労働階級)の対立のようですが、視野を広げれば、富裕層とは都市部の人たちであり、貧困層とは農村部の人たち。つまり、都市化の恩恵を受けている人たちと、都市化から取り残された人たちの対立とも見て取れます。
その様に見れば、沖縄の基地問題にしても、原子力発電所の建設問題にしても、そこには都市部の人間の、農村部に対する「軽視」があるようにも思えるワケです。
そもそも都市部の生活を支えて来たのは農村部のはず?食料の供給地として、労働力の供給地として農村部の存在は不可欠だったはず?日本の高度成長時代を支えたのは、農村部から「集団就職」で上京してきた若者たちの労働力だったはず?
ワタシの地元である多摩も農村部です。ただ多摩は昔から領主不在の自治地区だったので他の農村部とは多少事情が異なるのですが、農村部と云う「封建体制」は全国共通のものだと思います。
基本的に家の跡取りは長男で、次男以下は外に出なければならない。土地をたくさん持っている裕福な農家であれば田畑を分けることが可能ですが、そうでない場合は別な仕事に就かねばならず、不本意ながらも住み慣れた土地を離れ、仕事を求めて都市部へと向かうワケです。
してみると都市部は、「故郷を追われた人々」によって構成されているとも言えるワケです。ま、その他にも封建的な農村部を嫌い自ら都市部へ向う人もいるでしょうが・・・
故郷・田舎を追われた身であるが故に、農村部に対して恨みこそあれ、農村部を発展させようと云う気が起きないとしても、まあ、それは農村部の封建的な体制が自ら蒔いた種なのかも知れません。
しかし人間は食べなければ生きていけません。したがって食料の供給地となる農村部を、軽視するワケには行かないことにご同意していただけるかと。であれば、「農村部=食料供給地」を今後どう維持していくかを考える必要がある事にもご同意していただけるかと?
ワタシが反原発なのも、ひとつに「安全な食料供給地の確保」と云う視点があります。海外に住んでいる日本人が実感する事のひとつに、「日本の豊かな自然・生態系」があります。そしてその恩恵によって、日本人の生活の維持(食料自給)が可能であったことも。
然るに、その恩恵を自ら放棄せんとする原子力発電所の増設と云う愚行をなぜ?今の政府が奨励するのか?ワタシにはトンと理解できません。「右」だろうが「左」だろうが「親米」だろうが「親中」だろうが「ナン」だろうが「カン」だろうが・・・
食わなきゃ死ぬ
という現実を曲げることは出来ません。
「お金」と云うものは確かに「便利」です。「お金」があれば欲しい物を手に入れることが出来ます。しかしくどいようですが、「お金は食べられない」のです。「お金」は等価の品物と「交換」することで、初めてその役割を果たすのです。では交換する「物」が無くなったら?
お金を持っていても無意味
「現物」・・・食料なり原料なりエネルギーを持っている国が最終的には強いワケです。然るに、これらの中でも最も重要な「食料」の供給源たる「日本の豊かな自然」を、ナゼ?どおして?WHY?自ら放射能汚染するような愚策を取るのか?
全く理解不可能
としか言いようがありません。自殺願望?でもあるんですか?日本の企業家は?ゆっきーは?ワタシは空腹でジワジワ死ぬなんて御免こうむりたいですわ。はい。
原子力発電で金儲けなんてヤメヤメ。他にもっといくらでも素晴らしい技術を日本は持っています。世界を滅ぼす様な技術ではなく、世界を活かす様な技術を。云うなれば・・・
殺人剣ではなく、活人剣
のような技術を世界に広めるのが現代の日本の武士道かと。
で、その第一歩。食料供給地に対する認識の共有ために、「都市部」と「農村部」の「和解」もしくは「融合」がこれからの課題になるのでは?と、思う次第です。具体像は見えませんが、例の「高速道路無料化」はひとつのキッカケになるのかな?・・・と。
でわっ!
