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2012年7月29日日曜日

意外な繋がり。


 ウwさんの、パレスチナ問題に関する記事をチョコチョコっと「検証」してたら、意外な繋がりを発見しました。


ガザの開放、アラブの統合
2012年7月24日  田中 宇


 イスラエル建国=パレスチナ問題なワケですが、いつもの癖で、その経緯をつぶさに調べていたところ、「デイル・ヤシーン事件」および、「ダレット計画」なるものの存在を知りました。


デイル・ヤシーン事件

(前略)

1948年4月、エルサレムのユダヤ人は、アブドゥル・カーデル率いる義勇兵部隊「アラブ救世軍」に包囲されていた。そのため、ユダヤ人の武装勢力側はテルアビブからエルサレムへ補給物資を運ぶ作戦を行っていた。その際、エルサレム西部のデイル・ヤシーン村を、ユダヤ人テロ組織イルグン、レヒをベースとする部隊が、ユダヤ人の主力軍事組織であるハガナーの了承の下に攻撃。戦闘に勝利したユダヤ人テロ組織は、老人、女性、子供も含む村民たちを虐殺した。

(中略)

ダレット計画

デイル・ヤシーン事件はそれだけでも忌まわしい事件であるが、実は隠された目的があった。それは、ダレット計画と呼ばれる、英国委任統治領パレスチナのアラブ系住民の大量追放計画の実行である。デイル・ヤシーン事件は、その一環として起こされたものであった。つまり、地下テロ組織エツェル(Irgun Tzvai Leumi=民族軍事組織の意のヘブライ語頭文字Alef Tzadik lamedの略Etzel)はアラブ系住民の中に意図的にパニックを起こすことを意図して行ったのである。

これは、イスラエル独立前後の期間にハガナーが数百のアラブ系住民が住む村々に入り、見せしめの殺戮やレイプを行って恐怖をあおり、短時間の間に百万人を超える「移送」を完成させたことの一部である。

第一次ラビン内閣時のラビン首相の諜報問題アドバイザーであったレハバム・ゼエビは当時ハガナーの常備部隊であったパルマッハに属しており、この「移送」が行われたことを公然と認めている。

しかも、2005年にイスラエル総理府公文書保管局(Ginzach ha-Medina)から発行された、公開公文書集『イスラエル首相イツハク・ラビン、その生涯の一部からの選集』によると、第二次中東戦争開戦直前、当時若き有力将校であったラビンは、エジプトとの開戦を主張するモーシェ・ダヤン参謀総長(当時)の主張に反対してヨルダンとの開戦を主張し、その際、独立戦争中に行われた計画的大量追放と同様に、当時ヨルダン領であったヨルダン川西岸地区のアラブ人を再びヨルダンに「移送」することをベングリオン首相兼国防相に提言している。

イスラエル軍人の使う俗語シン・ギメル(門番の意。Shomer Gaderのヘブライ語の頭文字、Shin-gimel)とは、地位の高い者が都合が悪いときに立場の弱い者のせいにして責任をなすりつけることを意味する。そのようなイスラエル軍の思考は、レバノン戦争時、イスラエル軍がベイルートを囲んで、パレスチナ人に恨みを持っているマロン派民兵たちを意図的に難民キャンプに解き放ち、パレスチナ難民の大虐殺を引き起こした事件(サブラ・シャティーラ事件)の説明をシャロン国防相(当時)がイスラエルの国会で行った際、「イスラエル軍の手は汚れていない」と言ってのけたことにも伺える。

つまり、ダレット計画においては、非主流派のユダヤ人軍事組織「エツェル」はシン・ギメルであって、真の責任者はベングリオンである。

(後略)


 ん?「サブラ・シャティーラ事件」て?


パレスチナの歴史
サブラ・シャティーラの虐殺


 で、この虐殺行為の実行犯となった「マロン派」民兵とは?


マロン派

(前略)

レバノン国内におけるマロン派とギリシャ正教、アルメニア教会およびシリア教会コミュニティとの関係については、同じキリスト教徒でありながら、常に緊密な関係同士であるとは限らず、例えばアルメニア教会教徒はレバノン内戦において基本的に中立を保つ一方、左派が多いギリシャ正教徒は、しばしばマロン派と対立する関係にあった。レバノン内戦においては増加するイスラム教徒と対立し、同派の民兵組織が、侵攻したイスラエル軍の協力の下でパレスチナ難民に対する大量虐殺を行い国際的非難を浴びた。

(後略)


 そして、マロン派に属する著名人として、何と!!日産のカルロス・ゴーン氏のお名前が!?

