2013年4月26日金曜日

麻生[フランシスコ]太郎www!

   
 前回の「閣僚の靖国神社参拝」の件の、訂正になるワケですが、安倍(歪)総理は参拝には行かず、「内閣総理大臣」名義で「真榊」を奉納しただけだったんですね。失礼しました。

 ま、それだけでも十分「憲法違反」なワケですが、それに輪をかけて行動が不審なのが・・・


麻生[フランシスコ]太郎副総理ですw。


 麻生副総理はカトリックの洗礼を受け、[フランシスコ]というクリスチャンネームを持ち、日本のカトリックの信徒代表でもある、


鉄板クリスチャン


・・・なワケですよ。

 「信教の自由」は憲法で保障されているワケですから、麻生氏が「転び伴天連」だろうが何だろうが、無宗教であるワタシがとやかく言うアレではないワケですが、いち無宗教の人間からすれば、「神を信じる」という「信仰心」を持てるということに、ある意味「尊敬の念」を抱く面もあるワケです。

 で、その信仰心と「靖国神社参拝」は相反しないのか?・・・という素朴な疑問が生じるワケです。カトリックであれば、カトリックなりの「戦没者」および「英霊」に対しての「鎮魂」の式典(ミサ?)を開けばいいんじゃないの?・・・と。

 もちろんキリスト教式の「戦没者慰霊式典」にしても、「私人」として参列するのは言うまでも無いことですが、麻生[フランシスコ]太郎副総理が・・・いわんや日本カトリック教会が、何故?独自の「戦没者慰霊式典(ミサ)」を催さないのか、不思議でなりません。

 ひょっとしたら開催しているのかも知れませんが、だとしたら尚の事、カトリック信徒代表である麻生[フランシスコ]太郎副総理が靖国神社に参拝することに関して、信徒の皆さんがどう思っているのか?お聞きしたいものです。

 ちなみに前回ご紹介した動画で、生田暉雄弁護士が、「法曹界には創価学会信者が多い」・・・ということを指摘されてましたが、その後、国会議員や高級官僚にはクリスチャンが多いということを知りました。


日本のクリスチャン有名人一覧


 かいつまんで羅列すると・・・麻生[フランシスコ]太郎(カトリック)、石破茂(プロテスタント)、谷垣禎一(プロテスタント)、佐藤優(プロテスタント)、田中真紀子(プロテスタント)・・・あたりが主だった面子ですが、何でも国会議員で毎年クリスマス晩餐会を開催しているそうで・・・。


日刊ツルネン
国会クリスマス晩餐会


国会クリスマス晩餐会メンバー

谷垣禎一(自民党総裁)

土肥隆一(衆議院議員)

末松義規(衆議院議員)

山田正彦(衆議院議員)

北村誠吾(衆議院議員)

山口壯(衆議院議員)

篠原孝(衆議院議員)

羽田雄一郎(参議院議員)

高橋千秋(参議院議員)

木俣佳丈(参議院議員)

浅尾慶一郎(参議院議員)

鈴木寛(参議院議員)

ツルネン・マルティ(参議院議員)

藤田幸久(参議院議員)

今野東(参議院議員)

下田敦子(参議院議員)

牧山ひろえ(参議院議員)


主催:VIPクラブ

VIP:代表挨拶


 こうして見るとアレですなw、「政教分離」がいかに難しいかということを、今更ながらに思い知らされます。クリスチャンにしても、創価学会員にしても、統一教会員にしても、それぞれの「正義」を掲げ、その「信念」を胸に秘めた国会議員や官僚同士の軋轢が、「政治」という得体の知れないものを生み出しているのだとしたら、ワタシのような「無宗派」の人間はただ戸惑うばかりです。

 日本国憲法で信教の自由が保障され、国会議員の選出に際してもその、「人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない。」・・・と、決められている以上、ぶっちゃけ国会が、無宗派も含めた「宗教のるつぼ」になることは避けられないワケです。

 国会議員(公務員)は、宗教的儀式等に参加することを禁止されていたとしても、その心の中まで規制することはできません。内に秘めた「宗教的情熱」による個人活動や、議員活動を規制することはできませんし、それを保障することが「日本国憲法」・・・いわば「近代理性」の真髄であるからです。

 憲法第二十条第1項では明確に「政教分離」を謳っていますが、議員ひとりひとりの「心の内」まで「政教分離」することはできません。したがって実質、「有名無実」の条文とも看做せるワケですが、それを認めてしまったら国会内の「宗教戦争」に発展してしまう可能性もあるので、第十五条の第2項にて、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」・・・と、「クギ」を刺しているワケです。

 結果的にはひとりひとりの議員の「分別」にかかっているワケで、「信者」としての自分と「議員」としての自分を、「切り替えられるのか?」・・・という疑問に行きつくワケで、「切り替える」には「信仰」以外の「判断基準」が求められ、それはつまり「自分の考え」を持つ以外にないのですが、そうなると「信仰」とは別の「自分の考え」が必要とされるワケですから、心理的なパラドクスに陥ることにもなります。

 麻生[フランシスコ]太郎副総理の話だったのに、何かややこしい話になって恐縮です。ま、ワタシは「無宗派」なのでこうしたパラドクスに陥る心配は無いと思うのですが、 現在の国会議員、公務員の皆さんはどうやって「心の整理」をしているのか?俄然そのことに興味が湧いた次第です。

 「政教分離」と言葉にするのは簡単ですが、果たして近代政治はそれを実践できているのか?日本の政治家や官僚は実践しているのか?・・・という点は、民主主義の確立の過程としても、非常に奥が深いワケです。


いのちのパン研究所
クリスチャンってえらいんだ!?





人間ナメんなよ!


でわっ!