権力への欲望 35
ヤッター!!11月総選挙!? (タイ)
<貼付>
速:首相、11月14日を総選挙実施日として掲げ引き続き正常化、和解推進に努め総選挙が実施できる環境を整えていく意向を示す。特別放送の中で。 #ThaiRedJ 約1時間前 TweetDeckから
</貼付>
とにかく今の膠着状態を打開する手立て、対策、姿勢を速やかに国外に示さないと、有象無象の輩がワラワラと沸いて来てタイのためになりませんwww。
<貼付>
「タイ内戦の可能性」 ベルギーのシンクタンク
2010/5/ 3 (06:52)
【タイ】タイでタクシン元首相派・民主派と現政府・王党派の対立が激化している問題について、平和問題に関する有力シンクタンク、インターナショナル・クライシス・グループ(本部ブリュッセル)は「宣戦布告のないまま内戦状態に陥りかねない」と警告し、タイ政府に対し、先にバンコクを訪れた東ティモールのラモス・ホルタ大統領のような国際的な人物による調停を検討すべきだと呼びかけた。
一連の政争は、経済発展の恩恵を受けず、選挙で選んだ首相を追放された地方住民らが、国家の実権を握る特権階級に失望したために起きたと分析。運動はタクシン元首相個人を超えて広がり、バンコク中心部を占拠したタクシン派団体「反独裁民主戦線(UDD)」の強制排除に踏み切れば暴動が拡大すると警告した。また、王位継承の時期が近付いているときに問題が起きたことを指摘し、プミポン・タイ国王による調停は困難という見方を示した。
紛争の解決方法については、▽国際的な人物とタイの長老的な立場にある人々による調停グループが、政府に強制鎮圧の中止を、UDDに集会の規模縮小を飲ませ、当面の危機を回避▽中立的な国会議員らによる暫定政府を設立▽4月10日に起きたUDDと治安部隊の衝突など流血事件の調査▽法秩序が回復した時点で総選挙を行い、軍事政権が導入した現行憲法に代わる新しい憲法を作成――といった道筋を示した。
一方、アピシット首相は2日に放送されたテレビ演説で、ホルタ大統領との会談に触れ、タイの現状について、法を守らせる一方、人々の要求に耳を傾けるという必要があるという考えで、大統領と一致したと述べた。また、近く貧困、選挙制度などの問題解決に向けた工程表を発表することを明らかにした。
</貼付>
だいたいが・・・「シンクタンク」ってやつが如何わしいわwww。しかもベルギーだしwww。自国の特権階級たるベルギー王室はスルーですか?過去ヨーロッパ諸国がアフリカでやってきたことを振り返れwww。
アフリカ分割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本における明治維新の最大要因(根本)は何か?と言えば、欧米列強の「植民地支配」に対する危機感であったのはみなさん「龍馬伝」で既にご存知の通り。
で、時は流れ・・・二度の大きな戦争を体験し、「ヒューマニズム」とやらに重きが置かれる世界になったのですが、じゃあ過去にその権力により利益を享受した欧米の支配階級が「心を入れ替えて」搾取無き「助け合い」の世界を望むんか?・・・と。
んwww?それは難しいんじゃない?日本だって同じことで・・・と言うか、世界中の支配階級の思いはひとつなんでしょ?
人民の、人民による、人民の為の世界とやらを実現するには、世界中の一般市民の「覚醒」が必要で、一人一人の「個人革命」の遂行以外に無い。・・・と、常々思うワケです。はい。
自分たちで決める
そのことには「責任」が伴うのですが、アジアの人間て基本的に苦手なんですよね。この「責任」てやつが・・・。でも、「責任」から逃げている限り本当の「民主主義」なんて在り得ませんwww。なんせ「民主(民が主人)」なワケですから。
アジア圏は家族、親族を重んじる文化なので、「責任」なんて言い出すと「和を乱す」とか言って、ナアナアになってしまいがちなのですが、その辺を曖昧にしたままだと、キチッとした「論理」を展開する相手には敵わないワケです。
ま、「奴隷の方が気楽でいいや」とおっしゃる御仁もいるかも知れませんが、ワタシは「Kong co gi quy hon, Doc lap va tu do(自由と独立ほど尊いものはない)」と云うホーおじさんの言葉に、深く賛同する次第です。はい。
そうそう・・・明治維新でひとつ思い出した?のですが、徳川将軍家19代目当主の花嫁ってベトナム人女性なんですわ。確か2007年頃の話。ご存知でした?いまさら徳川家もないだろうとは思いますが、ベトナムに身を寄せている浪人としては「将軍様の花嫁がベトナム人」ということで、日本とベトナムの更なる協調関係が築かれんことを切に願う次第です。はい。
(モデル:加藤あい)
でわっ!
