2011年10月29日土曜日

この国の未来 1

 このたびの「東日本大地震」にて被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、災害にてお亡くなりになられた方々のご冥福を、心からお祈り申し上げます。


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若者はもっと「自己中」になって社会を変えろ~「絶望の国の幸福な若者たち」著者インタビュー~1
2011年10月28日11時30分


「草食系男子」「内向き志向」などの言葉に象徴されるように、「昨今の若者には元気がない」と論じるメディアや年配の識者は多い。また、現在世界各地で広がりつつある経済格差の解消などを求める抗議行動は、日本ではわずか100人ほどの参加者を集めただけだったという。「今の日本の若者は何故立ち上がらないのか」という疑問を「絶望の国の幸福な若者たち」を上梓したばかりの新進気鋭の社会学者、古市憲寿氏(26歳)にぶつけた。(取材・構成:大谷 広太、永田 正行【BLOGOS編集部】)


現代の若者の生活満足度は過去最高

―先日のデモ(「オキュパイ・トウキョウ」)も実際に行かれて、参加者の方にインタビューされたんですか?

古市憲寿氏(以下、古市):はい。「オキュパイ・トウキョウ」は、人が少なかったですね。報道陣の方が多いぐらいでした。

―アメリカの様子を見ていると、物凄いエネルギーを感じるのですが現代の日本で同じ状況は生まれにくいのでしょうか。

古市:「オキュパイ・トウキョウ」の問題はいくつかあったと思います。

まず情報強者しかデモの存在を知りえなかったという問題。告知期間が短かったこともあり、TwitterやFacebookなどのソーシャルメディアをよほど駆使している人じゃないと、デモにたどり着けなかったと思います。一週間前の段階では東京の「どこかでやる」ことだけが告知されていて、実際にどこでやるかがわかりませんでしたから。

そして、彼らが掲げているテーマである「反格差」にリアリティを感じられる人がほとんどいないということも言えると思います。

雨宮処凛さんとか松本哉さんたちが、反貧困運動をずっとやってきましたけど、あれに集まるのは結局、一部の人だけじゃないですか。実際、ほとんどの若者たちは格差社会の被害者だという意識はないし、今の生活に満足している。

『絶望の国の幸福な若者たち』でも強調して書いたことですが、政府の統計によれば20代の生活満足度は約7割。過去最高の水準です。他の統計を見ても、若者の幸福度はこの20年間右肩上がりです。若者自身に、自分たちが弱者であるという当事者意識はほとんどないと思います。

実際、今の日本は歴史上まれに見る「豊かさ」の中にあります。ユニクロやH&Mで服を買って、大戸屋でご飯食べて、夜はtwitterで呼びかけた友だちと鍋。あんまりお金をかけずに、そこそこ楽しい生活ができてしまいます。

つまり「日本ってなんて豊かで恵まれているんだろう」という意識の方が強いと思うんですよね。最近『僕たちは世界を変えることができない』という映画が公開されましたが、「カンボジアに学校を作る」みたいな活動をする若者の存在が象徴的だと思います。

そういう状況の中で「反格差」「反貧困」みたいなイベントは盛り上がらないですよね。そもそも「オキュパイ」って単語が難しいし(笑)。

―今、海外ボランティアに行く学生が増えていたりですとか、3.11以降ボランティアの意識がかつてないほど高まっているというのは、自分たちよりも周囲の方が大変だという意識が強いからなんでしょうか。

古市:「社会を変えよう」と思った時に、自分が今いる場所や自分を変えようという意識が薄い気がします。それよりも自分の外側にある世界を変える方がリアリティをもちやすい。

例えば、反原発デモの時に統一地方選挙があったんですけど、当日デモの参加者にインタビューして驚いたんですが、選挙に行ってないという人が結構な数いた。もちろんサンプル・バイアスの問題かも知れないので一概には言えないのですけど。

都知事選で石原慎太郎が選ばれるかどうかという事実が、今後の原発行政に及ぼす影響はそれなりに大きいと思うのですが、その選挙に行かないでデモに参加する。具体的に自分が権利を行使できるはずの選挙はつまらないから行かなくて、デモというお祭りには参加するというのは象徴的だと思います。

それと同じ文脈で「カンボジアに学校を建てる」というようなことも理解できます。途上国には、わかりやすい貧困あって、150万円出せば学校が作れるというわかりやすい目標がある。たった150万円で目に見えて救われる人がいる。そういうものの方がリアリティをもちやすいというのは、理解しやすい話だなと思います。

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 水槽の中で生まれた魚が外の広い世界を知らず、鳥篭の中で育った鳥が、自力でエサを見つけられず再び元の鳥篭に舞い戻ってしまう。・・・と、いうコトですかね。無知なるが故の満足、他力本願な幸せが、若者にも蔓延しているワケですか?