 いやw、以外でした。まさかパレスチナ繋がりで、ゴーン氏のお名前が出てこようとは...。ご両親はレバノンのご出身のようなので、一家代々マロン派なのでしょう。世のなか広いようで狭いというか、意外なところに接点?があるものですなあw。

 ひょっとしたらゴーン氏の身内の中に、「サブラ・シャティーラの虐殺」に係わった人がいるかも?...と想像すると、ま、ゴーン氏個人とは無関係だと頭では理解していても、何か...「ダークなイメージ」が沸いてきてしまうのは、ひとえに、ワタシの妄想癖がなせる悪い癖ですw。orz

 で、ワタシが言いたいのは、現状だけを取り上げて問題を解決しようとしても、物事はなかなか上手く運ばないということで、「因果」の繰り返しが問題を生んでいるワケですから、「因果の根源」=「問題の根源」を突き詰めないと、「恒久的な問題解決」には至れないだろうと思うワケです。つまり、


ボタンの掛け違い


を、直すところから始めません?...と、いうことです。

 パレスチナ問題については、ワタシたちが知らない(無関心な)だけで、ネットで検索するとボロボロと興味深い事実が出てくるので、ウwさんの記事の「検証」は、また日を改めて続けます。




人間ナメんなよ!


でわっ!

2012年4月1日日曜日

シリア内戦の別な見方。

   
 ウwさんが、シリア内戦?の終結に向けてロシアと中国が主導権を握る(最早握っている?)だろうと分析していますが、ワタシとしてはそうなる事を望んでいたので、そうであれば、ま、ヨカッタです。はい。


露中主導になるシリア問題の解決
2012年3月31日  田中 宇


 で、シリアの内戦が小康状態に落ち着いたところで、チュニジアから始まった、一連の「アラブの春」と呼ばれる民主化要求運動について、再検証してみる必要があるかも知れません。


エジプトデモを読み解く3つのポイント




 チュニジアは後回しにして、エジプトに於ける民主化革命?の経緯を辿って見るに、ワタシ、スッカリ忘れていたんですけど、エジプトは第一次から第四次までの中東戦争にて、


イスラエルと交戦


してるんですよねえ。他にも、イラク、シリア、サウジアラビア、ヨルダン、モロッコ、レバノン、北朝鮮がアラブ陣営となり、イスラエルと戦火を交えています。

 最終的にはイスラエルに勝てなかったアラブ陣営ですが、アラブ陣営内部も、石油の利権を巡る行き違いなどから纏まりに欠けていたようで、エジプトの大統領がサダトに変わるとイスラエルとの和平路線を打ち出し、それが原因でイスラム(アラブ)右翼に、暗殺されてしまいます。


第一次中東戦争

第二次中東戦争

第三次中東戦争

第四次中東戦争


 おそらく、エジプトが北朝鮮にロシア(ソ連)製のミサイルを転売したのも、この時期ではないかと思われます。エジプトはソ連製の武器の供与を受けていましたが、アメリカ製の武器を擁するイスラエル軍にどうしても勝てない。

 となれば、今後もイスラエルと武力で対峙するには、先ずはアメリカ製の兵器が必要になる・・・。そう考えたサダト大統領が、アメリカに近付くために「名を捨て実を取る。」形で、イスラエルとの和平に切り替えた可能性も考えられます。

 で、そのままズルズルと、アメリカ軍がエジプト軍の軍事顧問を引き受けているワケですが、エジプト軍部の「本心」は?

 まあ、他のアラブ諸国からは「裏切り者!」呼ばわりされるワケですが、致し方ありません。


「実は・・・。」


なんて、口が裂けても言えません・・・。

 サダト大統領の心中を、ムバラク大統領が察していたとしたら、イスラエル、アメリカにとっては脅威以外の何物でもありません。したがって「エジプト革命(?)」は、ムバラク大統領を失脚させた事で、イスラエルの安全保障に貢献したとも言えます。

 で、エジプトの安全が確保出来たとなると、地政学的に見ても次に向かうのは、必然的にシリアになるワケです。


 イラクはね?例の「大量破壊兵器」のインネンをつけられて、みなさんご存知の通りです。ヨルダン、レバノンは小国なので、当面介入する必要も無い・・・ま、格下扱いなのでしょう。

 残るはシリアで、シリア軍がどれ程のものなのか?ワタシは知る由も無いのですが、シリア軍と直接交戦となる事態は、他のアラブ諸国を刺激したくないイスラエルとしても望むところではなく、そうなると、現政権が崩壊し、親米・親イスラエル政権に取って代わるのがベストなワケです。

 そういったロードマップ(策略)に、イスラム教の宗派間闘争や、石油の利権を巡る部族間闘争が利用され、現在のシリア内戦に発展した?とも見れるワケです。はい。

 ま、確かな裏付けも無い、ワタシの勝手な想像に過ぎませんが、想像ついでに言えば、今後ロシアと中国がアラブ連盟と歩調を揃えてシリアの内戦?を調停するつもりなら、「中東戦争」は、避けては通れない「過去の遺恨」として、もう一度向き合わざるを得ないでしょう。

 そしてアラブ連盟にしても、何故?アラブ連盟が纏まらないのか、その理由のひとつとなっている「石油利権」の在り方・・・王族による独占が正しいのか?それともアラブの民で恩恵を分け合うのか?どっちが・・・


アッラーの御心に叶うのか?
 