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速:首相、11月14日を総選挙実施日として掲げ引き続き正常化、和解推進に努め総選挙が実施できる環境を整えていく意向を示す。特別放送の中で。 #ThaiRedJ 約1時間前 TweetDeckから
</貼付>
とにかく今の膠着状態を打開する手立て、対策、姿勢を速やかに国外に示さないと、有象無象の輩がワラワラと沸いて来てタイのためになりませんwww。
<貼付>
「タイ内戦の可能性」 ベルギーのシンクタンク
2010/5/ 3 (06:52)
【タイ】タイでタクシン元首相派・民主派と現政府・王党派の対立が激化している問題について、平和問題に関する有力シンクタンク、インターナショナル・クライシス・グループ(本部ブリュッセル)は「宣戦布告のないまま内戦状態に陥りかねない」と警告し、タイ政府に対し、先にバンコクを訪れた東ティモールのラモス・ホルタ大統領のような国際的な人物による調停を検討すべきだと呼びかけた。
一連の政争は、経済発展の恩恵を受けず、選挙で選んだ首相を追放された地方住民らが、国家の実権を握る特権階級に失望したために起きたと分析。運動はタクシン元首相個人を超えて広がり、バンコク中心部を占拠したタクシン派団体「反独裁民主戦線(UDD)」の強制排除に踏み切れば暴動が拡大すると警告した。また、王位継承の時期が近付いているときに問題が起きたことを指摘し、プミポン・タイ国王による調停は困難という見方を示した。
紛争の解決方法については、▽国際的な人物とタイの長老的な立場にある人々による調停グループが、政府に強制鎮圧の中止を、UDDに集会の規模縮小を飲ませ、当面の危機を回避▽中立的な国会議員らによる暫定政府を設立▽4月10日に起きたUDDと治安部隊の衝突など流血事件の調査▽法秩序が回復した時点で総選挙を行い、軍事政権が導入した現行憲法に代わる新しい憲法を作成――といった道筋を示した。
一方、アピシット首相は2日に放送されたテレビ演説で、ホルタ大統領との会談に触れ、タイの現状について、法を守らせる一方、人々の要求に耳を傾けるという必要があるという考えで、大統領と一致したと述べた。また、近く貧困、選挙制度などの問題解決に向けた工程表を発表することを明らかにした。
</貼付>
だいたいが・・・「シンクタンク」ってやつが如何わしいわwww。しかもベルギーだしwww。自国の特権階級たるベルギー王室はスルーですか?過去ヨーロッパ諸国がアフリカでやってきたことを振り返れwww。
アフリカ分割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本における明治維新の最大要因(根本)は何か?と言えば、欧米列強の「植民地支配」に対する危機感であったのはみなさん「龍馬伝」で既にご存知の通り。
で、時は流れ・・・二度の大きな戦争を体験し、「ヒューマニズム」とやらに重きが置かれる世界になったのですが、じゃあ過去にその権力により利益を享受した欧米の支配階級が「心を入れ替えて」搾取無き「助け合い」の世界を望むんか?・・・と。
んwww?それは難しいんじゃない?日本だって同じことで・・・と言うか、世界中の支配階級の思いはひとつなんでしょ?
