2010年5月29日土曜日

本物の指導者の条件

 ヒロシさんところにね、こんな“つぶやき”があったんですが・・・


<引用>

副島先生と電話で話した。今回は特別に書く。「ジェダイの騎士達はこれから皆殺しにあうだろう。今回、ダークサイドに堕ちた政治家は何人いるんだろうか」。ハリウッド映画を引き合いに出して政局を語った。私は鳩山の表情を見て、ひょっとしたら「ルークは鳩山ではないか」と思っていた・・・・。

</引用>


 なんかねぇ・・・、「悲壮感」が漂っててイケマセン。もう“お手上げ”なんですか?ナッサケ無いなぁ。まだまだ終わっちゃいないでしょう?頭のイイ人間てのは諦めも早い?のかねぇ?それとも育ちがイイのかねぇ?

 ワタシなんて生まれてこの方、常に「逆境」の中に身を置いてきたので、自分の思い通りに事が運ばなくてもそれが「デフォ」だと思っているのでヘコタレません♪

 戦いはこれからなのですよ。戦場に例えるなら、一時退却を余儀なくされているに過ぎません。ボクシングでいえば第一ラウンドが終わったようなもんですよ。少なくともワタシはそう見ます。でなければ、一緒に戦ってきた戦友の士気を下げてしまいます。

 えwwwっと・・・「キューバ革命」の時にね?カストロ、ゲバラ(敬称略)たちを乗せた船「グラン・マ号」がキューバに到着した時、それはもう散々な状態だったわけですわ、ゲバラの自伝「革命の回想」によれば。

 ほとんどのメンバーが「革命なんて無理だ」とあきらめかけていたのですが、その時にカストロやゲバラまでもが革命に絶望的になってしまっていたら、当然キューバ革命は成し得なかったワケです。はい。

 つまり、「勝ち馬」に乗ってチョーシのいい言論を吐くことは誰にでも出来ますが、苦しい状況において粘り強く陣営を建て直し、仲間を勇気づけるのが「本物の指導者」だとワタシは思う次第です。

 人情としても、苦しい時をともに過ごした仲間の方が、より強い信頼関係で結ばれるモンでしょ?

 ハッキリ言えば、「ダークサイド」との戦いに終わりはありません。なぜなら誰もが皆、その内に「ダークサイド」を持っているから。ワタシにしてもそうです。だから、戦うことに疲れた者から「ダークサイド」に堕ちて行くのです。

 例えるなら、「賽の河原で石を積む」のに等しい行為なのです。それでもなお・・・「石(意志)を積む」か?と云う「覚悟」の問題なのです。

 ワタシの心も決して強い方ではありません。だからこそ自分で自分を鼓舞し続けないと、容易く「ダークサイド」に堕ちてしまうでしょう。そして一旦堕ちてしまえば、自分が堕ちたことさえ気づかないようになってしまうかもしれません。

 トルストイの「光あるうち光の中を歩め」にて、主人公はキリスト教の「信仰」に目覚めるのですが、彼の友人は「現世の幸福」を享受しろと諭します。主人公も心に「ダークサイド」を持っているので、友人の言うことも尤もだと、なかなか「信仰」の道に入れないのですが、或る日とうとう「自分の信仰をこれ以上ごまかすことは出来ない」と出家を決意します。

 キリスト教を賛美するワケではありません。この場合「信仰」とは、自分の「信念」とか「本心」とか「理想」とかで構わないワケです。

 で、ワタシの場合、頭の出来のよろしい方々のように、言葉がたくさん詰まった引き出しを持っていないので、苦境に立たされた場合、この一言に集約されるワケです。



ヤラレてたまるかっ!


・・・と。 

 まったく・・・「4回戦ボーイ」みたいな政治家じゃなく、「12ラウンド」フルに打ち合えるタフな政治家はいないもんですかねぇ?政治家がダメダメなら、いよいよもって国民自ら日本の再建に取り組まなければならない時代が来ることも「覚悟」しなければならないのかも・・・


でわっ!