よくよく考えた方がイイんじゃないですかね?

 ま、信仰心を持たないワタシが言うのもアレですが・・・。


人間ナメんなよ!


でわっ!

2012年3月15日木曜日

中東史概略 2


オスマン帝国とその時代
を検証してみるに、欧州においての「産業革命」を見逃すことは出来ません。イギリスでは1760年代から産業革命が始まりますが、それと同時に「資本主義」も発達します。

 産業革命=機械化による大量生産が可能になったということは、製品の原料も大量に必要となることを意味し、この事が欧州各国による植民地政策に、いっそうの拍車をかける結果となるのは当然の成り行きでしょう。


 蒸気機関による船、蒸気船の登場は欧州各国の海運力を飛躍的に向上させ、かつてオスマン帝国が支配し、フランスなどに許可していた北アフリカ地域での通商の主導権は、欧州の産業革命による近代化に伴う優位性の逆転で、次第にオスマン帝国から欧州諸国へと移り、やがて欧州の植民地政策へと進展するワケです。

 近代化の波に乗り遅れたオスマン帝国は、その後ズルズルと第一次世界大戦に巻き込まれてゆくワケですが、その最中に、オスマン帝国支配下のアラビア半島のアラブ人の独立を煽り、オスマン帝国を切り崩す為に表明されたのが、「マクマホン宣言(1915年)」なワケです。

 ちなみにこの年、世界初の石油を燃料とした船(クイーン・エリザベス)がイギリスで建造されます。

 で、「バルフォア宣言」はその2年後、1917年になるのですが、シオニストの資本家、ロスチャイルド家に対する支持表明にどんな背景があったのか?


とても気になります。
 

 つまり、産業革命以降、資本家が巨万の財を成した事。そして、その財から戦争の戦費が賄われた事。戦争終結(1918年)の前年に、戦勝が明らかになった時点で見返りを求めた事。で、その見返りが「ユダヤ人国家の建国」・・・と?

 どうも・・・ワタシはへそ曲がりなせいか、


にわかに信じられませんなあ・・・。


7大メジャーズの出現


 アメリカの石油産業に押されていた欧州資本家が、中東の石油産業で一儲けしようと考えるのは当然であり、その中でも有力者であるロスチャイルド家がシオニズムを掲げ、アラビア半島の一角、パレスチナの地を求める。そしてイギリスも、それを後押しする・・・。


 当然そこには「石油利権」という目論見もあるのでしょうが、それだけであれば、「イスラエル建国」などという面倒くさい真似をする必要も無いワケで、「それ以上」の別な目的・・・「国家」でなければならない理由があったと、ワタシには思えるワケです。

 そこで思い出されるのが・・・


「私に一国の通貨の発行権と管理権を与えよ。そうすれば、誰が法律を作ろうと、そんなことはどうでも良い。」
 - マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(1790年の発言)


という言葉なのですが、ロスチャイルド家がイングランド銀行、FRBの通貨権限を握ったとしても、現在アメリカにてFRB解体が取り沙汰されているように、所詮は国家からの「仮の権限」に過ぎず、その権限を磐石のモノにしようとするなら、


自分の国家を打ち建てるしかない。

 
と、考えたとしても不思議ではありません。


 そこで、「イスラエル建国」はどうしても不可欠になるワケです。「ユダヤ人居留地」じゃダメなんです。「国家」でなければ通貨の支配は磐石とならないのですから、イスラエルという国体を守るのは至上命題になるワケです。

 さて、そう考えると、中東の問題にもまた別な側面が見えてきます。人権だの、石油だの、騒がれていますが、結果的には金融問題(イスラム金融)も含めた「イスラエルの安全保障」に帰結するようにも思え、その先にある未来像とは・・・。
 

2012年 3月 14日(水曜日) 16:07
アメリカ人の4分の3がイスラエルのイラン攻撃に反対


USSエンタ-プライズ偽旗作戦
 対イラン戦争 イスラエル





 ・・・で、いつもの妄想を巡らせるならば、欧州の金融危機やアメリカの金融危機、それらが破綻・・・デフォルトし、さらにはイスラエルの暴走?による第3次世界大戦が勃発した後に、基軸通貨の地位が、米ドルからイスラエルの通貨、シェケルに取って代わる予定だとしたら?それが、NWO(ニュー・ワールド・オーダー)、ONE WORLDの壮大な計画だとしたら?
 