人民の、人民による、人民の為の世界とやらを実現するには、世界中の一般市民の「覚醒」が必要で、一人一人の「個人革命」の遂行以外に無い。・・・と、常々思うワケです。はい。
自分たちで決める
そのことには「責任」が伴うのですが、アジアの人間て基本的に苦手なんですよね。この「責任」てやつが・・・。でも、「責任」から逃げている限り本当の「民主主義」なんて在り得ませんwww。なんせ「民主(民が主人)」なワケですから。
アジア圏は家族、親族を重んじる文化なので、「責任」なんて言い出すと「和を乱す」とか言って、ナアナアになってしまいがちなのですが、その辺を曖昧にしたままだと、キチッとした「論理」を展開する相手には敵わないワケです。
ま、「奴隷の方が気楽でいいや」とおっしゃる御仁もいるかも知れませんが、ワタシは「Kong co gi quy hon, Doc lap va tu do(自由と独立ほど尊いものはない)」と云うホーおじさんの言葉に、深く賛同する次第です。はい。
そうそう・・・明治維新でひとつ思い出した?のですが、徳川将軍家19代目当主の花嫁ってベトナム人女性なんですわ。確か2007年頃の話。ご存知でした?いまさら徳川家もないだろうとは思いますが、ベトナムに身を寄せている浪人としては「将軍様の花嫁がベトナム人」ということで、日本とベトナムの更なる協調関係が築かれんことを切に願う次第です。はい。
(モデル:加藤あい)
でわっ!
2010年5月2日日曜日
権力への欲望 34
在日米軍基地利権に群がっている人たちには、とても残念なニュース。
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米自治領テニアン島への普天間誘致、地元下院も決議
2010年5月1日8時19分
【ワシントン=村山祐介】米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移転問題をめぐり、米自治領北マリアナ連邦議会の下院は4月30日、日米両政府に同連邦テニアン島への飛行場移転の検討を求める誘致決議を全会一致で採択した。同連邦では16日に上院も同様の決議を全会一致で採択している。
決議は、テニアン島は「移転先として最適」で、「日本から議員が訪れ、普天間移転を支える島民の意欲に注目した」として、移転を歓迎している。決議文の写しを国防総省と日本政府に送るという。
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ま、来てくれと言う人たちがいて、出て行ってくれと言う人たちがいれば、ナンの問題も無いんじゃないの?しかもまがりなりにもアメリカ国内の議会決定。何が何でも沖縄に残りたいと云うことであれば、基地交渉の論点も変わってきますわな。基地使用料を取るとか?
あとは移転するにしても、スムーズに事が運ぶように日本側の協力は求められるんでしょうがwww。
これって大多数の日本人にとっては喜ぶべきニュースなんでしょ?利権なんてものを有り難がるより、移転後の基地跡地をどう有効利用するかに頭を切り替えましょ?
これで決まりさ!
(by マッチ)
でわっ!
2010年5月1日土曜日
権力への欲望 33
以前放送されたNHKスペシャルの「明治シリーズ」を見直したのですが、これが・・・
面白い!
特に第4回の「建白書」の回は現代日本人必見ではなかろうか?・・・と。
明治維新を成し遂げたはイイものの、新政府は明確な政策を持っていなかった。
そこで広く一般から政策提案書=「建白書」を公募したり、徳川幕府の旧幕閣から人材を登用して混乱(革命後)を乗り切ろうとしたワケです。
明治維新という大業が成功したのは「薩長土肥」だけの力によるものだけではなく、討伐?された旧幕府側の力も有ったればこそ。そして日本という国の未来を真剣に考えた一般大衆の提言である、「建白書」の存在を無視することは出来ないのです。
番組の詳細について細かい説明は避けますが、肝心な事は、明治という時期に国民は政治に深く係わっており、生活と政治が非常に近い関係にあったのです。西洋の先端技術を取り入れ生活環境がめまぐるしく変化していく毎日に、身をもって世の中の変化を実感した事。そして変化する可能性のある世の中なら、自分たちの住みやすい世の中にしよう。・・・と、明治の日本国民は政治を、すなわち日本の将来を真剣に考えたのです。