古市憲寿氏(25日、東京大学本郷キャンパスにて。撮影:野原誠治)


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若者はもっと「自己中」になって社会を変えろ~「絶望の国の幸福な若者たち」著者インタビュー~2
2011年10月28日11時30分

デモなんかしなくても社会は変えられる

―じゃあ例えば、家の不用品を持ち寄ってフリーマーケットしようみたいな方が、デモよりも盛り上がるということでしょうか。

古市:はい、実際アースデイなんかだと2日間で10万人ぐらい動員していますしね。これはディズニーランドの来場者数と比べてもそんなに遜色のない数字です。あれぐらいカジュアルで、「地球になんか良いことしようよ」みたいなふわっとした気持ちで参加できて、楽しいイベントだったら人は集まるんです。

「オキュパイ・トウキョウ」みたいに変に堅苦しい感じじゃなくて、もっとそれこそふわっとした内容のイベントの方が動員は出来ると思うんですね。

ただ、それが社会的なインパクトになるかは、また別の問題です。アースデイでも反原発デモも、そこに何人集まったかで社会が変わるかどうかが決まるわけではないですから。

しかも「反原発」とか「地球を守ろう」というシングル・イッシューで人を動員したところで、問題はその後です。本気で「反原発」や「地球を守る」ことを目指すなら、個別的で地味な努力をしていかないといけない。そこには当然利害の対立もある。運動は大抵、この段階でバラバラになります。

そもそも、デモって「力がないものに残された最後の手段」だと思うんです。だけど日本では「デモか革命か」みたいなイメージで、それが社会変革の唯一の手段だと思われている。

社会を変える方法というのはもっとたくさんあるはずなんです。

「オキュパイ・トウキョウ」の開催をtwitterで知るくらいの情報強者であるならば、つまらないかもしれないけど「この法律の第○条のこういう条文を変える」みたいなより具体的な目標を設定して、政治家や官僚とネゴシエーションするとか。もちろんそれってものすごく大変な上に、長い時間のかかる地道なつまらない作業だと思うんですけど、それくらい本気なのかって話ですよ。

40年間毎月デモに参加してます、みたいなおじいさんにも同じことが言えます。それだけ長く生きていれば政治家の知り合い、もしくは知り合いの知り合いくらいはいるだろうから、頭の一つや二つを下げて実際に「権力」と接触してみる。

そういうことの方が、実質的に「世の中を変える」ことになると思います。

それをしないで、デモにだけ参加しているのは、どうかなあと思います。もちろん、それが楽しいのであれば良いんでしょうけど、あんまり本気じゃないのかなという気がしてしまいます。

だったらはじめからデモじゃなくて、ちょうど「オキュパイ・トーキョー」と同じ日にオープンした阪急メンズ館に行くとか、もっと世の中には楽しいことがあるのに。いや、デモが阪急メンズ館より楽しいなら、全然いいんですけど。

―つまり、本気で若者が何らかの形で政治的なアクションを起こすほどに、日本の現状は切迫していないということなんでしょうか?

古市:そうなんですよ。逆に言えば、本当に危機感を感じた時には勝手に人々は動き出す。2010年に起きた東京都の非実在青少年問題に対する反対運動がわかりやすい例です。

東京都が、青少年健全育成条例の改正案に、マンガやアニメのキャラクターであっても年齢が18歳未満に見える場合、規制をかけるという条項を盛り込もうとしたんです。これに対して危機感を持った人々が、地元の議員に陳情に行ったりとか、反対の署名を集めたりとか結構、具体的な行動を起こしています。

特にデモが起こったりしたわけじゃないですけど、より実質的で具体的な行動を起こしているわけです。結果的に条例案は可決されてしまいましたが、「政治」や「権力」と具体的にどう関わったらいいかという教訓を多くの人に残したと思います。

だから、逆に「反格差」「反貧困」というのは、それほどまだ切迫感がないから具体的な行動に結びついていない、と僕は考えています。

―今、昨年の東京都の条例改正の例を挙げていただきましたが、他に若者が切迫感をもって具体的な行動に移すケースというのはあるのでしょうか?

