2013年4月27日土曜日

政治と宗教

  
 日本国憲法第二十条にて、「国およびその機関」の宗教活動を禁止しているということは、「日本国憲法」の方が「宗教」よりも上位に在るということを意味します。つまり、国会議員および全ての公務に携わる吏員は、「イエス・キリスト」よりも、「仏陀」よりも、「マホメット」よりも、「日本国憲法」に従いなさい・・・と言っているワケです。


これって凄いことですよね?


 「税金の徴収における公平性」と、「国庫からの支出における公平性」という観点からすれば、「国」が特定の宗教に肩入れすることは「宗教差別」になる・・・ということは、皆さんも理解するところです。

 しかし、それだけの理由・・・もちろん「国」という「集団」を維持する上では十分大きな理由ではありますが、個人々の「内なる宗教的情熱」を、「徴税の公平性」という理由だけで納得させることができるのか?

 それがワタシの疑問であり、「心理的パラドクス」を誘発するのではないか?・・・という危惧にも繋がるワケです。はい。

 「日本国憲法」・・・すなわち「近代理性」が到達した答えは何か?・・・と言えば、


基本的人権


・・・という概念です。


日本国憲法

第十章 最高法規

第九十七条
 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。


 第九十七条に謳われている「自由獲得の努力」とは何か?それも、人類の多年にわたる努力の成果が「基本的人権」という答えに辿り着いたワケですが、歴史を振り返って見ればその答えは明白です。

 ある時代には「強大な宗教権力」によって、またある時代は「強大な封建権力」によって、ワタシたちは翻弄されてきました。「支配者と被支配者」という構図で世界は覆われ、「個人の自由」など顧みられることもありませんでしたが、それは一重に、「人類全体が無知で覆われていた」からに他なりません。

 人類が進歩=弛まざる「真理」の追求を続けてきたからこそ、「全ての人間は基本的に同じである」・・・という、今日では全く当たり前の「科学的事実に到達」し、であるならば・・・「全ての人間の権利もまた、基本的に同じである」・・・という、


基本的人権


の概念・・・というか、論理的考証が導き出されるワケで、これはもう、「概念」などという抽象的なものではなく、肉体の「存在的事実」からして揺ぎ無いワケです。

 「近代理性」の出発点はここに在るワケで、いかなる宗教であろうが信者が人間である限り(信者が犬や猫だったらアレですが)、全ての宗教を貫く底流には「人間存在」があるワケで、したがって「基本的人権」も普遍的に存在する理屈になります。

 ま、ワタシが知る限り「基本的人権」を無視した宗教は無いハズなので、いかなる宗教であれ、各々の宗教的教義を限界まで削ぎ落としていけば「基本的人権」が残り、その点で、「日本国憲法」と「宗教」とは矛盾しないように思うワケです。はい。

 したがって国会議員の皆さんや、公務員の皆さんが公務にあたって「心理的パラドクス」に陥ることを回避できると思うワケですが、それにはまず、「近代理性」を身につけていることが大前提になります。つまり、「現代人」としての「資質」を備えているか?・・・が問われるワケです。

 ま、そういったワケで、以上が日本国憲法第二十条における「政教分離」の問題?に対してのワタシの見解になります。

 さて、最近やたらに「憲法改正草案」がメディアを賑わせていますが、ワタシの観点は先にも述べたように、「基本的人権」に対する理解がしっかりしているか?・・・に尽きます。「基本的人権」を蔑ろにするということは、人類の多年にわたる真理追究の努力を水泡に帰す行為であり、それはつまり、人類の進歩に対する・・・


大いなる反逆行為


・・・に行為に他ならないからです。ワタシたちを・・・いわんや人類を、過去の封建制度の中に引き戻そうとする、


時代に逆行する行為
 

・・・に他ならないからです。


4/26、産経新聞が草案「国民の憲法」を発表。

・本紙「国民の憲法」要綱を発表 「独立自存の道義国家」

・「国民の憲法」要綱全文と解説 -2013年4月26日付産経新聞-(pdf)

・【産経新聞「国民の憲法」要綱】東アジア情勢・緊急事態に対処 田久保忠衛・起草委員長

・【主張】本紙「国民の憲法」要綱 戦後体制との決別を急げ

・【正論】「国民の憲法」考 拓殖大学総長・渡辺利夫

・【編集日誌】オール産経の「国民の憲法」


東浩紀氏らによる草案「憲法2.0」

・BLOGOS × ゲンロン presents 憲法2.0 wiki

・日本2.0



追記:

 「政教分離」に関してのカロリック側の見解が「Wiki」にあったので転載します。


カトリック正義と平和協議会

活動内容とその意義についての正平協の主張

意義づけと主張内容

<抜粋>
また、人間の尊厳は聖書の教えによって神から与えられたものであり普遍的な権利であり、この理念は世界人権宣言(前文)や日本国憲法(前文・11条・97条)にも明記された共通善であることから、人権の尊重と平和の実現に向けて連帯した活動が必要であるとされている。
</抜粋>


靖国神社及び政教分離への態度及び声明

 正平協は、カトリック教会が心ならずも靖国神社参拝を儀礼として容認したことは軍国主義下の過去の過ちであり、カトリック教会は目前に迫っている同様の過ちを繰り返してはならない、そして植民地支配と侵略行為についての反省を明記し、天皇中心の国家体制が戦争を起こした過去の誤りを繰り返さない為にも、政教分離原則は守らなければならないとしている。また、日本国の首相による靖国神社参拝を「政教分離に反する」と解釈している。

 この件に関して、日本カトリック司教団は公文書で日本国首相による靖国神社参拝に対して抗議声明を発表し、また憲法20条の信教の自由と政教分離については、現在の条文の堅持を求めている。また同様に、1936年に祖国に対する信者のつとめの指針において靖国神社の参拝を許容したことについて、戦後に日本国憲法が制定されたこと、国家神道が解体され靖国神社が一宗教法人になったこと、教会も第二バチカン公会議を経たことなどから、当時の指針をそのまま現在に当てはめることはできないとの考えを表明している。


 アレレ?そうなると麻生[フランシスコ]太郎副総理は、やっぱり「転び伴天連」・・・もしくは「何ちゃってクリスチャン」、「エアー・クリスチャン」ということになってしまうんでしょうか?本当に日本カトリック信徒代表なんですか?ええっ!?


カトリック正義と平和協議会HP






人間ナメんなよ!


でわっ!