翻って現在、ワタシたちは第二の明治期を迎えているとは考えられないでしょうか?「民意」により自民党を下野させ、民主党に政権を委ねた。「民意」が政権を変えたのだから、明治期よりも画期的な事なのかも知れません。この、「民意」を国政に反映させる手はずを整えてくれたのも明治の先人たちのおかげです。
で、現在は「建白書」と云う制度はありませんが、代わってインターネットという手段があります。
ネット空間では職業貴賎、老若男女の区別無く自由に「提言」を述べることができます。ワタシはこれを「現代の建白書」の様に思ったワケです。番組を見て。
「誹謗」や「中傷」がネット上に溢れ、その事にエネルギーを費やしている人が多いのは残念な事実ですが、それだけでもありません。立派な意見を述べる「現代の建白書」と呼んでもいい様な記事を目にすることもあります。また、自分の考えを形成する上で重要になる「情報」もネット上にキラ星の如く存在します。(珠玉混同ですが・・・)
明治期において日本人は「民主主義」に目覚めました。まだ西洋でさえ婦人に選挙権を与えていなかった時代に、日本の「建白書」では婦人参政権を謳っていました。そして国民主権の国造りを望んだのですが、時の政府の地盤がまだ固まってなかった事もあって、これらの「建白書」が日の目を見ることは無く、その後、過度の民主化を恐れた政府は「皇国史観」によって国民を「洗脳」して行くワケです。
しかし今、日本人は再度明治の頃の建国の情熱を取り戻しつつあるのではないでしょうか?過去、闇に葬られてしまった「民主主義」に基づく国造りを再起動させる時期にあるのではないでしょうか?政党がどうこうとかの問題では無く、自分たちはどうしたいのか?どう在りたいのか?
そんな「目覚めた日本人」を、世界中の権力者、既得権益者は快く思わないでしょう。自分たちの支配基盤に影響が及びそうなので恐れるでしょう。
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中国で日本研究リポート、民主政権「展望と財源なし・清廉さ疑問」
中国政府系のシンクタンク、中国社会科学院に付属する同日本研究所と中華日本学会は4月30日、日本研究リポート「日本藍書(02010)」を発表した。2009年に政権を奪取した民主党だが問題は多いと指摘して、7月の参議院選挙が最大の焦点と論じた。中国新聞社が報じた。
同リポートは、2009年に自公連立政権にとって代わった民主党を中心とする政権は、政治構造や官僚制度の改革、外交関係の調整を展開し、直接・間接に社会の多くの方面に影響を及ぼしたと指摘。新政権の政策方針や外交戦略は、(中国としても)真剣に研究すべきと主張した。
経済政策では、「国民生活の最優先」や「友愛社会」の理念が土台にあり、金融危機や財政、貿易、地球温暖化、科学技術の発展などで、平等と民生重視の政策を追求していると紹介。ただし、「明確な長期戦略はなく、経済を回復させるための刺激力も弱い。財源も欠いている」と指摘した。
7月の参議院選挙については、「自らの政治的清廉潔白さに疑問を持たれている民主党にとっては、重大な試練」と分析した上で、「これ以上の政治的問題を出さないなら、民主党中心の政権は維持されるだろう」と予測した。
同リポートは、日本の思想や社会の変化に対しては、過去十数年を振り返る観察が必要と主張。雇用・自殺・うつ・少子化などの主だった流行語を追跡し、国民意識の変化、世襲政治の文化背景、新興宗教の変化、メディアの変化など、多角的に日本社会の変化と発展を透視する必要があると論じた。(編集担当:如月隼人)
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アメリカにおけるマスコミの偽情報作戦
<抜粋>
"アメリカでは、人は何でも言いたいことが言える。そうした言動が何の影響もない限り。" - ポール・グッドマン
進歩派の活動家や作家たちは、彼らが書くニュース記事やら発表する意見は、大手マスコミに、ずっと無視され続けたままで、多数のアメリカ人の目に触れずにいるという事実を、絶えず嘆いている。進歩的思想を無視する態度、大手マスコミの定義とも言える。こういうことは、別に陰謀などである必要はない。単に、一体が誰が大手マスコミを所有しているのか、そして、彼らが社員として雇っている、自分の仕事を確保しておきたいと願っている人々、ジャーナリストたちの資質がどうか、という問題なのだ。だから、これは陰謀より陰湿だが、これは体制の中に組み込まれており、体制というもの、そのようにして動くものなのだ。進歩派の世界に対する無視は、もちろん完全ではない。時として、その世界の、あるものが、剽窃せずにいるには余りに出来すぎていたり、そしてごくまれに、進歩的な思想が大人気を博しそうになったりした場合は、反撃しなければならない。