古市:そもそも現在では、「若者が」という世代論でくくることが難しくなってきていると思います。例えば、「原発事故と放射能の影響」という問題に対しては、小さい子がいるお母さんは、色々な政治行動を起こすようになっていますよね。行政が放射性物質を測らない食品を、自分たちで独自に測定したりとか、積極的にネットワークを作ったりとか。

「お母さん」っていうと若者じゃないように聞こえるけど、実際に多くの「お母さん」は20代から30代で、年齢的には若者といえます。

つまり、無理して「若者」というカテゴリーを設定してしまって、「若者」に何かを期待するという眼差し自体が微妙だと思うんですよね。ひと口に「若者」と言っても、その中にはバリバリ働く正社員もいれば、フリーターもいる。お母さんもいれば、お父さんもいれば、引きこもりもいる。あまりにも茫漠としていて、掴みどころのない主体に対して何らかの活動を期待しているわけですから。

かつての学生運動のようなわかりやすい形の運動が起きないから「若者は元気がない」と語られてしまうのでしょうか。

古市:そもそも学生運動が凄く美化されているように思います。僕がどうしてもわからないのが、なぜ自分の食い扶持さえも稼げないような学生が、社会とか国家とか語って、威張っていたのかということです。その方が逆に疑問ですよ。別に自分が稼げてなくて、自立もしていないなら、バーベーキューでもしてればいいじゃないですか。

政治とか社会というのは、向かってくるものだと思うんですよね。年齢的に成長して、家族を持つとか子どもが出来るとか、大切な人に出会うとか、そういう状況の中で具体的な問題となって立ち現れ、迫ってくるものだと思うんです。例えば、子どもが通っている学校が荒れているとか、そういう具体的な問題に巻き込まれた時に、それにどう対処していくかを考えることも政治ですよね。

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 危機感を持ったら若者は勝手に動くと言っても、ジッサイ・・・青少年健全育成条例にしても、ヤバイと思って直接政治家に働きかけても結果が出せなかったワケでしょ?ワタシには、


「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」


の一説が脳裏に浮かびましたわ。


ナチ党が共産主義を攻撃したとき、
私は自分が多少不安だったが、
共産主義者でなかったから何もしなかった。

ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。
私は前よりも不安だったが、
社会主義者ではなかったから何もしなかった。

ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。

私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。

ナチ党はついに教会を攻撃した。
私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた。


なぜ青少年健全育成条例の改正案を廃案にできなかったのか?個別に政治家に働きかけたのにどうして?それは・・・


声が足りなかった。


の一点に尽きます。たかだかひとり、ふたりが政治家と直談判したところで、そんな少数意見を政治家が汲み上げると本気で思います?無駄だとは言いませんが、日本は曲がりなりにも民主主義の国であり、重要視されるのはマジョリティーの意見なワケですよ。残念ながら。そんなね?江戸時代の「直訴」みたいな真似はまかり通りまセン。

 であれば、デモをしてでも、庶民の切実な声を政治家に分からせるのは、民主主義における庶民の正攻法であり権利であります。よね?若者がデモに参加しない?自らの権利を放棄するのも自由です。鳥篭の中でピイピイ鳴いているのが好きなら、それもイイでしょう。

 幸い、今回のTPP参加の是非に関しては国民の総意として不参加にほぼ固まり、それを無視して参加、もしくは交渉に臨むのなら、現内閣は未来永劫・・・


日本を裏切った謀反人


・・・の誹りを受けるであろう事は否めませんなあ。

 くれぐれも、リーダーシップと独裁を履き違えちゃあイケマセン。意見が分裂、交錯する中で最善の道を見出すのが「リーダーシップ」。それに引き換え、庶民の総意を無視して独断を下すのが「独裁」。ワタシたちは・・・


「独裁者」を首長として仰ぐ気はナイ!


・・・ワケです。ま、オバマ大統領がガタガタ言う様なら、直接アメリカの庶民に日本の状況を訴えかけるぐらいの気概を見せて下さいな。ねえ?

  
でわっ!