 何となく、いま世界で起きている諸問題が、ひとつに繋がるような気もするんですよねえ・・・。ま、現在のイスラエルの経済状況、金融事情も知らないので、あくまで妄想ですが・・・。


新シェケル両替レート





 現在とは、過去から敷かれたレールの上に乗っているワケで、要は、過去の因果関係の上に存在しているワケです。そこでですよ?もし、過去のある時点で、レールの切り替えポイントを操作したとしたら、現在の姿も変わってくるワケですよね?


そんなこと出来る訳がない!


 と、大抵の人は考えますが、よくよく考えてみれば、歴史の教科書にしても、新しい事実が発見されれば書き換えられていくワケですよ。つまり、過去の書き換えによって、現在の世界の在り様も変わるワケです。ということは・・・


過去は変えられる!


という簡単な事実に気が付くワケです。

 ただし、従来の間違った過去、歴史認識を修正するには、シッカリとした「検証」が不可欠です。でなければそれは、「歴史の改竄」になってしまいます。

 「歴史は勝者によって創られる。」・・・などと言われますが、これなど正に「群盲、象を評す」が如く、特定の嗜好性を持った集団の判断にて、「歴史の真相」の一部分を捉えているに過ぎません。

 象の周囲を満遍なく取り囲み、それぞれの観点からの「象(歴史)」を検証し、それらを統合して初めて、「歴史の真相」が浮かび上がるのではないでしょうか?それこそが、現代に生きるワタシたちの「理性」というものではないか?・・・と。


人間ナメんなよ!


でわっ!

2012年3月13日火曜日

中東史概略


 現代に連なる中東の歴史
をどの時点から考えるか?・・・とした時、やはり「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」の、三大宗教が揃った時点からが無難か?・・・と、ワタシには思えるので、ま、その他のマイナー?な宗教・・・「ゾロアスター教」とか、「ミトラ教」とか、「マニ教」とかの影響は割愛して話を進めます。


 しかし、改めて考えてみると、世界三大宗教は中東が発祥なんですよねえ。「キリスト教」は欧米の宗教のように思われがちですが、それはローマ帝国内で「キリスト教」が布教されていく過程で、ローマ帝国風に「アレンジ」されたせいではないか?・・・と。

キリスト教:諸教派の系統図


ローマ帝国にとってのキリスト教


ユダヤ戦争(66年 - 74年)


東西ローマ帝国(400年頃)

 キリスト教の主導権?がエルサレム派からローマ派(パウロ側)に移って後、イスラム教が勃興し、ローマ帝国とサラセン帝国(ウマイヤ朝:661年 - 750年)の両雄が並び立つ時代になりますが、ウマイヤ朝の最盛時には西ーマ帝国は既に無く、AD700年から750年頃の間はこんな感じではなかったか?・・・と。

ウマイヤ朝と東ローマ(ビザンツ)帝国(750年頃)

 ウマイヤ朝は、首都を現在のシリアのダマスカスに置き、その勢力を大いに拡大したしたが、イスラム教の後継者(カリフ)の地位を巡って内紛が絶えず、それにより瓦解してしまいます(750年)。その際にスンナ派とシーア派に別れ、その確執が現在まで続いているという次第です。はい。

 ウマイヤ朝の殆どの領地は、反乱を起こしたアッバース家(シーア派)が引き継ぎアッバース朝となり、王家(スンナ派)はイベリア半島に逃れ、後ウマイヤ朝を興します。

アッバース朝(750年 - 1258年)


後ウマイヤ朝(756年 - 1031年)

 で、アッバース朝はモンゴル帝国に滅ぼされ、後ウマイヤ朝は、またしてもカリフ後継問題にて自滅してしまいます。

 アラビア半島に居を構えるアッバース朝が滅ぼされた後、アッバース朝に継承されていたカリフの地位を、エジプトに居を構えるマムルーク朝が引き継ぐことになるのですが、マムルーク朝もオスマン帝国によって滅亡し、受け継がれ来たカリフの位も廃止されてしまいます。

マムルーク朝(1250年 - 1517年)


オスマン帝国(1281年 - 1922年)

 いよいよオスマン帝国が登場し、時代は「近代」に突入するワケですが、この続きはまた改めて。ただ・・・ひとつ言えることは、どうも「イスラム教」だけでは、アラブの諸部族をまとめ上げるのは無理なんじゃないかと。

 即ち、「アラブ人の誇り」とやらと「イスラム教」とは、どうも・・・


別問題?


のように思えてなりません。そうすると「宗教」って全般的に見て、イッタイ何なんでしょうね?「争い」を止める手立てにならんワケでしょ?コト、中東においては・・・。


人間ナメんなよ!


でわっ!