</抜粋></貼付>
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「影響力ある100人」に鳩山首相=米誌
【ニューヨーク時事】米誌タイムは29日、「世界で最も影響力のある100人」を発表し、「リーダー部門」で日本の鳩山由紀夫首相を選出した。
同誌は、鳩山首相自身は政治家の家系に生まれ、「革新的には見えない」としながらも、「(自民党による)事実上の一党支配体制を、機能する民主主義に変える手助けをした」と評価。「このことは称賛するに十分な理由」とした。
リーダー部門では25人が選ばれ、ブラジルのルラ大統領やオバマ米大統領らも名を連ねた。 (2010/04/30-01:18)
</貼付>
肝心なのは、「民意」で民主党を選んだと云うことで、あくまでも「民意」が主体であり、民主党はその影だという事。民主党がコケようが、ゆっきーがコケようが、「覚醒した日本人」を足止めすることは出来ないでしょう。で、世界中の「支配階級」が一番恐れるのが「民衆の覚醒」。いつの日か誰か(日本人?)が・・・
「王様は裸だ!」
と叫び出しやしないか?とビクビクしているワケです。はい。
でわっ!
面白い!
特に第4回の「建白書」の回は現代日本人必見ではなかろうか?・・・と。
明治維新を成し遂げたはイイものの、新政府は明確な政策を持っていなかった。
そこで広く一般から政策提案書=「建白書」を公募したり、徳川幕府の旧幕閣から人材を登用して混乱(革命後)を乗り切ろうとしたワケです。
明治維新という大業が成功したのは「薩長土肥」だけの力によるものだけではなく、討伐?された旧幕府側の力も有ったればこそ。そして日本という国の未来を真剣に考えた一般大衆の提言である、「建白書」の存在を無視することは出来ないのです。
番組の詳細について細かい説明は避けますが、肝心な事は、明治という時期に国民は政治に深く係わっており、生活と政治が非常に近い関係にあったのです。西洋の先端技術を取り入れ生活環境がめまぐるしく変化していく毎日に、身をもって世の中の変化を実感した事。そして変化する可能性のある世の中なら、自分たちの住みやすい世の中にしよう。・・・と、明治の日本国民は政治を、すなわち日本の将来を真剣に考えたのです。
翻って現在、ワタシたちは第二の明治期を迎えているとは考えられないでしょうか?「民意」により自民党を下野させ、民主党に政権を委ねた。「民意」が政権を変えたのだから、明治期よりも画期的な事なのかも知れません。この、「民意」を国政に反映させる手はずを整えてくれたのも明治の先人たちのおかげです。
で、現在は「建白書」と云う制度はありませんが、代わってインターネットという手段があります。
ネット空間では職業貴賎、老若男女の区別無く自由に「提言」を述べることができます。ワタシはこれを「現代の建白書」の様に思ったワケです。番組を見て。
「誹謗」や「中傷」がネット上に溢れ、その事にエネルギーを費やしている人が多いのは残念な事実ですが、それだけでもありません。立派な意見を述べる「現代の建白書」と呼んでもいい様な記事を目にすることもあります。また、自分の考えを形成する上で重要になる「情報」もネット上にキラ星の如く存在します。(珠玉混同ですが・・・)
明治期において日本人は「民主主義」に目覚めました。まだ西洋でさえ婦人に選挙権を与えていなかった時代に、日本の「建白書」では婦人参政権を謳っていました。そして国民主権の国造りを望んだのですが、時の政府の地盤がまだ固まってなかった事もあって、これらの「建白書」が日の目を見ることは無く、その後、過度の民主化を恐れた政府は「皇国史観」によって国民を「洗脳」して行くワケです。
しかし今、日本人は再度明治の頃の建国の情熱を取り戻しつつあるのではないでしょうか?過去、闇に葬られてしまった「民主主義」に基づく国造りを再起動させる時期にあるのではないでしょうか?政党がどうこうとかの問題では無く、自分たちはどうしたいのか?どう在りたいのか?
そんな「目覚めた日本人」を、世界中の権力者、既得権益者は快く思わないでしょう。自分たちの支配基盤に影響が及びそうなので恐れるでしょう。
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中国で日本研究リポート、民主政権「展望と財源なし・清廉さ疑問」
中国政府系のシンクタンク、中国社会科学院に付属する同日本研究所と中華日本学会は4月30日、日本研究リポート「日本藍書(02010)」を発表した。2009年に政権を奪取した民主党だが問題は多いと指摘して、7月の参議院選挙が最大の焦点と論じた。中国新聞社が報じた。
同リポートは、2009年に自公連立政権にとって代わった民主党を中心とする政権は、政治構造や官僚制度の改革、外交関係の調整を展開し、直接・間接に社会の多くの方面に影響を及ぼしたと指摘。新政権の政策方針や外交戦略は、(中国としても)真剣に研究すべきと主張した。
経済政策では、「国民生活の最優先」や「友愛社会」の理念が土台にあり、金融危機や財政、貿易、地球温暖化、科学技術の発展などで、平等と民生重視の政策を追求していると紹介。ただし、「明確な長期戦略はなく、経済を回復させるための刺激力も弱い。財源も欠いている」と指摘した。
7月の参議院選挙については、「自らの政治的清廉潔白さに疑問を持たれている民主党にとっては、重大な試練」と分析した上で、「これ以上の政治的問題を出さないなら、民主党中心の政権は維持されるだろう」と予測した。
同リポートは、日本の思想や社会の変化に対しては、過去十数年を振り返る観察が必要と主張。雇用・自殺・うつ・少子化などの主だった流行語を追跡し、国民意識の変化、世襲政治の文化背景、新興宗教の変化、メディアの変化など、多角的に日本社会の変化と発展を透視する必要があると論じた。(編集担当:如月隼人)
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アメリカにおけるマスコミの偽情報作戦
<抜粋>
"アメリカでは、人は何でも言いたいことが言える。そうした言動が何の影響もない限り。" - ポール・グッドマン
進歩派の活動家や作家たちは、彼らが書くニュース記事やら発表する意見は、大手マスコミに、ずっと無視され続けたままで、多数のアメリカ人の目に触れずにいるという事実を、絶えず嘆いている。進歩的思想を無視する態度、大手マスコミの定義とも言える。こういうことは、別に陰謀などである必要はない。単に、一体が誰が大手マスコミを所有しているのか、そして、彼らが社員として雇っている、自分の仕事を確保しておきたいと願っている人々、ジャーナリストたちの資質がどうか、という問題なのだ。だから、これは陰謀より陰湿だが、これは体制の中に組み込まれており、体制というもの、そのようにして動くものなのだ。進歩派の世界に対する無視は、もちろん完全ではない。時として、その世界の、あるものが、剽窃せずにいるには余りに出来すぎていたり、そしてごくまれに、進歩的な思想が大人気を博しそうになったりした場合は、反撃しなければならない。
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「影響力ある100人」に鳩山首相=米誌
【ニューヨーク時事】米誌タイムは29日、「世界で最も影響力のある100人」を発表し、「リーダー部門」で日本の鳩山由紀夫首相を選出した。
同誌は、鳩山首相自身は政治家の家系に生まれ、「革新的には見えない」としながらも、「(自民党による)事実上の一党支配体制を、機能する民主主義に変える手助けをした」と評価。「このことは称賛するに十分な理由」とした。
リーダー部門では25人が選ばれ、ブラジルのルラ大統領やオバマ米大統領らも名を連ねた。 (2010/04/30-01:18)
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肝心なのは、「民意」で民主党を選んだと云うことで、あくまでも「民意」が主体であり、民主党はその影だという事。民主党がコケようが、ゆっきーがコケようが、「覚醒した日本人」を足止めすることは出来ないでしょう。で、世界中の「支配階級」が一番恐れるのが「民衆の覚醒」。いつの日か誰か(日本人?)が・・・
「王様は裸だ!」
と叫び出しやしないか?とビクビクしているワケです。はい。
でわっ!